12話 焦り
小さい頃は、どこにだって行けるし、なんだってできると本気で思っていた。
……それが褪せてしまったのは、いつだっただろうか。
初めて自転車に乗った時、これならどこまでも行けると興奮して――けれど結局、体力の問題や親からの静止で思った以上の行動範囲にはならなかった時か。
憧れたヒーローの真似をして、けれど現実ではそんな出来事なんてないと小さな出来事の積み重ねで理解し、いつの間にか真似しなくなった時か。
――或いは、もっと具体的に。
こいつらとならどこまでだって。そう魅せられ、そう信じて参加したバンドが、結局あえなく叩き潰されて自分一人残してみんな去って行ってしまった時か。
いつだったのか。今の自分には、思い出せなかった。
「カラーページをもらったんだ!」
ある日の昼休み。
中間試験を終え、一息ついた翌日。久々にほたるとの昼食をとっていた時に、彼女からこう切り出された。
「連載開始以降初めての……ですよね。おめでとうございます」
「うん! 中間試験もあったからちょっとスケジュール的にはきついんだけど……でも、チャンスだからね。すごいの描いてあげるんだから!」
「……はい。頑張ってください」
置いて行かれている、と。
今までで一番強く、そう感じた。
「よーやく体育祭の準備に全力投球できるぜこんちくしょう!」
「そんなに嫌だったのか中間」
そこからの帰り。
ばったり会った影司と共に廊下を歩いている途中、そう切り出された。
「まぁ勉強会中もごくまれに文句は漏らしてたしな……の割に手は抜いてなかったけど」
「そりゃそうだろー。そこはお前を見習うって決めたし、夕凪やお前との勝負もあるし、何より俺の趣味じゃねぇ。やるからにゃ本気でやるさ」
そういう辺りは彼の良いところだと思う。
その言葉と共に意識を切り替え、影司はこう続ける。
「でも終わった以上、こっからは体育祭に本気だ。……うちの生徒会すげぇんだよ、より多くの生徒が楽しめるにはどういう競技や点数配分が良いかってガチで話し合ってんの。鋭い意見もポンポン飛んでくるし」
「旭羽の行事は基本文化祭がメインって聞いたけど……それでもなのか」
「学校の性質上そこはしゃーないけどな。でも、だから体育祭は流す、ってならねぇのが良いとこだ。だから俺も……なんかできないかと絶賛考え中でなぁ」
そう告げてから、想像以上に真剣な表情を見せる。
「俺としては、もっと別方向のアプローチを考えてんだ」
「というと?」
「簡単に言えば……体育祭だからって体育ばっかやる必要はねぇんじゃ、って感じ」
首を傾げる燎に、影司は流石に曖昧がすぎたかと続ける。
「勿論、体育祭と銘打っている以上運動競技がメインなことには何一つ文句ねぇ。けど……同時にこれは文化祭と同じく『生徒が主体で作り上げるお祭り』でもあるんだ。だとすると、ちょっと勿体無いよなって」
「……ああ、なんとなく分かったかも」
「そ。そもそもこの学校って体育以外にもすげぇ特技を持ってる生徒がわんさかいるわけだ。まさしくお前と仲良しの夜波先輩なんてその筆頭で、それを活かせないのは『生徒が作るお祭り』的にはやっぱ勿体無い」
「そうなると……例えば先輩にキービジュアルを描いてもらうとか?」
「いかにも。そんな感じで、そういうのも含め色々検討中。俺としてはもっとなんか大きいことにできないかなぁとか考えてて……先月入ったばっかの一年坊が何言ってんだって話ではあるんだけどさ」
そう少しだけ自嘲気味に告げた後、けれど、と笑みを浮かべて。
「それを理由に諦めたくもねぇ。ま、引き続き考えてみるさ。会長にそういう企画を考えて良いって許可ももらったことだしな」
そう語る彼の瞳には、紛れもない本気の熱量が浮かんでいて。
まだ聞いたことはないが、それを浮かべるに足る何かの目的があるのだろう。……そして、実際言っていることを為せるだろう能力を持っていることも知っている。既に彼は生徒会でも様々な面で優れた能力を見せているらしいと噂で聞いているのだ。
