第20話 自由を求める者達(4/6)

 ――これは数年前の出来事。

 

『……そこ、どいてください』


 を終え、自宅に戻ったアリアドネは家の前で座り込んでいるモノを見てため息をつく。


『あ、ああ……悪いな』


 返事をするも、彼は動こうとしない。

 動こうとするも、そんな力が入らない様子だった。


『……なあ、もしかして雨でも降ってんのかい?』


 モノは誤魔化すように指摘する。

 雨など降っていないが、アリアドネは傘を――仕事道具の仕込まれたレースの傘をさしていた。


『……はい。ずぅっと、止まない雨が』

『そうかい……きづかなかった、な』


 壁を支えにしてどうにか立ち上がったモノだったが、すぐさま崩れ落ちうつぶせのまま倒れ込む。


『あれ……おかしいな。元気な、はずなの、に……』


 指一本動かせない。立ち上がってすぐさまどいてやりたいのにそれもままならない。


『悪い、ね……すぐ、どく、から……』


 彼は脇を抱え上げるようにして体を起こされたことに気づく。

 鼻をくすぐるのは――嫌というほど嗅いできた、血の臭いだ。それは今、肩を貸してくれているアリアドネから漂ってきていた。


『……どう、して』

『……雨が、止んだので』


 これが二人の馴れ初めだった。





 ――時は現在に戻る。

 レストラン・ラビュリンスの女将、アリアドネの葬儀は近親者のみでしめやかに行われた。


「――この者の魂が、無事“楽園”へたどり着かんことを」


 神父の祈りと共に棺が埋葬される。

 始末屋である彼女の魂は決して楽園にたどり着くことは無いだろう。

 どんな理由であれ、人を殺せば神はそれを許さない。さまよう魂の終着地、“奈落”へ向かうことになるのだ。

 最も、死後の世界のことなど人の想像に過ぎない。

 彼女の魂がどのような末路を辿っているのか、彼女のみが知ることである。


 葬儀を終え自宅へ戻ったモノは抜け殻の様に店の椅子に腰かけている。

 いつも常連客で賑わっていた店内には誰もおらず、最愛の人を失ってしまったことを突きつけられているように感じた。


「アリィ……」


 もう涙も枯れてしまった。

 胸に残るのは悲しみと後悔だけだ。

 自分の過去を打ち明けてさえいれば、幸せが壊れることを恐れなければ、きっとこんな別れにはならなかったはずだ――後悔ばかりが渦巻き叫びたい気持ちで一杯だった。

 虚ろな瞳でカウンターを見つめる。

 その向こうで料理をしている妻の姿が浮かぶも、霧のように消えてしまった。


「――悪いな、今日はやってねぇよ」


 鍵を閉め忘れていた店の扉が開いたのに気づいたモノは静かにつぶやく。


「…………」


 だが来店者――ベルーガはそんなことお構いなしに入店し、モノの首根っこを掴むと彼を店の奥、厨房へ引きずっていく。


「なに、すんだ――ッ!」


 戸惑うモノの首筋に刀が当てられる。

 ベルーガから放たれる殺気を感じ取ったモノは全てを察した。厨房は店側の窓から死角となり、誰にも目撃されずにができるだろう。


「……ああ、そうか。好きにしろよ」


 彼は一切の抵抗を諦め――ハナからするつもりはなかったが――その首を差し出す。


「アリィが死んで、もうこの世に未練なんかねぇよ。いっそこのまま殺してくれた方が……あの世でアリィに会えるかもな」

「…………」


 ベルーガは静かに刀を返し、峰でトンとモノの肩を叩く。


「残念だったな。今日は口封じのために来たんじゃない。聞きたいことがあってきただけだ」


 静かに納刀したベルーガは大きなため息をついた。妻を殺され怒りに燃えているかと思えば、真逆の腑抜けになっていたのである。


「手前の奥さんを殺ったのはどんな奴だ?」

「……聞いてどうするつもりだ」


 モノは打たれた肩をさすりながらベルーガを見上げた。


「決まってんだろ。口封じだ」

「……ああ。旦那も」


 全てを察したモノはどうすべきか思案し、口を開く。


「……元隠密だ。今は何やってんのかは知らねぇよ」

「元、ねぇ……隠密と言えば始末屋以上に眉唾の噂話だ。どうして知ってる?」

「……俺もそうだったからだよ」


 隠密は決して噂話ではない。本当に存在するイーストエンドの諜報部隊だ。

 闇に潜み、国を揺るがすような事件を未然に防ぐ。

 決して新聞には載せられない、国民の目に触れさせたくはない不都合な事件を人知れず解決する。始末屋の手にかかるようなとは比べ物にならない巨悪を葬るのが隠密の仕事である。

 モノはその隠密として戦い続けてきた一人だ。

 言われるがままに人を殺し、国の平和を守り続けてきた。

 悪を見つけ、殺し、見つけ、殺し……その繰り返し。

 手先が器用だった彼はあらゆる職業に扮し潜入できた。どんな職業でも――料理人だけは例外だったが――本職に引けを取らない才能を発揮し、その正体を悟られぬまま仕事を成し遂げる。

 様々な才を見せてきた彼の中で最も輝いていたのは――殺しの才だった。

 彼にとって身の回りの物は全て武器であり暗器だった。手ぶらで潜入し現地で武器を調達し殺す。毒物を調薬させれば自然死と見分けのつかない毒を作り出す。

 そんな殺しばかりの日々に嫌気がさしたモノは隠密を辞めることにした。

 しかし不都合な事を多く知っている彼を辞めさせるほど隠密は間抜けではない。

 命を狙われ、何とか逃げた先で――アリアドネと出会った。


「……ふあぁ」


 ベルーガは特大のあくびをして話を遮った。モノの身の上に興味が無さ過ぎて途中から居眠りしていたのだ。


「……自分で聞いといてそりゃねぇだろ」

「手前の身の上に興味が無いだけだ。しかしま、隠密ってのは腑抜けの集団なんだな」

「……どういう、意味だ?」


 ベルーガは帽子を直しつつ皮肉交じりに微笑む。


「自分の奥さん殺されて、仇討とうとしないで黄昏てる奴を、腑抜け以外にどう呼べってんだ」

「……仇、討ち?」


 モノの目に力が戻る。

 考えてもいなかった。いや、考えたくなかっただけかもしれない。


 ――『お前にはこっちの世界が似合ってる』


 仇討ちを――殺しという道を選んでしまえば、その言葉を認めてしまうことになるから。

 結局自分は殺しの道しかないのだと、認めたくない事実を認めてしまうことになるから。


「別に俺は勧誘に来たわけじゃないが、もし興味があるなら話は通しておいてやるぜ」


 ベルーガは店の扉に手をかけつつ振り返る。


「少なくとも、思い出に浸って黄昏ているよりはマシだと思うがね」


 一人残されたモノは、自分の前に再び迫ってきている闇を実感するのだった。

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