13話 暁原燎のお悩み相談1

 そこから二日後、日曜日。


「……やらかしたぁー……っ」


 燎は二日間、ずっとへこんでいた。


 作曲活動がうまく行っていなくて、そんな自分を置いて周りはどんどん進んでいくことに焦りと苛立ちを覚えて。

 それが限界に達しようとしていた時に、折悪く来てしまったほたるにそれをぶつけてしまった。

 おかげさまで、その罪悪感から土曜日は一切有意義な活動ができなかった。本当に、何をやっているのだ自分は。


「……こうならないようには、気をつけてたはずなんだけどな……」


 自分が、良くも悪くも感情が動きやすい性質らしいという自覚はあった。

 だからこそ……中学のバンドメンバーとの一件もあって尚更、この手の感情は少なくとも表面上は抑えるように努力してきたつもりだった……のだが。


「…………っ」


 そのことに関しては、反省する。ほたるにもすぐに謝らなければならないだろう。

 それができない理由は二つ。まず一つは、彼女が今日から家に不在であること。カラーページの件もあって、やるべき打ち合わせや執筆等を編集部に泊まり込みで一気に終わらせてしまうつもりらしい。「編集さんにもお休みの入れ替えとかしてもらって申し訳ないんだけどねー」と彼女が苦笑と共に先日語っていた。


 そして、もう一つ。

 ……単純に、燎の中でも心境の整理がついていないからである。

 あの時の、燎の行動としての正解。それがほたるの提案を受けることだったかと言われると未だ疑問が残るのだ。

 ――本当に、自分の夢に辿り着きたいのなら。他のことをする暇なんてなく、作曲活動に集中するべきではないのか。

 それを、燎の中で否定しきれない。ほたるの提案を断ったことが間違いだったと、燎の中で納得しきれていないのである。


(……どうすれば、良いんだろうな)


 結局、この疑問に落ち着いてしまう。

 そんな堂々巡りを幾度となく繰り返していた、そんな思考を断ち切るように。


 ――ピンポーンと、呼び鈴が鳴った。


 驚いた。一瞬ほたるかと思ったがそんなわけがない。次に思いつくのは星歌と影司だが、まだ二人を家に招いたことはない以上ここを知るはずもない。

 だとしたら、誰が。その疑問を抱きつつ、一応怪しい勧誘も警戒しながらインターホンのモニターを覗き込むと。


「やあ。久しぶり、と言っていいのかな?」

「……天瀬、さん」


 そこには、意外な人物。

 燎を旭羽高校に招いた張本人である、天瀬晴継がそこに立っていた。




 少し話したいと提案する晴継に頷き、なんとなく外に出たい気分だったので晴継の了承を貰ってとりあえず部屋から出て。高校に勧誘された日と同じように飲み物を頂きつつ、マンションの踊り場で晴継と並んで外を見る。

 一つ気になることがあったので、まずは燎から問いかけた。多分今来たということは、これも知っているのだろうと当たりを付けて。


「……先輩は、どうしていますか?」


 晴継は、ほたるが漫画を連載している出版社で働いている。流石に身内が担当になるのは色々問題があるらしく担当編集でこそないが、逆に担当の手が届かないところで色々と目をかけてくれているとか。

