第4話 天地が返るほどの奇跡(1/5)

「――諸君。昨日また、スローターの犯行が確認された」


 朝会に出席している警邏官たちは一様にやつれていた。

 夜回りに次ぐ夜回り、市民からの無責任な非難、終わりの見えない捜査。

 精神も肉体もボロボロだった。


「今月に入ってから……えーっと、何件目? 何件目だっけ?」


 それは隊長のノブであっても変わらない。

 彼は眼精疲労でかすむ目をこすりながら報告書へ目を通す。


「……とにかく、これ以上スローターを野放しにするわけにもいかんので! 我々第一支部は策を講じることとする!」


 おぉ、とあまり期待していない雰囲気のどよめきが起こる。

 どうせ失敗するんだろうな、と全員諦めムードだった。


「それで、策というのは?」


 だが生真面目なアリスだけは気合が入っていた。

 問われたノブはもったいぶる様に口を閉じ、間を作る。ベルーガはその間のせいで居眠りしかける。


「……皆で一緒に考えようじゃないかね」


 とてつもなく深いため息が吐き出された。

 上司だから面と向かって文句は言えないが、もしかするとベルーガ並みにポンコツなのかもしれない。しかも素で。


「ですが、策と言っても……せめてスローターの犯行に法則があれば」


 これまで多くの警邏官、多くの学者、賞金目当ての賞金稼ぎがこぞってスローターの犯行を予測した。

 しかし誰一人としてその法則性を見つけた者はいない。

 連日犯行に及ぶこともあれば、一か月活動が無いこともある。一度に一人しか殺さないときもあれば、何人も殺した時もある。男ばかり襲うかと思えば、女も平等に、大人だろうが子供だろうがお構いなしに殺す。

 唯一、犯行が夜にしか行われないという共通点を除けば一切の法則がない。

 それ故に犯人の特徴が捉えきれないのだ。


「……ふあぁ……でも、どうして南地区に来たんでしょうね?」


 大あくびをかましながらベルーガはつぶやく。

 藁でもなんでもいいから縋りたかった警邏官たちは一斉に彼の方を向いた。


「えっ……私が何か?」

「いや、言っただろう。“どうしてスローターが南地区へ来たのか”って」

「……いや、ふと思っただけですよ。これまで五年近く東地区で殺しをしてきたってのに、どうして急に南地区へ来たんだろう、って」


 言われてみればその通りである。

 スローターは五年間、東地区で悪逆の限りを尽くしてきていた。警邏隊も手がかりを掴めずお手上げ状態。

 何か相当なへまをしてしまったのだろうか? 実は拠点を移さねばならない、何か重大なミスでも犯してしまったのではないのだろうか?


「そうか……! 奴が東地区から南地区へ移った理由、奴の東地区最後の犯行が何か手がかりになるかもしれないッ!」


 思い立ったが吉日とばかりにアリスは会議室を飛び出していった。


「さて、私も朝ごは……じゃなかった、見回りに行きますか」


 それを皮切りにベルーガも退室し、会議は終わったとばかりに他の警邏官たちも続々と部屋を後にする。


「……まだ、会議は終わってないんだがね」


 一人残されたノブは寂しそうに俯くのだった。




 さて、警邏隊はてんやわんやだが、人々の暮らしが大きく変わることはない。


「――どうもお初にお目にかかります」


 ウィーゼル家とエンベリザ家の縁談は――クズリとムクの見合いは予定通り行われていた。

 両親含めた互いの顔合わせ。当人たちの相性など知ったことではない、これは家同士の結婚なのだと言わんばかりだった。


「本当にうれしく思います……だって、あの病弱で大人になれぬと言われていたムクが、ようやく……」


 ムクの母親、スズはハンカチで涙を押さえている。

 病弱でいつ命が尽きてもおかしくはないと言われていた娘が立派に育ち、こうして成人し婚姻にまでこぎつけることが出来たのだ。嬉しさもひとしおだろう。


「噂はかねがね、奇跡の回復であったと聞いております」


 クズリの父、ラーテルは張り付いたような笑みで答える。息子とは違い建前の仮面はしっかりと身についていた。


「ええ……本当に……どうか、どうかムクをよろしく……」

「あらあら、気が早いですわよ。当人たちの相性もありますから」


 母親の言葉をクズリは鼻で笑う。

 どうせ相性が悪くたって結婚させるだろうに、どうせ話そうが話すまいが変わらないだろう。


「それもそうだ。我々のようなお邪魔虫は、早いところ退散してしまおうではないかね」


 ムクの父、セキレイは穏やかな笑みをクズリ、ムクの二人へ向ける。


「ええ……それじゃあ、ごゆっくり」


 両親たちが退席し残されたのはクズリとムク――そして黒髪のメイド、ツグミ。


「……よろしく、お願いします。ムク、と申します」


 鈴を転がしたような可愛らしい声だ。

 クズリは相手の顔をちら、と見つめる。

 レースの付いた淡いピンクのブラウスに緋色のスカート、羽織ったカーディガンの肩にかかるくらいの亜麻色の髪、青白い肌に血色の良い真っ赤な唇。藍色の瞳は穏やかに微笑んでいる。

 いかにも、なお嬢様だ。

 穏やかに微笑みながら手を振れば、それだけで勘違いする男が出てきてしまいそうな可憐な少女。


「フン……」


 だが彼の心は全くときめかなかった。

 どんなに相手の容姿が整っていようが、彼女には――仕立て屋のカレンには遠く及ばない。

 ぶっきらぼうで乱暴な物言いだが、本性を偽らないむき出しの美しさがある。

 所詮、貴族は建前だらけの偽りの自分を飾り立てる生き物だ。

 あの可憐な見た目の裏にどんな本性を隠し持っているか分かったものではない。


「気に入らねえなァ……俺たち二人っきりで親睦を深めようってのに、どうしてメイドも一緒なんだ?」

「あら。私たちの縁談、前向きに検討してらしたのね」


 クズリは難癖をつけようとしたが、どうやらムクには効かないようだった。


「どうせこの席なんて建前なのでしょう? だったら二人きりでなくてもいいじゃない」

「まァ……そうかもしれねえが」


 見合いに乗り気でないのはお互い様のようだった。

 ムクは可憐なお嬢様の仮面を脱ぎ捨て、シニカルな笑みを浮かべる。


「それにね、ツグミは私と一心同体なの。受け入れてもらえなきゃ困るわ」

「…………フン」


 彼は気に入らない態度を隠しもせずそっぽを向いた。

 建前で誤魔化そうとしてこないのは好印象だったが、やはりいけ好かない。

 この縁談が断われたらよかったのに、と思わずにはいられなかった。

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