真田昌幸、上田城にて江戸城へと突撃す

真里谷

真田昌幸、上田城にて江戸城へと突撃す

「なんというか、珍妙な感触を覚える面はある。いったい、何度この世界は輪廻しておるのだろうなあ」

「わからん。これは何度目の上田合戦だったか、おぬし、覚えておるか」

「三回目からは、もう数えておらぬ」

「せめて十回目くらいまでは覚えておくべきであろう」

 上田城の雑兵の会話である。時は慶長五年、西暦にして一六〇〇年、かの関ヶ原の戦いが起きる年だ。年号を覚えることにさしたる意味はないとしても、この覚えやすい数字に助けられた読者諸兄も多いのではないだろうか。さらに、歴史に名を残す作家の名作や、日本放送協会が制作した大河ドラマなどによって、数多の逸話とともに強く記憶されることとなった一族がある。真田家である。たとえ数世紀後の團琢磨を知らねども、また同時代の塙直之を耳にしたことがなけれども、真田幸隆、真田昌幸、真田信之、真田信繁、ひいては講談における真田幸村の名は広く轟いたと言えるだろう。真田信綱と真田昌輝もまた、真田氏を知り、また甲斐武田氏の係累を追うならば、避けては通れぬ名前になるはずだ。

 ところが、いつしか彼らは気づいた。というより、しっかり覚えていた。これは前にも経験した歴史であると。微細な違いこそあれ。

 初めは薄ぼんやりとした既視感として、やがて明らかな確信となって、戦国の世がぐるりぐるりと渦を巻いていることを認めざるを得なかった。

 さらにはこの渦を巡るたびに、あたりの様子はおかしくなっていった。初めの頃と比較した相対的な評価としての「変化」であり、当地の人々のあいだでは「以前の歴史ではこのようにはならんかったなあ」という程度に受け止められている。それでも、大枠での歴史が変わることはなかった。それは常に「敗者」の側に立つ人々にとっては、まことに悔しいものであった。

「正直、内府殿が核兵器を使うのは反則だと思う」

「それな」

 この一事に尽きる。

 前回の上田合戦。これは同じ時間軸の第一次上田合戦ではなく、前回の時間軸の第二次上田合戦でのことだが、真田家は「虚数孔」を通じて、四世紀後の主力戦車である「M1エイブラムス」を数十両も手に入れることに成功した。なお、正確にはイラク戦争で運用された改良型の「M1A2エイブラムス」であったが、ともあれ一六〇〇年の戦いにおいて、それは実際に運用された。この「密輸戦車」には「バンクシーエンジン」なるものが搭載されており、どこからともなく無限のエネルギーが湧いてきて、燃料で難渋することはなかった。難渋したのは、稲刈りをしに出ていったところを機銃掃射で追い散らされた徳川方くらいであったろう。

 ところが、その後は徳川家康ご自慢の短距離核ミサイルによる超精密攻撃によって、上田城とその一帯は吹き飛んだ。

「徳川は『人道に対する罪』をもって真田を誅伐したが、これは軍事目標である上田城のみを狙いとしたものであり、決して無差別攻撃ではない」

 のちに宇都宮藩主でもあった老中の本多正純はそう語ったとされるが、もちろん上田城はおろか、ゆくゆくは長野県上田市となる範囲の大部分が強烈な核汚染によって生命の住めない地となった。

 雑兵二人はこの時にまるごと吹き飛んだわけだが、真田昌幸および信繁は次元跳躍による脱出を行っている。しかし、これは「奇跡論的霊性施術」によって南光坊天海に転生した明智光秀の知るところであった。天海は、天の川銀河内において通用する「タキオニック・トライアル」、通称「タキオン審判」の通則を用いることによって、次元跳躍中の真田家郎党を捕捉し、その転移先を九度山に再設定した。かくして、この世界でも真田昌幸は九度山の真田庵にて息を引き取ることになる。

 もちろん、真田の一党は、この長閑な真田庵、ひいては九度山からの脱出を幾度も試みた。だが、入るのは容易でも、出るのは困難な論理迷路が構築されており、「表裏比興の者」たる昌幸でも九層の大迷宮を攻略することは不可能であった。ただ、やがて息子の信繁がこれを突破して大坂の豊臣方に合流するわけだが、これは兄である信之からの支援から論理式の解法を見出し、「表裏比興」直伝の背理法を用いて突破を果たしたものである。こうした活躍がやがて海の向こうへ伝わり、『メイズ・ランナー』という作品になったとも伝わるが、少なくとも前回の世界での話だ。