 それを踏まえて問いかけると、晴継も予想していたらしく穏やかな表情で答える。


「さっき見てきたけど、仕事は問題ないよ。落ち込んではいない……いや、違うか」

「?」

「落ち込みながらも、ちゃんと手は動かしていたよ。あの子ももうプロだからね、私情で原稿を遅らせる訳にはいかないと分かっているんだろう」


 思わず息を呑んだ。その一言で、彼女の様々な面を改めて思い知ったから。


「つい先日までは中間試験で忙しくて、ここから二日ほどは漫画が忙しくなる。だからこそ――唯一の間だった昨日土曜日は、どうしても君と遊びたかったんだろうね」


 続けて、案の定晴継も大凡の事情は察していることを告げてくる。


「……どうして、先輩はそこまで」

「流石にそこまでは知らないし、僕が言うべきことでもないと思う。だから……」


 そのまま、少しだけ遠慮するような表情を見せた後。

 それでも真っ直ぐに燎を見据えて、こう問いかけてきた。


「……その辺りも踏まえて。良ければ、君の事情も聞かせてくれないかい?」

「……」


 晴継が、何を思ってここを訪れたのかは分からない。

 けれど、ここ二日でいい加減燎も一人で悩むのは限界だったので、促されるままに口を開く。


 そこから一通りを話した。ほたるとの間に起こったことから、燎がここ最近……或いはもっと前、それこそ晴継と会う前から本当は悩んでいたことまで。

 全て静かに聞き届けてくれた晴継は、しばしの沈黙ののち。


「……いやー……」


 こう、告げてくる。


「……今の高校生の悩みってこんなハイレベルなの……?」

「天瀬さん?」


 何故か謎の感心をされた。


「いや馬鹿にはもちろんしてないよ!? 本当に言葉通り、純粋にすごいなと思って」

「いやそこを疑うほど天瀬さんへの信頼は低くないですけど……」


 ただ、あまりに予想外の反応をされて驚いただけだ。

 そう思いながら待っていると、晴継は言葉に困ったように頬をかきながら。


「んー……正直なところ、何を言ったら良いのか……」

「天瀬さんでも迷うんですか」

「そりゃ迷うよ!? というか……あー、うん、そうだね。上っぽい立場から何か言うだけなのは僕も嫌だし……少し遠回りになるけど、先に僕の話を聞いてもらっても良い?」


 少しばかり意外な提案に驚く。

 けれど、相談しているのはこちらなのだし断る理由もない。頷くと、晴継は「ありがとう」と笑ってから、こう話し始めた。


「とりあえず……まず、僕が個人的に一つ思ってることがあって」

「はい」

「僕は『若人の青春に割り込む大人』は、『百合に挟まる男』の次くらいに許されざる存在だと思うんだよね」

「初っ端からとんでもない思想を聞かされるこっちの身にもなってください」


 いくらなんでも突っ込ませてもらった。

 いやまあ、言わんとすることは分かる……と、大人でない立場から言うのもどうなのだろうか。それもあって、なんとも感想に困る。

 というか何故だ、結構真剣な相談の雰囲気だったのだがいつの間にか大分空気が緩くなっている気がする。

 それを悟ってか晴継も「ごめんね」と一つ謝って続ける。


「でも、本心だよ。それもあって、僕は自分でスカウトした子にその後何かを言うことはほとんど無いんだ。……いや、スカウトに留まらないのかな」


 その辺りで燎も悟る。晴継は今、言った通り自分の話をしているのだ。燎が今相談しようとしているのがどういう人なのかを知って、その上での言葉を聞いて欲しいと。

 それが分かった辺りで、燎も今まで以上に真剣に耳を傾ける。


「僕は元々、何か光るものを見つけるのが好きなんだ。まだ誰も知らない輝くものや、未だ光の当たらないけれど素敵なもの。そういうものを見つけて、みんなにすごいと言ってもらうのが子供の頃から好きだった」

「……」

「俗に言うと、宝探しみたいなものかな? それが好きな子供のまま、ずっとこういうことを続けたいなと思って頑張って……まぁ結果今の職業についているわけなんだけど」


 そう言われてみると。

 編集者とスカウトマン。やや共通点の見つけづらいその二つを晴継が仕事にしていることにも、不思議と筋が通る気がする。


「――だからこそ、怖いんだ」


 そこで、晴継が声のトーンを少し変えた。


「怖い、ですか?」

「うん。光るものを見つけるのが好きで、それがもっと光るところを見たいと思っている……だからこそ、自分の言葉で、自分の行動の影響でその光が褪せてしまうんじゃないか。それが怖いんだよ」


 真剣な表情と共に、一人の人間として彼が考えていることを素直に伝えてくる。その上で、続けて彼はこう自分のことを話し始めた。


「僕は……自分で言うのもなんだけど、自分の言葉を誰かに響かせる・・・・能力にはかなり長けているんだと思う」

「それは……確かに、俺もそう思います」


 思い出すのは晴継に初めて会い、燎が旭羽にスカウトされた日。

 そこでの彼が節々で見せた鋭い言葉の数々を思えば、十分納得できる。


「それもあって、『何を言って良いのか』『どこまで干渉して良いのか』はいつも迷うし、実を言うとずっと悩んでる。この言葉で、僕の見たかった輝きがなくなってしまうんじゃないか、歪めてしまうんじゃないか。この素晴らしいものを前に、僕なんかの言葉が必要なのだろうかって」


