結成・始末屋チーム
プロローグ 始末屋・集結
暗く濁った水面はあの世への入り口のようだった。
少女は端の欄干に腰かけ眼下の河を見つめる。水面にはぼんやりと満月が浮かび上がっていた。
溺れ死んだ人間の魂は神々の住まう“楽園”にはたどり着けないと言われている。
「……父さま、母さま、姉さま……今、逝きます」
それでも少女は身投げを決意した。
首をくくる勇気も、ナイフで胸を突く度胸もなかった。
このまま河へ身を投げれば、あるいは――
――待ちなさい、お嬢さん。
少女が生唾を飲み、一歩踏み出そうとした瞬間、声が響き渡る。
男性とも女性ともとれる中性的な声。それは反響するように少女の頭の中に響き渡る。
――別に命の尊さを説こうってワケじゃぁない。どうせ死ぬなら、憂いなく死なないかい?
「ッ!」
生気の失せていた少女の瞳に光が戻る。暗い、恨みのこもった光が。
――第三地区の聖堂跡地で祈ると、どんな恨みでも晴らしてくれるそうだ。
少女の脳裏によぎるある噂話。
金さえ積めばどんな悪人でも始末してくれる“始末屋”の話。
――楽園への手土産が恨みじゃつまらないだろう?
自分は死のうというのに、あいつらが――家族を殺し自分を辱めた奴らが私腹を肥やしてのうのうと生きているのは許せない。
少女は身投げを取りやめ、欄干から橋の内側へ戻る。
彼女の足元にはクロユリの花が落ちていた。
カランカランと小さく響く鐘の音。
仕立て屋のカレンは窓枠に止まる伝書鳩を見て大きなため息をついた。
「仕事、か……」
カレンは縫い針を針刺しに突き刺すと仕立て途中の洋服を作業台へ静かに置く。
伝書鳩の持ってきた手紙に書かれているのは人の名前。ハトは1バーミル銀貨を置くとどこかへ飛び去っていく。
無論、それは仕立て屋としての仕事の依頼などではない。
彼女はかけていた伊達の丸眼鏡を外すとクローゼットを開く。中には色とりどりの洋服が――仕立て屋らしく自分でデザインした服がぎっしりと掛けられている。
だが取り出すのは華やかさの欠片もない黒のワンピース。地味ながらも刺繍が施されており若干の洒落っ気が出ている。
彼女は己の“仕事着”に袖を通す。癖のある深緑色のロングヘアはポニーテールにまとめ、腰のベルトに縫い針と糸を通す。編み上げのブーツには
出かける刹那、彼女はドレッサーに映る自分の顔を一瞥する。目つきの悪い浅葱色の瞳、血色の悪い唇、メリハリのない肉体。間違っても男が惚れようのない地味女がそこにいる。
「ケッ……」
自己嫌悪に陥ったカレンは舌打ちしつつ夜の街へ繰り出す。
目指すはマフィア“サルガッソ”の本拠地。
サルガッソはここイーストエンドの南地区を牛耳る裏社会の大組織。大きな港町を有する南地区で薬物や禁制の品の密輸に手を染める、お世辞にも必要悪とは言えない大悪党である。
その本拠地は港を一望できる高台にあった。
カレンは坂を素早く駆け上がり見張りのいない場所を発見、そこから屋敷へ忍び込む。
「――へっへっへ……」
屋敷の2階、バルコニーではサルガッソの長、カープが一人晩酌をしていた。彼の眼下に広がる海にはきれいな満月が輝き、禿げ上がった頭も光り輝いている。
彼は清酒をグラスに注ぐと、月にかざしながらあおる。白いスーツに黒いシャツ、白いネクタイ姿は様になっていたが、濃い眉毛に目力の強い顔はどこか間抜けさを感じさせた。
だが如何に間抜けに見えても決して笑ってはいけない。
こう見えて抗争を勝ち抜きトップの座を勝ち取った武闘派である。
「ふっふっふっ……朧ちゃぁん」
彼は自身の愛刀に頬ずりをしつつ酒を飲む。頬はほんのりと桃色に染まっていた。
「――そんなに旨いのか? アタシにも分けてくれよ」
「あっ!?」
カレンはそんなカープの目の前に降り立つと挑発的に笑いかける。音もなく現れた侵入者にカープは一気に酔いを醒まし愛刀を構える。
殺気が放たれた瞬間、彼女はテーブルを蹴り上げ目くらまし。その影に隠れつつ腰のベルトから垂れる縫い針へ手を伸ばし、薬指と中指で針を挟むとそれをゆっくり引き抜く。黒の糸が静かに垂れていく。
「でぇい!」
カープはテーブルを一刀両断しカープはその裏に隠れるカレンを仕留めにかかる。だが既にそこに彼女はいない。
「いいスーツだな。でも、面が最悪で台無しだな」
