第2話 光があれば影もある(2/6)
南第一地区、クレイト劇場。
南地区最大にしてイーストエンド全体を通しても五指に入る巨大な劇場で、毎日のように芝居や演芸が公開されている。
「……これ、っすね」
「そうよ。早く直してちょうだいな」
控室に呼ばれたカレンは舞台衣装の修繕を依頼されていた。
どうやら公演中、セットの一部に引っかかって破れてしまったのだが、一点物の衣装であったためすぐさま修繕しなくてはならないのだ。
彼女はテーラー、グロリア・レジーナの針子が本分だが、その仕事の早さを買われて出張してきていた。
「…………っす」
口が悪すぎるカレンは店主のリンドから口数を減らすように指導を受けていたため受け答えは最小限に留める。
「――大事な衣装だぞ! もう少し慎重に――」
「――気を使ってたらいい芝居ができないでしょ――」
早速作業に取り掛かるも、背後では役者たちの言い争いが勃発している。
このミスで公演が中断となってしまえば今までの努力が水の泡である。責任の擦り付け合いが繰り広げられていた。
集中して取り組みたいのにこうもうるさくされては気が散って仕方がない。
なるべく無心に針を動かしていたが、次第に怒りの矛先はカレンに向き始める。
「――ああもうさっきから黙って! 本当に直せるのか!? 何か言ったら」
「だぁっ! うるせぇんだよ
大人しい少女だと思っていた二人の役者は見た目とのギャップにたじろく。口さえ開かなければ伊達メガネの効果は覿面のようだ。
「……チッ……おやっさんからあまり喋るなって言われてたのによ」
カレンは苛立ちを抑えながら針を動かし、瞬く間にかけはぎを終わらせる。
あまりの手さばきに役者たちは言葉を失った。
「はいよ。かけはぎ終了だ」
「えっ……あっ、ここね! すごいわ。全然わからないじゃない……!」
完璧な修繕に衣装を着ていた女優は大喜びだ。
カレンはジッ、と女優を観察する。
「……な、何よ」
「その服、あんたが着るのか?」
「ええ……それがどうしたの?」
修繕し終えた衣装を再び手に取ったカレンは突如として襟元と腕周りに糸外しを入れて衣装の手直しを始めてしまう。
「ちょっ! 頼んでたのは修繕だけじゃない! 余計なことはしないでよ!」
「……大丈夫。すぐ終わるから」
その言葉通り手早く仕事を終えたカレンは衣装を女優へ返した。
「ほら、着てみてくれよ」
「……?」
彼女は訝し気にそれを受け取ると着替える。
見た目の上では何も変わっていない。カレンが何をしたのか見る分にはわからない。
「えっ……うそ……!」
だが着たものはその変化に気づく。
少しきついと感じていた襟元にゆとりができ、動くたびに締め付けられて強張ってしまっていた腕周りが改善され、なんとも動きやすくなっていた。
体にフィットするような仕上がりに、女優は満足したようにうなずいている。
「すごいわ。全然違う! これならひっかけずに演技できそう!」
「……お代はいらねぇよ。ちょっと気になっただけだ」
「そうもいかないわ! はい、これ」
女優は自分の鞄から1オーバル金貨を取り出すとカレンへ渡す。
かけはぎ代は5バーミル、急ぎの仕事だからそれ以上になるとはいえ1オーバルは明らかに払い過ぎだ。
「あの、釣り持ってない、んすけど」
「いいのよ! 動きやすくしてくれたお礼。さ! 次の公演の準備をしましょ」
女優は話は終わりだと言わんばかりに控室を出て行った。
「……役者って儲かるんだな」
一人残されたカレンは金貨をじっと見つめながらつぶやいた。
きっと役者にとって1オーバルなど息をするように稼げる小銭なのだろう。あまりの格差にため息しか出なかった。
劇場の近くでは様々な出店が軒を連ねている。
公演中の演劇にまつわるグッズ――役者絵や対談本、観劇中に食べられる軽食などが販売されている。
中にはコラボメニューと称して、劇中に登場していたりしていなかったりする料理とキャラクターを紐づけて販売している店もある。
演劇を楽しみ、観劇後はそれに浸りながら周辺の店で食事を摂る。そして家族への土産にグッズを購入していく。消費者を徹底的に搾り上げようとする動線にカレンは思わず感心してしまう。
演劇に興味のなかった彼女は劇場近くに来るのは初めての経験だった。
「所詮は作り話だってのに……よくもまあ熱心なことで」
グッズ売り場に出来た長蛇の列を見てカレンはため息をついた。
なお列に並ぶのはグッズを横流しにして利益を得ようとしているろくでもない連中なのだが、彼女は知る由もない。
「……ん?」
冷やかしながら帰ろうとしていたカレンは見覚えのある顔を見つけ立ち止まる。
変装のつもりなのだろうか、サングラスをかけている。頭には鍔の広い帽子をかぶっているが、その綺麗なブロンドの髪は見間違えようが無い。
質素なダークブルーのワンピースの胸元ははちきれんばかりに主張しており、腰のベルトで締め付けられまるでテントのように突っ張っている。
真っ白な手足は柔らかそうに見えて引き締まっており、圧倒的な破壊力を生み出すことをカレンは知っている。
「へぇ……あのクソババア、芝居が趣味なのか」
その正体はセレーネ聖堂の修道女であり始末屋のリリィ。
清貧を謳う聖職者が俗も俗、大衆向けの芝居が趣味とは意外な一面である。俗世との関わりがまるで断てていないではないか。
リリィは時折周囲を伺いながらも自分の番が来るのをそわそわと待ちわびていた。
普段とは異なる可愛らしい仕草が面白くてカレンはしばらくリリィの様子を観察する。向こうは気づいていないようだった。
やがて、彼女の番がやってきたようで、店員といくつかやり取りをし――お目当ての品が手に入ったのか無邪気に喜びながら商品――役者絵を抱きしめている。
「――ああよかった……クソ転売屋に買い占められる前で助かりまし、た……」
リリィはご満悦な表情のまま、ニヤニヤ笑っているカレンを発見し凍り付いた。
見られたくないところを見られてしまった。普段は嫌味の一つや二つが飛び出す口が、言葉を探してあわあわと動くのがとても可愛らしかった。
「聖女様が役者絵ねぇ……可愛いとこあるじゃん」
「あっ……あっ、あ~~~~!」
平手の音が響き渡った。
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