第3話 母子の記憶①

「絶っ対にお断りよ!」


 チャスは一度下ろしたクロスボウを構え直そうとしたが、クーが動く方が早かった。


「おいテメ、動くんじゃねぇ!」

「そう言わずにさ、っと」


 流れるように動き、そのままチャスの手からクロスボウを奪い取った。不意を突かれて、チャスもあっさりとクーに取られてしまう。


「て、ちょっと! 取らないで!」

「ふーん、隣国の有名製造所メーカーの物だね。型落ちだけど」


 クーはチャスの手が届かない高い位置で、手際良くクロスボウの刻印を探し出した。路地の暗がりの中、日常点検のように様々角度へと動かすものだから、あまりにも緊張感が無さ過ぎる。


「型落ちでもいいでしょ! 早く返して!」

「はいはい、どーぞ。きちんと手入れもされているし、君の腕も確かだった。だいぶ使い込んでるみたいだね?」

「…………」


 無言は肯定である。

 けれどクーは、その反応には何も言わず、次にブロドの方へとびしっと指を差し、「それに」とナイフへと視線を合わせた。


「そのナイフ、さっきブーツの踵から引っ張りだしたよね? あまり見ない隠し武器だけど、聞いたことがある」


 腕を組んで、得意気に頷いた。

 さっきまで刃を交えていたとは思えないほどのこの状況が、やはり奇妙である。


「ナイフをしまえるように、靴底に特殊加工をする靴職人が一時裏社会で有名になったよね。――その職人がいるのも、お隣の国だ」

「…………」


 無言は、肯定である。


「つまり君たち、やっぱりそこから来たんだろ?」底知れぬような射貫く碧い瞳が、腹立たせる。「名前がわかった時点で、住処も調べるよ。半年前に引っ越してきたみたいだね」


 否定したいが、事実だし既に知られていては隠す意味も無い気がする。ブロドは面倒になってため息をついた。

 戦いたくもないし嘘も意味を成さないし、それなら逃げたいところだが前回で不意打ちは使ってしまっているため、すんなりと逃げられるとはとても思えない。


「……そうだとして、何でお前はそんなこと知りてぇんだよ」

「とりあえずは、君たちのその鞄の中身が知りたいんだけど。まぁもっと端的に言うなら、メモリアについて調べていてね」

「調べる?」

「売人側の君たちは知らないかもしれないが、あれは結構な混乱を招いているんだよ。で、俺はそれをどうにかしなきゃいけない」


 クーは肩を竦めた。


「どうにかって?」

「んーそれが、俺も正解がわかんないんだよね。だって回収したにせよ、捨てるわけにもいかないし、元の記憶の持ち主もわかんないし……。あのさ、いつも完売なわけ? 余ったりしないの?」

「馬鹿にすんな。そのへんの喜劇より先に買い手は見つかる」

「……その前に、観劇券みたいに言われたことにまずは突っ込みなさいよ」


 胡乱気な目でチャスは二人を見遣ってから、諦めたように溜息をついた。こんな呑気のやり取りをしている暇など無いほど、状況は俄然良くないのである。


「で、あたしたちが鞄を見せないって言い張ったらどうするわけ?」


 これは双子が生きていくための唯一ある稼ぐ手段だ。見せろ、明かせ、と言われておいそれと差し出せるほど軽くはない。

 だがチャスとしても、ブロドの言う「勝てない」には賛成だった。明らかに動きが常人のそれではない。


「それなら、君たちを憲兵へ引き渡すよ」


 さらりとクーが答えた。

 無論、頷けるわけもない。


「……んなもん、拒否だ」

「そんなことできる立場かな?」


 苦々しく舌打ちするも、クーのその返答はそのままの意味で、強烈な脅しになる。素性を調べられては従う他ない。


(街から出れたとしても、国境付近は今、憲兵が大勢いるんだっけか)


