第4話 母子の記憶②

 三人は、双子が騒ぎを起こした通りに向かって歩いていく。


 楽器隊の後のパレードは踊り子の集団だった。

 つい先程まで憲兵が呼ばれていたことはすっかり忘れら去られたように、人々の浮ついた熱気を取り戻していた。

 華やかにステップを踏む踊り子たちの煌びやかな衣装は見慣れない作りをしていて、凝った刺繍を見るにもっと南西の大陸から来たのかもしれない。


 ブロドとチャスが先に路地から抜け出し、クーがその後ろをついていく。

 この辺りはいわゆる庶民の生活圏で、住宅の造りにも裕福さは見えないが、今日は特に騒がしい。


「それで、」クーは前を歩く姉弟に声を掛けた。「この人だかりの中、どうやってその女性を探すんだ?」

「探すも何も、その人のとこに行けばいいのよ」

「え?」


 チャスはクーの方を振り返って答えたが、クーには意味が伝わっていないようで、首を傾げただけだった。仕方なしに付け加えてやる。


「あれは、持ち主が子供を産んでからの記憶だ。小さい頃の姿しかわからなかったけど、ミラードさんの娘だと思う」

「子供? ミラードさん?」

「港で店やってる人。彼女が子供と触れ合ってきた記憶だったんだよ。普通に知り合いだから、この辺りにいたらすぐに見つかる」


 ブロドは前を見たまま、ぶっきらぼうにそう言った。クーの表情なんて見る気もしないが、隣でチャスが肩を竦めて、視線を進行方向に戻したところを見るに、これ以上の説明は不要だろう。


 憲兵の姿は既に無く、倒れている人もいない。祭りの日ということで普段より警戒体制を敷いていたのだろうか、いつもは後手後手の憲兵が、今日は動きが良い。見つからなかったのはラッキーだった。


 この賑やかさなら、数歩後ろを歩くクーには聞こえないだろうと、チャスはブロドに耳打ちした。


「いよいよ知り合いが混じるようになったの、そろそろ移動した方がいいんじゃない?」

「だな。まぁ、偶然手に取ったメモリアがミラードさんので良かったよ」


 チャスはこくんと頷いた。

 ミラードという女性はブロドとチャスがこの都に住むようになった当初から声を掛けてくれた、気の良い女性だ。

 漁師の旦那がおり、彼の乗る船で採れた魚以外の甲殻類や貝類だけを売っている。漁師の間で、喧嘩しない目的で売り物を分けているらしいが、逆にそれが珍しく、ミラードの人の良さも相まってなかなかの人気店になっていた。


「……タータの記憶だったわね」

「ああ。産まれてから2歳くらいまで、だったか?」


 ミラードはブロドとチャスが二人だけで暮らしていることを知ってからは、よく声を掛けるようになってくれて、そうなれば自然と彼女の10歳の娘とも顔見知りになるものである。


「……」


 ミラードの最も幸せな記憶を見た今、気持ちを一言で表すと「後味が悪い」。

 メモリアを飲めば、後味まで美味なものだが、双子は飲んだわけじゃなくただ原料ラベルを軽くなぞっただけなのだ。記憶として体験できなければ、ただ知り合いの幸せな記憶を自分たちが奪った事実を突きつけられて終わりだ。


「――二人とも、何話してるか俺にも教えてよ」


 その声の近さに驚いて振り返る。数歩分は後ろを歩いていたはずのクーが、ぴたりと真後ろにいた。


「音も無く近づくな」

「いやいや、これくらい君たちなら気づけるでしょ」クーは口角を上げる。「気が付かないくらい別のことで頭一杯だったんだ」

「…………」

「で、それって何?」

「…………」


 ブロドとクーが睨みあう中、チャスが「あ、いた!」と声を上げた。チャスに目をやると、通りを派手な音楽と共に練り歩く群れの向こうを見ていた。

 そこには反対側の通りで、同年代の女の子とはしゃぐタータがいた。

 少女たちの後ろの簡易テントでは、母親たちらしき数人で飲み物や食べ物を囲って、談笑している。ミラードも、その中にいた。


「ミラードさん!」


 音楽が溢れる中、チャスが声を掛けるが、ミラードは気づかない。


「こっからじゃ聞こえねぇだろ」

「そうね……。じゃ、あたし呼んでくるよ」


 そう言い終わるや否や、チャスは人混みの間を縫って道の反対側へ行き、ミラードのいる夫人集団に声を掛けた。チャスに気がついたミラードが、笑顔を見せて挨拶するのが見えた。それから、二言ほど話した後、ミラードはブロドとクーのいる方へと視線をやって、ブロドに向かって手を振った。

