22話 波及

 その日は一日中、件の動画の話題で持ちきりだった。

 皆、感動したやすごかったなど好意的な感想ばかりを言ってくれていて。放課後になってもその熱は止まず、学内を回っていた燎の耳にもそこかしこで話されているのが入ってきている。


 企画自体は、紛れもなく大成功だったと言って良いだろう。

 それ自体は、素直に喜ばしい。作ってみたいと思い立って行動して良かったと、間違いなく思える……けれど。

 実のところ、素直に喜びきれない気持ちも燎の中にあるのだ。何故なら──


(……あの動画で、凄かったのは俺じゃないんだよな)


 そも、燎がこれを思いついた理由が『自分の手ですごいものを作ってみたい』という創作者としての純粋な欲求によるもので。

 その点において望みを叶えられたかというと、それは多分否だ。


 間違いなく、燎だけの力ではそもそもあの動画は作れなかったし、早いうちに制作の方向性も専門の先輩に投げなければあそこまでのクオリティにもならなかっただろう。

 言うなれば自分は、最初の発端となるアイデアを献上しただけ。それを実際形にするべく奔走した影司と、何よりそのアイデアを叩き上げて持ち上げて、燎なんかが想像もできなかったくらいの素晴らしいものに仕上げ切った先輩方……強いて言うならば、燎ではなくそれらを用意できる『旭羽高校そのもの』が凄まじかったのだ。


 その結果出来たあの動画は、燎が当初考えていたものなんかゆうに飛び越えるもので。それで出来たあのクオリティと、それに直接貢献した人たちの実力を思えば……『自分が作った』だなんて、口が裂けても言えるわけがない。


 ……分かっている。だからって、自分がでしゃばってもろくなことにはならなかっただろうと。あれが、実力を踏まえた上で今の自分にできる最善だったと。

 いや──それすら、本当にそうだろうか。

 あの動画は、素晴らしかった。ほたるの絵の内容もそうだし、各種写真素材もちゃんと『動画で使うこと』を踏まえた上でより映えるような撮り方をされていた。そしてそれをしっかりと盛り上がる演出やエフェクトを用いて一本の動画にまとめた先輩も、言うまでもなくあの完成度に最大級の貢献をしていて。

 ……けれど、曲は。曲だけは。

 作曲だけでもと参加させてもらったこと自体も、出しゃばりでなかったと言えるだろうか。最初からあの先輩に任せたほうがよほど良いものが──


「だから、あれは絶対日比谷先輩じゃねぇって!」


 そんなことを考えている燎の耳に、比較的大きな声が届いた。

 思わずその方向に目をやると、そこには……軽音学部らしき楽器を担いだ一年生の生徒が、その友人と思しき男子生徒と、立ち位置的に恐らく偶然通りがかって聞いたらしい女子生徒の二人に話をしていて。


「確かに編曲やエフェクトの入れ方の癖はすごい日比谷先輩だった。あの動画、あの人が曲関連で何かしら噛んでること自体は間違いねぇだろうさ」

「ま、それは俺も思った」

「でも、少なくともメロディライン──作曲したのは絶対違う奴だ。先輩の曲は何回も聴いてんだから、それくらい分かる」


 日比谷先輩──例の動画で燎が音のディレクションをお願いした三年生の名を出して、その男子生徒は続ける。


「全然日比谷先輩っぽくなかったし……全体的に平凡っつーか癖がなさすぎる。その影響であの曲だけ動画の中で浮いてたよ、他のクオリティが高い分目立ってレベルも落ちてたし……俺に任せてくれたほうが、良いもんは作れた。だから──」

(うぐ)


