第2話 喧騒な顔合わせ

 その日は、年に一度の祭りで、王都はいつもより騒がしかった。

 豊穣の祭りだが、この港で栄える都では豊穣の神と海の神が並んで祀られている。

 だから祭りが行われるのは港から城へ続く大きなメインストリートで、たくさんの出店が並び、パレードが行われる。都中を巻き込んだ祭りに皆が浮かれてしまうのも、無理はない。

 ブロドとチャスも、当然参加していた。――ただし、「調達」の為に。


「ブロド、今日はいつも以上に気をつけてね」

「わかってるよ。てかお前もだろ、チャス。何で自分は気をつけなくてもいいみたいな言い方すんだよ」


 双子は屋台の間を歩きながらこそこそと話していた。とはいえ、今日はどこもかしこも浮かれているため、何を話しても聞かれることはないだろう。

 不満げな声を上げるブロドに、チャスはニヤリと口角を上げた。


「あたしより危なっかしいのはブロドでしょ。いつも雑に取るんだから」

「……お前だって沸点低いだろ」

「普段は冷静ですー」


 そこまで言ったとき、少し先で、楽器隊が練り歩くのが確認できた。


「あれだ」

「予想通り、人だかりができてるわね。行きましょ。あたしが奥、ブロドは手前」

「了解」


 この時間のパレードは、城へ流れて行く楽器隊。それを見て道端で歓声を上げる住人達が、いくつも人だかりを作っていた。人が多いところほど、楽に調達ができる。


 無言で頷き合い、それぞれ違う集団に観客の振りをして後ろに近づく。

 けれど、完全に集団に溶け込む一歩後ろで、声を上げて楽しむ様子の人々の背中に向かって手のひらを向けた。


 広がる五本の指先に、ぐいっと力を入れて己の指に圧を掛ける。

 すると、見えない糸で引かれたように、人々の背中からぐぐっと引っ張り出されるように小瓶が現れた。


 物理法則を無視した、不思議な力。

 彼らは今まさに、人生で最も幸せだった記憶を、失った。


 そして、メモリアを抜かれれば、ふらっと意識が遠のき――。

 ばたばたと、固まって楽器隊が過ぎ行くのを見ていた集団が倒れていく。異変に気付いた周りの人間が、悲鳴を上げた。


「お、おい! あんたたちどうしたんだ!」

「やだ、一斉に倒れてるわ!」

「誰か、憲兵を――って、向こうもよ!」


 ブロドが記憶を吸った人々が倒れ、その周りがざわめいたところで、別の方向でも同じように騒いでいるのが聞こえた。チャスもちょうど、記憶を集め終わったようだ。


 何人も倒れれば野次馬は勝手に集まってくる。そこに上手く紛れ込めば仕事は一段階終わりだ。

 見えぬ糸で引っ張り出した小瓶は、二人の元へ手繰り寄せられ、そのまま持っていた鞄に収まっていた。人混みに入ってしまえば、いちいち鞄の中身を気にする者などいない。要は、誰にもばれないように体内からメモリアを抜き、それを手元に収めるのが仕事なのだ。


 野次馬の中からブロドが抜け出したところで、チャスが向こう側でまだ人混みに紛れているのが見えた。合流して少し出店で食べて帰ろうと思い、チャスから視線を外した。と、同時。

 ぐい、と腕を引かれた。


――殺気。


 突然のそれに、反射的にその場に身を屈めて掴む腕から逃れた。

 そのままブーツの踵に指を掛け、勢いをつけて後ろに引きナイフを取り出す。一息に背後に向かって投げる。殺気の感じた方向。

 低く風を切る音が鳴る。

 当たれば文句無し、当たらなければ――。


(逃がさなければいい)


