15話 夜の提案

『話をしたいです。どこかでできませんか?』


 学校を出た直後、ほたるにそうメッセージを送った。

 昨日から、何人かに話を聞いてアドバイスももらって。確かに、何かが見つかりそうな気がしたと共に……彼女と向き合う心の準備も整ったから。


 とは言え、彼女はまだ出版社の方で作業中。今日いっぱいはかかるらしいので話すとしても明日、返信もしばらくは来ないだろう――と、思っていたのだが。


 予想に反して、帰宅すると既にメッセージが返ってきていた。


『あたしも。だから……今日の夜、話せない?』


 その内容は、さらに驚きのもので。


『……大丈夫なんですか?』

『うん。作業はもうすぐ終わるし、そこからすぐに出れば夜には戻れるよ』


 そこまで急がなくても、と疑問に思うと同時に続けてのメッセージ。


『きみが迷惑じゃなければだし、他に用事があるとかなら全然明日で良いよ。でも……』


 そこから、間を置かず。こんな一言が届く。


『――あたしは。できる限り早く、きみと仲直りがしたい』

「――」


 そのためなら、たとえ一晩だろうと後回しにしたくないのだと。

 切実な、そして同時にとても彼女らしい願いを受けて、わけもなく胸が詰まる。


『……分かりました。家で待ってます』


 そう返してから大体の帰宅タイミングを聞いて。その時間には鍵も開けておくと約束してやり取りを終え、家へと戻るのだった。



 そこから、家で学校の課題等一通りのやることを終わらせた後。

 玄関を解錠し、ソファに仰向けに転がって燎は考える。


(昨日から……色々な話を聞いたな)


 晴継の話。影司と星歌の話。

 みんな、すごい人ばかりだ。様々な経験や過去を経て……その中にはきっと辛いことだって多くあっただろう、今日の影司の話なんてまさしくそれだ。

 けれど、それに負けず。誰もが前を向いて進んでいる。

 それを見ていると……燎の心中で、何かを見つけられそうな予感を今まで以上に強く感じる。気のせいかもしれない、けれど今は何を置いてもそれを確かめたいと思うのだ。


 だからこそ――その締めくくりとして。ほたるの……あの儚い外見に見合わずとんでもない行動をするけれど、きっと確かな考えを持っている先輩のことを、聞きたい。

 そう決心して、燎は彼女の帰りを待つ。


 ……と、それはそれとして。

 様々なことを考えさせられて、燎の思考はこれまでにないくらいにフルスロットルで回転しており。端的に言えば、多少は疲弊しても仕方ない段階で。

 そんな時に――付け加えるとそこそこ夜も遅い時間に、ソファに寝転がろうものならどうなるのか。それに気付けなかったこと自体、脳が休憩を必要としていた証拠だろう。

 

 あ、やばい、と思う間も無く。

 突如一切の抗いようもないほど急速に襲ってきた睡魔に、燎の意識が沈められた。




「…………、……」


 微かに聞こえる声と優しい振動で、意識が浮上する。

 合わせて瞼を持ち上げると、思った以上に強い光が襲ってきて一瞬目を細め。それに慣れたタイミングで意識の覚醒と同時に完全に目を開き、そこで。


 とんでもない美少女の顔が目の前にあった。


 自分を見下ろす薄紫の瞳は心配そうに揺れ、さらりと上から垂れる色素の薄い髪が甘い香りと共に頬をくすぐり、顔のすぐ横に置かれた手は直に体温が伝わってくるほど近い。

 どうしてか軽く上がった息や上気した頬が、なんとも言えない色気すらも感じさせて。


「あ……かがり、くん?」


 ほたるが、ほとんど自分に覆い被さる体勢でそこにいた。


「!?」

「ご、ごめん! なかなか起きなかったから……!」


 驚愕で一気に目が覚める。そこでほたるにどいてもらって、すぐに状況を把握。


「その、連絡はしたんだけど返事がなくって! それで……急いで帰ってきたら鍵開いてて、寝落ちちゃってるならいけないって思って……勝手に入っちゃいました……」

「い、いえ、それは良いんですけど……」


 寝起きには相当刺激が強い状況に遭遇して跳ねた心臓を宥めつつ考える。

 とりあえず自分がほたるの帰宅まで寝落ちてしまったことは分かった。時間を見ると、午後九時過ぎ。予定していた時刻よりも少し遅れての帰宅だ、ほたるの息が軽く上がっているのも、単純に急いできたからだろう。

 それを把握して……燎の方は息を整えた上で、まずこう提案した。


「……とりあえず、一旦外に出ませんか?」




 主な理由としては、こんな時間に女の子と家で二人きり、という状況に燎の心臓が保つ気がしなかったからである。先ほどの寝起きの一件があるため尚更に。

 幸い、今夜はかなり暖かい。以前も晴継と話した踊り場まで移動して話を聞く。


「その――この前はごめんなさいっ!」


 まずは、ほたるが深々と頭を下げる。


「あたしが遊びたいからって理由だけで、強引に誘いすぎちゃった。……きみが今、作曲上手くいってないのも知ってて……それでも、『息抜きに出かければ何とかなる』ってあたしの都合だけで考えて、それを押し付けちゃった。……ほんとに、ごめんなさい」