「うっ!」
背後に回ったカレンは縫い針を巧みに操りカープのスーツの袖を縫い合わせた。
「ぐ……ぐぬっ……」
カープは糸を引き絞られ思わず刀を取り落としてしまう。彼女はすかさず落ちた刀を蹴り飛ばしそのまま足払いをかけて組み伏せた。
「オーダーメイドの死装束だ。お代はいらねぇよ」
カレンはブーツに仕込んでいた
ペン回しをするようにそれをくるくると回し、カープの首筋に突き刺す。
先端は頸動脈を探り当て、糸を引き出すようにそれを持ち上げ――斬り裂いた。勢いよく血が噴き出し真っ白だったカープのスーツが赤く染まっていく。
「――こっちだ! 急げ!」
スーツを縫い付けた糸を取り外しずらかろうとしたときの事、室内が急に騒がしくなる。
どうやら今宵の仕事は彼女だけが担っているわけではなさそうだった。
「誰だテメエは」
屋敷の見張りをしていた構成員は突如として現れた修道女にメンチを切って威嚇する。
「夜分に失礼いたします」
修道服を着た女性、リリィは捉えどころのない微笑で一礼する。
彫像を思わせる整った目鼻立ち、服から覗く白い肌はきめ細かく筋肉質で引き締まっている。頭巾から覗くブロンドの髪はまるで金糸のようであった。
「今宵はお掃除に参りました」
リリィは微笑みながらも、そのダークブルーの瞳は笑っていない。
静かにその掌を見張りの首筋に添え、力を籠める。透き通った白い肌が露になり二の腕の筋肉が膨れ上がる。
「ひぐっ」
ポキリ、と枯れ枝を折ったような乾いた音が響く。
息絶えた見張りを放り捨てリリィは何事もなかったかのように屋敷へ侵入する。
「あ? 誰だお前」
「へぇ……いい体してんじゃん」
屋敷内で酒盛りをしていた構成員たちは突如として現れた修道女に色めき立つ。
胸ははちきれんばかりに修道服を押し上げ、くびれた腰に思わず触ってみたくなる立派な尻。聖職者にあるまじき魅力的な肉体の彼女に用心棒たちは下衆な欲望を掻き立てられる。
「カシラもスミに置けないな。こんな美女と一夜を明かそ――」
あまりにも魅力的な肉体のせいか、リリィを娼婦と勘違いした構成員の一人は彼女の肩に手を回しその豊満な胸に手を伸ばす。
だがそれは彼の命を縮める行為であった。
「――汚らわしい」
命知らずの構成員はリリィの胸に触れることも敵わず頭蓋を握り砕かれ命を落とす。
「なっ! やりやがったなッ!」
「ぶっ殺せっ!」
修道女が命を脅かす敵であると気づいた構成員たちは各々の武器を構え、下っ端は応援を呼びに屋敷の奥へ駆けていく。
「はぁ……大人しく殺られてはくれませんか」
リリィはため息をつきながら右手をゆっくりと口元へ持っていく。
ボウガンを構えた援軍が到着し構成員たちはリリィへ一斉に襲い掛かる。
「――“ 動 く な ”」
刹那、構成員たちの動きがピタリと止まる。
“
筆舌に尽くしがたい過酷な修行の末に聖職者の言葉は力を持つに至る。彼女の言霊は行動の強制程度しかできないが、より高位の僧は死を命ずることもできるのだ。
動くことを禁じられた構成員たちはリリィの怪力で首を、頭蓋を砕かれ命を落とす。
「後は――」
「ぁ……わ……」
難を逃れた下っ端は青い顔で首を横に振っている。髪は整髪料で固められスーツはだらしなく着こなし、薄く化粧をしているせいか水商売である様にも見える。
軽いノリでサルガッソへ入ったのだろう。甘い言葉で女性を誑かしているだけでいいものを、少し腕っぷしが立っていたせいで調子に乗ってしまったのだろうか。
「た、たすけて……もうしない、出家して神に仕えますから……」
「…………」
命乞いをする下っ端を聖女のような微笑で見つめるリリィ。
紡がれる言葉のなんと軽く、彼女の心には響かない。
「お願い、助け――」
下っ端は眼前に迫る手のひらを見て死を悟った。
「左様でございますか。でしたら神の下で修業なさるといいでしょう」
「――――っ!」
バリバリ、と卵の殻を握りつぶすような音が響き渡った。
「(あ、あぶね~……紙一重だった!)」
サルガッソの幹部、ラックは己の幸運に感謝していた。下戸な彼は飲み会を辞退し自宅へ帰ろうとしていところ、見知らぬ修道女とすれ違う。
違和感を覚えた彼はその後をつけていくと、なんということだろう! 物静かな印象の修道女は暴力の化身であったのだ!
