読めない正解
加加阿 葵
読めない正解
肌を刺すような風が吹きつける寒い日。
小さな町に緩やかに雪が積もる。
小さな喫茶店から外を眺める女性が1人。
その女性の名前は恵。
外を眺める恵の表情はどこか物憂げで、人生を諦めたような顔をしている。
降り積もる雪が外の足跡を消していく。
恵は机の上のコーヒーに視線を落とし、空っぽのカップの横に置かれたマドラーを薄目で眺める。
このマドラーのように、たった1つの目的のために作られ、その役割を果たす。
選択の余地のないそんな在り方が羨ましくなる。
ただ一つのことしかできなければ、生き方に迷うことも無いし、雪が降り積もり景色を隠すように何も見えなくなれば、余計なことを考えなくて済むのに。
そんなこと考えていると、テーブルに湯気の立つコーヒーがそっと置かれる。
恵は顔を上げ「私これ頼んでないです……」と慌ててマスターに告げる。
マスターは「お店からのサービスです」とぽつりとつぶやき、鼻の前に人差し指を立て「他のお客様には内緒ですよ?まあ、今は他にお客様はいませんが」と困ったように笑う。
恵はお礼を言いコーヒーを受け取ると、マスターが続ける。
「なにかお悩みですか?」
「……そう見えましたか?」
恵はもらったコーヒーをマドラーでかき混ぜながら俯く。
「まあ、経験則ですが、1人ぼーっと外を眺めてるお客様は大体悩みを抱えておいでです」
マスターは恵の向かい、テーブルの反対側に腰掛ける。
「お店としては良くありませんが、他にお客様はいませんからね。私で良ければお聞きしますよ」
その安らぎすら感じる優しい声につられてか、自然と恵は口を開く。
水滴が落ちる音すら聞こえてしまいそうな静まり返った店内。店内に似合う薪ストーブがごうごうと歌を歌う。
恵は学校での人間関係の複雑さに悩んでいた。
どうやら私には読めない正解というものがある。
それは言葉ではない。
皆はそれを読んでいる。そして、それは空気に書いてあるらしい。
――恵。空気読んでよ。
同級生の言葉が脳を駆ける。
何をしてほしいのかわからない、何をしてほしくないのかわからない。
ちゃんと言葉にしてくれない正解が分からない。
話してるうちに高まった感情を鎮めようと恵は窓に映る穏やかな雪を眺めてからマスターの顔を見る。
マスターはにっこり微笑み頷く。
「今日は寒い日ですね。雪がこんなに降っています」
「?」
恵は思わず首を傾げてしまう。
「あなたの言う正解とは、いわゆる同調圧力だったり不文律といったものです。そんな不定形なものわかるわけないんです」
マスターは続ける。
「雪は美しいです。でも、その1つ1つの結晶に同じ形はありません。今日みたいにこんなに降っていても。それは人も同じです。相手の気持ちや考えてることを言葉なしで感じ取るのは難しいです」
マスターは立ち上がり、真っ直ぐ恵の目を見据える。
「大事なのは自分らしさです。過去に何を言われたかわかりませんが、おそらくその時から自分の気持ちを隠してきたんですよね?」
恵は無言で頷き、先を促す。
「素直な気持ちで接することが大事だよ。――いらっしゃいませ。【喫茶雪解け】へようこそ。こちらの席へどうぞ」
マスターは微笑みながら入店してきた人たちのところへ歩いて行った。
恵はサービスのお礼とまた来るとマスターに告げ、会計を終え店を後にする。
恵はマスターの言葉を薪にして、自身の心にくべる。
今日つけてもらった焚火の熱が失われないように。
肌を刺すような風が吹きつける寒い日。
外にいるだけで自然と気持ちが沈んでしまうような季節も、恵にとっては新たな始まりなのだ。
雪が解けて街が元の姿を見せるように、恵の心に積もった問題もいずれ解けてなくなるのかもしれない。
解ければ、それが正解だ。
恵は雪が降り続く中、静かに歩き出した。
読めない正解 加加阿 葵 @cacao_KK
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