第1話 はじまり

 伝承とは不思議なもので、真っ向から信じられなくても、御伽噺に憧れるように、どこかしら信じてみたくなる魅力を持っている。

 だから誰が言い始めたのかわからない噂でも、畏怖と興味によって、簡単に流布されていく。


 それはそれは奇妙な薬があるらしい。

 森に住む妖精が時折人里に降りて、気まぐれに渡してくれる。

 どうやら、それは一時いっとき致死量になり得るほどの享楽。

 しかも、その幸福感はその後も思い返すだけで満たされる「後味」があるらしい。


 巷で流行っているという「薬」。

 噂でしかないと思っている人間が大半であるが、本当にその薬は存在する。

 おかげで売る側としては高値になっていくしありがたいのだが、人の口というのは末恐ろしいものがある。


(んだけどま、そんな幻みてぇな薬が安いわけねぇんだよなぁ)


 そんなことを思いながら少年は、欠伸をひとつ。


「……おいテメェ、ホントにこれ本物なんだろうな?」


 目の前の男が苛立ちを露わにそう訊いた。少年――ブロドは、「そうだけど」と悪びれもせずに答える。


 夕暮れが迫る路地裏。

 この路地の二つ先の通りは、この港の区画で最も賑わう大通り。そこを行き交うたくさんの人々は、すぐそこの路地裏で怪しげな取引が行われているなんて思っていない。


 王都の片隅で、建物の陰に紛れて向かい合う一人の男と少年。

 二人の視線の先にあるのは、地面に置かれた木箱だった。

 両手で抱えられるサイズのその箱の中には、同じ形をした小瓶が規則正しく押し込められていた。


「……こんなガキが相手だとは思わなかったぜ。あの野郎何の説明も無しに使いっ走りさせやがって」

「子供だからって理由だけでその扱いは、己の無知を示してるってことね」


 ブロドの後ろから、嫌味を含んだ軽い声が飛んだ。

 くっきりとした二重に、派手さはなくとも丁寧に作られたような顔のパーツ。ブロドとそっくりの顔立ちの少女は、木箱の隣まで歩いて、腕を組んで笑った。


「何も聞かずに、この場に来たわけ?」

「ったく、なんだまたガキかよ。お前ら双子か? その口の聞き方はなんだ?」

「ちょっとちょっと、本気? ホントに知らないのか、まだ気づかないのか。いずれにせよあまり頭が良さそうには見えないけど」

「……チャス」


 ブロドは窘める口調で、チャスの肩を引いた。わざわざ煽らずとも、この瓶と引き換えに金を貰えば、それで仕事は終わりなのに。


「無駄に煽るな。無駄な労力だ」

「もー、うるさいな。ムカつかないわけ?」

「興味ねぇよ」


 呆れが滲んだ弟のコメントによって、チャスは標的を元に戻した。箱の中身を指差す。


「とにかくコレ、予定通り買い取るってことでいい?」

「ああ。そいつは高く売れるしな」


 互いに睨みをきかせつつも、男は手に持っていた紙袋を渡した。

 チャスが受け取って中身を確認する。パンや野菜が5日分は入りそうなくらいのその袋には、庶民の一年分の給金ほどの札束が入っていた。


「確認したわ。金額もぴったりある」

「よし」


 取引が成立した。ブロドは木箱に布を掛け、持ち上げて男に渡す。布の下でカツン、と瓶同士がぶつかり合う音が響いた。


「落とすなよ。普通に割れるから」


 今日の取引相手は新顔で、おそらく大したことも知らされぬままこの場にいるのだろう。だいたい、ブロドとチャスが「記憶を売る双子の妖精」というあだ名で呼ばれているのを知らないくらいだ。この薬が何なのかわかってるのかすら怪しい。