 他方、このような画期的かつ驚くべき迷路を考案したのは、後世において「播磨の楠木正成」とも称された淡河定範であった。彼は同世界においても羽柴軍に攻撃されて自刃することとなったが、命をかけて張り巡らせた「羽柴封印陣」によって軍団ごと九層の次元牢獄へ捕らえようとしたところ、羽柴秀長が鼻や耳から血を噴き出すほどの計算能力によってこの突破公式を並行構築したため、策は成らなかった。ただ、結果としては羽柴秀長の二千年あった寿命がほとんど尽きてしまい、細胞の完全修復機能を弟の生体機構に依存していた秀吉も慶長三年には他界することとなった。

 これらについては、雑兵二人もよく知っている。徳川の核攻撃によって魂魄の素である「魂子」だけが遊離したわけだが、鮮烈な記憶は温かみを持って魂子へと染み渡っていく。してみると、世界が何度も繰り返しているように思えるのは、この魂子に何らかの変異が起き、人間存在の段階的な変化が起きていることと考えられるが、二人はそこについての興味は湧かない。ほかの個体に任せるのみだ。

 とかく、彼らの興味は「もうすぐ起きるはずの『この世界の第二次上田合戦』は、果たしてどうなるのか」というものだ。結果としては、なんと合戦そのものが起きなかった。

「秀忠のやつ、東海道新幹線を使いおった」

「しかも、『のぞみ』だ。駿河さえも素通りぞ」

「『ぷらっとこだま』を使わず、あれほどの大軍で東海道を移動するとは」

 真田が奇策を使うなら、徳川は正面から解決してみせよう。そんな意志さえも垣間見える力技に、雑兵たちはついぞ感嘆の声を漏らした。越後と並んで精兵と謳われる信州の彼らにこうも言わしめたならば、三河者たちも一言二言の苦言を添えつつも自信を覗かせるだろう。

 これには真田昌幸も苛立ったと見えて、ただちにスマートフォンでどこかへ連絡し、真田信繁のパソコンのICQは「勝った勝った」と地黄八幡北条綱成から直伝のメッセージ通知音で満ち満ちていた。

 そもそも、当時の中山道は東海道以上に主要かつ重要な街道であり、真田家の上田城は無視できない存在であったからこそ、徳川秀忠率いる部隊が家康とは別に信濃へ進撃してくることになったのである。それが、新幹線でスジャータのアイスを食べながら尾張を目指されてはたまったものではない。

 だが、東軍に対して、西軍も負けてはいない。備前宰相と呼ばれた播磨の国主たる宇喜多秀家は、同国の誇る鉄道網をすでに西軍の一大輸送に活用しており、「大陸に蕭何あらば、日ノ本には宇喜多あり」と目利きの京童たちさえも驚かせた。西軍には石田三成を始めとした豊臣家の能吏たち、ひいては大将の毛利輝元を支える内務の雄才が集っており、これらの鉄道輸送は後世の総動員の範となっていくのである。かてて加えて、忠義と武勇を「鎮西一」と称えられた立花宗茂が臨戦。西軍の鉄道網を破壊せんとする京極氏の空軍の戦闘機は、生身でマッハ2を超える速力と高運動性を保持する宗茂によって、次々と撃破されてしまう。

 当然、東軍には世界廻転の早い段階から機動兵器となり、現在では自己再生・自己修復・自己増殖が可能になった本多忠勝がいたものの、彼はもはや東軍はおろか戦国時空の全体の監軍として、容易に出撃できない立場にあった。

 ただ、これまでの東軍の勝利の歴史を崩してはならぬと奮起する京極高次のもとへ、歴史の大河を崩さぬべしとの判断により、イエス・キリストを身に宿したイエズス会の宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノがやってくる。

「これは見ものぞ」

「ついに、南蛮人が来おった」

 簡単な未来視のできる上田の雑兵たちは興奮した。当時はキリシタンとなっていなかった京極高次が「奇跡」を宿せば、生命の神聖性の象徴ともいえる立花宗茂が「剛勇」でもって、これに真っ向から戦いを挑む。関ヶ原の戦いの影に隠れて語られることの少ない「大津城の戦い」が、さながら北欧神話のラグナロクにも似た様相になってきたところで、「ならぬ」との大音声が上田城に響いた。