 少し前、双子がこの国に越してきた時は抜け穴がたくさんあって、田舎の国境はあってないようなものだった。

 だから、山の中からこっそり入れば何のお咎めも無しだったけど、最近は近隣の国と緊張関係のようで、見回る憲兵が以前よりぐっと目立つようになってしまった。


「ま、現状じゃ国境も超えられないでしょ。諦めて鞄、見せなよ」

「…………」


 ブロドが渋る間に、チャスは先程のクーの言葉を反芻した。「元の持ち主がわからない」と言っていた。だから、メモリアを押収してもどうしていいのかわからないのだろう。


「ねえ」


 そこが、意外と落としどころかもしれない。チャスは挑発するような笑みを浮かべる。


「それなら、あたしたちがメモリアの持ち主のヒントを出すっていうのはどう?」

「――は?」

「あんたは、持ち主を探したくても探せない。そうでしょ?」


 クーはチャスの言葉に興味を引かれたように頷いた。険悪さは一旦鳴りを潜める。


「そうだね。何せ見た目がどれも全く同じだから」

「でも、あたしたちはその瓶を開けずに中身の記憶の情報を知ることができる」

「え、いやまさか……」訝し気にチャスを覗き込むが、怯む必要は無い。「……そんなことが、本当に?」


 チャスは頷いて、ブロドを見た。そうでしょ、と目で促せば、「そりゃあわかるけど……」と語尾をすぼめながらも肯定が返って来る。


「オレは嫌だぞ」

「でもブロド、まだ穏便に収めるなら、マシだと思わない?」

「……」


 ブロドの眉根に皺が寄る。「マシ」という表現は的確で、この状況から逃げて有耶無耶にできるかと問われれば自信は無い。ならば、この取引は代償としては確かに軽い方だ。


「……原料ラベルを読むだけだぞ」


 そう言って自身の鞄に手を入れた。先程奪った小瓶を一つ手に取る。

 目を捕らえて離さない黄金色。

 その硝子の表層を、優しく、触れるか触れないかの程度で撫でた。


「やっぱり持ってるんじゃないか」

「黙って」


 クーの声はチャスにかき消される。

 二人の声が遠ざかるのを感じながら、ブロドは目を閉じていた。自然と意識は触覚へ、指先へと集中していく。


――闇。

 黒い世界が広がる、瞼の裏。

 遠くに、薄っすらと光が見える。

 その光にふと気づけば、ひとりでに光自身がこちらへ迫って来る。

 大きくなる明かり。眩しいと感じるより早く、光はブロドを包み込み――。


 そこは、決して広くない部屋だった。

 窓の外は、ぼんやりと明るい。朝が近い、と頭のどこかで思った。

 もっともっと考えるべきことはあった。

 けれど、そんな風に何か別の、取り留めもないことを考えていなければ、意識を持っていかれそうだった。


 全身が汗ばんでいて、縄を掴む手の感覚も、歯で噛みしめている布の感触も、もはや正常に認識できなかった。ただ身体が痛くて痛くて、自分のものではなくなったような気がする。あぁでも、やっぱり痛い……。

 意識が、いよいよ朦朧とした時。


「ぉぎゃあああ!」


 意識を失うより早く、鳴き声が響き渡った。

 鼓膜をつんざく、存在を精一杯訴える生まれたてのその声に、はっと意識が引き戻される。


(赤ちゃん。私の、赤ちゃん……!)


 待ち望んでいた誕生を自覚した途端、涙が零れた。


「――女の子よ。よく頑張ったわね」


 湯で洗われたばかりの、小さな体で泣いている我が子を、おくるみに包まれた状態で渡された。

 先程まで縄をきつく掴んでいた手のひらは感覚が無かったはずなのに、その子の温かさが言いようもなく沁みる。

 それまでに辛くて流していた涙とは違う、手に抱きかかえる温もりに安堵した。私は、きちんとこの子を産めたのだ。何としても、この腕に抱く存在を、守りたいと思った。他の誰でもない、私が守るべき存在。愛しい我が子。


