第6話 始末屋たちの日常(6/6)
南第一地区、オクト。中央地区寄りに位置するここはベルーガの実家であるデクティネ家の屋敷がある。
デクティネ家は軍人上がりの下級貴族。当主は代々警邏官の役目を全うし、警邏隊の給金と猫の額ほどの領地で栽培した野菜を売った副収入で食いつないできた、所謂名ばかりの貴族である。
「ただいま帰りました」
よって屋敷に帰っても出迎えてくれる使用人はいない。住み込みで働いている執事、メイドはおらず必要に応じてハウスキーパーを雇うのがせいぜいである。
帰って早々憂鬱で彼はため息をつく。そもそもが養子の彼にとって家は居心地の悪さがある。
警邏隊では昼行燈を装っているため義母からはお小言の嵐、義父が生きていればお小言だけで夜が明けてしまっていたことだろう。
だが憂鬱なのはお小言だけが原因ではない。
「――お帰りなさいませ! お義兄様♡」
デクティネ家の一人娘、メラニア――要するにベルーガの義妹は勤務を終えて帰宅した義兄を優しく出迎える。
ふわふわのプラチナブロンドのロングヘア、小動物を想起させる愛らしい顔立ちは思わず頬ずりをしたくなるほどだ。まだ年は14という事もあり体つきは幼いが、将来は美人になる片鱗が見え隠れしている。
こんな可愛らしい義妹こそがベルーガの憂鬱の種であった。
「お疲れでしょう? 私にしますか? それとも私にします? それともわ・た・し?」
「あの……選択肢をください」
メラニアは甘えん坊な子猫の様にベルーガに抱き着くと頬を摺り寄せ抱きしめる。
「いいではありませんか♡ 将来の予行演習ですわ♡」
現在、ベルーガの立ち位置はデクティネ家の養子である。だがこの通り、義妹のメラニアにべた惚れされてしまっているため、将来的には彼女の夫、つまり婿養子となる未来が待っている。
あと二年、彼女が成人した暁には結ばれる未来の待っている許嫁である。
「気が早すぎますよ。それに結婚するにしても後二年はあります。メラニアだって心変わりするかもしれないでしょ?」
「いいえ。もうお義兄様以外の男の人など考えられませんもの。心変わりなど絶対にありえませんわ♡」
恋はなんとやら。
ベルーガが容姿となって長い時が経つ。初めて会ったときは小さかったメラニアも今や成人まであと僅かな思春期。
“将来はお義兄様と結婚する!”――その言葉がいよいよ現実味を帯びてきているのだ。
「……お帰りなさいベルーガさん」
「うっ! た、ただいま帰りました義母上」
突き刺すような視線を受け思わずベルーガは背筋を伸ばす。彼の義母であるコリーが冷ややかな目で彼を見つめていた。
目つきの悪い狐のような表情は、裏の顔を持つ彼でさえ怯んでしまうほどの威圧感があった。もしかしたメラニアも将来はこんな風になってしまうのではないだろうか? 同じ髪色、同じ瞳の色、似たような顔立ち、親子故に同じ変貌、もとい成長を遂げるのではないかと感じてしまうほどだった。
「食事の用意はできております。ぐずぐずしていないで早くいらっしゃい」
「あ、はい……」
甘々な義妹に氷のような冷たさの義母、まさにアメと鞭である。
更に悲しいのはこの食事の時間である。
「さ、お義兄様。今日もこのメラニアが腕によりをかけて作りましたわ。たんと召し上がってくださいまし♡」
ベルーガは自他共に認める食道楽である。
休日は食べ歩きに終始し、その舌は昼行燈と見下してくる同僚でさえ一目置くほど。
デクティネ家は貧しいが通いの料理人を雇う程度の財力はある。贔屓のシェフの腕前はベルーガも唸るほど。
だがしかし、残念ながら彼はその料理にありつくことができない。
「……いただきます」
義妹の作った手料理を食べる義務があるのだ。愛情たっぷり、将来の妻が作る手料理である。
サムライの作法にのっとり手を合わせると、鶏もも肉のローストにナイフを入れる。縦長のテーブルの反対側では義母のコリーが同様の料理を――シェフの作った一流の料理を淡々と食べている。表情一つ変わらないがきっと、きっとおいしいのだろう。
無論、ベルーガもメラニアの手料理が嬉しくないわけではない。感謝の気持ちを込めながら完食し、一言“おいしかった”と感想を告げたい気持ちはある。
