【短編】時戻し一族の落ちこぼれ

夜高叶夜

前編

 月に一度だけ、婚約者に会える。

 その日だけはルシアもきれいに身支度を整え、令嬢らしい服を着せてもらえる。父譲りの赤毛を結い上げ、母に似たアメジストの瞳をくっきりと際立たせる。


 手荒れや切り傷、痣などは見つからないよう、自分自身のおく。


 応接室へ降りると、いつものように異母妹のジェイミーが、ルシアの婚約者であるセザール王子の相手をしていた。

 なにせ、王子が到着してから身支度がはじまるものだから、いつもお待たせしてしまう。早めに準備したくとも、継母のメイジーがそうはさせてくれない。


「セザール殿下、大変お待たせいたしました」

「ああ、ルシア。今日も可愛らしいね」


 そんな言葉をかけられ、赤くなった顔を伏せて唇を噛んだ。

 セザールの隣から、ジェイミーが嘲笑ちょうしょうをもらす。


「ほ~んと、お姉様ったら、いつまで経っても子どもで恥ずかしいわぁ」


 十歳のときに母を亡くし、ジェイミーたちはその一週間後にやって来た。それからずっと、継母と異母妹から受けた傷をセザールに悟られないよう、時を戻して八年が経つ。

 何度も時を戻したため、ルシアは十歳の体から成長できずにいた。実際は十八歳のジェイミーと五日しか変わらない。


 セザールがおもむろに席を立った。


「ルシア、少し話がしたい。庭に出ないか?」

「……はい」


 見栄だけで造り上げた庭園は、赤い薔薇が見ごろを迎えている。といっても、ジェイミーが時戻しの魔法をかけているため、冬でも薔薇だけは常に咲き誇っているという、異様な光景だ。


 庭先のテラスでは、ジェイミーが爪を噛みながら行ったり来たり。それを知ってか、セザールはルシアとの距離を詰め、耳もとに顔を寄せた。


「ルシア。僕は君と結婚したいと思っている。だけど、このままではダメなんだ。わかるよね?」

「はい、殿下……」


 我が男爵家が王子を婚約者に持てたのは、我が一族が『時戻しの魔法』を使い、王と王妃の若さを保っているからだ。


 能力が弱まらないようにと、王家は父にも魔力の高い伯爵令嬢をあてがった。それがルシアの母ローラだ。しかし、父は恋人のメイジーをあきらめきれず、別宅に囲って愛を育んだ。そして生まれたのが、時戻しの魔法を難なく使えるジェイミーだった。


「君の妹が時戻しの魔法を使えるようになってから、母上は婚約者を変えるべきではないかと言い出したんだ」

「……申し訳ございません」


 父も妹も、自分の人や物に対して時戻しの魔法を使えるが、自分には使えない。かけてもらうことはできるので、ジェイミーが父と継母の若さを保っている。

 ルシアは逆に、しか魔法が使えなかった。利己的で役立たずと言われても仕方がない。


 それに王族の時を戻せないのなら、まったくもって意味がない。祖父の代から与えられた男爵位は、役立たずとなればすぐにでも剥奪されるだろう。父はそれを危惧している。


「謝罪の言葉がほしいわけじゃないんだ。ルシア、君ならできると信じている。僕のためにも、他者に対して魔法が使えるようになってほしい」

「はい……殿下」


 セザールは十三番目の王子で、与えられる爵位も領地もない。よって、我がプライオル男爵家に婿入りすることは決定事項だ。あとは結婚相手がルシアになるか、ジェイミーになるかというだけ。


(殿下は私を望んでくださった。がんばらなくちゃ)


 タイムリミットは学園を卒業するまで。あとひと月もない。学園の図書館はすべてあたったから、明日の休みは国立図書館へ行ってみよう。


 決意もあらたに図書館へ出かけようとした次の日、継母とジェイミーが立ちはだかった。


「掃除もせずにどこへ行くというの?」

「そうよ、お姉様。あたしの宿題がまだ終わってないわ!」

「戻ったらすぐにやりますから」

「まぁ、口答えするなんて」

「生意気なお姉様。そのうえ傲慢よねぇ。自分の時だけしか戻さないんだから」


 戻さないんじゃない。戻せないのだ。他者に対して使えるものなら使っている。ルシアは枯れゆく花の時を戻すことすらできない。


「そ、その原因を……図書館で調べようと」


 ふたりの顔から笑みが消え、ルシアは失言を悟った。ふたりともルシアが一端いっぱしに魔法を使えるようになることなど望んではいない。落ちこぼれであることは、ルシアにとって命綱ともいえるのだ。


