第3話 世にも恐ろしき悪鬼(3/3)

「――始末屋に、スローターを」


 第二地区、セレーネ聖堂。

 リリィは呆れたようにため息をつきながらベンチへ腰かける。


「まるで正義の味方ではありませんか」


 警邏隊の手を逃れ続けている大量殺人犯、スローター。

 それを捕まえてくれとは大層な仕事になるだろう。全くの手がかりがない相手を始末する――仮に別人を始末したところで誰も気づきはしないだろう。


「それで、私に裏取りをしろと?」

「いいや。受けてないよ」


 ウィードは苦笑しながらリリィの隣に腰かけた。


「彼らの気持ちはよくわかるし、スローターは間違いなく大悪党だ。でも僕たちは正義の味方じゃないんだ。奴を懲らしめるのは警邏隊の仕事だよ」

「その警邏隊が役立たずだから困っているのではありませんか」


 リリィは呆れたように大きなため息をついている。

 スローターによって奪われた命は数知れない。セレーネ聖堂でもそういった者達の弔いを連日のようにしているため、彼女にも疲れが出ているのだ。


「今回くらいはいいのではなくて? 金で恨みを晴らす、それは変わらないのですから」

「僕らはあくまで最後の手段であるべきだ。第一、スローターがここまで捕まらないのには裏があると思わないかい?」


 スローターはその残虐な犯行方法のせいか、事件の起きていた東地区だけでなくイーストエンド全土でその名が知られている。

 警邏隊もただ闇雲に見回りを強化するだけでなく、懸賞金付きの指名手配もしている。ならば手がかりの一つや二つ、手に入っていてもおかしくはないだろうか?