 まさしく今気にしていたことを指摘されて、聞いていた燎も息を詰まらせる。

 察するに、件の先輩と同じく軽音楽部の、しかも作曲に詳しい生徒だろう。聞く人が聞けばその辺りの違いも分かってしまうらしい。

 やはり、と落ち込みかける燎が続けて聞いていたが、そこで。


「──私はそうは思わなかったけど」


 その言葉と燎の思考を断ち切るように。

 ここまで黙って話を聞いていた女子生徒が、涼やかな声でそう告げた。


「私は、あの曲も全部含めてすごく良いと思ったよ。……まぁ、私は音楽専門じゃないから耳が肥えてないだけって言われればそれまでだけど……でも、少なくとも」


 そこで、その先を言うかどうか一瞬躊躇うそぶりを見せるが。

 遠目だからはっきりとは分からなかったが……恐らく話を聞いていたもう一人の男子生徒に『言っちゃって良いよ』と促された様子で、続けて一言。



「結果的に何もしてないのに安全圏から文句しか言わない人より、誰かは知らないけど未熟でもあの曲を作ろうとした人の方が、よほど偉いんじゃないかな」



 前者がこの場で誰を指すか分からないほど、ここで話していた彼は愚鈍ではなかった。

 息を詰まらせる件の男子生徒の肩に、もう一人の友達らしき生徒が手を置いて。


「俺も同意」


 諭すように、言葉を続ける。


「お前の気持ちもまぁ分かるぞ? その人を追いかけて旭羽に入ったくらい憧れの先輩が別の人の作曲に手を貸して、しかもその結果あんな良い曲・・・・・・まで聴かされちゃった日には思うところがありまくってもそりゃ当然だ」

「……っ」

「でも、だったら尚更。ここで口動かす前にやることがあるんじゃねぇの? お前も分かってんだろ、あの日比谷先輩がなんの見込みもない曲に手を貸すわけないって」


 そこまで言われてから……件の男子生徒は大きく肩を震わせたのち。


「っあー、分かったよその通りだちくしょう! 死ぬほど悔しいわ! そんじゃ言う通り今すぐ次のライブ用にとんでもない曲書き下ろしてやるから待ってろやこの野郎ッ!!」


 そう叫んでから、反対方向──軽音楽部の部室の方へと駆け出す。


「その前に通りがかっただけのクラスメイト女子に愚痴っちゃったことについてはー?」

「大変申し訳ありませんでした! どっかで何か奢ります!」

「え、あ、うん」


 そこへかけられた声にもしっかりと百八十度振り向いて謝罪の言葉を告げ、今度こそダッシュで廊下の奥へと消えていった。

 やや驚きの様子でそれを見送る女子生徒に、友達と思しき生徒も「変なことに巻き込んでごめんねー」と苦笑と共に告げたのち、同じく軽音楽部室へと追いかけていった。


「…………」


 ……何やら、すごい一幕を見てしまった。

 その上で燎の中に去来するのは……純粋な驚きと、それに加えて奥底から浮き上がる何かの感情。

 それが今は実感出来ない。けれど、少なくともやっておきたいことは一つあって。


「……?」


 そこで、一人残っていた女子生徒がこちらを見る燎に気付く。

 ……多分、彼女にとっては何がなんだか分からないと思うけれど。

 それでも──一つ大きく、その人に向かって頭を下げた後。燎も軽い駆け足で、その場を離れるのだった。




 意図せず浮き上がった感情の正体、それを探りつつ自販機の前で休憩している燎の耳に、今度は別方向からこんな話が届いた。


「朝の振り返りムービー、ほんとすごくなかった!?」


 二年生の女子生徒たちが、例によって動画の話をしているらしい。

 先刻に引き続きあまり良くないかもしれないが、つい耳を傾ける。


「ね。今思い出しても鳥肌立つもん」

「夜波さんのイラスト相変わらずヤバかったよね。私当日は気付かなかったんだけど、あれちゃんと今年の体育祭の全競技網羅してたんだって、あの動画で分かった瞬間もう感動しっぱなしで!」

「写真も『そこ撮ってるの!?』ってすごいシーンいっぱいあったよね。今個展やってるみたいだし行ってみよっかな?」

「動画もすごい人がパソコン部に居るって噂だけは聞いてたけど、あんなとんでもないの実際作れちゃうんだね……あれだけのレベルの人たちが同じ学校にいるんだって改めて分かってもちょっと信じられないんだけど……」


 言及されるのは、やはりプロレベルの先輩たちの仕事の部分。

 無理もないと思う。あの動画で突出していたのは間違いなくそこで、実際今日聞いた噂でも具体的な言及はそこばかりにされていた。だから当然──



「でさ! 曲も超良くなかった!?」



(──、)


「分かる! 曲も全部書き下ろしって聞いたけど、あれってやっぱ日比谷先輩?」

「違うみたいよ? 先輩が担当した部分もあるらしいけど、大元は別の生徒みたい。軽音部の子がそう話してたし」

「そうなの!? あーでも分かるかも、日比谷先輩の曲はもう全部日比谷先輩っぽさ全開なんだけど、あれはなんていうか……すごい純粋に動画を盛り上げるために作ってくれてるって感じがして、良い意味でちゃんと動画と一緒に耳に残るっていうか」

