案ずるより産むが難し

恵喜どうこ

第1話 案ずるより産むが難し

 子供を産む、特に初産の場合、その不安は計り知れないものある。

 かくいう私も、一人目である息子の出産のときは二人目の娘のときよりもはるかに不安が強かった。


 無事に生まれてきてくれるだろうか。

 五体満足、健康に生まれてきてくれるだろうか。

 きちんと育てられるだろうか。

 愛犬のひなちゃんと仲良くできるだろうか。

 母乳は出るだろうか。

 ちゃんと自然に産めるだろうか。


 などなど、本当にいろいろ悩みまくる。


 実際、息子は予定日を過ぎてもなかなか生まれてきてくれなかったし、出産ひと月前には逆子の状態だということも判明していた。


 逆子だと自然分娩では難しいから帝王切開になると言われたときには必死に逆子体操をしたし、早く生まれてきてほしいからと雑巾がけもがんばった。


 おかげで逆子は解消し、正位置に戻り一安心。

 出産日も予定より一週間程度ぐらいの遅れで済んだ。


 わけなのだけど。


 陣痛がやってきたその日の朝、叔父が亡くなったという訃報が届き、家族はみな、県外の叔父の通夜に行くことになってしまった。

 夫(このときはまだ結婚していた)は県外で仕事をしているため、病院には駆けつけられない。


 つまり、私はひとりで出産という人生最大の出来事に立ち向かわねばならない状況になった。


 ただ、これは私にとってはまだまだ危機とは言えない。

 不安は大きかったけれど、病院へ行けば済むことだ。


 ひとりでもがんばって産もう!


 そう思って、二キロほどの病院までの道のりをとぼとぼ歩いて向かった私。


 自然分娩ということで、腸の中をきれいにする浣腸のつらさと押し寄せる陣痛の痛みに必死に耐える時間のなんと長いことだったろう。

 看護師さんに応援されながら、痛むお腹をさすりさすり、とにかく大きな陣痛がやってくることを祈るばかり。


 陣痛促進剤を打たれてもなかなか進まない陣痛。

 初産の苦しみはまさにここにある。


 痛い痛い痛い痛い。

 早く生みたい。

 楽になりたい。

 まだ出てきたくないの?

 ねえ、もうそろそろいいじゃない!


 そんなふうに思っていた気がする。


 そうこうしているうちに本格的な陣痛がやっとやってきて、とうとう子供が産道を降りてきてくれた。

 もう少しで子供と対面できる――そういうところで助産師さんが「先生を呼んできますから、ちょっと待っていて」と出て行ってしまう。


 ちょっとウソだろー!


 子供の頭が見えてきたところでストップさせられるという。

 そうして10分くらいして戻ってきた先生が状況を確認して、こんなことを言いだした。


「あのね。このまんまだと緊急で切らないといけなくなるかもしれない」


 は?

 なんでそうなる?


「いい? 普通はね、みんな顎を引いて生まれてくるんだけど、赤ちゃん、顎がこうね、上に向いているって言ったらわかる? この状態だと頭が引っかかっちゃって出てこれなくなっちゃうから」


 どういうこと!?

 ここまできて切るってなに!?

 ここまでのがんばり、なんだったわけ!?

 それって超ピンチじゃん!

 いや、ちゃんと生まれてこられるの?

 この子、大丈夫なの?

 この子もピンチなの?

 ねえねえねえ!!!!


 そんな私の心の声が届いたのかどうかはわからない。

 先生は「とにかくやってみるから」と言った。


「今から顎の位置を直してみるから。それでだめなら切るよ」


 先生はそう言うと、私の中に手を突っ込んだ。

 子供の頭を掴んで、そのままガッと力強く動かした。


「よし、直った! さあ、いきんで!」


 つるっと滑るようにして、詰まって滞っていた大きなものが外へ出たと同時に、私ははあっと大きく息を吐いた。


 おぎゃああああ……という元気な声が聞こえて、私は満面の笑みを浮かべた。


 ああ、窮地を脱した。

 お腹を切るという危機から脱した。

 子供が産道で引っかかって出てこれないという危機一髪を回避できたのだ。


 そんなふうにして生まれてきた息子は今年、無事に成人式を迎えた。


 あのとき、先生の英断がなかったら、息子はどうなっていただろう。

 もちろん、無事に生まれて来てくれただろうとは思うけれど、私のほうも無事でいられただろうかと、ふと振り返って不安になる。


 案ずるより産むが易しなんて言うけれど、実際は案ずるより産むは難し――なのである。


 とはいえ、人生初の危機を乗り越え、『選挙に行かなければ、政治は変えられないんだ』と言うくらいまで立派に成長してくれた息子にあらためて感謝なのである。





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