「そういうわけで、お前も何かあったら言ってくれ。うちの生徒会は『暴れたいやつに暴れさせる、そのために何ができるかを考えろ』がモットーらしいんでね」
「初めて聞くレベルで物騒なスローガン」
「だから体育祭のことでも……もしくはそれ以外でも。遠慮はいらんぞー」
「……ああ」
最後に少しだけ含みを持たせた言葉を受け、そこで影司と別れて彼を見送る。
「……すごいな」
そう呟いて。燎も静かな足取りで、教室に戻るのだった。
旭羽高校は、すごい場所だ。
友人も先輩も、みんな何かに向かって頑張って――実際に結果を出している人間がたくさんいる。
ほたるも、カラーページをもらったということは連載が順調にいっている証拠だろう。影司も、企画許可を生徒会長からもらったということは、それだけ能力を見せて裁量を任された証だ。星歌も――つい昨日、中間試験後にあった同じ場所でのライブで今度は文句を言わせない歌をやはり披露して見せたらしい。
それ自体は、とても良いことだ。周りのレベルが高いのは素晴らしいこと、変に低いレベルを見て安心が生まれてしまうよりは余程良い。
……比べて自分の不甲斐なさが際立つのは、なんの言い訳もなく自分の問題なのだから。
「…………」
改めて、自室で。
半年以上前から全く伸びない自分の曲の数々を見て、燎は思う。
「……何が、駄目なんだ」
中間試験までは、そちらに集中すれば良かったからある種この問題を忘れられた。
けれど、それも終わって。再度この問題に向き合った時に――やはり広がるのは、先行きが全く見えない暗黒だけ。
何かが足りないのは分かる、けれど何が足りないのかが分からない。
ずっと、その原因不明の直感に悩まされて。解決法を外に求めて色々やってきた。
けれど、何をやってもそれに光明が見えることはなかった。
中学三年で、自分を誘った仲間たちとバンドを組んで――それは大失敗に終わった。仲間たちとはバラバラになり、燎の問題も一切解決しなかった。
高校に入って、自分の遥か先を行く先輩に付き合って色々やってみた。それは楽しかったけれど、結局楽しいだけで。自分の問題には一切フィードバックできないまま一月が過ぎてしまった。
高校で見たような、すごい先輩。プロレベルの先輩たちになんて到底届かない程度の段階で、ずっと停滞してしまっているというあまりにも情けない自分の現状。それが、どうしようもなく浮き彫りになってしまっただけで。
「……それじゃあ、もう」
それなら、もう。
本当は問題を自覚した時からそうじゃないかと思っていた、一つの結論。
――この問題は、一切なんの言い訳の余地もなく自分の実力の問題で。
原因なんて、どこにもなく。曲が伸びないのはただただお前の努力が足りていない、それだけなんじゃないか。
……本当に、そうなのだろうか。
なんて思ってしまうこと自体も、甘えでないとは言い切れない。燎は、そこまで自分の内面に自信を持っていない、持てるはずがない。
だとすれば、やるべきことは明確だ。
原因をそれ以外に求めるのはやめて、今まで以上に曲作りだけに集中する。何を置いても、何を捨てても。それだけがきっと、自分の夢に近づくたった一つの最適解。
「……っ」
その覚悟は、あるはずだ。
自分が最初からなんでもできるスーパーマンでも大天才でもないと理解している。
どこにだって行けるわけじゃないし、なんだってできるわけじゃない。そんなこと、とうの昔に学んでいる。
それでも、辿り着きたい場所があるから。あの日憧れた夜空の曲のように、作りたいものがあるからここまでやってきたはずで、今更そこをブレさせるつもりはさらさらない。
だから、変な方向に目を向けるのをやめて。ただただ、己の曲を極めることだけに集中する。その方向に向かうことを、躊躇うべきではないのだ。
(……あれ)
……でも。
それでも、一つ、思うのは。
(……夢に向かうのって、こんなにも苦しいことだったっけ?)