「……いえ、俺こそすみません。俺もあの時、自分のことが上手く進んでいない苛立ちを先輩にぶつけました。過程がどうあれ、それは変わりません。……反省してます」


 その上で、燎もずっと思っていた自分の非を告げてこちらも頭を下げた。

 けれど、ほたるはそれに対して慌てて手を振る。


「いやいや、あんな状況だったら嫌な気持ちにならないほうがおかしいって! そうはるさんにも言われたし……あたしも、言われてそう思った」

「天瀬さんに?」

「うん。……実はここに急いで来た理由の一つも、昨日はるさんに言われたからなんだ。多分かがりくんとお話した後かな。『気持ちは分かるけど、一度の拒絶で君から引いてしまうのは勿体ないと思う』って」


 少しばかり驚いた。

 昨日の話で聞いた限り、晴継はそういう干渉を極力しないタイプだと思っていたから。

 燎の話の後ということは……それを踏まえて、彼も思うところがあったのだろうか。どうあれ、ほたるがここに来てくれたのならありがたいと思う。


「その通りだと思ったし、そう聞いて、きみからメッセージをもらってから……居ても立っても居られなくなった。早く謝りたくて、それで……仲直り、したくて」

「……先輩」

「だからその! 本当にごめんなさいって思ってるし、仲直りするためならあたし、何でもするから! だから――」

「その言い方は色々と危ないんでやめてもらっても良いですか!?」


 自分の見目麗しさとその発言の危うさを理解しているのか。特に後者は仮にも漫画家なら把握はしておいてほしかった。

 ……けれど、発言内容はともかく気持ちは率直にありがたい。燎だってほたるとこのままは絶対に嫌だし、多分お互い話すべきこともたくさんある。それは、きっと双方理解している。だが……同時にこうも思うのだ。


(……今、話してしまって良いのだろうか)


 燎が懸念しているのは、ほたるの状態。

 自分の方は一応ある程度睡眠を取って多少は思考も落ち着いたから分かる。ほたるも二日間の作業で疲弊はしているだろうし、そこから急いで直帰してきたのなら尚更だろう。

 実際いくら活発性溢れる彼女と言えど、流石に今は表情や振る舞いの節々に微かな疲労が見える。

 そんな状態で、込み入った話をしてしまって良いものか。今からするのはきっとお互いの深い話で、それは少なくともある程度思考も体力も回復した状態で臨みたい。


 ……けれど、一方で。

 ほたるの、この気持ちも無下にはしたくないのだ。『できる限り早く、仲直りをしたい』。そう思ってくれて飛んで来てくれた彼女に対して、ここで真っ当な解決案である『今日は大人しく寝てまた明日』を提案してしまうのも、やっぱり嫌で。


 どうしたものかと考え、何か案を求めて思考を探る。昨日から聞いた話と、そこから考えていた自分のこと、それら諸々を含めて探ってみた結果――


「…………あ」


 ふと、とあるアイデアというか願望というか、なんかそんな感じの案を。

 思いついた、或いは思いついてしまったと言っても良いかもしれない。


「かがりくん?」

「……あー、えーっと、その」


 それを口に出すのには結構な勇気を必要とした。

 けれど、何かを閃いたことに気づいたほたるに対し今更黙ることもできず。


「……先輩。今から多分相当へんてこな提案をします、なので断っていただいても一向に構わないんですけども」

「?」

「その……一つ。やってみたいことが、ありまして」


 奇しくも、これまでほたるが燎にことあるごとに告げた台詞と同じ導入で。

 とある提案をして――何の躊躇いもなくむしろ目を輝かせてのOKをもらってしまった。




 ◆




 そうして、そこから――数時間後・・・・午前二時・・・・


「よし、これで準備完了!」

「……いいんですかね、本当に」


 ノリノリの様子で胸を張るほたるの横で、まだ困惑気味の燎がそう告げた。


「全然いいよ! あたしだってきみの話を聞いてやってみたいって思ったんだし。……でも、確かに意外だったかも」


 対してほたるは明るく返すと、二人の目の前のもの。

 自転車一台を眺めて、こう呟く。


「『今から夜明けまで、自転車で行けるところまで走ってみたい』。きみが、そんな提案をするなんて」

「……」

「すごい素敵だと思ったけど……なんでこれをやってみたいって思ったの?」


 燎の『提案』。それは、ほたるの言った通りのものだ。

 まず、あの午後九時の時点で彼女と話をするのは躊躇われた。二日の作業から直帰してきたばかりのほたるにはまず休んでもらいたかったし、かと言って彼女の気持ちを無視して明日落ち着いて話す、というのも可能ならば避けたかった。