 その様子は、最も幸せな記憶を無くしたようには見えない。


「…………」


 ブロドは、口の中に苦い後味を感じた。

 一瞬外していた視線をミラードの元へ戻せば、そこには既に彼女と、チャスの姿も無かった。

 あれ、と考えた数秒後には、チャスがミラードの手を引いてブロドとクーの目の前まで来ていた。パレードをしているど真ん中を横断してきたのだろう。ブロドは少々呆れた。


「おいチャス、危ないだろ」

「でも、どうせお祭り終わるまでずっとこんな感じよ。それにほら、ミラードさん連れて来たし」

「ブロド、こんばんは」


 ミラードは普段通りの笑顔を浮かべた。痩せてはいるが日焼け気味の肌に、垂れ目の端に浮かぶ柔らかい皺は、いつ見ても「漁師の妻」も「市場のおばさん」もよく似合う呼び名だ。


「……こんばんは」

「お祭りには、二人で……じゃないのかしら?」


 ミラードは言葉を切って、ブロドとチャスの後ろに立つ、見慣れない男へと視線を向けた。いくら人通りが多いとはいえ、見ず知らずの他人という距離感ではない場所に、クーはちゃっかり立っていた。


 ミラードが無言でクー見つめること数秒。沈黙。


(これは……)


 察して、ブロドは小さくため息をついた。


「……ミラードさん」

「……え? あ、うん……、すっごい綺麗なお兄さんが一緒みたいだけど……」


 その、すっごい綺麗なは、これまた非の打ちどころのない微笑を浮かべて、会釈した。ミラードたちがおしどり夫婦じゃなければ、コロリとやられていたのかもしれない。


「はじめまして。クーと申します。こんな日にすみません」

「えっと、ミラードです。チャスとブロドとは、どういう……?」

「んー……、仕事の手伝いをお願いしてるんですよ」


 二人だけで生計を立てていると知っているミラードは、なるほどと頷いた。勝手に「仕事」を解釈してくれたのは、良かったのかもしれない。こんな祭りの日に仕事なんて、一体何の仕事なのか不審がられなくてよかった。


(けど、どうやってミラードさんにメモリアを飲ませるんだ?)


 いきなり「はいこれ」と渡されても、怪しすぎて飲めたもんじゃない。どういう手順をクーが考えているのかはわからないが、お手並み拝見といったところだろう。この男がただ腕が立つだけじゃないのは確かだろうから。


「じゃ、今日は仕事終わりで、二人とはお祭りに?」

「いいえ。あなたにお会いするのが仕事です」

「え?」

「ミラードさん。お子さんがお生まれになった時のこと、お聞きしたいのですが」


 何の躊躇いもなくするりと出てきたその一言に、ミラードの表情がピタリと固まった。

 クーは口元の微笑を崩さず、しかし瞳は笑っていなかった。ブロドとチャスが、瞬時に表情を険しくする。


「ちょっと、クー!」


 クーには彼女のメモリアは子を生んだ時のことだと伝えている。ただし、記憶を抜かれるということは、その部分の記憶をということだ。

 例えるなら人生という一冊の本のうち、数ページが破損し、前後の文脈からも破損部分のことをほんの少しも察することができない状態。


「…………」

「ミラードさん、無視していいから!」


 間違ってもこんな言葉をかけるためにクーに教えてやったわけではない。

 言葉を失って呆然としているミラードに、チャスが肩をさする。


「ひどい」

「いや、必要な問いだ。ミラードさん、お聞かせください」

「クー!」


 黙って、と首を横に振るチャスにチラリと見、クーは出会ってから初めての明らかな高圧的な声を出す。


「直接確認した方が早いよ。回りくどいのは嫌いだ」

「だからって!」

「なら、記憶を失ったままでいることを望むのか?」


 クーの冷静なその声に、ブロドは喉まで来た非難の言葉を嚥下した。「奪ったのは君たちの方なのに?」という逆に非難される声が聞こえた気がした。


 ぐっと拳を握りしめた。愛娘の記憶を失ったままでいいはずがない。そんなこと、わかっている。ミラードが双子にとって知り合いだからこそ、尚更。

 クーもミラードも何も言わない。ブロドも何も言えなかった。


 高揚した人々の声と、独特の太鼓と笛。

 その遠く遠くに時折混じる、沿岸に寄せる波のぶつかる音。


「……でも。それでも、言い方ってものはあるでしょ」


 クーが返事するより早く、ミラードが口を開いた。震えて、だが、しっかりとした声で。


「――いいのよ、チャス」

「でも……」

「ありがとう。でも、本当の事は話さなきゃ。嘘ついちゃいけないってタータにいつも言い聞かせてるんだから」

「…………」


 ミラードはチャスの頭を撫で、それからクーへと視線を向けた。


「お察しの通りです。私は、我が子を産んだ時のことが、今は全く思い出せないんです。何があっても忘れないはずの、いつだって瞼に浮かぶ愛おしい時間だったのに」


 クーはただ静かに頷いた。


「わかりました。なら、それを取り戻してもらいます」

「え?」

「それが、俺の仕事なんです」


 ぞっとするような、哀しそうな、何とも言えない表情で笑んでから、小瓶を――ミラードの記憶メモリアを、差し出した。

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