 小瓶の中身は特別なものだが、瓶自体は普通のものなので、後で文句の言われないように忠告を残す。

 チャスも紙袋の口を折り込んで中の金が見えないようにしつつ、男に背を向けた。


「帰ろ」

「だな」


 短い言葉で並んで路地から出ようと歩き出す。

――その時。


 後ろから「うっ」という呻き声と、どんと鈍い音、それから箱と瓶が落ちて重力に負けた音が、重なって一度に聞こえた。


「!」


 咄嗟にブロドは頭を下げた。

 ひゅんと風を切る音がして、正面の壁にナイフが刺さる。それを見て、双子はほぼ同時にその場にしゃがむ。

 矢が飛んできた方向を見た。


「――いやあ、よく避けたね」


 長身の、男がにやりと笑っていた。

 彼の後ろに陣取る太陽のせいで、うまく顔が見えない。ただ、男の足元では今しがたまで取引をしていた相手が、身体を折って蹲っていた。


「偶然通りかかったら、何この怪しい現場。しかもそれ、だよね?」


 雲が動いて、太陽が隠れた。男の輪郭がぼやけていた形を整えだす。


「君たちに聞いてるんだけど」


 色彩の乏しい金髪に、切れ目の碧眼。垂れた右目の下には黒子がある。そして誰が見ても美男だと言うだろう、無駄が何一つ無いスッとした線の目鼻立ち。

 男の毛先は長くなかったが、お洒落目的だろうビーズがいくつも通っており、風に揺れてビーズが擦れる微かな音が聞こえた。ビーズの透き通る青が、淡い金髪によく映えていた。


「……」


 数十歩は先にいる双子を見て、笑みを浮かべる男。

 秘密裏の取引現場を見られて、しかも商品が何であるかを当てられては、警戒するなという方が無理な話だ。


 けれど少しの間の後、先に立ち上がったのはチャスだった。


「――助けてくれて、ありがとうございました!」


 男に向かって、勢いよく頭を下げる。

 彼の両手には武器が無い。おそらく、持っていたナイフを投げたのだろう。他にも持っているだろうが、それでも取り出すまでに数秒はかかる。


「――……え?」


 しかも、チャスの行動はきちんと一瞬の隙を与えられたらしい。


 その隙を見逃さず二人で駆け出した。すぐに路地から出て大通りめがけて走ると、男の視界から消えた。


「あっ、こら待て!」


 追いかける声は遠のく。

 とにかく角から角へと曲がって、先程の路地からは遠のくように迷うことなく道を選択した。大通りにさえ出てしまえば、人手もまだ多い時間帯。見つけられても、小柄な双子に追いつくことはまず無理だ。すばしっこさでは、昔から定評がある。

 二人は、足を止めずにどんどんと人と建物の合間を縫って行った――。


***


 長身の男は、急いで路地から顔を出し二人の去った方向を見たが、そこに姿を見つけることは当然できなかった。


「あー、くそ。やられた」


 今から追いかけても、既に姿が見えないので意味はないだろう。


 追いかけるのは諦めて、ひとまず先程地面に落ちてしまった箱の検分に向かう。

 隣に倒れている男は、見るからに安っぽい破落戸だ。運び屋でもやって、小銭稼ぎというところだろう。大した蹴りを入れたわけでもないのに、倒れた拍子に気を失っている。


「まぁいいや」


 それよりも箱である。

 布によって一応は隠されていた小瓶が、男の手の元で晒される。どれも全く同じ量、黄金色の、透き通る液体。

 割れたものは一つも無かった。


「やっぱり、メモリアか」


 思わず手を伸ばしたくなる美しい色をした液体。

 だが、その中身は


 飲めばその記憶を体感し、一瞬でその快楽に酔いしれ、飲んだものを虜にする。強烈に襲う幸福の記憶は、再び味わいたくなるほどに美味。だからこそ、記憶メモリアの味を覚えてしまった人間は、中毒に陥ることがある。


「……多いな」


 今までに抑えられた現場は、情報を事前に得て張り込んでいたにもかかわらず、せいぜい5本程度だったのに。ここには、普通に酒を卸すように木箱に入った少なくともダースのメモリアがある。


(どう見ても取引が終わった後だ)


 ということは、メモリアを売ったのは先程の子供ということになる。

 最初は他国から噂で流れてきた程度だったこのメモリアという危険な薬は、この数年で蔓延することになってしまった。

 ここ王都は人の流出入も激しく、自然と中毒者の温床となってしまっている。


 高値で取引されるだけあって、上流階級で主に取引されているのはわかってはいるのだが、実際に出回っている数すら不明である。

 さらに金の工面ができない庶民の中にも、一度味を知ってしまった奴が現れては仲介人や運び人を襲う事件まで発生し始めている。


「あの二人……」


 双子だろうか、顔立ちがそっくりだった。年は10代前半か、せいぜい半ばといったところで、まだほんの子供だ。


 しかし、礼を言われたのには、流石に意表を突かれた。ついでに逃げ足も速い。機転もきいていた。……場慣れ、しているような。


(なんの場慣れだよ)


 一人で突っ込んでから、だが、と二人が消えた方を見た。


――あの二人は、確実にメモリアの手掛かりになる。

 それだけは、確信を持って思えた。

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