しかし、目の前に本職のシェフが作り上げた料理を置かれてはそちらに気が引かれるのが食道楽の宿命である。
「どうですか? お口に合いませんか……?」
メラニアは不安そうにベルーガを見つめる。上目遣いで、瞳を潤ませ不安な気持ちがありありと伝わってきた。
正直に言ってしまえばあまりおいしくはない。塩の振り方も肉の焼き加減も今一つ、今後に期待という言葉が似あう一皿。
「…………」
だが対面から飛んでくる冷たい視線。“何を言うべきかわかっているよな?”とでも言いたげな表情にベルーガは思わず背筋を強張らせた。
「……おいしいですよ」
「わぁ……! それは何よりですわ!」
気が休まらないのは食事の時間だけに限らない。
義妹の愛情(だけは)たっぷりな手料理を満腹になるまで腹に流し込んだ後は入浴の時間である。
大貴族の邸宅にはそれは大きな大浴場が備え付けられているが、デクティネ家にあるのはこじんまりとした一人用の浴槽のみ。無駄に大きな浴槽を作ればお湯を沸かしただけで大赤字なのだ。
ベルーガの入浴は烏の行水、体を洗って軽く体を温めてお終いである。
「――お背中、お流ししますわ♡」
何かを見計らったかのように姿を現すメラニア。バスタオルを巻いただけの入浴スタイルであり、隙あらば彼と共に湯船につかろうという魂胆が見え隠れしている。
「待ってください。いつも言っているでしょう? いくら兄妹とはいえ、年頃の男女が一緒に風呂に入っちゃダメですって! 背中位自分で洗いますから」
「いいではありませんか。昔は一緒に入っていたのですし♡」
「それは子供の時の話でしょう! もう大人になろうって年頃の女の子が気軽に裸を見せちゃいけません!」
無論、ベルーガも背中を流してもらうのはまんざらでもない。労をねぎらってくれる義妹の気持ちを素直に受け取りたい。
だがしかし――突き刺すような視線を感じる。
浴室の扉の隙間、風呂場と脱衣場の狭間でメラニアと決死の攻防を繰り広げるベルーガを扉の隙間から見つめる視線が一対。
“入れたらどうなるか分かってるよな?”とでも言いたげな義母の視線が彼の心を抉る。
「あと二年! あと二年我慢してください!」
「……もう。お義兄様のいじわる」
つまらなさそうに引き下がっていくメラニア。この手が使えるのも後二年、彼女が成人するまでが限界である。
心休まらぬ入浴が終わり、後は明日に備えて寝るだけである。
「――お・に・い・さ・ま♡」
頼むから寝かせてくれ、という言葉をぐっとこらえ、ベルーガは自室に乱入してきたメラニアを迎え入れる。
「……どうしたんです、こんな夜遅くに」
「もう! わかってるくせに」
メラニアはベッドに腰かけているベルーガに抱き着き甘えてくる。
「お義兄様ぁ……♡」
風呂上がりの彼女の体からは石鹸のいい香りが漂ってくる。兄妹ではあるが血のつながっていない義理の関係、体の芯が熱くなってしまうのも無理はない。
このまま目と目が合えば男女としての一線を容易く超えてしまえる雰囲気だったが、ベルーガは悪寒に襲われ思わず顔を上げる。
扉の隙間から覗く義母の眼光は一際鋭い。
――『その一線、越えたらどうなるかわかっていますね?』
ベルーガは確かにコリーの声を聞いた。
義理とは言え兄妹なのだから容易く一線を越えるな、越えたいなら結婚してからにしろ。義母は男女の関係にうるさかった。
「よしよし」
「えへへ……」
理性を強制的に働かされたベルーガはメラニアの頭を優しくなでるだけにとどめる。
「あと二年、あと二年……ねえ、お義兄様――くれぐれも、他の女になびかないでくださいまし?」
光の灯っていない瞳に見つめられ彼は戦慄した。あの母あってこの娘である。
「わかってますよ……」
一瞬、ほんの一瞬だが彼の裏の顔が姿を現す。
始末屋が人並みの幸せを得ようとすることはあり得ない。金をもらって人を殺す薄汚い人間が、人並みに恋をして結ばれて幸せになることなど、決してあってはならないのだと。
ベルーガは始末屋になったその日から、幸せを手に入れる資格を放棄したのだ。
「……?」
彼の裏の顔をしらないメラニアは、深刻そうな義兄の顔を不思議そうに眺めているのだった。
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