第5話 母子の記憶③

 屋台とランプの橙色の灯りの下で見る小瓶の中身は、黄金色。

 下手な金品の何百倍も手を伸ばしたくなる、美しい色合い。ミラードがそれを見て、ゴクリと喉を鳴らした。


「……何ですか、それ」

「強いて言うなら薬、です。あなたにだけ処方されたね」

「私だけって……、そんなの変です。だって、思い出せなくなったのはついさっきで……」

 語尾を震わせつつも、ミラードの視線は小瓶に釘付けだった。

「それ、しまってもらえない? おかしくなりそうなくらい、綺麗だわ。そんなもの、私受け取れない」


 その反応はある意味とても自然なことだ。メモリアは、何故だか人をとても惹きつける。特に、人は、喉から手が出るほどの欲求を覚えるらしい。


「ブロドとチャスが、持ってきてくれたんです」

「え?」


 疑問符を浮かべたミラードに、クーは真面目なトーンを落とし、代わりに悪戯っ子のような笑みを浮かべた。

 ミラードはその言葉にチャスを、そしてブロドを見た。首を傾げて戸惑った表情で何度も双子を見比べる。が、当の双子としても、クーの発言に驚いているのだ。


「あなたたちが作ったの?」

「違うけど」

「でも……、」


 何と答えようかブロドが迷っていると、チャスが目配せをした。「話を合わせておけ」とその目は語っている。


(……なんでオレが……)


 そう同じように目配せをチャスにしても、チャスは首を横に小さく振っただけ。「変に話をややこしくするな」と言ったところだろう。

 こういうところは双子で、幸か不幸かブロドにはきちんと伝わってしまった。仕方なく、拙くも適当にそれっぽい話を作り上げることにする。


「……その、特別な薬を作っている知り合いがいて、その人の薬を、必要な人の所へ届ける手伝いをしてんだ」


 とにかくここまで言ってしまったのだから、メモリアを飲ませるしかない。


「特別な薬……。でも、どうしてその人は私のことを知ってるの?」

「それはオレたちにはわからない。けど……、少なくてもこの薬はミラードさんに処方された。……から、飲んでほしい」


 ミラードに意味が伝わったのかわからないが、不安そうな表情も残しつつも小さく頷いて見せた。


 クーは満足そうにそれを確認すると、ミラードに瓶を手渡しきちんと握らせた。そしてすぐに、目の前にいては飲みにくいだろうと配慮してか再び距離を取る。


(――てか、なんでオレが飲ませる役に回ってんだ。おかしいだろ、クーの奴)


 ブロドがクーのお手並みを見てやろうと思っていたのに、これではまるっきり逆である。当のクーはと言えば、涼しい顔でミラードが小瓶の蓋を外すのを眺めている。


(……後で詫びを請求してやるからな)


 ブロドがそんな風に恨みがましくもクーを横目に見ていた時だった。


「――ぅ、ア……ッ、ァァアアアッ!」


 突然、左隣から異様な叫びと共に、猫背の男が狂ったように走り込んできた。


「え、」

「下がって!」


 チャスがすぐさま反応し、ミラードの腕を引いた。ミラードを背後へと追いやり、流れる動きで庇うように抱きしめて、後ろへと押し倒す。

 ミラードはいきなりのことに踵を地面に引っ掛け、そのまま体勢を崩した。チャスに抱きつかれた形で尻餅をついている。


 既に男は先程までミラードが立っていた場所にいた。両手を前に突き出し、何か必死に掴もうとしていたようだが、当然そこには何も無く、皮だけの腕は宙を空ぶる。


「くそっ」


 ブロドは気づいたら駆け出していた。その勢いを使って、男が走ってきた方向に押し戻すように体をぶつけた。どん、と鈍い音と共に、男は呆気なく「うっ」とくぐもった声を上げ、されるがまま地面へと投げ出されている。

