第4話 光があれば影もある(4/6)

 これは数分前の出来事。


『貴女、まだ若いのにどうして身投げを?』


 ベルーガ自身もその若者だが、そう問いかける。

 女性は諦念を帯びた表情でうつむいたままだ。


『……まずは、名前から聞いた方がいいですかねぇ』

『……エリザ』


 女性――エリザは吐き捨てるようにつぶやく。

 ベルーガは調書にそれを書きつつ次の質問を投げかける。


『それで、お住まいは? 誰か迎えに来て』


 視線を上げて彼は固まった。

 エリザはおもむろに服のボタンに手をかけて脱ごうとしていたのだ。


『…………はっ?』

『……どうせ、が目当てなんでしょ? やるならさっさと終わらせて』


 いくら男でも目の前の女性が何の前触れもなく脱ぎ始めたら止めるしかない。

 ベルーガは大慌てでエリザの奇行を止めに入ったのだった。




「――と、言った次第で」


 ベルーガは疲れ切った様子でアリスへあらましを語る。


「あ、ああ……まあお前にそんな度胸も甲斐性もないことはわかっているさ。ちょっと……なんというか……」


 しれっと失礼なことを言われ傷ついたベルーガだったが、それは顔に出すだけで留めておいた。


「それでエリザ、と言ったか。どうしていきなり脱ぎ始めた? 場合によってはわいせつ罪になるが」

「……止めなくてもよかったのに……どうせ、どうせ私なんて」


 エリザは堰を切ったように涙を流し始める。

 情緒が不安定すぎてベルーガもアリスも戸惑っていた。


「その調子じゃ何もわからないでしょうに……辛いことはね、ため込むばかりじゃ」

「うるさいッ! どうせ私の体目当てで助けたんでしょッッ!?」


 次は怒りだった。エリザは金切り声を上げながら上着を脱いでベルーガへ投げつける。


「ほら! さっさとやっちゃえば? ほらっ! 好きなだけ犯せばいいじゃないッ!」

「なっ……! お前な」

「ふざけてんじゃねぇッッ!!」


 ベルーガの怒鳴り声にエリザもアリスも身を竦ませる。特にアリスは普段は見せない相棒の激情に戸惑いを隠せなかった。


「手前さっきから聞いてりゃぁなんだ? 俺が手前の体目的で助けた? 馬鹿にすんじゃねぇよッ! 俺は腐っても警邏官だ! 目の前で死のうとしてる奴がいたから助けたに決まってんだろうがッ!」


 彼はエリザが投げつけた上着をそっと彼女の肩にかけてやると静かに語り掛ける。


「何があったか知らねぇが、自棄になって自分を安売りすんなよ。手前が自分を大事にしないでどうする」

「うっ……ううっ……うわぁぁぁっ!」


 エリザはベルーガの肩に縋りついて号泣する。

 彼はため息をつきながらそれを静かに受け止め続けた。




「――すみませんでした。私……」

「ああ、いいですよ。それで、どうしてあそこから身投げを?」


 落ち着きを取り戻したエリザは再びあふれ出そうになる涙をこらえながら口を開く。


「……私……その、れ、レイ」


 切り出しにくそうにしていた彼女をベルーガは手で制する。皆まで言わずとも察することが出来た。

 つまるところ、彼女も何者かに凌辱されてしまったのだ。

 不本意に犯され、自暴自棄になり、自ら命を断とうとした。

 もしかすると、自殺したイリアの一件と犯人は同じなのかもしれない。ベルーガの代わりに調書を書いていたアリスは自然と体に力が入るのを感じた。


「犯人の顔は見ましたか? 辛いことを思い出させるようで申し訳ないですが」

「……全員はわからない、です。目隠しされてたから……でも、一番最初の奴は……っ忘れるもんか」


 エリザはぎゅっと自分の腕を握り締める。


「スターク……」

「スターク……どの?」

「ッあの役者のスタークよ! あいつが私の事を犯したのッ!」


 ベルーガの中で何かがピタリと嵌まる感覚がした。

 バラバラだった要素がつながったような、腑に落ちなかったものが落ちたような、そんな感覚だ。


「待て、それが本当なら大ごとだ。言いにくかっただろうが、警邏隊には?」


 アリスの問いかけられエリザは睨み返す。


「言ったに決まってるじゃない……でも、全然取り合ってくれなかった! 私の妄想だって、決めつけられてッ!」


 当然だが警邏隊には地区ごとに複数の支部が存在する。ベルーガとアリスの所属する第一支部は第一地区と第四地区の一部を担当している。

 恐らくエリザは第三地区を担当する第三支部へ訴え出たのだろう。


「……確かに、見間違いじゃなきゃ大スターに喧嘩を売ることになる。信じたくないってのが上の気持ちでしょう」


 警邏隊は権力者に弱い生き物だ。もし貴族の何某が罪を犯しても忖度して見逃すことは日常茶飯事、よほどのことが無ければ事なかれで済ませてしまう。

 権力は何も家柄だけ付随するものではない。一声で市民を意のままに動かす、世論をあっという間に染め上げてしまうカリスマ性にも付随する。

 人気役者のスタークに嫌疑をかけるという事はそういう事だ。

 万が一、間違いだったら敵に回るのは何十万といる彼のファンである。


「嘘じゃないッ! だって……あいつ、私を犯しながら“今どんな気持ちだ?”って……!」

「心配しないでください。貴女を辱めた犯人は、必ず捕らえますから」

「……ありがとう」


 エリザはうっとりとした表情でベルーガに抱き着く。恋する乙女のような、とろけ切った表情だ。

 アリスはそれを見た瞬間、彼女の言葉が嘘なのではないかと疑ってしまった。

 単に情緒が不安定で妄想癖のある危ない女なのではないか? もし今朝の一件が無ければアリスも話を信じなかったことだろう。


「……?」


 ベルーガに抱き着いているエリザを見て、アリスは自分の胸が暗く疼くのを感じる。

 胸やけのような、ムカムカとする感じ。

 それはすぐに収まったが、彼女の心に引っかかり続けるのだった。

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