第2話 世にも恐ろしき悪鬼(2/3)

 スローターが活動するのは夜が中心、昼間は安全である。

 今のところ、だが。


 テーラー、グロリア・レジーナでは普段と変わらず仕事が舞い込んでいる。

 貴族の者達は“自分は安全だ”と思い込み呑気に夜会パーティを開いているのだ。社交の場は様々な思惑が交錯する政治の場、おいそれと中止にするわけにはいかないのだが……呑気であると言わざるを得ない。

 命あっての物種、いかに社交で上手く立ち回ろうと殺されては意味がない。


「――呑気だよなァ……こんな時に、見合いだって」


 貴族の青年、クズリは仕立て終わったスーツに袖を通しながらため息をついている。

 切れ長で鋭い瞳、暗いこげ茶の髪は後ろに流しており、筋肉質な体と合わさり精悍な印象を与える。彼の家、ウィーゼル家の権力を組み合わせれば落とせない女性はいないだろう。

 だが貴族は自由恋愛とは無縁の存在だ。婚姻は家の趨勢を決める大事な行事、誰が相手でもいいわけではない。

 しかるべき家の、しかるべき相手と結婚し、その権力を次代まで盤石にする。

 権力者は権力者なりの苦労が絶えないのだ。


「……アタシに言ったってしょうがないだろ」


 カレンは微調整が必要な個所が無いか念入りに確かめ、自分の仕事ぶりに惚れ惚れしている。全く以って問題はなさそうだ。


「どこの誰とも分からん、まだ会ったこともない相手と結婚だァ……気に入らなくても断れねェクソみたいな縁談だよ」


 クズリは苛立ちながらジャケットを脱いでカレンへ渡す。

 文句なし、最高の仕上がりだと言葉にせずとも態度に現れている。だが満足そうなのはそれだけが理由ではなさそうだった。


「……お前は、その……相手は、いるのか……?」


 彼は照れくさそうに問いかける。着てきていた上着に袖を通し、落ち着かなさそうに懐を押さえている。


「……何の?」


 察しの悪いカレンは伊達メガネの奥の瞳をきょとんとさせている。


「あー……なんだ、その……好いてる、奴、とか」

「興味ねぇよ」


 心底どうでもよさそうにカレンは深緑の髪を指先でくるくると弄んでいる。

 彼女の年頃ならば色恋に興味津々でもおかしくないが、彼女はそういったことに関心が無かった。


「みーんな好きだよな。この前クソババ……知り合いの芝居見物に付き合わされたけどさ、誰が好きだとか誰を愛してるだとか。何が面白いのかこれっぽっちもわからなかった」


 カレンは呆れのため息をつきながら作業用の丸椅子に腰かけた。

 相手がいないことの強がりではなく、本当に関心が無いからこそのため息だった。


「……芝居、嫌いなのか?」

「……好きな奴の気が知れねぇよ。金と時間の無駄だね」

「…………そっか」

「?」


 カレンは不思議そうに首を傾げつつも、仕立て終わったスーツを包み、クズリへ手渡した。


「――またのお越しを!」

「……ああ」


 店主のリンドに見送られ、クズリは静かに店を出る。

 迎えの馬車は既に到着しており、御者が大きくあくびをしていた。


「…………はぁ」


 クズリは懐にしまっていたチケットを取り出す。

 大人気の芝居“ゴールド・クルーズ”の特等席のチケットだ。


「どうして“一緒に芝居見に行こう”って言葉が出ねェッ!」


 カレンが芝居嫌いと分かった以上、こんなに意味はない。彼は苛立ちを押さえるようにそれをビリビリに引き裂いた。


「……あァ……クソ……」


 切れ長で鋭いその瞳は、苛立ちの色に染まっていた。

 今にも人を殺せてしまいそうな、冷たい瞳だった。




「――そりゃぁ、惚れられてんな」

「……は?」


 レストラン・ラビュリンスは日も暮れ、客足も途絶えてきていた。

 カレンはすっかり顔なじみになった常連、カズヒラの言葉に眉をひそめている。


「……惚れた? 誰に」

「お前以外の誰がいるのよ」


 カズヒラは先端の焦げた串をカレンに向ける。

 彼女は全く理解できない様子で呆然としていた。


「……アタシに、惚れる?」

「まあ相当なもの好きだろうな」