 多分、この辺がまだ僕が担当作を貰えない理由なんだろうなー、と語る。

 それに、少し驚いた。……スカウトマンとして凄まじい手腕を持っていると聞いていた晴継だが、編集者としては未だ色々と課題に取り組んでいる最中らしい。


「……君と初めて会った時もそうだ。君のバンドメンバーだった彼らにもあそこで諦めて欲しくなくて、発破となる言葉をかけたくてああ言った。けれど……それが功を奏したかは分からない。無駄に、余計なお世話になってしまった可能性も低くはないだろう」

「……」

「そして今だって……情けない話そもそもここに来るべきかどうかも結構迷ったし、君の話を聞いた上でも、僕が思ったことをどこまで言って良いのかと思ってる。『何を言ったら良いのか』っていうのは、そういうことなんだ」


 そこまで話してから、最初の話に戻ってきて。


「以上が僕の話。……大人と言っても、蓋を開けてみればこんなものでね。君にはまずそれを知っておいて欲しかった。今の話を聞いた上で、それでも僕の言葉を聞きたいか、君に決めて欲しいとも」


 そう締めくくる。君の思う『大人』と比べると、大分情けなかったかなと苦笑と共に最後に述べ、燎に判断を委ねてきた。

 それを受けた上で……燎の言葉は、迷う必要もなく。


「聞きたいです」


 そう告げる。今の話を聞く前と変わらず……いや、ひょっとすると聞く前以上にそう思った。

 確かに、晴継の話は意外だった。けれどそれは決して悪い意味ではない。

 話を聞いて、今までで一番強く思ったのだ。この人は大人だと。

 無意味に偉そうなわけでも、無条件で上の立場を押し付けてくるわけでも、子供には及びもつかない能力を持っているわけでもない。

 ただただ、自分たちと同じように何かを追いかけて子供時代を過ごし――そうして多くのことを学んで成長し、今なお悩みながらもしっかりと経験を活かし前を向いている。

 そんな、ちゃんと・・・・等身大の大人・・・・・・なのだと。


 それを恥じることなく子供に見せてくれ、押し付けもせず判断も委ねてくれる。

 そういう晴継が、自分の考えに何を思うのか。それを、強く聞きたいと思った。

 ……加えて、もう一つ。燎が伝えたいことがあるとすれば。


「……天瀬さん」

「ん?」

「天瀬さんは、『自分の言葉で見たかった輝きが失われる、歪むかもしれないのが怖い』と言っていましたね」


 それこそ燎のような人間の言葉が、燎よりもずっといろんな経験をしてきている晴継にどこまで届くのかは分からない。

 けれど、それでも言いたいことを真っ直ぐに。


「……天瀬さんが、俺の何を買って旭羽にスカウトしてくださったのかは分かりません。でも……俺は、旭羽に来たこと自体を後悔はしていません。今も」

「!」

「先輩に会えたことも刺激になりましたし、すごい友達も沢山います。それに……俺は何があろうとも、作曲はやめたくない。あの日憧れたような曲を作りたい。――身の程知らずだろうと、夢には向かいたい。そこだけはブレさせたくない。たとえ・・・天瀬さんに・・・・・何を・・言われたと・・・・・しても・・・、そこだけは変わらない、変えたくないです」


 だから、もし。晴継が見出した自分の輝きが、その中にあるとするならば。

『自分の言葉でそれが消える、歪むかもしれない』とは、思わないでほしい。

 もっと言うなら――それが、自分の言葉で消えてしまうようなものだなんて思うな。

 これは少々乱暴な言い方かもしれないが……自分が見出したものをあまり舐めるな、と伝えたい。


「……だから、これからもそれに向かうために。旭羽に来たことを、先輩に会えたことをこれからも後悔しないために。天瀬さんが知っていることがあるなら、伝えたいと思ってくれることがあるなら――教えてください、お願いします」