 だからこその、まずは折衷案。朝を待たずに数時間だけ休んでもらう。

 ……我ながら、まあまあ尋常ではなく馬鹿な提案だとは分かっている。


 そして、そんな提案を思いついた理由が――今ほたるが告げた、彼の『やってみたいこと』である。

 何故今、それをやってみたいと思ったか。その理由は、主に二つ。

 まずは一つ目の理由を……これも話すのは相当恥ずかしいのだが、燎は告げる。


「ええと……俺が一番憧れている曲にあの『夜空の曲』があるっていうのは、先輩も聞いてると思うんですけど」

「うん」

「その曲の作者さんが作っている別の有名作品にですね、『夜明けに向かって走る曲』っていうのがあるんですよ」

「……あー! あれかな!?」


 ほたるも知っていたらしく曲名を挙げ、それですと燎も頷く。

 代表作の一つと言って良いほど有名なものだろう。ふと目が冴えてしまった夜に家を抜け出した少年少女が、ただひたすら夜明けの方向に向かって走り出す歌。

 一番憧れている曲と同じ作者ということもあり、燎はその曲も大好きで。

 初めて聞いた時は感動した。あまりにも真っ直ぐで眩しくで、爽やかで希望があって。

 同時に……こうも思ったことを思い出したのだ。


「――『一回、俺もこういうことやってみたい』って。……馬鹿みたいな話ですけど」

「わかるー!! すっっっっごいわかるー!!」


 思った以上に分かられてしまった。


「分かりすぎるんだけどその気持ち! あたしも一回漫画の影響で、北の果てまで自転車で旅してみたいって思って試した時あったもん! 隣町まで行ったあたりでお母さんに電話で止められたけど!」

「あまりにも先輩すぎるエピソードですね」


 似たような経験をさらりとお出しされて、思わず燎も苦笑する。

 ……けれど、それなら。燎のもう一つの理由も、分かってもらえるんじゃないだろうか。


「……それで、もう一つ」


 そんな思いと共に静かに……きっとこちらが主だろう理由を告げる。


「先輩は、初めて自転車に乗った日のことを覚えてますか?」

「?」

「俺は結構覚えてて。……感動したんですよ、これさえあればどこまでも、どこまでだって自分一人で行けちゃうんじゃないかって」


 文字通りの世界が広がる感動を、燎は鮮明に記憶していた。

 ……まぁ無論、直後にそこまで単純ではないと学習してしまったのだが。今のほたるのエピソードのように親からの静止があったり、単純な体力の限界があったり。


「優れた道具一つ持っていたからって、そうそう限界なんて広がらない。人間は、どこにだって行けるようなものじゃない――」


 けれど。そこで、一つ言葉を区切って。


「――本当にそうなのか・・・・・・・・。確かめてみたいと思ったんです」

「!」

「なんでか、今。もう一回それに、挑戦してみたいと思ってしまったんですよ」


 明確に言語化はできない。けれど、衝動だけは確かにあって。

 それを確かめたいと思った。それで、何かが見つかる予感があった。

 はっきりしないそれに、ほたるを巻き込んでしまって申し訳ないのだが……と罪悪感を覚えながら口にするが。


「……うん」


 ほたるはそれを聞いて、どうしてかとても嬉しそうに微笑んで。


「そうだね。すっごく素敵だと思う」


 改めてそう告げる。その声の意外なほどの優しさに少々恥ずかしくなりつつ礼を告げてから、燎ももう一度目の前の自転車を。


「……にしても……」


 ……自転車、一台を見て。


「……二人乗りすることになるとは想定してなかったです」

「そこはごめんね! あたしの自転車今学校に置いてきちゃってるからね!」


 燎としては普通に二台で走ることを想定していたのでここは予想外だった。その辺りはその場の思いつきの弊害と言えるだろう。

 そう思っている燎に対し、しかしほたるは。


「でも、仮に自転車があったとしても……きみさえ良ければだけど、あたしはこれで行ってみたかったかな」

「え?」

「だってそうでしょ? 夜の旅、男の子と二人乗り! すっごい青春イベント! あたしも、やってみたい!」

「何故若干片言に」


 ほたるも高揚に加え、少しの気恥ずかしさが乗った表情でそう告げる。

 ともあれ、乗り気なのは確かだろう。長時間の移動になることを見越して、荷台部分に家から持ち出したクッションをくくり付けるという謎の用意の良さも見せている。


 ……色々と、良くないことであるのは確かだろう。

 けれど、幸いと言うべきか今日は暖かく、月明かりもかなり強いため十分視界は確保できている。ちゃんと、危険なことがないように運転は気をつけるつもりだ。

 だから良いというわけでももちろんないが……それでも、今は。

 この馬鹿みたいな思いつきに、身を任せることを許して欲しいと思った。


 それに、何より。

 夜明けまで約三時間。……話す時間は、十分にある。


「道中、色々話しましょう。お互いが思っていることとか、気になっていたこと。何を思ってどうしているのかとか、考えとか、話せる限り」

「そうだね。話そっか、たくさん」


 そもそもの二人の目的も、ちゃんと忘れてはいない。

 それに対する燎の確認に、ほたるも笑って頷き。二人合わせて自転車に乗り、ほたるが燎の背中に身を預け。


 春の晴夜、自転車、二人きり。

 眩しいくらいに青い夜の旅が、始まったのだった。

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