「ラスサビの部分とかすごかったよね! めちゃめちゃ盛り上がって、でも同じくらい優しい感じもあってさ、私あの部分一番好きだな」

「ていうか、作った人ほんとに誰なんだろ? まさか一年生とか?」

「流石にそれは……いやでもこの学校なら無いとは言い切れないのかな……? もし本当にそうなら、うちらも気合い入れないとなってなるねー」


 そのまま、女子生徒たちは曲の感想や別の話題を語り合いながら移動していって。


 そこで。実感と感情が、燎自身に追いつく。


「…………、ぁ」


 自分の力なんて、些細なものだったとか。

 すごいのは先輩たちの方で、自分はほとんど何もしていないとか。

 曲の評価もきっと、アレンジしてくれた先輩の力が大半だとか。

 別の人に任せれば、もっと良くなったんじゃないかとか。


 そんな理屈でさえ、全く抑えられなくなるくらいに。

 そんな言葉が、どうでも良くなってしまうくらいに。



「~~~~~~ッ! っ、ぁ……ッ!」



 喜びが、爆発した。

 強く、拳を握り締めて。気を抜けば暴れ出してしまいそうな体と、勝手に叫んでしまいそうな声を必死に抑制する。そのまま、無音で何度も嬉しさを噛み締める。


 評価、してもらえた。

 ほんの少しかもしれないけれど、些細な貢献かもしれないけれど。それでも自分の力でもって作り上げたものを、あの先輩たちと同じように。

 たったそれだけで、呆れ返るくらいに喜びが溢れてしまった。



 ……もう一つ、思い出す。

 自分が心から望む遥か遠くの夢に向かって、自分の純粋な『やってみたい』を軸に。

 どこまでも突っ走るのは、とてもとても楽しくて。

 そして同時に──その純粋な『やってみたい』で作り上げたものが、誰かに喜んでもらえたら。誰かの心に残ってくれたら。

 それは、どんなに些細でも。それだけで飛び跳ねてしまうくらい、嬉しいんだと。


 きっと何かを始めたての頃は、何かができるたびに味わっていて。けれどいつの間にか忘れてしまっていたそれを、今、もう一度思い出せた。

 であれば……今燎がやるべきことも、決まっている。


「……次は」


 出来たことの、自分の貢献の少なさを悔やむことでもない。自分以外に任せていれば、なんてもしもばかり考えて落ち込むことでも、断じてない。


「次は、もっとちゃんと自分が作ったもので。自分がやったんだって胸を張れるくらいの実力をつけて、今度こそ、同じくらいすごいものを」


 作りたい。

 その熱量に従って、また進むこと以外に、何がある。


 気がつくと、その場から立ち上がって走り出していた。

 一直線に玄関まで向かい、僅かな間も惜しんで靴を変え、飛び出す。


「あれ、かがりくん! きみも今帰り?」


 そこで、同じく校門から出ようとしていたほたると鉢合わせた。

 唐突に走ってきた燎に目を見開いているが、今ばかりはそれを気にしていられない。


「すみません、先輩」


 その心のまま、燎は語る。


「今は、一刻でも早く。家に帰って何かを作りたいんです」


 それだけを告げて引き続き駆け出そうとする──が、そこで。


「分かった! じゃああたしも一緒に走って行く!」

「なにゆえ!?」


 何故かほたるがそう言って並走してきた。


「あたしも同じ気持ち──今のきみ見てたらおんなじ気持ちになったので!」

「え」

「分かるよ。作ったものを褒めてもらえて、嬉しくて、止まんないんでしょ?」


 驚く──が、それもそうだ。ほたるだって、それこそ燎より遥かにしっかりとあの動画に貢献して、その反響を今日一日浴びていたのだから。


「あたしも気付かないうちに抑えてたけど……そうだよね。今のきみみたいにもっと喜んで、ちゃんとエネルギーにしないと!」

「……はは」


 なんとも彼女らしい、と笑う燎に合わせて、ほたるも満面の可憐な笑顔で。


「というわけで、今日も一緒に頑張ろうよ。新しい曲、すぐに作るんでしょ?」

「はい」


 そのまま、いつもの約束を交わして。

 ……よく考えれば今更走ったところで電車の時間が変わるわけでもないので、今から急ぐ意味は全くもって存在しないのだが。きっと、そういうことではないのだろう。

 だから、そのことに気付きつつも。今日言われて嬉しかったことや、作ったものに対する感想を交換し合いながら。

 二人揃って、駅まで駆けて行くのだった。

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