昼行燈の無能警邏官は裏の世界で一目置かれる始末屋でした

バリー・猫山

前日譚 始末屋・ベルーガ

 妖艶な美女はどうにも得意じゃない。

 夜も更けオイル式のランタンが薄暗く照らす室内。甘い芳香剤の香り。そして一組の男女。何も起こらないはずはなく……


「――あら警邏官様。青い顔してどうしたのかしら?」


 王国警邏隊南第一支部警邏官、ベルーガ・デクティネ。

 警邏隊の制服姿――三つ揃えのスーツにソフト帽、腰には刀を挿し、その姿は様になっている。顔立ちは端正で整っており二枚目ないい男だが、どこか気の抜けた間抜けそうな雰囲気は彼が三枚目な人物であることを物語っていた。


「いえ、ちょっと寒気が」


 ベルーガは甘い雰囲気に流されそうになっていたところを何とか持ちこたえ帽子をかぶり直す。


「そう……どうぞ、おかけになって。暖かいお茶でも飲めば寒気も収まるでしょう」


 部屋の主、ライアはポットに残っていた生ぬるいお茶をティーカップに注ぐとソファーテーブルに置く。ベルーガは腰の刀を外しつつゆっくりとソファに腰かけた。


「ふふ……噂通りの男、ってところかしら?」


 ライアはキセルにタバコを詰めながら妖艶に微笑む。女狐、という言葉が似あう狐顔――瞳は切れ長でまつ毛は長く、ふっくらとした唇は色気を感じさせる。アッシュグレイのショートヘアから覗く耳は形が綺麗で思わず心臓が高鳴ってしまう。

 そして何よりスタイルがいい。

 パンツスーツ姿の彼女からはどことなくエロスがあふれ出し、大胆にも開いた胸元からは綺麗な谷間が覗き、ヒップラインは思わず目線がくぎ付けになってしまうこと間違いなしだろう。


「噂通り、とは?」


 思わずライアを舐めまわすように見つめていた彼は慌てて視線をティーカップに戻した。


「無能でやる気のない昼行燈。会議中の居眠りは日常茶飯事、見回り中はサボって食べ歩き」

「い、いやね。腹が減ってはなんとやら。腹ごしらえも立派な仕事の一つですよ」


 ベルーガは苦し紛れに言い訳するも、居眠りとサボりは事実だから否定できない。


「その上ろくに扱えない癖に刀を装備している“サムライかぶれ”。私も警邏官になってみようかしら」


 ライアはキセルを咥えるとマッチで火をつける。甘い香りとタバコの香りが混ざり合って色気のある臭いを生み出す。


「……昔っから、運だけは人一倍よくて。こう、鉛筆をころころ~と転がしたら、いい感じに筆記試験に合格できまして」

「そう、誰もが貴方を“運だけはある男”と言っていたわ。なぜだかクビや左遷される寸前に手柄を立てて難を逃れる、って」


 紫煙をくゆらせながらライアはベルーガの対面に腰かける。すらりと長い足を組み、彼を挑発するかのように微笑んでいる。


「世渡り上手なのね、貴方。本当は能力があるのにそれを隠してのらりくらり」

「そんな。買いかぶりですよ」


 ベルーガは気の抜けた笑みを浮かべた。

 どうやらライアの情報収集能力は確かなようである。伊達にイーストエンド一番の記者、と呼ばれているだけのことはあった。


「そういう貴女も、噂に違わぬ腹黒いお人だ。私を強請って何をしようというんです?」


 彼女は紫煙をゆっくりと吐き出しながら口を開く。


「私は言葉の刃で悪を裁く。無能で役立たずな警邏隊が裁けない悪を、代わりに裁いてあげてるの」


 カン、とキセルを灰皿に叩きつけ、彼女はジッとベルーガを睨み付ける。


「私にとって情報は何物にも代えがたい財産。金貨なんかよりもよっぽど価値があるのよ」


 ライアはおもむろに立ち上がるとデスクへ向かい、引き出しから革袋を取り出す。


「私が欲しいのは警邏隊の捜査情報。どこでどんな事件がもみ消されたか、どんな悪党がのうのうと生き延びているのか、それを私に教えて欲しいの。もちろん見返りは用意するわ」


