第7話 役者のカリスマ(1/4)

 翌日、人気役者のスタークから話を聞くためクレイト劇場へ赴くベルーガとアリス。


「……今、なんと?」


 警邏官の証、バッジは様々な所で効果覿面なのだが、劇場においては例外だった。

 アリスは支配人から捜査協力を断られ思わず問い返す。


「だから今すぐの聴取はお断りすると申しました。今からスターク主演、“フロンティアの涙”が開演となります。たとえ国王陛下が来られたとしても通すわけにはいきません」


 支配人は穏やかな笑顔できっぱりと断っている。

 取りつく島もなく、とっとと帰れと言わんばかりの雰囲気だった。


「確かに任意の聴取ですがね、断るという事は何かやましいことがあると、そう考えてもいいんですか?」

「ご冗談を! 公演が終わりましたらいくらでも取り次ぎますとも!」


 ゆさぶりをかけるベルーガだったが、支配人はのらりくらりと躱す。


「そんなの待っていられないぞ。捜査が遅れればまた被害者が出てしまうかもしれないんだ。事態は一刻を争う」

「悪人を見逃す癖にそんなことを堂々とおっしゃられるとは」


 小馬鹿にしたように笑う支配人の態度に腹を立てたアリスは思わず腰の細剣レイピアを引き抜き彼の喉元へ突きつける。


警邏隊われわれを侮辱するつもりかっ!? 捜査妨害で逮捕してやってもいいんだぞッ!」

「そちらこそ公演を止めることの意味を理解してらっしゃらない!」


 支配人は怯むことなくアリスを睨み返す。


「役者たちはこの半日の公演のために何か月も練習し最高の芝居を見せようとたゆまぬ努力をしてきた! そしてこの日のために、決して安くないチケットを購入し観劇しに来てくださったお客様! 人々の情熱と、大金が渦巻く公演を! 止めてまで捜査が必要というのなら証を出してもらおうじゃありませんかっ!」


 彼女は何も言い返せず大人しく細剣レイピアを引っ込める。

 確かに容疑者でもないただの事情聴取のために何万もの人間が関わる演劇を止めるわけにはいかない。令状があれば別だが、任意の聴取にそこまでも強制力はない。


「しかし……」

「アリスさん、そこまで言うなら待ちましょう」


 引き下がる姿勢を見せたベルーガを見た支配人は一番の笑みを浮かべる。


「ご理解いただけたようで。もしよろしければ――特等席で観劇なさいますか? ああおっしゃらないで。そんなことにかまけている時間はないと、ですが我らがスタークを味方につけることができれば情報収集において事欠きません。多少の遅れはあっという間に取り戻せますよ」




 クレイト劇場は南地区最大の劇場である。

 収容人数は1万人、立ち見を含めるならそれ以上だ。


「――どうぞ。こちらでございます」


 座席の種類は様々であり、中でも一等席はステージに最も近く、チケット代は1枚80バーミル――銀貨80枚前後で取引される。

 庶民にとってはこの一等席でも十分な贅沢だが、もちろんこの上も存在する。それが今まさにベルーガとアリスが案内された特等席だ。

 半個室で座席はふかふかのソファ、観劇中でも自由に飲食物を注文でき、多少会話しても周りは身内だけという最高の席である。

 金額はもとより、紹介が無ければ購入できない、正に貴族向けの特等席だ。

 当然ながら、この席を利用する者は純粋に演劇を楽しむだけに留まらない。

 半個室で誰の注目も受けない場所であるため後ろ暗い会談も行われたりするわけだが……それはまた別の話。


「おお……噂では聞いていたが……芝居を見るためだけにこんな上等な席が用意されているのか」


 アリスは勤務中であることも忘れ感動している。

 眼下にはすし詰めのように観客がひしめき合い、開演を今か今かと待っている。

 残念ながら一等席よりもステージは遠いのだが、俯瞰してみることができるため細部まで楽しむことができる。

 そして何より――椅子がいい。腰かければクッションに体が沈み込み、肘置きに手をのせればさながら国王気分。傍らには御用聞きが控えており口元が寂しくなったり喉が渇けば直ちに注文できる。


「……ふぁ……さて、早めの昼食にしますか」


 そんな特等席に案内されながらも芝居がさほど好きではないベルーガの関心は食に向いていた。早速メニューを手に取ると吟味を始める。


 ――開演のベルが鳴り響く。


 ざわついていた客席はシン、と静まり返り劇場内の照明が落ちる。


『――時は開拓歴122年』


 語り手の透き通るような声が響き渡る。

 今回の演目『フロンティアの涙』のあらすじである。


 開拓歴122年。

 イーストエンドに最初の開拓者たちがおりたって1世紀が経ち、北地区の開発が行われている“北部開拓”と呼ばれている時代だ。

 まだまだ開拓者同士での衝突が絶えず、時に内戦に近い争いが起きていた、そんな時代である。

 主人公は極寒の北地区を開拓する青年。毎日のように吹雪が吹き荒れ、弱った仲間は次々と倒れていく。寒さの中を生きる知恵もなく、明日食うのにも苦労する。目指すはイーストエンドの北端、終わりなき開拓の旅に主人公は疲れ果てていた。


「おお、これは中々うまい」


 が、ベルーガはあらすじなど聞いちゃいなかった。

 運ばれてきたホットドッグに舌鼓を打っていた。


 さて演目に戻る。

 あらすじの語りが終わるとステージにスポットライトが照らされる。中心で佇むのは今回の主人公――それを演じるスタークだ。

 人目を引く整った容姿の彼だが、役作りのためやせこけ、メイクのせいか本当に過酷な開拓をしているように思わせる。


『――ルルが死んだ! ……俺達は本当に北の果てにたどり着けるのだろうか?』


 スタークの声はホールの隅々まで響き渡る。

 透き通るようなテノールボイスで、聞くものを心地よくさせる。

 セリフの一つ一つが聞き取りやすく、それでいて流れるように頭に入ってくる。

 疲弊しきった開拓者の弱弱しさを感じさせながらも、見る者すべてに声が届くような演技だった。


「……ふあぁ」


 だがベルーガはステージを見てもいなかった。寝不足という事もあって早速瞳を閉じて背もたれに体を預けた。


「おぉ……」


 対照的にアリスは食い入るようにステージを見つめる。仕事一筋、たまの休みも自己研鑽に費やしていた彼女は娯楽というものに触れてこなかった。

 要するに真面目ちゃんが初めての娯楽に感動しているといった塩梅だ。


 ステージの上では粛々とストーリーが展開されている。

 過酷な開拓生活の中、彼らの間には絆が芽生えていた。必ず北の果てへたどり着こう、そしてみんなで生きて帰ろう。

 だが決意とは裏腹に一人、また一人と命が消えていく。戦友ともの亡骸を弔うこともできず、彼らはただひたすらに進むしかない。


「……んごっ……」


 いつしかベルーガはいびきをかき始めていた。特等席の座席は居眠りに最適だった。


「……負けるなッ」


 アリスはいつしか心が折れそうになっている主人公を応援していた。

 ストーリーに大きな起伏はないが、開拓者の悲哀、過酷な状況で訪れる様々な試練、そして――芽生える恋心。主人公を中心とした人間関係や心情の描写が丁寧になされており、観る者を惹きつけた。


「……んがっ」


 ……見ていれば、惹きこまれていただろう。

 ベルーガは気持ちよさそうに船をこいでいた。



 

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