 頭を下げて、そう頼み込む。

 敬意を持つ相手への礼儀として、そうすべきだと心から思ったから。

 そこからしばしの沈黙。疑問に思って恐る恐る頭を上げたその辺りで、驚きと笑みが当分に混じった表情を浮かべた晴継の言葉が届く。


「……参ったな、改めて思うよ。今の高校生すごい、って言うのも君に失礼かな?」

「いえ、そんなことはありませんけど……?」

「というか……比較して自分の高校時代のクソガキっぷりを思い返してちょっと死にたくなってきたんだけど」

「それはやめてください」


 晴継の高校時代もそれはそれで興味がなくもないが、今の本題はそこではない。

 改めて晴継が燎に向き直ると、いつもの静かな口調でこう告げる。


「うん、そうだね。君の言う通りだし……おかげさまで、伝えたいこともたった今固まった。聞いてもらっても良いかな?」

「はい、ぜひ」


 色々と遠回りをした気もするが、きっと必要なことだったのだろう。

 そう思えるやり取りの末、本題を晴継は告げる。


「まず……燎くん、君は偉いよ。すごく偉い」

「ど、どうも……?」

「君の言う『どこにだって行けるし、なんだって出来る』――本当にそうなのか。その疑問に対して、真っ直ぐにぶつかった上でちゃんと向き合ってる。『自分だって本気を出せばそうかもしれない』なんて曖昧な可能性だけを希望に結局何もしない人もたくさんいる中で、その年で真正面から壁にぶつかっている。そこに辿り着いたこと自体が、君が優れている証だ」


 少しだけ違和感のある言い回しに加えて、何より随分な褒められようにむず痒くなるが、話はここからだろう。


「その上で、聞いて欲しいんだけど」

「……はい」

「言う通り、僕は半年前会った時の君の言葉に感動した。『一度叩き潰されたくらいで、身の程なんて知ってたまるか』――スカウトしようと思う決め手になった言葉だし、今もその思いは変わっていないんだよね?」

「ええ、そのつもりです」

「すぐに出来るような天才じゃなくても、憧れた曲を作りたい。自分はまだこんなものじゃないと思いたい、自分を諦めたくない、自分に上限を決めたくないんだろう?」


 その通りだと頷く。


「じゃあ、それを確認した上で今の君を見てみよう」


 そこで、一つ息をついてから。



自分は・・・憧れた・・・曲を・・作るために・・・・・作曲活動・・・・以外の・・・ことを・・・する・・余裕が・・・ない・・程度の・・・人間・・。そう諦めている、自分に上限を定めてはいないかい?」



「――」


 詭弁、と言われればそうかもしれない。

 けれど、そう無視できないくらいの衝撃が、何故か燎を貫いた。


「このくらいかな。全部言っちゃうのは、やっぱり君のためにならないと思うし。……あの、それとももうちょっと具体的に言えやこら意味深な言葉ばっかり並べやがってとか思ったりしてます……?」

「何故そこで自信なさげにするんですか」


 後半を言わずに決めておけば普通に感銘を受けたのだが……ともあれ。


「十分です。……今のは、ヒントになる気がします」


 感謝と共にそう告げると、晴継も安心したように微笑みを浮かべ。


「それは良かった。……じゃあ、ついでにもう一つ」


 この相談の締めくくりとして、次のヒントを告げて去るのだった。


「こういう相談事は大人一人だけじゃなく――友達に頼ってみるのもありだと思うよ?」




 ◆




 高校生一人の相談に乗ったのち。

 かなりしっかり頭を下げてくれる燎に恐縮しつつその場を去り、しばらく歩いてから晴継はぽつりと呟く。


「高校生のお悩み相談、のつもりだったんだけど――」


 ――まさか、話の流れとはいえ自分のお悩み相談会まで開いて。

 あまつさえ、それを十歳近く年下の高校生にある程度解決してもらうとは、と。

 なんとも奇妙な感覚を覚えつつ……そこで得たことを踏まえて、晴継はもう一つ。


「……僕にも、まだ出来ること……やって良いことはあるのかな」


 そう告げ、身を翻して。

 帰宅の前にもう一つ、目的地を定めるのだった。

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