 起き上がってまたミラードが狙われるとまずい。ブロドは迷いなくその場で屈んだ。ブーツの踵に手を掛け、そこに仕込んでいるナイフを取り出そうとする、が。


「――ぐああ!」


 その男は起き上がろうとする間もなく、両の手首を背中で捻り上げられていた。

 ブロドは踵から手を離す。もはやナイフなんか要らないのは一目瞭然だった。


 クーによって締め上げられている男は、抵抗を試み騒いでいる。

 ブロドは男の頭の横で屈みその顔を見る。みすぼらしい服装に黄ばんだ歯。目もどこか虚ろだ。見覚えのない男に、ブロドは無常に尋ねる。


「誰だ、お前」

「あ……よこ、せ……おれに……」

「あ?」


 顔を顰めたままブロドは、突然現れた訳のわからない男の苦悶の表情を眺めた。

 男は焦点の定まらない瞳でブロドを見上げては、拘束から逃れるように体を揺らす。しかし痩せ細った男がいくら力を入れようと、自由を取り戻すことなどできやしない。


「は、なせ」

「何なんだ、お前は」

「よこせ……たり、ない……」

「はぁ?」

「――きおく」


 男がかろうじて発したその一言に、ブロドは自分が短く息を飲んだのがわかった。胃の奥に氷を入れられたような感覚を覚える。

 男の背中で無表情に動きを封じていたクーに目を向けると、彼もブロドに視線を合わせ、薄く皮肉気に頷く。


「ご名答。中毒者だよ」

「瓶を狙った?」

「まぁね。ここは人通りも多いし、さっきたくさん失神者が出てたから、何となく事情を知っている奴はを嗅ぎつけるわけだ。こいつらは血眼になって黄金の瓶を探してるってわけ」


 弱々しく抵抗を続けつつも虚ろに「きおく」と呟き続ける中毒者を睥睨した。舌打ちをして、チャスに声を掛ける。


「チャス、縄をくれ」

「わかったわ!」


 チャスは、抱き着いたまま座り込んでいたミラードから体を離し、近くのテント裏に積まれていた縄をめざとく見つけて、クーへと渡した。


 クーが慣れた手つきで中毒者の両手首を縛る。と、そのタイミングで騒ぎを聞きつけたのか憲兵が二人、こちらに駆けてきた。クーは男を立たせると、そのまま縄ごと身柄を引き渡した。そして、何か手帳を見せると、敬礼する憲兵に何かしら告げる。


 ブロドの位置からは、彼らの話し声は聞こえない。ただ、クーのあの手帳が何かしらの効力を持つものなのだとはわかった。だが、今すべきことはきっとクーを探ることではない。


「ミラードさん」


 座り込んだままのミラードの元にすぐさま戻ったチャスの隣に同じようにしゃがむと、ブロドは俯くミラードに声を掛けた。胸の前で重ねられたミラードの両手は、震えていた。


「…………」

「ミラードさん」


 静かに呼んだ名にミラードは顔を上げブロドを見つめた。どうしたらいいのかわからない、と顔に書いている。

 ブロドは何と言おうか、そもそも何か言うべきなのか迷った。でも、何も言わないことが最も不躾だと思った。彼女は、やはり双子にとってこの街では数少ない大切な人なのだ。


「……ごめん」

「え? どうして、ブロドが謝るの?」

「……薬に釣られたみたいだから。もっと人の少ないところで話せば良かったなって」


 本当の意味を言えない代わりに、力無くブロドはそう言った。

 ミラードは、それを聞いて安堵したような、困ったような、何とも言えない表情で「ブロドのせいじゃないじゃない」と笑った。


 それから固く組んでいた両手をそっと開けば、大切そうに抱えられた小瓶が現れる。やはり鮮麗な黄金で人間を魅了するそれに、ミラードは魅入られそうになるのを小さく息を吐いて耐えると、真剣な表情で二人の顔を順番に見た。


「ねぇブロド。これは、本当に私の為の薬なのよね?」

「そうだよ」

「……あなたたちは私に飲んでほしいって思う?」


 双子は同時に頷いた。これを飲めば、彼女は愛娘との大切な思い出を取り戻せるのだ。


 ミラードはもう一度だけ嘆息すると、いつも通りの芯のある光を目に宿した。小瓶の蓋を開け、チャスとブロドに微笑んだ。

 それからミラードは一息で小瓶の中身を、彼女の愛娘の記憶を、喉へと流し込んだ。

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