構成員たちをを痛快に始末していく様は、まるで劇を見ているかのようだった。
もし飲み会に参加していれば、残った仕事をしようと残っていれば、自分が死体の一つとなってしまっていたことは言うまでもないだろう。
「ここらが潮時だな……へへ、あれが噂の始末屋か」
ラックは仲間の――いや、たった今元仲間となった者達の冥福を祈りながら屋敷を後にしようと振り向く。
彼に忠誠心など欠片ほどもない。甘い汁を据えなくなれば即座に別の組織へ鞍替え、そして付け届けをすることで地位を手に入れる。吹けば飛ぶ紙切れの様に軽い男だった。
「――お前、サルガッソの幹部だろ?」
「ウッ!」
九死に一生を得て安堵していたラックは驚き身を固める。
黒のソフト帽に三つ揃えのスーツ、腰には刀を挿し手にはランタンを携えている。その姿は王国警邏隊の制服姿、見回り中の警邏官そのものだ。
「(いや、イケるか?)」
警邏官の目はどう見てもお人よしその物。顔立ちは整っているがどちらかと言えば二枚目というよりは三枚目という印象だ。
この男なら上手く言いくるめて逃げることができるかもしれない。
「へへっ……そうさ。でもいいのかい? うちの裏に誰がいるか知らね――」
警邏隊は権力にめっぽう弱い生き物だ。
少し権力者の名をちらつかせればビビッて引き返すはず――そう思っていたラックは腹に走る鈍い痛みに襲われ思わず視線を下に向ける。
「ま……さか」
刃が腹に深く突き刺さっていた。
「……手前だけ逃げれると思ったら大間違いだ」
警邏官、ベルーガの瞳が鋭くなる。お人好しで優し気なまなざしは鳴りを潜め、冷酷な始末屋の顔になっていた。
「神様は、いつでも俺たちを見守ってくださってるそうだぜ」
刀が引き抜かれる。一撃で急所を貫かれたラックの体は崩れ落ちた。
前哨戦を終えたリリィは亡骸の衣服で血をぬぐい取りながらちら、と階段の方を見つめる。
「……助っ人が欲しいと言った覚えはないのですが」
「チッ……」
手すりの影に身を潜めていたカレンは仕事道具の
目つきの悪い瞳は更に鋭く、気の立った猫のようだった。
「堂々とした仕事だな。こっちにまでとばっちりが来たらどう責任取ってくれんだ?」
「そちらこそ。私の仕事を見ておいて、ただで済むとお思いで?」
リリィは修道服の袖をまくりながら拳を固める。ボキボキと指の関節を鳴らしながらカレンを始末しようと睨み付ける。
「――うぃ……スッキリした」
一触即発の雰囲気をぶち壊す呑気な独り言。便所に行っていたことで難を逃れた幹部の一人、レオがすっきりとした顔で戻ってきた。
「あぁ? ……ったく、楽しい飲み会が台無しだぜ」
彼は築き上げられた死体の山と見慣れぬ二人を見てすべてを察したのか臨戦態勢となる。おもむろにスーツのポケットに手を突っ込み、クルミを三個握るとゴリゴリこすり合わせて威嚇した。
「!」
「まだ――!」
新手の登場にカレンは縫い針を掴み、リリィは
だが二人はそれ以上動くことは無かった。
「――?」
それはいつからいたのだろうか?
