第2話 始末屋たちの日常(2/6)
変わり映えのない無味乾燥な日々だった。
頼まれ、始末する――その繰り返し。
頼まれ、始末し、頼まれ、始末し……数え切れないほど命を奪ってきた。
アリアドネは編み物が趣味な、どこにでもいる平凡な少女だった。
物静かで大人しく、どこか天然で抜けている可愛らしい女の子。
そんな彼女が一番秀でていたのは――殺しの才能だった。
気配を消すのが上手く、殺すその瞬間まで存在に気づかれない。暗殺者としてこれ以上にない才能を備えていた。
両親の敵を取るため、彼女は始末屋の世界へ足を踏み入れその才能を開花させた。
頼まれ、始末する――そこに感情の入る余地はない。
頼まれ、始末する――どれだけ苦しくても立ち止まることは許されない。
頼まれ、始末する――いつしか血なまぐさい臭いが染み付き取れなくなっている。
世界から彩りは失われ、白黒の味気ない風景しかその目に映らなくなるほど彼女は闇に染まりきっていた。
――そんな彼女を救ったのは、一人の青年だった。
「――へいお待ち! 亭主の気まぐれ定食だ」
レストラン・ラビュリンス。若い夫婦が営む南地区で話題のレストランだ。
主のモノは20代前半、子犬を思わせる人懐っこそうな顔立ちの青年だ。
彼は出来立てほやほや、湯気の立ち上る盆を運ぶ。
「へへっ。今日はアタリか外れか」
常連客の一人、金髪リーゼントの男カズヒラはまるでくじ引きをするかのような面持ちだった。
「悪いが今日のは自信作だ。ハズレとは言わせないぜ?」
モノは無邪気で自信満々な笑みでカズヒラの前の席に座る。
イーストエンドの食の歴史は深い。500年前、様々な所からやってきた入植者たちは何もない島で各々の故郷の料理を食べようと努力し、自分の故郷の料理を広めようと四苦八苦した。中でも東方出身の者は特にこだわりが強く、彼らの手によって食の開拓が進んだ。
特に米と刺身が広まったのは東方の民のおかげと言っても過言ではない。
「では、いただきます」
亭主の気まぐれ定食はご飯に汁物、炒め物。
汁物は大根と油揚げの味噌汁、炒め物はスパイシーな香り漂う野菜炒めである。
カズヒラは箸を手に取ると炒め物に手を付ける。
口へ運び、噛みしめる。噛めば噛むほど不思議な風味と辛みが広がっていく。
「……どうだ?」
「うん、不味い」
香辛料が複雑に絡み合った結果、野菜の良さを完全に打ち消し悪いところだけが主張していた。端的に言えば大失敗の激マズである。
カズヒラは不味い料理を提供されたにも関わらず大爆笑していた。
「相変わらずお前の料理は不味いな!」
「マジかよ……調味料の配合は完璧だったはずなのに……」
「だから何度も言ってるだろ。料理は理屈だけじゃない、手間と暇、そして味見」
モノは差し出された野菜炒めを一口食べる。
顰め面で咀嚼し、飲み込んだ。みるみるうちに表情が曇っていく。
「あっれ~……おっかしいな。理屈の上じゃ美味いハズなんだけど」
「味見、大事。オレはこの博打みたいな料理が好きだけどな」
カズヒラは不味い不味いと言いながら野菜炒めを頬張っている。
「――あなた! 出来ましたよ」
「お、おう!」
厨房から顔をのぞかせるのは彼の妻でありレストランの女将、アリアドネ――始末屋の一人である。
彼女は艶やかな黒髪をアップにしバンダナでまとめていた。
「――串焼き盛り合わせ、お待ちどう!」
アリアドネが作るのは串焼きの盛り合わせ――レストランラビュリンスの名物である。
彼女の串焼き料理こそ店の生命線である。
「うーん美味い! 噛めば噛むほど肉汁があふれ出るわ~! さすがはラビュリンスの名物料理だ」
客の一人はラム肉の串にかぶりつき満面の笑みを浮かべている。
「……恐れ入ります」
調理を終えたアリアドネが厨房から姿を現す。頬は上気し額の汗を手拭いで押さえている。
「どうやったらこんなに美味い肉が焼けるんだい?」
ラム串に感動した客は思わず問いかける。
「難しいことはしていません。ただ肉の繊維の隙間に串を通しているだけですよ」
「それができれば誰も苦労してないって」
モノは妻の超人的な調理技術にため息をついた。
「女将さんに何かあったら、この店は終わりだね」
「なっ……馬鹿言うなよ! アリィに万が一なんて起こさせやしねぇよ!」
頼もしい夫の言葉に彼女は赤くなっている頬を更に赤くした。
「――おお……素晴らしい絵だ」
店の奥の壁に描かれた絵の前で驚嘆している老人がいた。食事に来たのだろうがそれどころではなかった。
「こっこの絵は誰が!?」
「ん? 俺の落書きだよ。気にしないでくれ」
モノは照れくさそうに頭を掻いている。
描かれているのは翼を携えた天使。モノクロでありながら立体感があり、天使の羽や服の質感がリアルに描かれ今にも動き出しそうな出来だった。
「落書きだって? だとしたらとんでもない才能だ」
老人は懐から名刺を取り出しつつモノに詰め寄った。
「ワシは画廊を営んでおりましてな。その才能、料理人をさせておくには勿体ない!」
「いや……俺は別に画家になるつもりは」
「どうせ料理人の才能などないでしょう!」
「そ、そんなストレートに言わなくても」
確かにモノに料理の才能はない。だがたとえ事実であっても包み隠さず言われれば傷つくものである。
彼は空いたテーブルに崩れ落ち、それをアリアドネが支えた。
「お店は奥方に任せて、貴方は画家として大成すればよい!」
「……俺の才能を買ってくれるのは嬉しいけどさ、悪いけど俺はあんたの提案には乗れないよ」
モノは手持無沙汰に受け取った名刺をくるくる回す。
「俺さ、昔いろいろあって死にかけてた。その時に助けてくれたのがアリィなんだ」
昔を懐かしむような夫の姿に、アリアドネは当時を思い出したのか恥ずかしそうに俯いた。
「俺に料理の才能が無いのは百も承知さ。それでも、俺は助けてくれたアリィのためにこの店を続けるつもりだ」
「なんと……勿体無い……」
老人は悔しそうに頭を押さえながら突き返された名刺を懐にしまっている。
そんないつもの日常をアリアドネは微笑みながら見つめる。
白黒の世界に彩りを与えてくれた最愛の人、モノ。だが彼女はこの幸せが薄氷の上に成り立っていることを直感的に感じ取っていた。
自分は金をもらって人を殺す始末屋。
彼も人には言えない過去を持っていることを彼女は知っている。初めて出会った日、彼は傷だらけで倒れていた。
何をしていたのか、どうして傷だらけなのか、彼は決して語ろうとはしなかった。
いつの日か、互いの全てを知る日が来るかもしれない。
アリアドネはそんな時が一生来なければいいのに、と思わずにはいられなかった。
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