第4話 日常は終わりを告げ(1/4)
「アリスさんが、警邏隊を……?」
何を寝ぼけたことを、と言い返したくなるベルーガだったが、デスクの上に置かれた辞表の存在がその言葉を飲み込ませた。
まさかこの隊長が嘘で人をからかうようなことはすまい。
となれば、この辞表を書いたのはアリス当人であるという事になる。
「……だから最近様子が変だったのか」
思い返せば、鍛錬中の暴走に始まりベルーガにお小言を言わなくなるなど、普段の彼女からすると様子がおかしいのはわかり切っていた。
「でもどうして急に」
「……私に言わせるの?」
ノブは察してよ、と意味深な表情を浮かべる。
「これは本人から聞いた話なんだがね。縁談があるそうだよ」
「……ああ」
縁談、つまり結婚。
男女平等の論調が強いイーストエンドだが、自分の結婚相手は別、と考える者も多い。
アリスの結婚相手はそういう考えの男なのだろう。
「そりゃぁおめでたい。そうか、アリスさんにもそういう相手が」
「……ベルーガ君。それ本気で言ってる?」
ノブは信じられない、と言った様子で目を見開く。
「本気も何も、めでたいことじゃないですか」
「いや、だって……君、ずっとアリス君と一緒に仕事してきたじゃない! それだっていうのに……」
対するベルーガは何を言いたいのかわからず首をひねっている。
「ほら、君だってアリス君に好意を寄せていただろう? ちょっとは悔しいとか思わないのかい?」
「……私に好意を向けられたって迷惑なだけですよ」
「だぁっ! この朴念仁めっ!」
とてつもない鈍感さを発揮したベルーガに対しノブは呆れてため息をつきながら頭を抱えた。
「傍から見てもわかるよ!? 多分アリス君はベルーガ君のことを好いている! 君の方からアプローチをかければ」
「何バカなこと言ってるんですか。私なんかがモテたら世も末ですよ」
本当に鈍感なのか、それともあえて鈍感を貫いているのか。
ベルーガは自分なんかがモテるはずもないと決めつけ切っていた。
「それで、アリスさんはいつまで勤務を?」
「……今月いっぱいだけど、彼女は有給が溜まっているから来週でお仕事はお終いだよ」
「……そうですか」
納得したように頷くベルーガの背中からは、どこか哀愁が漂っていた。
アリスとベルーガは所謂“同期”だった。
同じタイミングで南第一支部に配属され、正反対な二人は共に事件を捜査することが多かった。
正義感にあふれ暴走しがちなアリスのブレーキ役としてやる気ゼロの怠け者のベルーガが割り当てられた。
「――上もわかってたんだろ。忖度が苦手なアリスさんに、俺みたいな昼行燈の面倒を見させておけば、余計な手出しをせずに済むって」
「……はぁ。わざわざそれを言いに来たのですか?」
家路につく前、どうにも決まりの悪かったベルーガはセレーネ聖堂へ寄り道をしていた。
今の心境を吐露し、少し気分を落ち着かせたかった。
幸い、居るのは顔なじみのリリィだけだ。表裏合わせて気兼ねなく話すことが出来た。
「話を聞く限り、貴方にも気が合ったのではなくて? 自分が好きだった女性が結婚することになって、貴方も気がめいっているのでは?」
「……どいつもこいつも色恋に結び付けやがって」
元来、芝居好きなリリィは人の恋愛話には興味関心が高い。
自然と気ぶってしまうのも仕方のないことだった。
「それで、貴方はどう思っていましたの? あ、人として好きとか、そういった類のクソボケは結構ですので」
「……クソボケで悪かったな」
ベルーガは不機嫌そうに鼻で笑うと、何かを思い返すように瞳を閉じた。
「……アリスさんは、俺にとって理想の警邏官だ」
正義感にあふれ、世界の平和のために邁進する。
どんな理不尽があったとしても、諦めずに頑張り続ける。
「……それは非業の死を遂げた貴方の父のような、という意味ですか?」
「……かもな」
ベルーガの父もまた、警邏官だった。