 その後も、すくすくと子は育っていった。

 赤毛に、焦げたチョコレートの瞳その子は、今日も元気よく家の中を外を駆けずり回っている。

 立ち上がりは早い方だったようで、すっかりお転婆娘だ。


 目が離せなくて、悪戯も多くて、でも可愛くて。

 悩んで、慌てて、時に怒りながら、目が回る忙しさで毎日が過ぎていくというのに、その全てが楽しくて、幸せだと思った。

 笑顔でこちらに駆けてきては、小さな両の腕を伸ばした。


「だっこ!」


 せがまれて、思わず笑みが零れた。「はいはい」と言いながら、抱き上げる。生まれたときから、本当に大きくなった。ちゃんと重くて、でもまだ軽い。一緒に過ごす時間が本当に愛おしいと思う。


(神様、私にこの子を授けてくださったこと、心から感謝します)


 この子がこの世に生まれたことへの感謝の念を、心の底から覚えた。


   ***


――ブロドの頭の中を、映像が、感覚が、感情が、心を通っていく。

 まるで自分の子供を大切に大切に育てるような――。

 男であり、自身がまだ子供といえる年齢のブロドでさえ、そんな感覚になる。

 これが、彼女の。そして。


「……これ……」


 思わず零れた呟きには、確かに驚きが滲んでいた。


「どうした?」


 ブロドは視線だけ小瓶からクーへとやり、言うべきことを手繰り寄せる。ボロを出してはいけない。

 これはチャスにも読んでもらう必要がある。何も言わずそのメモリアを渡した。すぐに彼女も、小瓶をそっと撫で始めた。


「――市場で店をやってる女の人の記憶ものだ」

「何故わかる? 君がそこで奪ったからか?」


 クーは訝し気な視線を寄越す。そもそも女性なんてことがわかるのか、と口が呟くのが見えた。なるほど、これなら気づかれまい。


「残念。だけだ」


 皮肉っぽく笑って言った。

 この男は、ブロドとチャスがということに確信を持てていないのだ。ただ、双子が少なくともメモリアを売っていると、それを知っているだけ。


「チャス、意見は?」

「言うまでもないわね」


 気づけば瞳を開け、すっかり原料ラベルを読み終えていたチャスも同意した。

 どうやら、意見は一致したようだ。双子は頷き合った。


「……君も液体の色でわかるって?」

「まぁね」


 ぞんざいな返事に、クーの口角が一瞬痙攣した。少しだけ溜飲が下がる。


「……今はそういうことにしておいてあげるよ」


 奪われる「記憶」の色は、全て黄金だ。同じ色を並べたところで、双子にも色の差異なんかわからない。

 単にのだ。普通、ニンゲンは飲まなければ見ることのできない記憶メモリアを、意識的に見たいと念じるだけで軽く見ることのできる能力。

 飲めば、もっとこの記憶が自分の記憶となって体験できるが、内容をざっと知るくらいなら飲まずともできる。

 そういう能力を、二人は持っているのだから。


 まぁでも、秘密を易々と教えてやる気は無かった。適当にそういうことにしておこう。

 嘘をつくときには、適度の真実を混ぜるべし。かつて、双子はそう習っている。


「で、持ち主がわかったけど、どうする?」

「無論、しっかりと仕事をするべく、彼女の元に返済に上がろうじゃないか」

「そ。なら今からこの人の家を教えるから、後日あなたはそこに――」

「君たちも一緒に、ね」

「……は?」


 声を揃えた双子に、クーは完璧な笑顔を浮かべた。作り物ような、計算された心の無い笑み。


「嘘を言われてるかもしれないし、後日じゃ遅いよ。きっちり最後まで付き合ってくれないと」

「ふざけんな! 従うわけが――っ」

「今、憲兵に突き出された言った?」

「…………」


 気温がぐっと下がった。

 普段なら絶対に怒って騒ぐところだが、この嘘くさい笑顔に、チャスはいい加減疲れてきた。たっぷりのため息の後、丹精を込めて「大人気ない」と呟いてから。


「じゃ、さっさと済ませましょ。おじさん」

「……おじさんはやめてくれない?」


 クーは笑顔を引き攣らせて、人だかりへと戻るブロドとチャスの後ろをついてきた。

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