後編

 一方、アレックスとジスランは、中庭でのんびりと噴水の縁に腰かけていた。


「それで、ルシア嬢について何かわかったか?」

「ええ。影に探らせたところ、日常的に暴力を受けているようですね」


 時戻しの魔法を使ったとしても、『戻った時点から成長が始まる』とルシアは言っていた。


「つまり、十歳で時が止まったままなのは、成長する機会も与えられないほど巻き戻したせいか。何より、あの程度の褒め言葉で泣いてしまうとは……」


 アレックスは腹から沸き上がる激情を逃すようにぶるりと震え、口角が上がるのを抑えきれずに、口もとを片手で覆った。


「なぁ、ジスラン。一度に八年分戻したら、どうなると思う?」

「殿下……、せっかく悪評の届いていない国を選んで留学したのに」

「そなたも興味があるのではないか?」

「……否定はしません」


 薄らと笑みを浮かべたふたりの目に、十歳の子どもが飛び込んで来た。


「ハァ……ハァ……、で、殿下」

「ルシア嬢、どうした?」

「わ、わたくし……、十八歳に戻りたいです!」


 アレックスとジスランは丸くなった目を見合わせ、笑みを深くした。


「承知した。ただし、私のやり方に従ってもらいたい。それでもいいかな?」

「は、はい!」

「では明日、そなたの家に伺おう」

「ありがとうございます!」


 ◆


 翌日、アレックス王子から先触れを受けたプライオル家はひっくり返った。継母やジェイミーはもちろん、父までも身なりを整え、メイドたちに向かって唾を飛ばす。


「ホコリひとつないように磨きあげろ!!」

「「はいっ!!」」


 もちろんルシアもメイド服で参加させられている。この姿で王子を迎えるなど無礼ではあるが、どうやっても聞き入れてはもらえなかったのだ。


「隣国の王子が、落ちこぼれに会いに来るわけがないでしょう?」

「アレックス様はあたしに会いに来るのよ!」

「ルシア、掃除が終わったのなら部屋に引っ込んでいろ!」


「――それは困るな」


 割って入った男性の声に皆が振り返る。

 玄関口にはアレックスとジスランが立っていた。

 父が揉み手で近づく。


「これはアレックス王子殿下。お見苦しいところを……ささ、こちらへ。心ばかりのおもてなしですが――」

「ありがたい申し出だが、今日はルシア嬢と約束をしていてね」

「ルシアと……?」

「プライオル男爵、空き部屋があればお借りしたいのだが……いや、待てよ。この玄関ホールでも十分いけるか。物が少ないほうがいい」


 独り言のようにつぶやき、アレックスはルシアに顔を向けた。


「ルシア嬢、大きめのドレスに着替えておいで」

「は、はいっ」


 急いで屋根裏部屋に戻ったルシアは、母のドレスを身にまとう。靴は履かなかった。ドレスの裾をたくし上げ、玄関ホールへと向かう。


 階段を降りながらも、描かれた魔法陣に目がいってしまう。まるで牡丹の花をレースで編んだかのように美しい。

 少しこわいと思ってしまうのは、四方に立つ近衛騎士のせいか、それとも魔法陣が放つ冷たい光のせいだろうか。


 父やジェイミーたちは壁際に追いやられ、目を白黒させている。


「来たね、ルシア嬢。この中心に立ってくれるかな?」


 返事の代わりに喉を鳴らしてしまう。アレックスは苦笑しながらもルシアの手を引き、魔法陣の中心へ導いていく。

 父が魔法陣へ近づくと、近衛騎士から無言で威圧を受けた。


「ぐっ。おそれながら、殿下。何をはじめるおつもりで?」

「ルシア嬢がやっと成長する決心をつけたんだ。私はそのお手伝いをしようと思ってね」

「成長……?」


 首を捻った父が、次の瞬間に息を飲んだ。魔法を解くつもりだとわかったのだろう。途端に焦りはじめた。


