第6話 天地が返るほどの奇跡(3/5)

「――疲れているのは、何も君達だけじゃないんだよ」


 ベルーガとアリスは仲良く居眠りしてしまい。その件で隊長のノブからお説教を受けていた。

 スローターのせいでろくに眠れていない。それは二人に限ったことではない。


「申し訳ありません……」


 アリスは己の不覚を恥じ深く頭を下げる。

 対照的にいつものことなのでベルーガは話半分だった。


「面目ない。しかし……叱責している間があったら、スローター逮捕に向けた策を練った方が建設的なのでは?」


 ぶち、という音が響く。

 響いていないのかもしれないがそんな音が確かに響いた錯覚があった。


「あーたが言うんじゃないッ! 皆が眠気をこらえて頑張っているというのに相も変わらずサボりに居眠りっ! アリス君が居眠りしちゃうのは仕方ないよ! でもあーたは絶対疲れてないでしょうがッ!」


 ノブはデスクに向かってペンを叩きつけた。

 不思議と“畜生めェェッ!”と叫びだしそうだったが険しい表情のまま落ち着きを取り戻し、ゆっくりと椅子に座り直す。


「……別に、ベルーガ君に期待なんてしてないよ。昼行燈のポンコツがスローターなんか捕まえられっこないもんね」


 彼は懐から手鏡を取り出すと乱れた髪を七三に整え直す。

 そして悲しそうにため息をつくとちら、とベルーガを見つめる。


「それこそ、君がスローターを捕まえられるなんて天地がひっくり返るほどの奇跡が起きなきゃ無理よ。でも、我々は君のラッキーパンチに期待するしかないのだよ」


 確かにベルーガは運だけと揶揄され早数年。

 こんな時こそミラクルを起こしてほしいと願われるのも致し方ない、と言ったところだろう。

 だがしかし、彼は切られそうなタイミングになると真面目になるだけの能力がある怠け者。なんだか知らないけど事件を解決できた、というラッキーな人間では決してないのだ。


「……運だけで解決できりゃぁ警邏官はいらないでしょうに」

「……何か文句でも?」


 つまり、ノブの秘策はベルーガの幸運。

 いつも切られるか切られないかの瀬戸際を回避し続けているベルーガの幸運に賭けるという、なんとも運任せな策だった。


「あの……それが隊長の仰っていた“策”ですか?」

「……他に妙案でも?」


 アリスは思わずあきれ顔になってしまった。

 だが代案が出せない以上、それに乗っかるしかなさそうだ。


「……ここ2か月で異動のあった警邏官っていましたかね」


 と、彼女が諦めかけていたところでベルーガが切り出す。


「人事異動の時期はまだ先だよベルーガ君」


 ノブは意図を察することができず呆れたようなため息をついている。

 対照的にアリスはベルーガの言わんとしていることを理解し険しい表情となっていた。


「……まさか、疑っているのか?」

「思い込みは発想の妨げだ――と、前に読んだ本に書いてありましてね。もしかしたら」


 頭に血の上ったアリスは思わずベルーガの胸倉をつかんでしまう。普段ならば自制できる所、睡眠不足や疲労のせいか感情を抑えられていなかった。


「お前……見損なったぞ! 仲間を疑うのかっ!?」

「スローターは大勢の人間を殺していながら5年間も逃げ延びている! 裏で協力している人間が――犯行の証拠をもみ消している奴がいるはずだ!」


 ベルーガは胸倉をつかまれながらも毅然と言い放つ。

 眼が曇っているのはアリスの方だった。同じ志を持つ警邏官同士、悪事に手を染めることはないはずだ――無意識のうちにそう考えてしまっていたのだ。


「……少なくとも、私はそう思いますがね。奴が潔癖症の完璧主義なら話は別ですが、それよりも協力者がいると考えた方が自然でしょう」


 気圧されたアリスは掴んでいた胸倉を放す。

 ベルーガはため息をつきながら襟元を正し帽子の位置を整えた。


「同じ釜の飯を食った仲間を疑いたくはないですがね、灯台下暗しとも言います。視野を狭めていたらそれこそ奴の思うつぼだ」


 普段とは違う、気だるげな様子ながらも鋭い思考を見せるベルーガを見たノブはあっけにとられ目を見開く。


「……これは、天変地異の前触れか?」


 あまりにも失礼な物言いに呆れたベルーガは鼻を鳴らしながら見回りに向かうのだった。





 夜はスローター怖しで遊べない反動か、昼間はいつも以上に賑わっている。