 にもかかわらず、5年間その尻尾すら掴ませない。

 犯行を続けながら一切の手がかりも残さずに殺しを続けているのだ。


「……まさか、警邏隊がわざと目こぼしをしている、と?」

「あるいは、見逃さざるを得ないほどの権力者が背後にいる、とかね」


 スローターの協力者が警邏隊の内部におり、致命的な証拠をもみ消しているか。あるいは身柄を拘束しても見逃さざるを得ない相手だったか。

 いずれにせよ、その正体を明かさないことには先に進まない。


「結局、断ろうと仕事になってしまうのではなくて?」

「……始末すべきは“スローター”と呼ばれる幻の存在じゃない。その仮面の奥の正体、それそのものだよ」


 彼らの仕事は、存在するかもわからない幻の存在を始末することではない。

 現実に存在する悪党を始末することなのだから。





 ベルーガが帰宅できたのは3日ぶりのことだった。

 正直、帰らないなら帰らないで好都合なのだが、帰らねば義妹が悲しむことになる。そうなったときの反動が少しだけ怖かった。


「――ただいま帰りました」


 一刻も早く自室に戻り眠りにつきたかったが、お約束というか、メラニアが飛び出してくるだろうと身構える。

 だが一向に彼女が現れず不審感を覚えた。


「……出かけてるのか?」


 彼は帽子と刀を外しつつ廊下を進む。


「――やっ! はぁっ!」


 すると何やら庭から威勢のいい声が響き渡ってくる。

 なるほど、迎えに来なかったのは庭で作業をしているからか。確かに、デクティネ家では家計の足しにすべく家庭菜園を作っている。

 当然、人を雇って畑作業をさせるわけにはいかないから自分でやらねばならない。

 ああ見えて、メラニアは畑作業を嗜む逞しい少女なのだ。


「ただいま帰りましたよ~」

「ふぅ……あ、お帰りなさいませお義兄様!」


 しかしメラニアが励んでいたのは畑作業ではなかった。

 彼女は模造の薙刀を地面に突き立てながら額の汗をぬぐっていた。


「……鍛錬?」

「ええ! いつ襲われても大丈夫なように、練習しておりますの!」


 確かに、スローターは神出鬼没。今は夜だけしか活動していないが、いずれ昼間現れてしまうかもしれない。

 だとすれば自衛の手段を身に着けるのは賢明な判断であると言える。


「それは結構ですが……付け焼刃ほど危ない物はないです。もし不審な奴を見かけても、決して戦おうと思っちゃだめですよ」

「もう……お義兄さまったら♡ ……へなちょこなお義兄様より、私の方が強いかも」


 ベルーガはポンコツ警邏官、使えもしない刀を持ったサムライかぶれ――同僚の悪評はどうやらここにまで轟いているようだ。

 確かに稽古は手を抜いているから、警邏隊で彼の真の実力を知る者はいない。

 別に馬鹿にされたままでも構わないが、このままでは義兄としての沽券に関わる。


「――っ!」


 カスミ流の歩法で隙を突いてメラニアに接近し、彼女の顎を軽く持ち上げる。


「油断は大敵、いざという時は迷わず逃げること、いいね?」

「……は、ふぁい……♡」


 メラニアの頬は真っ赤に染まり、心臓の音が外まで響くほどに拍動していた。

 今にも鼻血を吹いて倒れてしまいそうだ。

 こんなことをするから彼女はベルーガに惚れてしまうのだが、彼はそのことに気づいていなかった。




 月明かりが煌々と輝き、辺りは昼間と見まごうほどの明るさだった。


「――♪」


 そんな月明かりの中、ご機嫌に散歩する男が一人。

 黒髪をオールバックになでつけ、少し出っ張った腹をさすりながらのんびりと月見散歩としゃれこんでいた。


「……いひっ」


 そんなを見て不気味に笑うスローター。

 ボウガンを構え、照準をオールバックの男の膝に合わせ――引き金を引く。


「い――っ!?」


 男は膝裏を射貫かれつんのめる様にして倒れる。

 いまだに何が起こったのか理解できず、混乱と激痛で目を白黒とさせていた。


「こんばんわ♡」

「えっ……ま、まさか……!」


 月明かりに人の影が浮かび上がる。

 黒のジャンプスーツを身にまといボウガンを構えた

 亜麻色の髪、藍色の瞳、青白い肌に真っ赤な唇が映える。可憐な顔に猟奇的な笑顔を浮かべており、彼女こそがスローターの正体であると一目で理解が出来た。


「ええ。そのまさか」

「ひっ……ひぃっ!」


 男は逃げ出そうとするも、膝に刺さった矢の痛みを思い出し苦痛で顔を歪める。

 立ち上がろうにも膝が上手く曲がらなかった。


「逃げないの? 殺されちゃうよ?」

「や、やめてくれ……っ! 死にたくないっ!」


 スローターは必死に這うようにして逃げる男を見て愉快そうに笑っている。

 その仕草は獲物をいたぶって遊ぶ子猫のようだった。

 彼女は腰に挿していたナイフをゆっくりと引き抜き――男の背に飛びつく。


「――グッ!?」

「くひっ! 刺さった!」


 男は激痛に目を見開き、両手は地面を抉る様に握り締められている。

 口の端からはツゥ、と血が一筋垂れた。


「あはっ! あははっ! 死んじゃえっ! ほら! ほら!」

「……ぐっ……んっ……かはっ……」


 スローターは人体を刺し貫く感触を楽しむかのように何度も何度もナイフを振り下ろす。

 男の息が絶えてからも、しばらく恍惚とした表情のままナイフを振り下ろし続ける。返り血が黒いスーツを濡らし、真っ白な頬に鮮血が飛び散っていた。


「……あったかぁい……イライラした時はこれに限るわねぇ……」


 彼女はうっとりと自分の手を濡らしている返り血で頬に化粧を施す。べったりと、赤黒い血はまるで上等なチークのように彼女を彩る。


「――お嬢様」

「えー? まだいいじゃない……」


 スローターは黒髪のメイド――ツグミの催促を受けつまらなさそうに口をとがらせる。

 ツグミは凄惨な現場を見たくないのか、主から顔を背けている。手先は落ち着かなさそうに肩にかかる己の髪に触れていた。


「今宵は月が明かるく輝いております。それに明日は大事な見合いがございます」

「だーかーらー! 今のうちにストレス発散!」


 スローター――彼女の名はムク。ムク・エンベリザ。

 父親は南地区の“法務大臣”を務める、大貴族の令嬢だ。

 彼女は明日、ウィーゼル家のクズリという男と見合いをせねばならないストレスから、このような凶行に走っていた。

 彼女にとって殺しは至上の快楽。怒りが頂点に達した時、体は自然と殺しを求めるのだ。


「ですが……」

「ねえ。私をイライラさせないで? もう一人殺したくなっちゃうんだけど」


 一回につき一人、それがムクが定める殺しのルール。

 だが何事にも例外はある。イライラが止まらないときは日に何人も殺すときもあるのだ。


「……申し訳、ありません」

「わかればいいの。わかれば」


 ツグミは頭を下げながら罪悪感で胸がいっぱいになる。

 12年前のあの日、初めての殺しを止めることができなかったせいでスローターという稀代の殺人犯が生まれてしまったのだ。


『――これで私たち、共犯だね』


 無垢な少女に殺しの快感を覚えさせてしまったのは、他ならぬ自分なのだ。

 だが守らねばならない。それがメイドである彼女の使命だ。

 たとえ主が猟奇的な趣味を持つ大悪党だったとしても、守らねばならい。


「…………ッ」


 ツグミは遺体を弄ぶようにして遊んでいる主を見て、唇をかみしめる。

 自分がどうなろうとも、主は守らねばならないのだ。

 煌々と輝く月にうっすらと雲がかかる。

 それはまるで、彼女の心情を現しているかのようだった。

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