気が付けば玄関口にいたのは鮮やかな青のイブニングドレスを纏った女性。
艶のある黒のロングヘア、潤んだような黒の瞳は儚さを感じさせる。レースのあしらわれた傘を手にしている姿はさながらパーティの参加者である。
まるで絵画のような美しさで人目を引く女性が堂々と玄関に居たにもかかわらず、気を張っている始末屋二人とマフィアの幹部がその存在に気づかなかった。
「…………」
ドレスの女性は傘の持ち手を握りこみ、ゆっくりと引き抜く。仕込み傘だったようで、中から鋭い錐が姿を現す。
――一陣の風。
錐はレオの心臓を貫いており、その命を奪っていた。彼自身も信じられないような瞳のまま崩れ落ちた。
女性はゆっくりと得物を引き抜き、呆然としている二人の始末屋へ狙いを定める。
だが彼女の首筋に刀があてがわれ動きを封じられた。
「お前、何者だ?」
警邏官の制服姿のベルーガは鋭い眼光のまま女性の首筋に切っ先を押し当てる。
薄皮が貫かれ白い首筋に赤い雫が伝う。
「…………貴方こそ」
女性は自分の命が脅かされているのにも関わらず強気に問い返す。武器を捨てるそぶりすら見せず隙あらば反撃しようとしていた。
場の空気が一気に張り詰める。
誰が先に仕掛けるか、誰が先に命を落とすか、そういった状況に陥っていた。
「――待った待った!」
命知らずにも待ったをかけるは庭師の男。銀灰色の長髪は首元でまとめ、タオルをバンダナの様に巻いている。
彼は枝切狭を担ぎながら玄関ホールに乱入した。
「はぁ……ウィード、お前の差し金か」
庭師の男――ウィードは肩で息をしながら軽薄な笑みを浮かべる。
ベルーガは呆れたようにため息をつくと刀を女性の首筋から外した。
その瞬間を女性は逃さず得物を振りかぶる。
「アリアドネ! その人は敵じゃないよ」
「……?」
ドレスの女性――アリアドネはきょとんとした表情を浮かべる。
「……チッ……そんなにアタシらが信用ならなかったか? 今まで一度もしくじったことなんか無かったろ!?」
カレンは
「信用してるに決まってるじゃないか! カレン、いつも通りの完璧な仕事だったよ」
ウィードは苦笑いしつつ両手でカレンをなだめている。
「どうかしら。あなたの舌は二枚どころか三枚も四枚もありますから」
「待てリリィ」
リリィもまたウィードを殴ろうと拳を構えていたがそれをベルーガに止められる。この二人は元々顔見知りだったようだ。
「助かったよベルーガさん。もう彼女たち血の気が多すぎるよぉ」
ウィードは困ったように笑っているが全くそんな気配はなかった。
「まあこの状況を作ったのは僕だけどね」
「あ?」
逆上しそうになるカレンをウィードは手で制す。
「僕から君達に提案がある」
彼のまなざしは真剣そのもの、冗談を言おうという気配ではなかった。
「これからは始末屋一同、手を取り助け合っていかないか?」
「は?」
「へぇ?」
「?」
「…………」
第三地区の聖堂跡地、そこで祈れば恨みを晴らしてくれる――それが始末屋の噂。
聖堂跡地にやってくる依頼者の頼みを仲介人であるウィードが受け、それを適切な始末屋に依頼し的を始末する。
だからこそ未だに警邏隊も証拠を掴み切れずにいる。
それを組織化するとなれば、捕まるリスクが急激に上がる。誰かが捕まれば芋づる式、それが悪党の常である。
「こいつらと組む? 冗談だろ」
カレンはウィードの提案を鼻で笑うと腰の縫い針に手を伸ばす。
「全員ぶっ殺してくれって望みなら今すぐに叶えてやるけどな」
「まあお行儀の悪い子ですこと」
額に青筋を浮かべたリリィは指の関節を鳴らして威嚇する。
「……?」
唯一、アリアドネだけはポカンとしている。助け合う事の意味がよくわかっていないのだろう。
「ま、各々言いたいことはあるだろうが……そろそろ警邏隊が来る頃だ」
ベルーガは思う所があるのかソフト帽に触れている。その胸中では事件発生の知らせを受けた警邏隊が来ることを気にしていた。
「俺はいくらでも誤魔化せるが、お前らはずらかった方がいいんじゃないか?」
「……そうだね。僕の話、前向きに検討してくれると嬉しいよ。僕だって危ない橋を渡ってるんだ」
ウィードが言い終わるころには既に始末屋たち――カレン、リリィ、アリアドネは姿を消していた。
「お前の言い分はわからなくもない。最近、新聞でもネタにされるほど始末屋の名は知れ渡っている。だが信用できない連中と組まなきゃいけないほど追い詰められちゃいないだろ」
「……そうなってからじゃ、遅いんだよ」
ウィードは悲しそうに目を伏せると枝切狭を担いで姿をくらませた。
「裏稼業の人間が仲良しこよし、か……」
一人残されたベルーガは納刀しソフト帽を押さえながら自嘲する。
「笑えない冗談だな」
屋敷の外からは警笛が鳴り響いている。
通報を受けた警邏隊が向かってきていた。彼はたった今来た風を装って現場を見分し始めるのだった。
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