 ベルーガはティーカップの横に置かれた革袋を手に取り中身を改める。

 それはずっしりとして重く、中には金貨がぎっしりと詰まっていた。


「100 オーバル入ってるわ。もちろん、それは前金。情報をくれればそれの倍支払うわ」


 彼は金貨を一枚手に取る。そこに彫刻されているのは初代国王の横顔――このイーストエンドを開拓した者達のリーダー格だった男の横顔だ。

 彼が今のイーストエンドを見たら嘆き悲しむことだろう。

 強きが笑い、弱きが虐げられる。

 警邏隊は権力者に忖度し賄賂に負ける。助けを求める庶民の声は聞こえないふりをする。

 自由とは程遠い、腐り切った国に成り下がってしまっているのだ。


「……気に入らないな」


 ベルーガは金貨を革袋に戻すとそれを再びテーブルに置きなおす。

 その顔つきはやる気のない昼行燈とはかけ離れた、聡明で鋭い有能な警邏官に変わっていた。


「お前の書いた記事がきっかけで大勢が苦しんで、中には首くくって死んだやつもいる。今更善人面しようって魂胆が気に食わないな」


 ライアはイーストエンド一番の記者である。

 彼女は自身の手掛けた記事で世論を操作し、時に人を追い詰め自殺に追い込むこともあった。

 その力は絶大で、いつしか彼女の記事は“ライア砲”と呼ばれ市民から恐れられていた。


「今まで散々悪人を見逃しておいて今更正義を振りかざすつもり? 呆れて物も言えないわね」


 彼女の剣幕を受けてもなおベルーガは眉一つ動かしていない。

 警邏隊がろくに悪人を捕まえられない腐った組織であることは今に始まったことではない。それは彼自身、重々承知の上だった。


「苦しんで、死んだ人間がいる? お生憎様。私は事実しか書かない主義なの。ただ悪事に光を照らしてそれを暴いているだけよ! 逆恨みもいいところだわ!」

「逆恨み、ねぇ……」


 ベルーガはため息をつきつつ立ち上がる。

 刀は再び腰に挿し、スーツの襟元を整えた。


「貴方も分かってるんじゃない? この国は正攻法じゃ絶対に変えられない、一生懸命頑張る人ほど馬鹿を見るんだって。だったら一緒に変えましょうよ! 貴方と私ならそれができるわ」


 ライアは胸に手を当ててベルーガに訴えかける。胸にアツい物を秘めながらもそれをくすぶらせて昼行燈に徹している見せかけの無能をたきつける、青臭い言葉だった。


「“悪徳警邏官、金で捜査情報を横流し”……お前が次に書く記事の見出しはこんなところか?」

「っ!」


 だがベルーガはその言葉を一笑に付した。

 ライアは魂胆を見抜かれ思わず息を呑んだ。


「確かにお前は事実しか書いてないんだろう。だが蓋を開ければお前が裏で糸を引いてる捏造記事だったってワケだな」


 ライアは自分の容姿が男を惹きつけることを十分に理解していた。

 言葉巧みに男を騙し、陥れ、それを記事にする。相手がどんなに反論しようと彼女の味方は世論全体である。言葉の刃で殺すのは悪党ではなく騙された一般市民だ。

 ライア砲の正体は巧妙な自作自演によるまがい物だったのだ。


「……ッ……貴方を陥れようとしたことは謝るわ。でもね、悪人を裁きたいのは本心よ。権力で悪事をもみ消す巨悪を裁くには、それ相応の地位が必要だったのよ!」


 必死に言い訳するライアを見てベルーガは微笑んでいる。だがその瞳は――ソフト帽の鍔に隠れた瞳は笑っていない。

 彼女はダメ押しとばかりに抱き着いて涙ながらの上目づかいで泣き落としにかかる。


「お願い、見逃して……私は、私は……ただ、私の正義を……」

「ああ、そうかい」


 ベルーガはやんわりとライアを押し返す。彼女は泣き落としが成功したと内心ほくそ笑んだが、それを顔に出さないように努めた。


「……ところで、さっきあんたが語ってくれたの噂話。あれで全部か?」

「……え?」


 ライアは困惑した。

 無能でやる気のない昼行燈。しかしその仮面は世渡りのための仮の姿、内心はアツい物をくすぶらせている――それが彼女の調べ上げた警邏官、ベルーガの全貌であった。


「イーストエンド一の記者と言っても、案外大したことは無いんだな」


 ベルーガはゆっくりと抜刀し構える。その瞬間、ライアは彼の言わんとしていることを理解した。


「まさか……!」

「お前の言う通り、この国は腐ってる。真面目に頑張ってる奴が馬鹿を見るろくでもない国だよ」


 刀身がランプの光を反射させ妖しく光り輝く。多くの者を魅了した刀の美しさは、その殺傷能力を否応なく想起させた。


「だからこそ、こうやって掃除するのさ。正義だなんだとこねくり回してる悪党をな」

「なっ何よ! 何よ何よッ! 貴方だって正義を振りかざして悪人を殺す“始末屋”じゃないの!」


 ライアは後ずさって逃げようとするも、デスクにぶつかって顔を強張らせる。

 ベルーガは淡々とその距離を詰めていく。

 刀身には恐怖で顔を歪めむせび泣く女が映っていた。


「正義? 冗談はよせよ。俺は金貰って恨みを晴らす、ただの薄汚い人殺しだよ」


 刀の間合に入る。彼は切っ先をライアの喉元に突きつけた。


「待って……見逃して……! なんでも、なんでもするからぁ……!」


 ライアは後ろ手で武器になりそうなものを探すも、デスクの上は綺麗に整頓されているため何もない。彼女は自分の几帳面さを呪った。


「そうかい。だったら――」


 ――一閃。


 刀が振り抜かれ、血しぶきがカーテンに飛び散る。


「お前が陥れた奴に、あの世で詫び入れてきな」


 一太刀で急所を切り裂かれたライアの体が力なく崩れ落ちる。

 ベルーガは血振るいし納刀すると、部屋を後にするのだった。

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