第4話 始末屋たちの日常(4/6)

 ――神はどうしようもないクソ野郎だ。


 幼い日のリリィは焼け落ちた家の前で一人涙を流していた。

 裕福な家庭で生まれ育ち、敬虔な両親に育てられた彼女はその日まで神を敬愛していた。

 神は自分に似せて人間を作り、我が子の様に慈しんでいる。人間が清く正しく生きれば褒美として自分の住む“楽園”に招き入れ、我が子同然の人間が過ちを犯せば天使を遣わし罰を与える。だからこそ清く正しく、間違ったことはしてはいけないのだとリリィは信じてやまなかった。


 だが神はいなかった。

 裕福で幸福な両親に嫉妬した、今は名前も思い出せない小汚い男は財産を盗み家に火をつけた。

 両親は娘のリリィを逃がそうとして命を落とした。

 彼女だけが生き残った――生き残ってしまった。

 神はアイツを罰するはずだった。それなのに一向に天使は現れないしアイツは奪った財産でのうのうと幸せに暮らしている。


 だったら自分が天使になるしかない――彼女はそう心に誓った。

 神が罰することをサボるのなら、自分が代わりにそれを成そう。

 過ちを犯した人間に罰を与えることこそが、自分の使命なのだ。

 彼女は神に仕えるため出家の道を選んだ。それは決して神を敬愛し人生を捧げるためではなかった。

 怠慢な主の尻拭いをするため、過ちを犯しているのにのうのうと生き延びる悪党たちを懲らしめるため。

 神の代行者たる“天使”となるため彼女は神に仕える道を選んだのだ。




 南第二地区、セレーネ聖堂。

 海から離れた内地にあり、中央地区や東地区に近い場所に位置する聖堂だ。

 聖堂の中には横長の椅子が並べられ、壁には宗教画が描かれている。入口正面の窓はステンドグラスで彩られ、祭壇の前では一人の修道女が祈りを捧げている。

 彼女の前に置かれた香炉からは煙が上がっており、不思議な芳香を聖堂内に充満させていた。


「――またサボりですか? 警邏官様」


 気配に気づいた修道女――シスター・リリィは咎めるような視線を入り口に送る。


「休憩だよ休憩。警邏隊だって人間なんだ、少しくらい休みが無きゃ働き過ぎで倒れるよ」


 一人でやってきていたベルーガはソフト帽を脱ぎ腰の刀を外しながらながら祭壇近くの椅子に腰かける。


「貴方ほど労働からかけ離れた人間はいないでしょうに」

「働かなくたって給料は出るんだ。文句があるなら上に言いな」


 開き直ったベルーガに対しリリィは呆れたような表情だ。


「それに……手柄を立てて出世するほどに、自由は無くなっていく。どこそこの何某家を慮ってもみ消さなきゃいけないワルも増える。だったらのらりくらり、首を切られない程度の仕事をしていればいいのさ」


 警邏隊はイーストエンドの治安を維持するべく組織された。

 悪を許さず弱者を助ける、そんな理想はとうの昔に形骸化している。

 権力者の悪事があらば不興を買わぬように目をつぶり、悪徳商人を捕えようものならばどこからともなく圧力がかかりお咎めなし。挙句の果てに悪党どもは口裏を合わせて証拠をもみ消す。

 取り締まれぬ悪の何たる多いことか。新聞で悪口を書かれるのも致し方無いのかもしれない。


「呆れた。警邏官様がこの調子じゃ、始末屋はいつまで経っても無くならないのでしょうね」


 どこかで誰かが泣いている? ――いいえ、そんな声は聞こえません。

 俺を誰だと思ってる? ――ええ、今後は気を付けます。

 正義の味方は張りぼての見掛け倒し、誰も助けちゃくれません。

 だったらこの手で……それが出来たら泣いてません。

 ならば天に祈るしかありません。

 どうか神様、そこにいるなら聞いてくださいな。

 この無念、この恨み、どうか晴らしてはくれまいか?


「神に仕える聖女がそれを言うのかよ。つくづく、世の中腐ってるな」


 ベルーガは皮肉交じりにため息をつくも自分自身、治安を守るべき警邏官でありながら始末屋をしているという現実を思い知る。

 法で裁けぬ悪を、法を無視する大悪を人知れず葬り去る。

 警邏隊の見掛け倒しを思えば、市民にとっては始末屋が正義の味方に見えてしまうのも無理はないだろう。


「本当なら、アリスさんみたいな真っ直ぐな人が得するような世であるべきなんだけどな」

「愚痴なら他所でやってくださいな。ここは神に祈りを捧げる神聖な場所、警邏隊の詰所じゃないのですから」


 リリィは通路を挟んで反対側、ベルーガが座っていない椅子へ腰かける。


「……今朝、コストルナで水死体が見つかった。まだ結論は出てないが、ありゃ他殺だ。不法入国者にしては身なりが綺麗すぎる」

「まあ。それはお可哀想に」


 彼女は無くなった何某に祈りを捧げる。その魂が、無事楽園へ辿りつけますように、と。


「そしてこの前の“仕事”、上は犯人の始末屋を見つけ出すことに注力しろ、サルガッソについてこれ以上調べる必要はない、と」

「よくあることではないですか。大方、つながりが露見することを恐れた大貴族様が圧力をかけたのではなくて?」

「壊滅したのは昨日の話だぜ? いくらなんでも早すぎる。もみ消すにしても順序ってモンがあるだろうよ」


 見回りをしていた時のだらしない昼行燈なベルーガの姿はそこにはない。ここだけ切り取れば彼が優秀な警邏官であると誰もが認めるだろう。


「裏で糸を引いているやつが警邏隊にいるかもしれない。サルガッソはそいつのコマでしかなかったのかもな」


 サルガッソという悪を始末してなお、その陰には巨悪が潜んでいるのかもしれない。

 真の悪党は、今もなお甘い汁をすすり私服を肥やしているのかもしれない。


「……久々の大仕事になりそうですわね。腕が鳴ります」


 恨みの花が、再びどこかで咲くのかもしれない。

 リリィは諦念を帯びた微笑で祭壇を見つめる。果たして祈りは神に届いているのだろうか? 神はいつになったらこの世を正してくれるのだろうか?

 彼女は怠慢なクソヤローに唾を吐きかけたい気持ちで一杯だった。

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