正義感にあふれ、他人のための犠牲をいとわないような、そんな人物だった。
「だから男女の仲だとか、そういうのじゃない。皆まで言わせるな」
「とてもそうとは思えませんけども」
「……そうですかい」
からかうようなリリィの視線がうっとおしかったベルーガは聖堂を後にした。
心情を吐露したというのに、全く心は晴れないままだった。
世界が色あせてしまったように思えた。
アリスは見合いの席で心の晴れなさを感じていた。
「……初めまして」
見合いの相手、リカール・アブサンが姿を現す。
容姿端麗だがどこか陰気さを漂わせている青年。
総本部総隊長の息子だというのに、この年でまだ定職についていない自堕落なドラ息子。
いや、誰の息子、と言ったレッテルは良くないかもしれない。
だが働かないのはいかがなものかとアリスは思った。
「こちらこそ。アリス・オードヴィーです。貴方のことは父から聞いています」
「……僕が、働きもしない自堕落な息子だ、って?」
どうやらリカールは自分の悪評を十分理解しているようだった。
「……自覚があるようなら隠す意味もない、か。そうだ。父から貴方は総隊長の息子なのに警邏官にならなかった上に、働きもせず部屋にこもりきりだ、と聞いている」
建前が苦手なアリスは包み隠さずにぶっちゃけた。
恐らくこの縁組は警邏隊での彼女の功績があるからに違いない。
昼行燈で怠け者な相棒の尻を叩いてきた彼女なら、自堕落な息子を更生してくれるのではないか、と。
「はは……全く、父の頑固さにも困ったものだ。僕はね、汗水たらして働くのだけが仕事だと思っていない」
リカールは人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
考えるより行動、なアリスにとって理屈をこねくり回す性質の人間はあまり得意ではない。
「僕は、人の心を研究しています」
「……心?」
「例えば――“人はなぜ悪いと思っていてもそれをしてしまうのか?”」
確かに言われてみればそうだな、とアリスは感じた。
イーストエンドにもほとんど形骸化しているとはいえ法律は存在する。
あれをしてはいけない、これをしたら罰せられる、そういった細かい“やってはいけないこと”がごまんとある。
だが当然、法律を全て守れるほど人間は賢くない。
悪いと思っていても、何らかの理由で法を犯してしまう。そんな人間だって少なくないはずだ。
「人はなぜ罪を犯すのか、そんな心を解き明かせば、警邏隊の仕事を減らすことができるようになると思いませんか?」
「確かに、そうかもしれないが」
警邏隊の仕事は基本的に対症療法だ。
罪を犯してしまった人がいるなら、その罪を償わせる。
見回りはしているものの、全てを未然に防ぐことが出来はしない。
「突き詰めていけば、犯罪を犯す人間の心を解き明かし、危険な人物を隔離することもできるかもしれない……僕のしていることを、無駄と言い切ることはできますか?」
「それは……」
本当に研究がしたいのならそういった事業を起こせばいいのではないか?
そう感じたが上手く反論できずアリスは閉口した。
「僕たちはこれから夫婦になるんです。今すぐでなくても、いずれ理解してくれればいい」
夫婦、という言葉を聞いて彼女の胸は痛んだ。
この縁談が進めば二人は結ばれる。
家同士で決められた、完全な政略結婚だ。
「そう、だな……」
アリスは気の重さでつぶれてしまいそうだった。
そんな彼女の脳裏にふと、ベルーガの顔が浮かぶ。
能天気で悩みなどなさそうな、朗らかな笑顔。
「そう、かもな」
彼がその全力を賭して構わないと感じるように、警邏隊を改革する。
そのためにこの縁談を受け入れると決めたはずだ。
アリスは胸の痛みを誤魔化しながら、愛想よく微笑むのだった。
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