第3話 光もあれば影もある(3/6)
被害者が自殺してしまい事件の捜査は難航していた。
「私が……目を離したばかりに……」
アリスは被害者のイリアが飛び降りてしまった責任を感じ頭を抱えていた。
責任を感じすぎて心を壊してしまいそうな勢いだ。
「……アリスさん。今やるべきことは自分を責めることじゃない、彼女に自死を選ばせるほど追い詰めた犯人を捕まえることです」
口惜しさを感じているのはベルーガも同じだ。
気落ちしているアリスを慰めると一人捜査のため事件現場へ舞い戻る。
「……ここに、人気役者のスタークがねぇ」
現場となったミッド街道は歓楽街だ。
酒場やら風俗店やらがひしめく夜の街。昼間の今は寝静まっているが、日が暮れれば酒飲みが集い、日ごろの鬱憤を晴らしに来る者やらで溢れ返る。
だが基本は大衆向けの店が多い。
役者は非常に儲かる仕事だ。こんな大衆御用達な歓楽街ではなく富裕層向けの――それこそ一晩で1000オーバル白金貨が何十枚も飛び交うガニメデの歓楽街で楽しむ者も多い。
ひとたび庶民の前に現れればたちまち大騒ぎとなることは人気役者であれば承知のはず、何のためにやってきたのだろうか。
ベルーガは事件現場となった路地へ足を踏み入れる。
検分も終わり綺麗に片付けられたため事件の名残は残っていない。野次馬も解散し人の影も見えない。
確かに、大通りから外れた袋小路などわざわざ気に留める者もおるまい。
「もし犯人がスタークが来ることを知った上で犯行に及んでいたとしたら……」
推測が正しければ犯人はスタークの関係者、もしくはその行動を予測できるほどに彼のことを知り尽くした人物か。
「いずれにせよ、スタークには話を聞かんとな……」
通りを歩くうちに第三地区につながるクレセント大橋へたどり着く。
ステラ川に掛けられたこの橋は交通の要所となっており、夏には花火大会が行われる場所でもある。
「……イリアさんよ。生きてりゃいいこともたくさんあったんだぜ。死ぬほど辛かったかもしれないが、同じくらいいいことだってあったかもしれないってのに……」
橋の欄干に手をつきステラ川を眺める。
被害者のイリアにはあんなにも愛してくれる――それこそベルーガの義妹、メラニアに匹敵する愛の重さを持つ婚約者がいたのだ。
事件で負った傷を癒し、辛い思いをした以上の幸せを得ることが出来たかもしれない。
だが男性のベルーガに彼女の辛さを推し量ることはできない。不特定多数の人間に凌辱され、婚約者にすら恐怖を抱いてしまうほどの傷を負っていた。それは死ぬよりも辛い苦しみだったのかもしれない。
「……うん?」
再びミッド街道へ戻ろうとしたベルーガの瞳に一人の女性の姿が入る。
橋の欄干に腰かけ、眼下のステラ川を虚ろな目で見つめている。足をプラプラとさせ、心の準備をしているような――
「まさか……!」
ベルーガは彼女の魂胆を察し、慌てて駆け寄る。女性は滑り落ちるようにして欄干から飛び降りた。
彼は咄嗟に身を乗り出し女性の腕をつかむ。
「……っはなして」
「お断りだ……っ! 私は警邏官だ。身投げを見過ごすわけにはいかないんですッ!」
女性は助かろうと思っていないのか、ベルーガの腕を握り返そうともせず揺れている。
助かる側が非協力的なせいか、ベルーガの体が徐々に欄干からずり落ちそうになっている。体勢も悪く、ろくに踏ん張ることもできなかった。
「早く、手を……! 落ちるぞッ!」
「……いい。ほうっておいて」
「……っざけ、んな!」
ベルーガとてこのまま女性と共に落ちたくはない。あらん限りの力を込めて踏ん張る。
「――! ウィード!?」
そんな彼を助けるかのようにもう一本の手が伸びる。
銀灰色の長髪を後ろで束ね、どこか胡散臭い顔立ちの男――始末屋の仲介人、ウィードだ。
彼はベルーガと共に女性の腕をつかむと、息を合わせて彼女を引き上げる。
