第8話 操り人形(1/3)

 縁談が決まったからと即座に婚約しないのはいつものとおりである。

 家同士が決めた結婚ではなく、当人たちが納得の上で結ばれた――そんな筋書きにするべく数度のデートを経て晴れて婚約に進む。


「へぇ……芝居も案外面白いんだね」


 アリスは婚約者のリカールと芝居見物に訪れていた。

 彼女は普段二等席か三等席を購入するのだが、リカールの我儘で特等席での見物だった。


「私も捜査がきっかけでハマってしまってな。楽しんでもらえたようでよかった」


 打算にまみれた縁談だったが、アリスはリカールのことを好きになろうと努力をした。

 自分の打算の結果、彼を不幸にしてしまっては申し訳ない。

 立場を利用するだけでなく、ちゃんと幸せにしてあげなくては――責任感の強いアリスはそんな気持ちだった。


「ふぅん……じゃあ、誰かと一緒に見に来たこともあるの?」

「実のところ、親しい人はいなくてな。いつも一人だったよ」


 一緒に来たい人は居たけど、とアリスは心の中で付け加えた。

 ベルーガを芝居見物に誘おうとしたことは何度かあったが、結局できずじまいだった。

 最も、芝居嫌いな彼を誘ったところで隣で居眠りしていただろうし、それでよかったのかもしれない。


「じゃあ、僕が初めての人、ってことだね」

「……そう、だな」


 リカールは子供のような無邪気な笑顔だった。

 アリスはそれを見た瞬間、ベルーガの顔がちらつき心が痛んだ。


「嬉しいなぁ……そうか、僕がアリスさんの初めてのなんだね」

「そうだな……そうなるのか。思えば、色恋とは無縁の人生だったよ」


 自分を助けてくれた、あの勇敢な警邏官のような、立派な警邏官になるべく努力をし続けてきた。

 努力して、努力して、振り返ることなくがむしゃらに走り続けてきた。

 警邏隊を辞めて初めて自分が仕事一筋だったことに気づいた。

 唯一の趣味は芝居見物、仕事以外の話題がろくに触れない仕事人間。


「……がっかりさせてしまったかな。こんな、色気のない女が縁談の相手で」

「そうかな? 僕にとって、あなたはとても魅力的だよ」


 子供のような無邪気さを感じさせるリカールの笑み。

 アリスはそれを見た瞬間、心が痛むのを感じた。

 本当は、隣にいて欲しかったのは――


「……ねえ、アリスさん。僕のことは好き?」

「……まだわからない」


 心を見透かされたように感じ、彼女は思わず身を竦ませた。

 本当に好きなのは――


「私に恋愛の機微はわからないが、もしこの感情が“好き”だというなら思い当たる人が一人いる」

「……そうなんだ」


 リカールの瞳が少し暗くなる。


「だがな、君と婚約する以上、その気持ちは忘れることにするよ。私は全力で君のことを好きになる」

「……出来ない癖に」


 冷たく言い放つような言葉にアリスは思わず身を竦ませた。

 彼の瞳は、胸の奥底にうす暗い物を抱える犯罪者のような冷酷さだった。


「僕が気づいていないとでも思った? 子供の頃からそういうのに人一倍敏感でさ……君の愛は僕の方を向いていない。僕との縁談を受けたのだって、その人の為だったりするんじゃない?」


