第5話 光もあれば影もある(5/6)

「……脱臼?」


 テーラー、グロリア・レジーナ。

 オーナーのリンドは怪我をして帰ってきた自慢の針子が怪我をして帰ってきたことでご立腹だった。


「ひと月は安静にしてろって……若いうちは癖になりやすいんだって」


 カレンは怪我をさせた主――リリィを恨めしそうに睨み付ける。

 普段は犬猿の仲の二人だったが、流石に怪我をさせて開き直れるほどリリィは外道ではない。本当に申し訳なさそうに顔を伏せている。


「あの……申し訳ございません。なんとお詫びしたらいいか」


 いくら見られたくないところを見られたからと、本気で叩くのはよくなかった。

 自分がいかに怪力なのかは彼女自身、重々承知していた。


「困ったわねぇ……ウチはカレンちゃんの腕一本でやってるの。ひと月働けないとなったら、相当な損失よ」


 グロリア・レジーナは知る人ぞ知る名店だ。

 多くの貴族が贔屓にしており、夜会の度に仕立てを頼む者も多い。たった一人の針子で店を回しているため予約は数か月先までいっぱいだが、それでも構わないと贔屓にされている。

 たかがひと月、されどひと月。グロリア・レジーナにとってひと月の休止によって生じる損失は計り知れない。


「っ……この埋め合わせは必ず」

「あのね、お金だけの話じゃないの」


 リンドは冷たくリリィに言い放つ。

 普段の言動こそ愉快なオネエな彼(彼女?)だが、ベースは強面の男である。凄めばそれなりに威圧感を覚える風貌なのだ。


「カレンちゃんの腕は南地区、いえ、イーストエンド一。もしこの怪我でそれが失われたら……アナタ、その責任を取る覚悟はあるのかしら?」


 彼(彼女?)の言い分は身内の贔屓目だったが、現にカレンはそう言わしめるだけの仕立ての腕がある。

 怪我が治っても以前のような繊細な手さばきができなければ、その損失は金だけに留まらないのだ。


「それは……」


 リリィは困り果てたように顔を伏せる。金銭以外での埋め合わせはできそうにない。もし技術まで失われてしまったら、その時は命を以って償うしかない。

 そんな物騒な思考をしていたリリィに対し、リンドはふっ、と顔を崩す。


「冗談よ! 一度やってみたかったの、意地悪な店主♪ くよくよしてたって仕方ないもの、早速お得意様にお詫びを入れなきゃ」


 圧迫感が一気に崩れ去り、リリィは額の冷や汗を拭った。


「あ、でも埋め合わせはお願いするわよ? カレンちゃんが完璧に復帰できるよう、貴女がお世話して頂戴」

「えっ……承知、しま、した……」


 リリィは心底、心底いやそうな表情でカレンを見つめる。

 嫌いな相手の世話などしたくはない。だが怪我をさせてしまった埋め合わせはしなくてはならない。

 揺れ動く感情の狭間で彼女は百面相のように表情を歪めていた。


「よろしく頼むぜ、せ・い・じょ・サ・マ」


 カレンは愉快そうにニヤついている。

 リリィは半身不随にしてやろうか、と顔をしかめるのだった。




「――ただいま帰りました」


 思えば波乱の一日だった。

 ベルーガは気の休まらない自宅へ帰ると、いつものように飛び出てくる義妹を疲れ切った表情で待ち構える。


「お帰りなさいませ! おに、い……さ」


 メラニアは主人の帰りを待ちわびていた子犬のような勢いで玄関へ飛び出してくるも、何かに気付き鼻を引くつかせる。

 ゆっくり、ゆっくりとベルーガへ近づくとしきりにそのにおいをかぎ始める。さながら、用心深い猫のような仕草であった。


「……臭います?」


 普段と様子の違うメラニアに内心ビビりながらも、自分が臭くないか確認してみる。

 昼に天蕎麦を食べたせいか油の臭いがこびりついていた。


「……して」

「……はい?」

「どうして女の臭いがするんですかっ!? それも知らない女の人の臭いッッ!」

「へ? ……あ」


 彼は聴取の際、上着を投げつけられたことを思い出す。 

 その後、泣きつかれ抱き着かれたことも。


「ああ、これは捜査の時に」

「脱いで」

「……メラニア?」

「早く脱いでッ! この臭いを洗い流しますっ!」


 発狂寸前のメラニアはベルーガのシャツを引きちぎってでも脱がそうとする。

 玄関先で全裸になるわけにもいかず、彼はどうにかして義妹を風呂場へ誘導し、そこで服を脱ぐことに成功する。


「わっ! あぶっ! ……め、メラッ……あばっ!」


 洗い場へ押し込まれるや否や、ベルーガは水責めに遭う。息もつかぬ水かけに彼は何とか呼吸するので精いっぱいだった。

 続けて石鹸が背に何度も何度もこすりつけられる。まるでおろし金で大根をすりおろすかのような勢いだった。

 瞬く間に泡に覆われたベルーガの背に、メラニアが抱き着くようにしがみつく。タオル一つで体を隠しているが、密着したことでその成長途上の感触がありありと伝わってくる。


「ちょっとメラニア! 抱き着かないでくださいよ」

「やだっ!」


 怒り心頭な彼女に言葉は通用しなかった。彼女は自分の全身を使ってベルーガの体を洗い始める。


「どこで覚えたんですかこんな洗い方っ! いい加減怒りますよ!」

「じゃあなんで知らない女の人の臭いがするのッ! 絶対に浮気よッ!」


 そもそもまだ結婚してないでしょ、と言いたくなる気持ちをぐっとこらえ、ベルーガは昼間の出来事をメラニアに語る。


「身投げしようとしていた女の人を助けたんですよ。その時に臭いが移ったんでしょ」

「……うぅ」


 メラニアは納得できていないのか、不満そうに頬を彼の背に押し当てている。


「それに、メラニアを泣かせるようなことがあれば、その時は腹切って詫びますよ」

「いやぁ……死なないで」

「だから安心して。ほら、流しますよ」


 どうにか義妹をなだめることに成功したベルーガは、仕事の疲れが倍増したように感じるのだった。


 風呂から上がり、泣きつかれたメラニアを寝かしつけたベルーガはようやく一息つくことが出来た。明日も仕事だというのに全く休息できていない。

 深いため息をつきながら広間のソファに腰かける。


「ベルーガさん」

「はっ義母上!」


 しかしだらけることは許されなかった。

 義母のコリーが静かに歩み寄り、ベルーガの隣に腰かける。風呂上がりのバスローブ姿。ほんのりと薄桃色に染まった肌がどこか色気を感じさせる。

 彼女は懐からそっ、と懐刀を取り出すと彼の目の前、ソファテーブルへ置く。


「ベルーガさん、腹を切りなさい」

「義母上!?」

「……冗談ですよ」


 とてもそうは思えないベルーガだったが、クスりと笑うコリーを見て言い返すことはできない。


「少し、晩酌に付き合ってくださる?」



 

 

 

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