男性二人の手にかかれば救出は容易い。無事、彼女を引き上げベルーガは安堵の息をつく。今度は助けることが出来た。
「……話は見回り小屋で聞きます」
ベルーガは非難するように睨み付けてくる女性を睨み返すと、その手を取って近くの見回り小屋へと向かった。
見回り小屋は見習い達が働く場所だ。
街で起きる些細な事件や困りごとを解決し、時に現行犯を確保し警邏官が来るまで拘留する――それが見回り小屋の役割である。
「――ウィード、さん。貴方の仕事は?」
ミッド街道近くの見回り小屋へ呼ばれたアリスはウィードの素性を訪ねていた。
明らかに胡散臭い風貌は、念のため聴取したくなるほどだった。
「日雇いです。決まった仕事をするというのがどうにも性に合わなくて」
ウィードは所謂
気の向くまま、何にも縛られず生きる。刹那的な生き方に憧れる若者は数多い。
「それで、住まいは」
「その辺です」
「……は?」
アリスは怪訝な顔で問い返す。
普通大まかな住所を答えるところをその辺と答えたウィードに不信感を抱く。
「何か後ろ暗い事情でもあるのか? 黙秘は自由だが、隠さない方が罪は軽くなる」
「ああ失礼。僕は固定の場所に住んでないんです。宿に泊まったり、その辺で野宿したり。僕の居たいと思った場所が僕の家です」
ウィードは自由を愛しすぎていた。決まった家からすら自由になっていた。
時に野宿し、時に居候し、どこにでも、どこへでも現れる。それが彼の生き方だった。
「僕は身軽に生きていたいんです。明日を生きる小銭、荷物はそれだけで十分ですよ」
ぜひとも強欲な金持ち連中に聞かせてやりたい。アリスは調書を書きながらウィードの無欲さに感心していた。
「貴女はどうです? なんだか、重い物を背負い込んでいるように見えますけど」
「……市民に捜査情報を話すことは禁止されている。気遣いは嬉しいが」
アリスは心を見透かされたようでドキリ、と胸を跳ねさせる。
被害者、イリアの傍に居たにも関わらず自殺を止めることができなかった。やるせない気持ちで一杯だったのだ。
「これは失敬。察するに、救える命を救えず責任を感じているように見えたもので」
「なっ! まさかベルーガか? ベルーガから何か聞いたのか?」
ウィードは静かに微笑む。別に何も聞いていないが、当てはまりそうなことをそれっぽく言って見せただけだ。詐欺師の常套手段である。
「……お前の察した通りだ。被害者が自殺してしまってな。私が見守っていたのに……目を離した一瞬で」
「そうですか。だから旦那はあんなに必死だったのか」
彼は察しのいい男だ。今回の自殺未遂とアリスの話、それがどこかでつながっているかもしれないと直感した。
「……自死はよくないと、神父様はよく言います。でも僕はそうは思わない。この世はどうしようもない理不尽で溢れてる。生きている方が辛いこともある」
アリスは反論しようと口を開くも、ウィードの物悲しそうな瞳を見て思いとどまった。
「僕に貴女の口惜しさは推し量れませんが、自死を選ばせた元凶を懲らしめ、楽園へ旅立った者へ手向ける。それが何よりの供養だと思いますよ」
「……そう、だな」
ウィードの言葉はアリスの傷ついた心に染みわたっていた。
すっかり元気を取り戻した彼女はウィードに礼を言うと、別室のベルーガの下へ向かった。
「――そっちの様子はど、う……だ?」
仕切りの向こう側を覗いたアリスは思わず固まってしまう。
服を脱ごうとしている女性、それを止めようと……止めようとしている? ベルーガ。
何がどう転んだらこんな状況になるのか理解できずアリスは呆けた表情で固まっていた。
「ごっ誤解ですッ! アリスさん、彼女を止めてください」
「…………はっ」
おとぼけなベルーガにそんな甲斐性が無いことはアリス自身、よく知っていた。
彼女はベルーガを助けるべく間に割って入るのだった。
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