「そういうことでしたら、殿下のお手をわずらわせるわけには」

「気にしなくていい。私も興味がある」

「しかし、これは我が家の問題ですから」

「そうだろうね。この家でどんな扱いを受けてきたのか、魔法を解けば嫌というほど目にすることだろう」


 アレックスの言葉に、父だけでなく継母やジェイミーも顔を引きつらせた。


「そうそう、女性にはつらい光景になる。そちらのふたりは別室に移るといい」

「え……ええ、そうさせていただきますわ! 行くわよジェイミー」


 継母とジェイミーが逃げるように応接室へ入ったのを確認し、アレックスはルシアへ向きなおる。


「さぁ、はじめよう」


 ルシアは覚悟を決め、祈るように手を組んだ。呪文を唱えるアレックスの声が、おそろしいものに聞こえてしまう。いつもの朗らかさは鳴りをひそめ、ひどく冷たく、硬質に感じられた。不安が鼓動を早めていく。


「準備は整った。ルシア嬢、魔法を解くんだ」


 ――もう逃げられない。だけどこわい。


「ルシア、大丈夫だ。私を信じてくれ。何も痛いことはないよ」


 ――そうだ。アレックスを信じなければ、何を信じられるというのか。


 ルシアは体の中にある魔法の時計を、思い切って解放した。時計の針がものすごい速さで時をきざんでいく。体がメキメキと音を立てるが、ルシアに痛みはやって来ない。


 そんななか、父が突然よろめいた。赤くなった頬を押さえながら慌てたように応接室へ駆け寄るも、近衛騎士に行く手を阻まれていた。何かをわめいているが、ルシアには聞こえない。


 時を戻すのとは違い、魔法を解くのにそう時間はかからなかった。ルシアの目線が高く感じられる。椅子の上にでも立っているかのようだ。

 伸ばした腕は長く感じられ、胸の辺りが少しきつい。俯くと同時に流れ落ちた髪色は、赤毛を薄めたような薄紅色をしていた。


「おっと、これは……」


 ニヤつくジスランの視線をたどると、アレックスが目を見ひらいて呆然としている。それもルシアと目が合うなり顔をそむけられた。心なしか耳が赤い。



「――殿下!! これはどういうことですか⁉」


 先ほど入室を許された父が、応接室から飛び出して来た。その顔は赤黒く、左頬に殴打したような痕がある。その後ろから、継母とジェイミーが青ざめた顔を覗かせた。ふたりとも疲れ切った様子で小刻みに震えている。


 アレックスは舌打ちでもするかのように顔をしかめた。


「時戻しの魔法を使ったのか。失念していた。次は封じる手立てが必要だな」


 父の顔はさらに歪み、剣呑けんのんな雰囲気が増す。王子に対して睨みつけるなどあまりに不敬だ。ルシアは父の姿を隠すようにアレックスへ歩み寄った。


「殿下、助けていただき感謝の念にえません。どうお返しすればよいのやら……」

「……そなた、私がおそろしくないのか?」


 バツの悪そうな顔で聞かれ、ルシアは目を丸くする。


「おそろしいなどと、思うわけがございません。何かお礼を……」

「礼には及ばない。こちらも新しい魔術を編み出せたからな。改良が必要だが」

「あの……、どういったものだったのでしょうか?」

「そなたは……知らないほうがいい」


 そう言ってアレックスは、父に何事かを耳打ちすると、達成感にあふれる顔をして帰って行った。


 それからというもの、継母とジェイミーから暴力を振るわれることがなくなった。相変わらず口は悪いけれど。


 学園にも変化が訪れた。

 ルシアを虐めていた者たちが、いっせいに休みを取ったのだ。


 なかでも公爵令嬢マーゴットは、休学を理由に婚約者から婚約破棄を告げられたらしい。残り五日程度なら卒業は認められるはず。それでも婚約を破棄されるとは、世間体を気にする貴族は大変だ。