 図星だった。

 総本部総隊長のコネを使って警邏隊を変えたい。そのために息子と結婚しつながりを作る。

 そんな彼女の目論見は、どうやらお見通しだったようだ。


「少し、期待してたんだ……あなたの気持ちが、あなたの好きな誰か、じゃなくて僕の方に変わってくれるってさ」

「……努力は、しているさ」


 アリスの弁明は、残念ながらリカールの心には響いていなかった。


「で、どんな人なの? アリスさんが好きな人って」

「……能天気な奴だよ」


 不気味なほど穏やかな微笑を浮かべた彼に見つめられ、アリスは思わず話してしまった。

 別に伝える必要もないハズなのに、自然と口が開いてしまった。


「……仕事はサボるし、居眠りするし、たまにしか頑張らない。私は……警邏隊があいつが胸を張って仕事をできるような、そんな組織になって欲しいと思っている」

「そっか……アリスさんは、そういう人が好きなんだ」


 ニコ、と笑うリカールだったが、その目は暗い。

 無理やり笑顔を作っているかのような、後ろ暗い笑顔だった。


「ねぇ、アリスさん……この後も時間、大丈夫だよね?」

「あ、ああ……」


 アリスは思わず腰に手を伸ばしレイピアを引き抜こうとするも、そこには何もない。

 思わず臨戦態勢になってしまいたくなるような、そんな不思議な圧力を感じてしまった。


「あなたに、プレゼントしたいものがあるんだよね――」





『――やった……』


 ベルーガは木刀で師匠の肩を打ち据え勝利を確信した。


『うっ……たたた』


 ベルーガの師匠、スタルカは打たれた肩を押さえてわざとらしくうずくまった。

 少し大げさで、わざとらしい痛がり方だ。


『俺の、勝ちだ……』


 初めての勝利にベルーガは舞い上がっていた。

 自分もここまで成長できた。師匠を超える日も近いかもしれない。

 いまだにうずくまっている師匠に手を貸そうとゆっくりと近づいていき――


『――ぐッ!?』


 強烈な突きを喰らいベルーガはもんどりを打って倒れた。木刀の先はみぞおちを正確にとらえており、まともに呼吸ができない。


『かっ……かはっ……!』


 スタルカは痛がるふりを辞めて涼し気な表情だ。

 ベルーガは卑劣なことをしてきた師匠を恨めしそうに見上げる。


『ひっ……卑怯だろ……!』

『そう言った奴はよ、皆死んじまったぜ』


 彼の習っているカスミ流は人を殺すことに特化した流派だ。

 卑怯、卑劣、不意討ち上等。正々堂々の勝負を好んだサムライが最も嫌った、最も実戦的な特化の流派だ。


『ベルーガよォ……おめぇの習ってる流派は、勝ち負けを決めるための流派じゃねぇんだ。相手を殺して、自分は生きる。なんと言われようが相手を殺す、それがカスミ流だ』


 諭すようなスタルカの言葉を聞いているうちに、ベルーガの息が整ってくる。

 まだまだみぞおちは痛むが、動けないこともない。


『――そうだ』


 スタルカはベルーガの不意討ちをひらりと躱した。

 まるでそれを予測していたかのような動きだった。


『相手が油断してんなら、一発かましてやんな。だがな、おめぇはまだまだ自分を抑えきれてねぇ』


 動けたのは不意討ちの一度きりで、ベルーガはみぞおちに走る激痛で再びうずくまった。


『別にな、おめぇのここでくすぶってる怒りを忘れちまえって言ってんじゃァねぇ。隠せ。相手にわからねぇように隠すんだ』


 スタルカはニカッと笑顔を浮かべる。

 だがそれが本当の表情なのか、それとも装っているだけの仮面なのか、ベルーガは判断できなかった。


『それができるようになりゃぁ。ようやくお前も一人前の芽が出るってもんだ』




「……ただいま帰りました」

「――お帰りなさいませ! お義兄さ、ま……?」


 帰宅すると、いつものようにメラニアが迎えてくれたが、普段と違って怯えたように立ち止まってしまった。


「お義兄様……なにかありましたの? そんな怖い顔をなさって」

「え? そんな顔でしたか……?」


 ベルーガは驚いて自分の顔に触れる。

 普段から能天気そうな、お気楽な表情を浮かべるように努めているため、怖い表情になっているとは夢にも思っていなかったのだ。


「ええ……もし何かあれば、私に言ってくださいな。少しでも、お力になりたいもの」

「……大丈夫。ちょっと、大変な事件を担当することになっただけですから」


 彼はメラニアの頭をポンポンと撫でてやる。

 そうだ、もう代わりに働いてくれるアリスはいないのだ。だからこそ自分が頑張らなくては義妹に被害が及ぶかもしれない。

 ベルーガは能天気な仮面をかぶり直すと、事件解決への決意を固めるのだった。

 

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