 これには雑兵たちも未来視を打ち切り、何事かと意識を戻さざるを得ない。代わりに、自らの仕える主、すなわち声を荒らげた真田昌幸を視た。昌幸の前には僧侶が座っている。あろうことか、その僧侶は全身に火をまとっているにもかかわらず、部屋が燃えだす気配がない。それは天正十年、甲斐武田氏が滅びた際に、織田軍によって焼かれた僧侶の快川紹喜のようにも見えたが、同時に高野山金剛峯寺の奥之院でなお修行を続けているとされる空海のようにも見えた。臨済宗と真言宗、まるで異なる立場であるが、少なくとも霊妙な雰囲気を漂わせていることは確かだ。

「真田が関ヶ原に行かねば、どうして源三郎と犬伏で分かれたか」

「かかる状況で真田の関ヶ原行きは、取り返しのつかない破滅を招きまする」

 僧侶は言った。

「ご覧なされ。天に目を持つのです。然らば、視えてきましょうぞ。すでに、新大陸ではスペインのコンキスタドールばらが敗北いたしました。アステカのモクテスマ2世、インカのワスカルやアタワルパはこぞってヨーロッパや北部アフリカへの逆侵攻を行い、大西洋は『神花戦争』によってまったく違う歴史を刻み続けています。南で暮らしていたチャルーア族にもこの動きは伝わり、親欧姿勢のグアラニー族もこうした時代の潮流に違う形で追随しました。他方、新大陸にできた権力の空白は、古きトルテカ帝国の再興へとつながります。ケツァルコアトルの再臨です。結果として、新大陸の北側では多くの部族がテスカトリポカを救い、調和を守るという名目により、大いなる神秘の名を取って『ワカンタンカ連盟』を結集。さらには、ポーランドとリトアニアによるルブリン合同は世界史的成功を修め、ロシア・ツァーリ国とのスモレンスク戦争で完全に打ちのめして支配下におき、返す刀でオスマン帝国軍にも著しい打撃を与えました。他方、三十年戦争においてグスタフ2世アドルフが生きたまま勝者となったスウェーデン王国との対立は避けられず、大北方戦争はポーランド・リトアニアことジェチュポスポリタと、カール12世率いるスウェーデン王国で行われたわけですが、ここに『大帝独立戦争』を仕掛けたロシアのピョートル1世が乱入。熱核兵器にも耐える有翼重騎兵フサリアとて、身長二百メートルを超す魔法巨女ピョートル1世の放つ『ツァーリ・セクシー・ボンバ』によって、次々と美少女にされていきました。これこそ江戸幕府が世界崩壊を防ぐために送り込んだ算聖、関孝和による非常識的尽力の賜物と言えるでしょう」

「待てい」

 昌幸は止めた。

「関孝和は先の歴史において、日ノ本沈没計画を押し止める役割を持っていたはずぞ。徳川に、あの陰謀が止められようか」

「山本常朝が成し遂げました」

「肥前の者か」

「タイ捨流などを修めし山本常朝、まさしく彼の唱える介者剣法によって、神格となってよみがえりしスコータイ朝のラームカムヘーン大王を両断したことは、佐賀鍋島藩の誉れとして語り継がれるべきでしょう。これに力添えをしたのが、かつての唐入り、いわゆる文禄の役と慶長の役の折に此方と戦える朝鮮の僧侶、休静と惟政であったことは、アジアの命運をかけて心を固めた結果と言えましょうな」

「高麗王朝や朝鮮王朝のもとでは、僧侶は七賤のひとつであったと聞くが」

「いくさに貴賤は関係ありますまい。まして、文字通り列島や半島の不沈をかけた大いくさなれば」

「然り」

「ここで問題となるのが、真田なのです。もし、真田がこのまま関ヶ原へ参陣すれば、一族もろともに化学兵器によって討ち死にすることとなります」

「あれが持ち込まれるというのか」

「トキシック・ガスとはよく言ったものですな。安国寺恵瓊が天正十年に死せる土岐頼芸をよみがえらせるとともに、土岐氏、ひいては清和源氏頼光流多田源氏すべてを媒介として超兵器を召喚せしめ、ごく一部を除いて鏖殺してしまうのです。『土岐四苦餓枢』というのはひどい字を当てたものですが、これによって貴君も身罷ることとなりますぞ、安房守どの」

「我らは彼奴の味方ぞ」

「敵味方に何の別がありましょうや」

「確かに」

 昌幸はうなずいた。

「そうするであろうな。最も良い効果が得られるならば」

「とはいえ、徳川家康は生き残るため、幕府は存続するわけです。その後もどうにか危難を避けられますが、ここで真田が死に絶えることの問題は、大坂の陣における経緯の変化ではございませぬ。真田松代藩を興すべき方が亡くなられることなのです」