 ルシアは、寛容な自分の婚約者に感謝した。


 約束どおり十八歳になった姿を見てもらいたい。セザールの教室をノックしようとしたところ、近くの窓があいており、男子生徒たちの声が聞こえてきた。


「セザール殿下の婚約者、十八歳の姿に戻ったらしいですね」

「ああ、やっとか」

「オレ、ちらっと見ましたけど、すごい美人でしたよ! ジェイミー嬢とどっちがタイプですか?」

「……そんなもの、ルシアに決まっているだろう?」


 気まずい思いをしながらも、ルシアの気持ちは昂ぶった。頬に血が集まっていく。しかし、次の言葉に頭の中が真っ白になった。


「ルシアには伯爵家の血が入っているのだから。そうでなければ相手にするものか」



 そこからどうやって家に帰ったかは覚えていない。セザールに会わないよう身をひそめ、卒業式を迎えた。

 パーティーには出るまいと思っていたのに、とうとうセザールに捕まってしまった。


「ああ、なんて美しい! ルシア、想像以上だよ。ドレスはすぐに用意させる。君をエスコートできてうれしいよ」

「……ありがとう、ございます」


 うれしいはずの言葉が耳から滑り落ちていく。


 卒業パーティーの会場では、国王と王妃を壇上に迎え、なぜか御前にプライオル一家いっかがそろっていた。まるでルシアの登場を待ち構えていたかのようだ。目の前にはふたつの花瓶が並び、しおれた花が生けられている。


