第10話 操り人形(3/3)

 ベルーガは見回りをしつつも内心でくすぶる“嫌な予感”に押しつぶされそうだった。

 平常心を装って見回りをしていたが、どうにも落ち着けなかった。


「ふぅ……」


 橋の欄干に手をつき地平線に広がる海を眺める。

 波は穏やかだったが、空の彼方にうっすらと暗い雲が広がっているのが見える。


「……ま、取り越し苦労ってこともあるよな」


 彼は自分に言い聞かせるようにつぶやくと、大きく伸びをして橋を渡り切る。

 失踪事件は半ば捜査打ち切り――否、ベルーガの単独行動は実質封じられたに等しい。

 新相棒のアルバの出した「早とちりした家族が騒いでいただけ」という、なんとも都合のいい解釈で解決されてしまうだろう。


「――ん? あれは……?」


 元々ないやる気を更に失ったベルーガだったが、なじみのある顔を見つけて顔が晴れる。


「アリスさん! いや偶然ですね」

「……」


 ちょうど気にかけていたアリスは広場のベンチに腰かけていた。

 警邏官時代では考えられないような、女性的で煌びやかな装いにベルーガは少し気恥ずかしくなっていた。


「今日はこんなところで何を」

「……気安く、話しかけるな」


 前と同じような調子で話しかけるベルーガだったが、返ってきたのは拒絶だった。


「……アリスさん?」

「馴れ馴れしいぞ。何のつもりで私に声をかけた?」


 こちらを見上げるアリスの表情は険しい。

 彼は一瞬、自我を消す薬のことを疑ったが、この拒絶は彼女の意志であるかのようだった。


「何のって……いけませんか? 顔見知りに声をかけただけです」

「っ……勘違いも甚だしいぞ」


 力のこもっていない平手で打たれ、ベルーガは困惑する。

 なぜアリスはこんなにも機嫌が悪いのだろうか?

 まるで、無理やりベルーガを拒絶しようとしているように見える。


「私は、総隊長の子息の妻となる女だ……っ! お前ごときが、気安く話しかけていい相手ではないっ」


 まるで誰かに言わされているかのような、そういうがあって、それをなぞらされているかのような、そんなぎこちなさ。


「失せろ……っ! お前の顔も、声も、二度と見たくも聞きたくもないッ」

「……アリスさん」


 ベルーガは帽子を押さえつつ、周囲に視線を送る。

 この異変は誰かの差し金に違いない。ならばどこかでこれを見物している者がいるはずだ。

 右に左に、上に――広場を一望できる一室の窓からこちらを窺う視線を見つける。

 少年のような無邪気な笑みを浮かべる青年。

 面識はなかったが、恐らく彼がアリスの婚約者なのだろう。


「……私は芝居に詳しくないですがね」


 きっと、アリスを弄んで楽しんでいるのだ。

 親しかった者を傷つけ、それを自分の意志で、薬で自我を奪うことなくやらせ苦しめている。


「アリスさんの演技は、下手くそすぎますよ」

「っ……!」


 ベルーガに全てを見抜かれアリスは辛そうな表情を浮かべた。

 今にも泣き出しそうに顔を歪めるも、歯を食いしばって涙がこぼれるのをこらえている。


「何があったのか、話してくれませんか? 私だって昼行燈と言われてますが、警邏官なんです。アリスさんの力に」

「お前にどうにかできるわけないだろっ!」


 今度は本気の平手を喰らい、ベルーガは思わずしりもちをつく。


「平の警邏官でどうにかできることじゃない……! お前なんかがどれだけ頑張っても、どれだけを出したって、何の意味もないんだよッ!」

「……アリスさん」


 ひりひりと痛む頬を押さえベルーガは彼女の無念を感じ取る。

 警邏隊が全て解決できるのなら、始末屋なんて必要ない。

 警邏隊が悪人をきちんと裁けるのなら、わざわざ始末屋が悪人を始末する必要はない。


「……だから、もう二度と、私の前に現れるな……!」


 ぽた、ぽた、と雫が落ちる。

 それは次第に間隔を狭め、土砂降りの雨へと変わっていく。

 まるで、アリスの涙をかき消すかのようなにわか雨だった。

 ベルーガは雨の中逃げるように立ち去るその背中をただ見つめていた。

 雨に打たれながら、始末屋としてしか悪人を懲らしめられない自分の無力さに打ちひしがれるのだった。




「――うわっ……雨か」


 ちょうどその頃、ステラ川で引き揚げられた遺体の検分をしていた警邏官たちは突然のにわか雨に顔を顰める。

 引き上げられた遺体はリカールの命令で自害させられてしまったメイド。名をロサ、真面目でよく働くメイドだった。

 だが仕えた主が悪く、薬の実験台にされその命を奪われてしまった。


「姉さん!」

「あっこら! まだ検分中です!」


 彼女には一人の妹がいた。

 妹――ティナは無残な姿で見つかった姉に駆け寄ろうとするも、見習の手によって止められる。


「……ご家族ですか?」

「はいっ! 私の姉ですっ」


 検分を担当していた警邏官、アルバは傘を持っていなかったせいでびしょぬれになりながらティナに問いかける。


「どうして……どうして姉さんがッ!」

「それを今調べてるんですよ……まあ、遺体の様子からして、ナイフで胸を突いて自害、って感じかなぁ」


 アルバは他人事のように――確かに縁もゆかりもない他人だが――つぶやく。

 彼はどこまで行ってもお役所仕事、上に言われた通り、のらりくらりとしか捜査はしない。

 間違っても面倒そうな事件の裏など考えもしないのだ。


「そんな……姉さんが自殺なんてするはずないッ! 誰かに殺されたに決まってるわ!」

「信じたくない気持ちはわかるけど」


 ティナはアルバに詰め寄るも、彼は心底面倒くさそうにため息をつく。

 ただの自殺で方をつけたいのに、こんなにも泣きつかれたらたまらない。

 現に、共に検分をしている第三支部の警邏官からは白い目で見られていた。


「じゃあ、殺されたとして、誰か心当たりはあるのか? 当て推量で動くほど、警邏隊は暇じゃないんだよ」

「それを調べるのが警邏隊の仕事でしょっ!?」


 彼女は至極真っ当な主張をするも、アルバはどこまでもだるそうにため息をついた。


「あのさ、事件はこれだけじゃないの。他にも一杯、捜査しなきゃいけない事件があるの! こんな、ほぼ自殺みたいな事件に構ってる余裕はないんだよッ!」


 彼はうっとうしそうにティナを払いのけると検分に戻る。

 雨の降りしきる中、彼女は口惜しさで拳を握り締める。

 警邏隊は悪を懲らしめてくれる組織ではなかったのか?


「ふざけるなっ……!」


 だったら、何のために警邏隊は存在しているというのだ。

 お飾りの組織なら、必要ないではないか。

 彼女は口惜しさのあまり、涙を流すのだった。

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