そこで。
ピンポーンと、呼び鈴がなる。
強制的に思考の世界から現実に引き戻され、驚きつつも玄関へと向かう。
扉を開けて、そこに立っていたのは予想通り。
「あ、かがりくん。電話しても出なかったから呼んでみたんだけど……今いい?」
いつも通りの表情を浮かべたほたる。
頷くと、彼女は変わらず楽しそうにこう提案してくる。
「今週の土曜……っていうか明日なんだけどさ、一緒に出かけない?」
「え……」
「というのもですね、やってみたいことがありまして!」
お決まりの言葉から、こんなことを告げてきた。
「一言で言うと、ファッションショーをやってみたいの!」
「……」
「漫画の作画の問題で、私服のバリエーションを増やしたいなと思ってて。それでせっかくだからきみと一緒にお店に行ってさ、男の子と女の子両方の似合う服を色々探してみよっかなーって。男の子の意見や感想も聞きたいし!」
それは――きっと、とても楽しいのだろう。
相変わらずほたるの都合による提案と言えばそうなのだが、彼女はきっと提案に乗った場合ちゃんとこちらも楽しませてくれる。それくらいはもう分かっている。
……でも、今は。
「……すみません、先輩」
静かな声で、燎はそう答える。
「遠慮させてもらっても、良いですか」
「え――」
ある意味で、燎の初めての明確な拒絶を聞いてか。
或いは別の理由か、ほたるは呆然とした後……どこか必死な様子で続けてくる。
「た、楽しいと思うよ、きっときみにも! かがりくんに似合うだろうなってあたしが考えてた服とか教えられるし、あとは、えっと、その」
……少しばかり、ほたるらしくはない挙動だった。
普段の彼女は、割とこちらを振り回しつつもちゃんと大事なところでの気遣いはできる少女だ。だから、いくら初めての拒否とは言えしっかりと断ったなら引いてくれるくらいの分別は持っているはずだった。
それができなかったということは、何か理由があるのだろう。その証拠に、必死さの中にもこちらを気遣うような、或いは何かを願うような表情でこちらを見てきて。
「……何か悩んでるなら、あたしが聞くから。だから――!」
「……先輩は、すごいですね」
けれど。それに気付けるだけの余裕は、今の彼にはなかった。きっと、色々とこの時はタイミングが悪すぎたのだ。
そうして燎は静かな様子で、ほたるの言葉を遮り。
「いつだって真っ直ぐで、ずっと何かに全力で、ちゃんと結果も出して。きっとこの提案も、先輩にとって何かを全力でやろうとした結果なんでしょう」
「かがり、くん?」
「でも、俺の全力は違うんです」
呆然と見上げてくるほたるを、真っ直ぐに見返して、告げる。
「――
……過去の失敗を踏まえて。
声を荒らげないようにだけは、注意したつもりだった。
けれど、どうやら無駄だったらしい。声量以外の全てが誤魔化せなかった。声色も、声に込めた感情も、表情も、それら全てが。
明確な苛立ちと、現時点での拒絶の意思を、ほたるに叩きつけてしまった。
「……え、あ……っ」
その証拠に、顔を微かに青くさせて、小さな体躯を更に縮こまらせたほたるが。
「…………ごめん、なさい」
普段の彼女からは想像もつかない、消え入りそうな声でそう囁いて。
逃げ出すように視線を切ると、扉の外へと駆けて行った。
程なくして、隣の扉が閉まる音が聞こえて。
そこから数秒の静寂を挟んでから……ようやく、燎も現状を認識する。
「…………ぁ」
すなわち――ほたるに八つ当たりをしてしまった、という純然たる結果。
例えどんな感情の働きがそこに介在していようと、それだけは覆せない事実を前に。
「…………、やらかした……」
天井を仰ぎ、燎は重い声でそう呟くのだった。
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