 国王が手を上げると、場が静まり返った。


「セザールの婚約者はルシア嬢に決めていたが、その能力を疑う声がある。この場でそれをはっきりさせよう」


 皆が注視するなか、ルシアとジェイミーはそれぞれの花瓶へ向かう。


 ひとつ深呼吸してルシアが手をかざすと、茶色からピンク色に花が色づき、みずみずしさを取り戻す気配を感じた。途端におそろしくなって、花から手を離す。

 隣では、ジェイミーが見事に花をよみがえらせ、皆の注目を集めていた。


「ジェイミー嬢は力を示した。ルシア嬢、そなたはどうだ?」


 国王の言葉にセザールが焦りを見せる。


「ルシア、がんばってくれ! 僕と結婚したいだろう?」


 ――自分はセザールと結婚したいのだろうか?  正直わからない。

 ふたたび花に向かったものの、セザールとの未来を考えると、ルシアの手はのろのろと落ちていった。


「わたくしには……できません」

「ルシア⁉」


 セザールの顔が色をなくしている。ルシアの隣に立つジェイミーは勝ち誇ったように口の端を上げた。勝敗は決したとばかりに、父プライオル男爵が進み出る。


「陛下、我が娘はジェイミーだけでございます。このような落ちこぼれは一族の恥。この場で勘当いたします!」

「――え? お父様⁉」


 唯一、血のつながった父親が、娘を捨てるというのか。

 国王も王妃も、時戻しの魔法が使えなければ用はない。「そうか」と軽く頷いて了承した。


「セザールの結婚相手はジェイミー嬢とする! 勘当され、平民となった者はこの場に相応しくない。つまみ出せ」

「そ、そんな……」


 戸惑うのはルシアだけ。

 騎士に腕をつかまれたとき、凛とした声が響いた。


「つまみ出す必要はない。私が連れて行こう」


 ルシアの前にあらわれたのは、正装に身を包んだアレックス王子だった。


「ルシア、どうか私の手を取ってほしい」


 差し出された手に胸が高鳴る。呼び捨てにされるのも心地よかった。

 頷いて手を乗せようとした刹那、後ろから声があがった。


「――ま、待て!!」


 引き止めた声に振り返れば、セザールが剣呑な表情で立っていた。


「ルシア、ついて行ってはいけない。その男は悪魔だ」

「――え?」

「なぜ卒業を目前に休学者が二十名も出たと思う? 全員、ルシアが大人の姿に戻ると同時にだ」


 それはルシアも不思議に思っていた。チラリとアレックスを仰ぐと目をそらされた。ルシアの瞳が揺れるのを見て、セザールがたたみかける。


「アレックス王子は祖国で『悪魔』と呼ばれている。残酷な魔術を平気でもちいる。今回もあくどい魔術を使い、ルシアが受けた暴行を、周囲に撒き散らしたのではないか?」


 ルシアは息を飲んだ。父の顔に浮かんだ殴打の痕は、以前ルシアが受けたものに思える。それにジェイミーたちが暴力を振るわなくなった。また返されるのをおそれたのではないか。


 アレックスの手が離れていく。


「ああ、そうだ。しかしセザール王子、ルシア嬢が暴力を受けていたことを知っていたのだな?」

「……気づかない振りをするのも優しさだろう?」

「物は言いようだな。では悪魔らしく、とても残酷な魔術を披露するとしよう」

「なっ、何をするつもりだ⁉」


 アレックスが指をパチンと鳴らすと、それだけで床に大きな魔法陣があらわれた。

 慌てた国王が声を荒らげる。


「賓客とて許されるものか! アレックス王子を捕らえよ!!」

「この魔術はな、魔法を無力化させるんだ。仕込むのに一晩かかったよ」


 もう一度アレックスが指を鳴らすと、魔法陣が光を放ち、一部から悲鳴があがった。


「あああ⁉ そんな、やめてくれ――!!」

「やだぁ⁉ なにこれっ⁉ 魔法の時計が勝手に――、ぃぎゃあああぁぁ!!」


 光が収まり目をあけると、ジェイミーと継母が血塗れの状態で倒れていた。

 父も一気に年を取り、四十歳相応の姿に。


 「父上⁉ 母上⁉」


 セザールの声に壇上を見れば、シワシワの皮膚が垂れた小さな人間が、重たそうな服に包まれている。魔法契約でつないできた時戻しの魔法がすべて解けたのだ。


「これが正しいあり方だ。ああ、言っておくが、今回の依頼主はそなたらの息子である王太子からだ。不老など気味の悪いことはやめるんだな」

「兄上が? なんてことを……」


 頭を抱えたセザールが、ふいに動きを止めた。


「いや、これでルシアとの結婚を邪魔する者はいなくなったのか。――ルシア! 国を出て行く必要はないよ。ぼくと結婚しよう!」


 両手を広げて近づいて来るセザールから、ルシアはジリジリと距離を取る。


「ルシア? 喜んでくれないの? ……まさか、その悪魔を選んだりしないだろう?」


 ルシアが振り返ると、アレックスは不敵な笑みを浮かべ、あざけるような声で言った。


「ルシア嬢、私のことがおそろしくなったか?」


 けれどルシアには、傷ついた人が被った仮面にしか思えなかった。

 敬称が復活したことを寂しく思いながらも、ルシアは首を振る。


「いいえ、アレックス殿下。わたくしは、本当におそろしい人間を知っておりますから。わたくしを連れて行ってくださいますか?」


 言い終わった途端、頭上にあった豪華なシャンデリアが正面に見えた。その横にはアレックスの顔。眩しそうに細められた黒真珠の瞳に魅せられ、横抱きにされていることに遅れて気づいた。


「で、殿下⁉」

「アレックスと呼んでくれ。ルシア、時戻しの魔法を使う暇もないほど、ドロドロに甘やかしてやろう」

「ひえぇ⁉」


 ルシアの情けない声は、アレックスとジスランの笑い声に溶けていった。

 魔術オタクの王子と、勉強熱心なルシア。このふたりによって『時空間魔法』が完成し、隣国は目を見張る発展を遂げることになるのだった。



~La Fin~

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【短編】時戻し一族の落ちこぼれ 夜高叶夜 @yodakakyoya

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