第7話 天地が返るほどの奇跡(4/5)
自称スローターの登場はいよいよ警邏隊を混乱させた。
「嘆かわしい……どうしてこう、悪いことばかりが真似されるんだね?」
ノブはげんなりとしつつも手鏡を見ながら髪を整える。前髪に触れた瞬間、ごっそりと毛が抜けそのストレスの大きさがうかがえた。
逮捕された男は本物のスローターとは縁もゆかりもない赤の他人。
人生が全く上手くいかず、自暴自棄になった結果殺人鬼を真似て犯行に及んだのだという。
「……厄介だな」
ベルーガは呑気にコーヒーをすすりながら吐き捨てる。
彼なりに努力はしているのか、デスクの上には数多の資料が積みあがっていた。
「確かにそうだな。本物だけでなく偽物にまで注意を払わねばならなくなってしまったしな」
「それだけじゃないですよ。いざ本物を捕まえたとして、そいつが本当にスローターなのかを判別しなきゃいけないんですから」
今回の自称スローターは程度の低い、いわば便乗した偽物だ。
だが今後、理解度の高い模倣犯が現れないとも限らない。
遂にボロを出したと喜び勇んで逮捕したとして、それが偽物だったら徒労に終わってしまう。
「……いつになったら終わるんだろうな、この事件は」
「いつになるんでしょうねぇ……」
ベルーガは一枚の資料を一瞥すると、コーヒーを一気に飲み干す。
苦味が一瞬で口いっぱいに広がり、苦々しい表情を浮かべた。それはコーヒーの苦さによるものなのか、それとも最悪な現実に嫌気がさしているのか、それは彼のみぞ知るところだった。
偽物のスローターが現れたことで民衆は疑心暗鬼に陥ってしまう。
もしかしたら隣の奴がそうなのかもしれない。
そんな心は人々を険悪にさせるに十分だった。
「――法務大臣?」
「まだ決まっちゃいないがな」
カフェの椅子に腰かけたベルーガは独り言のようにつぶやく。
背中合わせに座っているのはウィード、彼は新聞を読むふりをしつつ背後から聞こえるベルーガに相槌を打つ。
「丁度3月前、前任の法務大臣が病で倒れた。その後釜でやってきたのがセキレイ・エンベリザ。少々曰くのある大貴族様だ」
「曰く……ああ、聞いたことがあるよ」
一つ、有名な噂話がある。それは東地区のエンベリザ家にまつわる話。
エンベリザ家は子宝に恵まれず、ようやく生まれた一人娘、ムクは非常に体の弱い子供であったという。主治医からは大人になれないだろうと匙を投げられるほどで、夫人は悲しみに暮れていた。
当主のセキレイはそんな娘を不憫に思い、娘と年の近い姉妹のメイド――ツグミとククルを傍に置いた。一日中、朝から晩までつきっきりで世話をさせるためである。
そんなエンベリザ家に一つの転機が訪れる。
12年前、メイドの一人が――ムクにつきっきりだったメイドのククルが行方不明となった。これ自体はよくあるわけではないが、無くはない話。病弱な主の世話に嫌気がさし、逃げ出したのではないかという話だ。
だがこの日を境に、ムクの体調は驚異的なまでの回復を見せる。
診断した医師はこう述べた――まるで健康体だ、奇跡の回復だ、と。
「――明らかにおかしい。十中八九、消えたメイドが関係しているはずだ……エンベリザ家には誰にも明かさない秘術を持っているのではないか、とか、実は大陸の魔族と通じてるんじゃないかとか、色んな都市伝説が囁かれているいるね」
貧しい者の奇跡は感動話で彩る民衆も、貴族の奇跡では陰謀を騙る。
「そんな曰くのある奴が南地区に来た途端、スローターって殺人鬼が南地区で活動し始めた。何かつながりがあるとは思えないか?」
「……陰謀論で捜査しちゃいけないでしょうに」
ウィードは呆れたようにため息をついている。
あくまでエンベリザ家の話は根拠も何もない、噂話に尾ひれを勝手に付け加えた都市伝説に過ぎない。
「根拠が無くはないぜ。セキレイは東地区の総隊長を務めていた男だ。もしスローターがどこかでボロを出していたとしても、奴ならもみ消すことができたはずだ」
「薄い根拠だね。でもベルーガさんが言うなら、僕も動いてみるよ」
ウィードはコーヒーを飲み干し新聞をたたむとテーブルにお代を置く。
「もしアテが外れたら?」
「……その時は、あのナルシストな隊長を囮にしておびき出すさ」
ベルーガは大きなあくびをしながら答えた。
部下から全く尊敬されていない隊長を哀れに思ったウィードは苦笑しながら店を後にするのだった。
何かがおかしい――ムクはナイフを振り下ろしながら胸のざわめきを感じていた。
殺しは彼女にとって何よりの快楽だった。
どんなにイライラしていても、腹に据えかねることが起きたとしても、殺しで解消することができた。
「……うっ……うぅ……」
「……なんで?」
味気がない。
心臓を刺し貫き、命を奪った。触れ合っている部分からじわじわと熱が失われていることをありありと感じている。
最高に気持ちよくて、頭の中が幸せで一杯になる行為のはずなのに、胸の靄が晴れない。
胃もたれでもしているような、心臓が締め付けられるような、むかむかする感じ。
「ねえ、どうして? どうして私はこんなにムカムカしてるの?」
彼女は亡骸の髪を――深緑色の癖毛を鷲掴みにして持ち上げる。
命を奪われた者は何も言葉を発しない。苦悶の表情を残したまま静かに虚空を見つめている。
「……別に、あの女じゃクズリさんを振り向かせられないわ」
答えは返ってこずとも、彼女は胸のざわめきの理由を理解していた。
昼間出会った、針子の女――カレン。
カレンを見た瞬間、クズリの瞳が輝いたのをムクは見逃さなかった。
「ええ、そうよ……私の方が、どう考えても魅力的よ……家柄もいいし、趣味も合うし……あの女が勝っている所なんて」
自分に言い聞かせるようにつぶやくも、再び怒りが頂点に達し、奇声を上げながら亡骸を滅多刺しにした。
嫉妬が抑えられない。
どう客観的に考えてもカレンに魅力があるとは思えない。絶対に自分の方が女として勝っているはずだ。
それなのに――自分はクズリの瞳を輝かせることができない。
カレンを見つけた瞬間のあの輝きを、向けてもらったことはない。
「……はぁ……まあ、いいわ。あの子がどんなに頑張ったって、クズリさんは私の物なんだから」
血まみれとなったムクの姿はとても凄惨で、とても人から好いてもらえるような容姿ではなかった。
それはまるで、大陸に生息しているという魔族のようであった。
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