 セザールに会った翌日は特にひどい折檻せっかんが待っている。自身の能力について調べるどころではなかった。


 ◆


 学園でも落ち着くことはできない。十歳の見た目で十八歳のクラスに通えば、毎日のように嫌みを言われ、嫌がらせを受けた。


 入学した当初、公爵令嬢から『わたくしにも若返りの魔法をかけなさい』と言われ、『できないんです』と素直に告げたときからはじまった。

 嘘つきだと罵倒されるのはまだいい。物に当たられるのは結構困る。でも一番つらいのは、痛い思いをすることだ。


 人気ひとけのない放課後に、ひとりになるべきではなかった。


「ごきげんよう、ルシア」

「ご、ごきげんよう、ブローク公爵令嬢様」

「あら、『マーゴットと呼んで』と言ったはずよ?」


 たしかに言われた。オウム返しに『マーゴット様』とつぶやいた直後、噴水に落とされたのは先月の頭だったか。あのときは風邪を引いたくらいで済んだが、今いる場所は非常にまずい。ルシアのすぐ後ろは階段で、ちょうど上り切ったところだった。


 ジリジリと脇へ寄れば、取り巻きが行く手を阻む。黙ったまま頭を下げ続けていると、愉悦の滲む三日月の双眸そうぼうが、ルシアの顔をのぞき込んだ。


「あなたって便利よねぇ。何をしても、なかったこと・・・・・・にできるんだからぁ」

「――え?」


 ルシアが聞き返すのと、マーゴットが突き飛ばしたのは、ほぼ同時だった。

 強く押された体は宙に浮かび、やけにゆっくり時が進む。マーゴットたちの顔が快楽にゆがむさまを見ながら、背中から階段下に叩きつけられた。


 口をハクハクとひらいても息ができない。マーゴットたちの笑い声を遠くに感じる。遅れて走る痛み。じんわりと背骨が濡れるような冷たい感覚。

 動かなくなりつつある体におそれを抱き、ルシアは自身に時戻しの魔法をかけた。衝撃を受ける前の状態まで十秒足らず。それを戻すのにかかる時間は二秒ほどだ。


「おい! 大丈夫か⁉」


 突然、階下から男の声がして、マーゴットたちが慌てて逃げていく。

 身を起こしたルシアは、大きく深呼吸をする。

 けれど、いつものようなすまし顔を作ることができず、顔を伏せた。


「……大丈夫です」

「すごい音がしたぞ? 怪我はないのか?」


 めずらしく食い下がってくる男子生徒だ。制服のタイからして同学年。まだ自分を心配してくれる人がいたことにおどろき、顔を上げる。


「あ……、アレックス王子殿下」


 隣国からの留学生アレックス王子だった。その後ろには側近としてついて来た公爵令息のジスランもいる。


 すぐに壁際へ寄って頭を下げると、アレックスはルシアの体を探るように手をかざす。手から流れてくる暖かい空気があまりに心地よく、甘んじてボーッと受けていたが、治癒魔法だと気づいて壁に貼りついた。


「で、殿下! わたくしなどにおそれ多いですわ!」

「何を言っている。痛いところはないのか? 言わなければ全身にかけるぞ」

「ご、ございません! わたくしは……その、自分に対してなら、時戻しの魔法が使えますので」


 ――すべて、なかったことにできる。

 誰も彼も躊躇ちゅうちょなく傷つけてくるのは、ストレスのはけ口として利用されていたからだ。


「ああ、そなたが時戻し一族の。本当に十歳で時が止まっているのだな? だが、いつまでも成長を止めておくのは、支障があるのではないか?」

「っ……」


 ルシアは何も答えられなかった。もし魔法を解けば、なかったことにしてきたことになる。痛みから逃げまわったツケは八年分もふくらんでおり、もう手を出せる段階ではない。考えるだけでゾッとする。


「そなた、名は?」

「プライオル男爵が長女、ルシアと申します」

「ルシア嬢、私が留学した目的は、未知の魔法について見聞を広めることだ。どうか協力してはくれまいか」


 ルシアは両手を交差させながら、「とんでもない」と首を横に振った。


「わたくしは一族の落ちこぼれでして! 自分の時しか戻せず……」

「自分の時を戻せるだけでも、すごいことだと思うぞ?」

「え……?」


 ルシアの能力が開花したのは、皮肉にも継母や異母妹にしいたげられたおかげだ。ムチで叩かれ、顔に爪を立てられた。あのときは痛みからのがれるのに必死だった。


 能力が開花しても、自分にしか使えない力を喜んでくれる者などいなかった。傲慢だとなじられ、役立たずの落ちこぼれとしか言われたことがない。肯定的な言葉を受けたのはこれがはじめてだった。