「源次郎以上に、源三郎の死がいかぬのか」

「数多の語りたき流れは多けれど、ここまで話せば尋常の事態ではないことはおわかりいただけたでしょう。結論を申せば、真田家の関ヶ原参陣は安国寺恵瓊の化学兵器による攻撃、その後の徳川家康による生物兵器による報復攻撃、それらの技術の海外への流出、復活ラームカムヘーン大王の討伐後に起きる大清帝国での黄巣再臨と塩柱事件、ならびに軍神関羽の顕現。最後は袁世凱が自爆し、最低でも太陽系は消滅します」

 よって、と僧侶は続けた。

「名前を出すのも憚られるやんごとなき方々は、仰せられました。真田の六文銭は、関ヶ原にて使うべきにあらず。徳川を破壊すべし。これこそ、世界の拡張に歯止めをかけ、穏やかな収縮を経ての安定へつなげられるのだと。ゆえに、今こそ我が背後をご覧あれば、それが可能なことがおわかりいただけましょう」

「なんと、これは」

「お懐かしく思われますか」

「御旗、楯無。新羅三郎義光公以来の甲斐武田家の家宝が、なぜここに」

「義光公の家宝は、存分たる願いの具現です。有れば有る、無ければ無い。さりとて、有るは無いであり、無いは有るでもある。その義光公こそ弓馬の達人で知られていたとおり、御旗楯無は武勇武勲の象徴でもあります。ですが、永久なる鎮護の都としてつくられし江戸と、それを基礎とする江戸城を撃ち抜き、やがて来る『袁滅』の危機を避けるにはまだ足りない。ゆえに、泰平の余裕なき時のあいだに上田城を『整え』まする。これにより、上田城は江戸城へ自ら吶喊する決戦兵器へ変ずるとともに、『終の終』のあとに『始の始』を新たに書き加えることができましょうぞ。真田こそがシュヴァルツシルト面そのものとなり、事象の地平面として『日ノ本一の兵』になるのです」

 その名が出たとき、近くで話を視ていた者は、全身を閃光が貫いた心地となった。真田信繁、あるいは講談における真田幸村がかくのごとく呼ばれて幾星霜。真田が「江戸時代そのものを破壊することで、すべてを救う」のだという。

「とんでもないことを聞いた」

「聞いてしもうたな」

「聴かせたのですよ」

 雑兵たちが向き合って語り合ったところ、まるで気づかぬうちに僧侶がすぐそばにいた。

「今や真田なくして次元の調律は困難。そのためには、ぜひに人々の気概を見せていただきたい」

 僧侶は言った。そこには高慢や嘲弄は一切なく、ただ強い決意を感じさせる眼差しがあった。

「真田昌幸は張孔堂、由井正雪となる。あなたが丸橋忠弥、あなたが金井半兵衛」

「失敗する騒乱じゃあねえか」

「成否とは、結果のみで語られることではない。まして、『結果』をつくらぬがための戦いとなる」

 そうして、雑兵たちはたちまちに視た。

 上田城が空をゆく。それは偉大な源義光の輝きをまとい、赤色巨星さえも凌駕する大きさの城郭だった。一方で、立ちはだかる江戸城は、上田城よりもさらに勇壮で豪胆な居住まいでありながら、かの明暦の大火の何倍も凄絶な炎に包まれるまじないが「九層仕立ての論理迷路」によって浴びせられており、絶対無比の結界が弱まっているように思えた。

 真田の六文銭が、徳川の徳川葵へ突き進んでいく。さながら遠い遠い世界の大坂夏の陣において、真田隊が家康の本陣へ迫るかのような光景が、数え切れぬ命を背負った戦いとして再び現出するのだ。

「いったい、この世界はまだ輪廻を続けてくれるのだろうかなあ」

「わからぬ。だが、面白そうだ」

 二人の雑兵はそう決めて、僧侶に笑いかけた。廻るべき輪そのものが砕け散り、解脱の機会さえも摩滅するのを防ぐための戦いに身を投じられるのは、生命の本懐であるように思えた。何より、「ふるさとの危機一髪を救いし英雄」になれるならば、温かい食事以上に喜ばしく感じられたのだ。

 こうして、上田城は江戸城に突撃することとなったのである。

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真田昌幸、上田城にて江戸城へと突撃す 真里谷 @mariyatsu2022

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