第19話 自由を求める者達(3/6)

「目立たない方法、か……」


 カレンはシャワーを浴びながら一人つぶやく。

 今までは標的の頸動脈を切り裂きその命を奪ってきた。非力な彼女にとってそれが一番確実で最も簡単な方法だった。

 もう少し上背があれば縫い糸でもって首を絞め上げて殺すこともできるだろうが、残念ながら小柄な彼女にそんな芸当は到底不可能だ。

 地形を上手く活用すればできなくはないだろうが、仕留められる標的の幅は減ってしまうだろう。


「どうすっかな……」


 部屋に戻ると椅子にどっかりと腰かけ、買ってきた医学書を手に取る。

 ベッドではこの間から面倒を見ている少女――ではなく少年、キクナが静かに寝息を立てていた。寝顔はどこからどう見ても少女に見えたが、生物学上も精神上もちゃんと男らしい。


「……道具、変えるか?」


 カレンは机の上の糸外しリッパー――これは仕事道具ではなく仕立てに使っている物だ――を手にため息をつく。

 これで人を殺そうと思ったら、それこそ首の血管を切るしか方法が無いだろう。

 そもそも論として糸を外すための道具なのだから、殺しに使おうとしている方が間違っている。

 手に馴染んで使いやすいからという理由でこれを暗器として使っていたが、そろそろ乗り換え時なのかもしれない。


「……いや、これならいけるか?」


 彼女はパラパラと医学書をめくり、一つの記述に目をつける。

 ゆっくりと目を閉じ、シミュレーションを行う。

 上手くいけば今までよりも目立たずに仕事ができるかもしれない。


「――はぁ……はぁ……」


 医学書を閉じたところで、ベッドで眠るキクナが苦しそうにあえいでいるのに気づく。

 夢見が悪いのだろうか、額に汗を浮かべ苦しそうに顔を歪めていた。


「……おい、大丈夫か?」

「んん……わっ!?」


 カレンが肩を叩くとキクナは飛び起きる。

 息は荒く瞳は大きく見開かれていた。


「……ご、ごめん、なさい……起こしちゃいましたか?」

「元から起きてるよ」


 申し訳なさそうな彼の額を小突き、カレンは深くため息をつく。

 これからどうすべきか悩み髪をかきむしりながら、意を決して大きく息をついた。


「あの、さ……お前がどんな事情抱えてんのかそろそろ教えてもらってもいいか?」


 キクナは躊躇うように顔を伏せる。その手は落ち着かなさそうに胸元のペンダントへ伸びる。


「……でも」

「乗りかかった船だ。今更遠慮される筋合いはねぇっての」


 カレンの言葉に、彼はきつく瞳を閉じぎゅっとペンダントを握り締めた。


「……ぼく、大陸から来たんです」


 キクナの出身は大陸の国“ドランネスト”――かつて“竜”と呼ばれる生物がねぐらとしていたとされる場所に建てられた国だ。

 人が燃え、街が消える――大陸に住む人間は自分たちの命がいかに軽いかを知っている。彼の国も同様に危険な場所だった。

 交易に出た商人は半分が帰ってこれず、国の外れに住む者はある日突然いなくなっている。

 魔族の脅威が無いと言われているイーストエンドは彼らにとってあこがれの国だった。漏れ聞こえる悪評は“魔族がいない”という最大の利点の前では聞こえないふりができるほどだった。

 キクナもまた、そんなイーストエンドでの暮らしに憧れる一人だった。

 国での暮らしに不満はない。魔族の手によって天寿は全うできないかもしれないが、それはもう既に割り切っている。

 だがどうしても考えずにはいられない。

 魔族の脅威の無い地で、好きな人と結ばれ、幸せな人生を過ごせたら、と。

 彼には将来を約束した幼馴染がいた。名をハルシャ、明るく快活で前向きな少女だった。親同士が決めた縁組だったが、互いに相性も良くその約束を違えるつもりはなかった。

 彼女との子を授かり、幸せな家庭を築けたら、平和な暮らしができたらどんなに幸せだろうか。

 そんな悩みを抱えていた彼の下に一つの噂話が入る。


「マーレイ、商会?」


 カレンは聞き覚えのある名前に眉を顰める。

 先日テーラーに訪れた迷惑極まりない害悪な客がその名前を口にしていたような気がしたが、よく思い出せなかった。


「はい……そこがイーストエンドで働き手を募集しているって話でした」


 キクナはそのうわさ話はまさに渡りに船だと感じた。

 殆ど通る確証の無い移住申請を出すよりも、マーレイ商会で働く方が余程確実に移住の夢が叶う。

 しばらくの間マーレイ商会の庇護下で働き続けなければならないという事だったが、彼からすればたったそれだけの条件でイーストエンドに住む権利が得られるのである。

 キクナはハルシャと共にイーストエンドに移住することを決意した。


「でも……そのせいで、ハルシャは……」


 二人がマーレイ商会の手引きでイーストエンドに渡ってから状況は一変した。

 提供された住居は最低限寝起きができればいいだろうと言わんばかりの集合住宅アパート。人権など鼻で笑うような過酷な労働、それに見合わない雀の涙ほどの賃金。

 だがいずれ移住許可証が貰える、ならばこのくらいの環境など耐えきって見せよう。魔族の脅威に比べればこのくらいどうということは無い――だが待てど暮らせどその話が持ち上がることは無い。

 聞いてみても担当者は首をかしげるばかり。

 一年後か、二年後か、十年後か、もっと先か――確かに移住許可証は下りると言った。だがは明言されていない。

 そして労働の内容も明言されていない。

 どう考えても合法的でない仕事でも、不法移民となってしまったキクナたちは守られることなく、罰せられることなく行うことができてしまう。

 キクナとハルシャの二人は猟奇的な趣味を持つ“とある貴族”の下でさせられ、その結果――


「それでお前は逃げ出した、ってことか」


 カレンの言葉にキクナは静かにうなずいた。

 思い出すだけで体の震えが止まらなくなる。語るのも憚られるほど凄惨なの末、彼の想い人であったハルシャは命を落とした。

 面影すらわからなくなるほど嬲られ、凌辱された末に殺されてしまった。


 ――『キクナ……生きて』


 その言葉を受けたキクナは命からがら逃げだした。

 見つかればどうなるか分かったものではない。不法入国者として処罰されてしまうかもしれないし、逃げた罰として死ぬよりも辛い拷問を受けるかもしれない。

 それでも、ハルシャの最期の言葉を守るため彼は逃げ続けた。


「……ごめんなさい。ぼくのせいで、あなたまで」

「お前が謝る事なんて一つもねぇだろ。悪いのは全部マーレイって野郎だけだ」


 恨みの花は人知れず咲いていた。

 キクナの話が本当ならば、もしその胸の“恨み”を晴らしたいと願うのならば、始末屋は必ずその仕事を請け負うだろう。


「なあ、始末屋の噂は知ってるか?」


 彼は静かに首を横に振った。


「第三地区にある聖堂跡地に行ってみな……お前の恨み、晴らしてもらえるかもな」

「うら、み……」


 キクナは静かに胸のペンダントを見つめる。

 考えもしていなかった復讐のことが頭をよぎり、彼は顔を曇らせるのだった。

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