 鈍い音が響く。


「……女はどうか知らんけど、男ってのは守備範囲が広いのよ。ちょっと優しくされただけでコロッと惚れるもんだよ」


 彼は顔をこわばらせながら串を置き、静かにコップへ手を伸ばすとニヤリ、と笑う。


「うらやましいよ。玉の輿ってワケだね」

「――残念ながら、ウィーゼル家は乗るにはお粗末な御輿だぜ」


 二人以外の客がすべて帰ったため、モノも会話に加わった。


「あ、そういや言ってたな。確か……アイツのひい爺さんがとんでもない浪費家で、財産食いつぶした挙句とんでもない借金作ったって」

「貴族様と結婚すりゃ贅沢三昧って言うけどさ、現実はそうもいかないよな」


 庶民から見た貴族は贅沢三昧、毎日遊びまわって欲を満たす。でっぷりと太り、その権力を振りかざし好きなものを何でも手に入れる。そんなイメージを抱いている。

 だが現実はそうではない。

 体面を気にし、張りたくもない見栄を張り、笑顔で対話しながら腹の内では舌を出す。馬鹿正直に生きる者から、怠惰な物からその椅子から滑り落ちていく。

 貴族と名乗ってはいるが、実のところその椅子にしがみついているだけのはごまんといるのだ。


「わかってないねぇお二人さん」


 カズヒラは出来の悪い子供に言い聞かせるように指を振る。

 鈍い音が二回響いた。


「……ウィーゼル家は落ちぶれちゃいるが、王国議会の議員様だ」


 額に脂汗を浮かべ、顔を顰めつつも彼は続ける。


「議員様は他の貴族にない特権がある。結ばれれば、贅沢とは言えないけど楽な暮らしはできるはずだ」


 王国議会は国の政治を司る重要な役職だ。

 イーストエンドの国王はあくまで象徴であり、国のあれこれを決めるのは王国議会の仕事。行き過ぎた法があれば待ったをかけるが、基本は議会に全て丸投げしている。

 そんな王国議会の議席は基本的に世襲制だ。選挙はあるが、結果の決まりきった出来レース、選挙権も限られた者のみが持つ不平等選挙だ。

 一度議席に座れば甘い汁を吸い続けることができる。

 例えば――報酬。

 一年で1000オーバル白金貨一枚。それに加えて各種手当、ボーナス、その他もろもろ。どこから出てくるんだと言いたくなるほどの金が懐へ収まる。

 借金と言いながら、貴族の体面を保てるだけの財産はあるのだ。

 それだけでなく他にも様々な特権はあるが、今は割愛。


「へぇ……すごいんだな、議員って」

「で、今その跡取りのボンボンに惚れられてる、って話をしてるのよ」

「おっさんの勘違いだろ。アタシみたいな女に惚れる男がいるわけないしな」


 カレンは不思議そうな面持ちで頬杖をつく。

 真相は当人のみぞ知るところである。

 



『――スローターだ!』


 念願のカレンとの初デートだというのに、はた迷惑な殺人鬼だ。

 クズリは御付きから剣を受け取ると構える。

 犯人はどういうわけか、全身黒ずくめでボウガンを構えている。


『ふっ――遅いな』


 放たれたボウガンの矢を見切り、それを叩き切る。避けてもいいがそれでは後ろのカレンに当たってしまう。

 スローターがリロードでもたついている隙を突き懐へ潜り込む。

 そして下から剣を振り上げる――



「――安心しろ。お前は俺が守る」


 クズリは自宅の庭、練習用の木偶を叩き斬る。

 残心しつつ、彼はどうしようもなく恥ずかしくなり顔を赤くした。


「……キッショ……何やってんだ……」


 こんな恥ずかしい妄想をしてしまう原因は一つしかない。

 明日の縁談、お見合いのせいだ。

 相手はエンベリザ家の娘、ムク。

 会ったこともない、人となりもわからない箱入り娘と結婚せねばならないのだ。


「……チッ……ひ孫にまで迷惑かけてんじゃねえよクソジジイが……」


 曽祖父が浪費していなければ、わざわざ縁組を気にする必要もなかったというのに。

 たった一代で家を傾かせかけた曽祖父へのいら立ちをぶつけるように、彼は鍛錬に励むのだった。

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