「おわっ⁉ お、おい、なぜ泣く⁉」

「あ~あ、殿下。やらかしましたねぇ」

「ど、どうすればいいのだ⁉ ジスラン⁉」

「責任を取るしかありませんよねぇ」


 アレックスとジスランがおかしな方向へ話を進ませている。口を挟もうにも嗚咽おえつがとまらなかった。

 嬉しいはずなのに、こぼれ落ちる水滴は止まってくれない。やっと捻り出した言葉は、ふたりをあきれさせるものだった。


「これ……どうやったら、止まるのでしょうか?」

「それは私が聞きたいのだが……、まぁ、あれだ。人間の体は不要なものを排泄するようにできている。その涙はきっと流すべきものなのだろう。そう考えれば、出し切ったほうがいいかもしれないな」


 アレックスはひとり納得したように頷き、ハンカチを差し出した。好意を受け取りたいのに怖じ気づいてしまう。


「わ、わたくしなんかに……」

「いいから使え」

「わぷっ」


 強制的に頬を押さえられたが、自分でもしないような優しい手つきだった。手触りのよい布地に涙が吸収されていく。

 ところがジスランは、げんなりした顔で苦言をていした。


「殿下、レディに対してそのように手荒な真似を……。だからモテないんですよ?」

「モテなくて結構だ! 私は魔法の研究にしか興味がない」


 アレックスがモテないなんて嘘だ。いつも女子生徒たちの目を奪っている。艶のある漆黒の髪。整った顔立ち。何より黒真珠のような瞳は、目が合っただけで吸い込まれそうだ。


 ジスランも甘いマスクで魅了している。フワフワの金髪に碧い瞳。天使のようだと女子が騒いでいたが、近くで見てそのとおりだと思った。


 先ほどからふたりは、ルシアの気を紛らわせようとしているのだろう。


「ありがとう、ございます」

「うむ。存分に泣け」


 そう言われると笑ってしまう。アレックスもジスランも、口もとを緩ませながら涙が止まるまでずっとそばにいてくれた。



「よし、止まったな。ところでルシア嬢、本来の姿に戻る気はないのか?」

「……戻りたいとは、思っています」

「訳を話してもらえないだろうか?」

「その……八年分のツケが、ありまして」


 ルシアは言葉を選び、怪我をするたびに時を戻したせいで、魔法を解けばあらゆる怪我が一気に襲ってくることを話した。イジメを受けたことは恥ずかしくて言えない。


「なるほど。治癒魔法を受けながらではどうだろうか?」

「――え?」

「私が手を貸そう。先ほども言ったが、私は未知の魔法に目がない」


 差し出された手をジッと見つめる。躊躇してしまうのは、相手が王子であることと、ルシアにとってあまりに都合が良すぎるからだ。


「あ、あの……お時間をいただいても?」

「もちろんだ。よく考えてくれ」

「ありがとうございます」



 この日を境に、アレックスたちから話しかけられるようになった。自分自身にしか魔法がかけられない原因を、一緒になって探してくれている。

 おかげで大怪我をするようなイジメはなくなったが、小さなイジメは増えた気がする。ルシアとしては、痛い思いさえしなければいい。


 しかし、セザールに呼び出されて、自分の甘さを思い知った。


「ルシア、君まで品位を落とすようなことはやめてくれ! 本来ならば男爵令嬢が王子の婚約者になることはない。ましてや、隣国の王子と結ばれることなど決してないんだ!」

「――え?」


 ルシアは耳を疑った。隣国の王子に懸想けそうしていると思われるなど、考えもしなかった。ルシアが弁明をする前に、セザールがあきれた顔をして言い放つ。


「君は考えまで子どもになってしまったのか? 頼むから大人になってくれ」

「わ、わたくしは――」

「――そうだ。今すぐ魔法を解けばいい。十八歳の君に戻れば、正気を取り戻すはずだ。そうだろう?」

「っ……そ、それは」


 突然あらわれた死の足音が鼓動と重なった。

 恐怖に声が震える。


「い、いきなり十八歳は……」

「あ……そうか、成長するということは、服の問題もあるね。すまない、失念していた」


 口もとを押さえ、セザールの頬がふんわりと桃色に染まる。

 ルシアは内心でホッと息をつく。けれど、セザールはあきらめていなかった。


「じゃあ明日……は休みだから、休み明けを楽しみにしているよ」

「え? い、一日では……」

「かわいらしい君のことだ。きっと美人になるだろうね」


 ご機嫌な様子で手を振りながら、セザールは廊下の向こう側へ消えて行った。

 すがるように上げた手をのろのろと下ろす。


「もう、やるしかないわ……」


 八年分を一日で。アレックスは手伝ってくれるだろうか。

 ルシアはアレックスを探して校内中を駆けずりまわった。

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