 もう片方のブーツから別のナイフを手に取り、瞬時に地を蹴った。背後の人影に向かって迷わず飛び込む。躊躇うことなく、その首に刃を突きつけ――、


「っ、」


 思わず呻き声をあげたのは相手の方ではなかった。

 ブロドの身体は、反射的に動きを止めていた。あと一歩、僅かでも踏み込んでいたのなら、血を流してしていたのはブロドだった。


 黒いマントのフードを深く被った男は、ナイフの切っ先をブロドの首に当てていた。

 ブロドは奇襲に気づきすぐに行動したというのに、全く動じていない。


「……」

「……」


 顔が見えない、目の前の男を睨みつける。

 攻撃の躱し方、隙を作らない攻め。今のこのナイフの応酬でわかったのは、とにかくこいつは強い。


「!」


 が、その小康状態もすぐに終わった。

 次の瞬間、男とブロドの間を矢が一本、瞬く間に通り過ぎた。矢はそのまま地面に突き刺さる。


「その子から離れて」


 男はナイフと共に身を引き、そのままブロドとの間に距離を取る。両手を軽く上げ、矢の飛んできた方向に目を向けた。

 ブロドの背後から、チャスがクロスボウを男に向けていた。次の矢も既に放つ準備はできている。


 男の殺気は失せたように見える。だらりと上げた手首のせいか。右手の刃物も切っ先が垂れている。

 フードの男に向かって肘を伸ばしてナイフを向けた。相手が臨戦態勢を崩したように見えても、武器を握り続けている限りいつでも戦える。

 低く、腹から問う。


「――誰だ」

「……良い腕だ」


 フードの奥に、笑みを浮かべた口元が見えた。眉間の皺が深くなる。


「舐めんな、おっさん。チャス!」


 間を置かずシュッと空気を裂く音がして、また矢が飛ぶ。

 真っすぐ軌道を描いた矢は、男のフードの上の方を掠めて空へと飛んでいく。男の顔が露わになった。


 夜闇にうっすら光って見える金髪。碧眼の右目の下には黒子。恐ろしく整ったその顔は、間違いなくこの前見た。


「お前……!」

「驚いた、本当に腕が良い。ていうかおっさんは心外なんだけど」


 彼は感心したように目を瞬かせながらまた楽しそうに笑った。顔を顰めたまま、威嚇を続ける。こちらは、全くもって面白くない。


「――ブロド。それにチャス」


 碧眼の男は双子の名前を呟くと、握っていた刃物を離した。

 カランと音を立てて、ナイフは地面に落ちる。明らかな降参の意。けれど落ちたナイフに目をくれず、彼を睨み続けた。


 教えた覚えのない名前を呼ばれ、身体が強張っている。

 沈黙は続く。

 男は少し経ってから、笑みを浮かべたまま、話しを続けた。


「名前くらい、調べればすぐに出てくるものだよ。君たちどうやら界隈では有名みたいだし。――記憶を売る双子の妖精」

「お前、何者だ」


 ブロドは切っ先を近づける。この状況下において、へらへらとずっと笑ってるこの男が気に入らなかった。


「えーと、俺は……って、まずはそれ下ろさない? 危ないと思うんだけど」

「はぁ? 先に始めたのはお前だろうが」

「でもさー、2対1だし、君たち俺の想像よりずっと手強わそうだし。分が悪いならこんな力比べ続ける必要ないでしょ」


 彼は変わらず両手を上げたまま言葉を続けるが……、次の瞬間、真っすぐに視線が合った。碧い目がどこか底光りしたような気がした。ぞくりと、嫌な冷気が背を上る。


「俺の名はクー。君たちにメモリアについて聞きに来た、ただの通行人だよ」

「……」

「……ブロド」


 チャスの声が聞こえる。震えそうな声を必死で抑え込んだかのような、そんな声。ずっと一緒に暮らしてきた姉のその声色を、ブロドは聞き逃さなかった。

 ひとつ、軽く息を吐きだしてから落ち着いた声で言った。


「チャス、矢を下ろせ」

「でも、」

「いいから」


 チャスはクロスボウを向けたままだ。その様子を視界の端で捉えたブロドは「それに」と付け加えた。


「こいつが本気出したら、たぶん勝てねぇ」

「……っ」


 チャスは今度こそクロスボウを下ろした。

 だがブロドはナイフを下ろさない。不服なのは、何もチャスだけではない。だが、クーとの実力差は明らかだ。下手に争っても負けるだけだが、かといって警戒を全て解けというのも無理な話だ。


「よかった、話が早くて助かるよ。ブロドは下ろしてくれないみたいだけど」

「変な真似したら刺すからな」

「はいはい、何もしないって。じゃあまずはそうだな」クーは、目を細めて視線を移し――、「君たちの鞄の中身、見せてくれない?」

「…………」

「え、ダメ?」


 思わずナイフで首を刺してやろうとした腕を、理性で留めた自分を褒めたくなった。

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