第5話 天地が返るほどの奇跡(2/5)
「どうしてスローターは南地区へ来たのか、か……」
ベルーガはカレーを頬張りながらつぶやく。
何の気なしに口にしてみたが、言われてみると確かに疑問だ。
東地区で逃げ延びてきたのにわざわざ南地区へ移動してきている。理由もなく移動してきたのならいよいよ行動が読めない。
「――ここに居たか」
ぼりぼりとらっきょうをかじっていたベルーガの下へアリスが現れる。勇み足で調査に向かっていたが、どうやら収穫はなかったようだ。
「どうでした?」
「……皆まで聞くな……はぁ……」
テーブルの反対に腰かけたアリスは崩れるように机に突っ伏す。
「ま、そう上手くはいきませんか」
「いや、記録に残っていないだけかもしれない……もしかしたら、検分をしていた警邏官なら何か気づいて」
「だとしたら、情報の一つや二つ共有してくれるでしょう」
「だよなぁ……」
深く深いため息がアリスの口からこぼれる。
ベルーガの気づきは結局のところ、藁でしかなかったのだ。
「て、ことは……南地区へ来たのは奴の表の顔が理由、ってとこですかねぇ」
「……表?」
アリスは気だるそうに顔を上げた。
「スローターだって人間のはずでしょう? 人殺しだけで生きてはいけない。大量殺人者、スローターが“裏の顔”だとすれば、生計を立てるための“表の顔”があるんじゃないですか?」
「まあ…………確かに……」
ベルーガはがつがつとカレーをかっこみ、大きくため息をつく。
「ごちそうさまでした……ま、皆さん深く考えすぎですよ。いつの間にかスローターを得体の知れない存在だと考えてしまっている」
確かにスローターは得体の知れない殺人鬼だ。
正体不明、どこの誰とも分からない、本当に一人の人間なのかもわからない存在だ。
だが確かに人間であるはずだ。
人間であるならば、行動には理由があるはずだ。
「昔、どこで読んだか忘れましたが……犯罪者の心理を分析した本がありましてね――」
その昔、犯罪者の心理を大真面目に研究した者がいた。
彼の研究結果によると、犯罪は分類することで傾向を掴むことができるそうだ。
例えば犯人の趣味趣向。
放火はそれそのものを目的としている場合は、犯人の癖によるものであるから現場に戻ってくる可能性が高い。
また、連続殺人は被害者に犯人の好みが現れる。それを分析することで犯人がどういった特徴の人物を標的とするかの予測ができるようになる。
「――とまあ、こんな感じで分析してみてもいいかもしれ……アリスさん?」
「……すぅ……くぅ……」
得意げに語るベルーガを前に、アリスは夢の世界へ旅立ってしまっていた。
無理もない。夜回りの頻度も増え、仮眠しか取れない日が続いているのだ。ふとした拍子に居眠りしてしまっても責めることはできない。
「……その点で言うと、スローターは自分の趣味で殺しをしている。そんな奴が逃げおおせてるってことは、協力者がいるのは間違いない」
そしてその協力者はきっと、大きな権力を持っているはずだ。
ベルーガが思いつくことなら、東地区の警邏官の誰かしらが思いついているはずだろう。ならばその思い付きをねじ伏せることのできる有力者か、あるいは捜査を誘導できる立場の警邏官か。
「あるいは、大貴族様の倅か……ふあぁ……」
満腹になったベルーガも大きなあくびをし、腕を組むと瞳を閉じる。
二人の警邏官の居眠りを、市民は呆れた目で見つめるのだった。
見合いも終わり、クズリとムクは相性ばっちり……という体で話は進んでいく。
もう結婚は決定事項のようなものだったが、じゃあすぐに挙式しましょう――はあからさますぎて世間体がよろしくない。故にしばらくお付き合いし仲を深めた……という体で結婚となるわけである。
「演劇、お好きなんですね」
「まァ……人並みにな」
貴族の芝居見物はもっぱら特等席である。
二人はイーオ劇場の特等席で人気の芝居“ゴールデン・クルーズ”を観劇していた。
クズリはあまり乗り気ではなかったが、断れば角が立つ。
「私も好きですわ。貴方はどんな芝居がお好きなのかしら?」
「……こだわりはねェ……ホラーとかお涙頂戴なストーリーは好きじゃねェってくらいだ」
「あら、ホラーが嫌いだなんて……臆病なんですのね」
「違ェよ。ああいったのは客を驚かすことしか考えてねェ、雑な筋書きになるから好きじゃねェんだ」
「ならば筋書きの整ったホラーなら?」
「……チッ……悪かったな。臆病で」
彼は拗ねたようにそっぽを向いた。
「あははっ……いいじゃないですか。ちょっとくらい臆病な方が、愛嬌があって好ましいですわよ」
「……そういうお前はどうなんだ? 人のことからかっておいてホラー苦手じゃ」
「大好きですわ♡ 幸せそうなやつらが理不尽に殺されていくの、大好きなの」
「……趣味悪いな」
開演のベルが鳴ったため会話はそこまでとなる。
芝居が好きなのは結構だったが、どうしても何かがかみ合わない。
嫌い? いや、そこまでではない。人は合うたびに相手へ好意を募らせるだと聞いたことがある。こうして顔を付き合わせていけば次第に好きになれるかもしれない。
『――やはり、自分の好きなものを好きになってもらえると嬉しいな』
何気ないセリフがクズリの胸に突き刺さる。
――『好きな奴の気が知れねぇよ。金と時間の無駄だね』
もし隣にいるのがカレンだったら。
そう思うと胸が締め付けられるのを感じる。
ちら、と隣に視線を送る。ムクも同様にこちらへ視線を向けており、目と目がばっちり合った。
思わず胸が高鳴ったが、何かがかみ合わないのを感じた。
「……フン」
もし見合いの相手がカレンだったら……ここまで思い悩むことはなかっただろう。
「……そんな度胸、ないクセによォ……」
彼のつぶやきは、芝居のセリフにかき消され誰にも届くことはなかった。
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