「――じゃ、またの御贔屓を」


 出張での衣装修繕を終えたカレンは、多目に貰えた手間賃を懐に収め上機嫌だった。

 舞台役者というのは演技に熱中するあまり衣装を傷つけてしまうことが多いようで、いつぞやの手直し以来、早い・安い・上手いな彼女に修繕の依頼がかかることが増えていた。

 無論、本業が疎かになっては本末転倒、仕事を受けるかどうかは店主のリンドが決定している。

 とはいえ羽振りの良い役者はチップをはずんでくれるためこの仕事はいい小遣い稼ぎとなっていた。


「……あ」

「お、坊ちゃんじゃねぇか。芝居見物か?」


 カレンは常連客、クズリに出逢い声をかける。


「……まァ、そんなとこだ」

「――あら、お知合いですの?」


 決まりが悪そうなクズリの背後から女性が姿を現す。

 亜麻色の髪、藍色の瞳、青白い肌に真っ赤な唇が映える可憐な女性――クズリの見合い相手であり婚約者のムクだ。

 彼女は質素な服装だったが、スタイルの良さのおかげかとても魅力的に感じる。


「あー……この人が、前に言っていた見合い相手の」

「……ああ」


 クズリはとても気まずそうに顔をしかめている。

 まるで浮気現場を目撃された男のような仕草だった。


「アタシは坊ちゃんの……ウィーゼル家に贔屓にしてもらってるテーラーの針子をやってるカレン……っす」


 敬語が苦手なカレンは精一杯の敬意を込めてムクへ自己紹介する。だが彼女は冷ややかな目でカレンを見つめ返した。


「へぇ……クズリさんのスーツも貴女が?」

「っす」


 ムクはじっくりとカレンの貧相な体を観察する。

 癖のせいでぼさぼさな深緑のロングヘア、目つきの悪い瞳、顔立ちは……平均的で黙っていれば物静かな地味娘。体つきは年不相応に貧相。

 どう考えてもクズリが浮気しそうにも見えないと感じたムクは憐みの視線を向けた。


「今度、私のドレスでも仕立ててもらおうかしら」

「……あーはい。坊ちゃんの紹介なら問題ない……っす」


 比べられるのには慣れているがここまで露骨だと気分が悪い。

 カレンは不機嫌を隠せず少しだけ顔に出してしまった。

 一触即発、女同士の争いは水面下で繰り広げられるものである。

 が、それは意外な形で終了することなる。


「――ヒャッハァ! スローター様参上!」


 着崩したスーツに奇抜なメイクをしたスキンヘッドの男はボウガン片手に奇声を上げる。

 だが発された言葉に群衆は恐れ悲鳴を上げた。


「全員ぶっ殺してやるぜェ!」


 自称スローターはボウガンを手近な女性へ――驚き呆然としているムクへ向けて発射する。


「ッ!」


 反射的に体を動かしたカレンは飛来してきていた矢をつかみ取る。ムクの鼻先で受け止め、それを放り捨てると腰へ手を伸ばす。

 だがそこには何もない。

 仕事着には縫い針と糸が仕込まれているが、普段着にはそれが無い。その上糸外しリッパーを仕込んだブーツも履いていない。ここに居るのは始末屋のカレンではなく仕立て屋のカレンだ。


「やっべ……」


 つまり丸腰と何ら変わらない状況で自称スローターと相対しなければならない。

 カレンは額に冷や汗を浮かべる。反射的に動いたが、事態を全く好転させることができなかった。


「ヒヒヒヒッ! テメーらまとめてブッ殺――!」


 ゴス、と鈍い音が響く。自称スローターは白目を向いてゆっくりと前に倒れた。遅れるようにして乳白色の皿が地面に落ちた。


「――危ないところだったな」


 彼女たちの危機を救ったのはレストラン・ラビュリンスの店主であるモノ。

 出前帰りだった彼は咄嗟に空の皿を投げつけて自称スローターを気絶させたのだ。


「危なくねぇって! こっちには坊ちゃんがついてたんだから、なぁ?」

「あ、あァ……」


 カレンに問いかけられたクズリは生返事をしつつ、震えて動かない足に視線を落とした。

 自宅での鍛錬中、スローターに襲われたカレンを守るシミュレーションを幾度もしていた。にもかかわらず、現実で起きたら全く体が動かなかった。


「……そう、だな。あんな奴、俺の剣術で、どうにかできてた……なァ」


 情けなさを感じつつも、彼は精一杯の虚勢を張ることしかできなかった。




 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る