10話 夕凪星歌の等身大
生徒会の手伝いを終えてから程なくして、燎に一本のメッセージが入った。
どうやら星歌の用事が終わったらしい。案内に従って、事前に聞いていたライブハウスへと足を運ぶ。
……正直なところ、その時から予感はあった。
普段はメッセージでもそれなりに感情豊かな星歌の文章が比較的端的だったことや、影司が『俺んとこにも何も来てないのは珍しいな』と言っていたこと。
それらを踏まえて、早足でライブハウスへと向かい……すぐに見つけた。
「…………っ」
明らかに、沈んだ様子。
静かな足取りで、建物から出てくる星歌の様子を。
「……夕凪」
燎も一応は元バンドマンだ。どういう類のことがあったのかは、すぐに察せられた。
だからこそすぐに駆け寄り……けれど、即座に色々と質問するのは恐らく良くないとこれまでの経験から思ったので。
落ち着いた声で、こう問いかける。
「……どこか、行きたいとことかある?」
無いのであれば、とりあえず落ち着ける飲食店にでも向かおうと思っていた。
けれど星歌は――それに対して顔を上げて、まだ微かに潤んだ、けれど確かな光を宿した瞳を見せ、こう答える。
「……カラオケボックス、行きたい」
「!」
「歌の練習したい、今すぐ。……付き合ってもらっても良い?」
断る道理もなく頷いて。すぐに、近くの空いている場所を探し始めるのだった。
星歌は歌手志望だ。
中学三年の時から本格的に歌に取り組み始めたらしい。期間が短いのもあって一芸入試は受けられなかったが、それを取り返すように積極的に活動をしており。入学後即座に旭羽屈指の強豪部活である軽音楽部の戸を叩き、入れこそしなかったものの先輩との伝手を得て、現在は色々とライブハウスを回らせてもらっているとか。
燎と入学初日に会った時割と早く打ち解けられたのも、音楽という共通話題があったおかげだろう。それ以降も、ちょくちょくおすすめの曲の交換などを行なっている。
「――っ!」
……そんなことを考えつつ、星歌がとにかく全力で二、三曲歌い終わったのを見て。
一旦喉を休ませている彼女に、静かに切り出す。
「お疲れ。それで……何があったのか、聞いても良い?」
「……えっ、と」
流石にそうそう簡単に話せる事柄ではないだろう。
そう察した燎は、もう少しだけ言葉を選んで続ける。
「しっかり順序立てる必要はないし、言いたくない事柄があれば無理に言う必要も無いよ。けど……」
「……」
「……俺としては、話してくれると嬉しい」
軽く笑って、そう締めくくる。それを受けて多少気が楽になったか、星歌も少し表情を緩めて。
「ちゃんと一番話しやすい言い方してくれるじゃん。そういうのどこで学んだの?」
「一応俺もバンド組んでた経験があるので。メンバーのケアとかで色々ね」
「なんかここで素直に話すと言いくるめられたみたいでちょっと悔しさが」
「その反骨心は別方向に発揮してくれると更に嬉しい」
星歌らしいが、ここでそれを理由に話してもらえないのは燎としても困る。
向こうも流石に冗談だったようで、一つ息を吐いて表情を戻し、語り始める。
「……まあ、大体察してるとは思うけど。助っ人でボーカルに入ったライブ、全っ然上手く歌えなくて。大分派手に失敗しちゃって」
そこまでは察していた。
けれど……彼女の様子を見るに、恐らくそれだけではないのだろう。その推測を裏付けるように、星歌が続けてこう告げる。
「それで……ライブの後、言われたんだ」
「……何て?」
「『ミーハー気分の奴の歌は響かない』って」
「っ」
そこで燎も全容を理解する。
「勿論その後フォローは入ったよ。軽音部の先輩が勧めるライブハウスだから、悪い人なんてまずいないし。でも……言っていること自体は、誰も否定しなかった」
そこから彼女は語る。燎も軽くは把握していた、彼女の現在悩んでいることを。
「……そうだね。私はあそこにいるような人たちほど明確に『歌しかない』って思えてるわけじゃない。歌を始めたのだって言ってみればなんとなく、中学で将来を考えた時、このまま何もない自分になるのが嫌で、だから今一番好きだと思えることを
「……」
「燎や、多分他の一芸入試の人たちみたいに、人生を決めるに足るような作品や衝撃に出会って始めたわけじゃないよ。……でも、何より、許せないのが」
そこで強く、マイクを握り締めて告げる。
今日の、自分の失敗を、刻みつけるように。
「私がそれで迷っちゃったことだ、あろうことか歌っているときに。ライブハウスに入った時に感じた、『私がここにいていいのか』って考えをライブに持ち込んじゃった。見抜かれて当然だし、あんなことも言われて当然だよ。先輩にも明日謝らないと。……ああ、ほんっと――」
そして、勢い良く立ち上がり。
「――ふざけんな、私!」
叫ぶ。今この瞬間までの自分に、叩きつけるように。
「明確な衝動がないからってなんだ、人生を変える衝撃に出会ってないからどうした! そんなのを待ってる時間が惜しいって、大人しく待ってるだけじゃ絶対やってこないって信じて、見つけるために走り出したのは自分だったろ!」
そう続ける彼女から感じたのは、あまりにも大きな怒りの感情。
でも、それに一切暗さがないのは、負の気配を欠片も感じないのは。
きっとそれが、全て自身に向けられているから。自らを燃やすために使われているから。
「じゃあ、それが私の全力だ! はっきりしたきっかけがなかろうがなんだろうが、それでも本気でやってんだ! 相応しいかどうかを考えている暇があったら歌え! 絶対に、それを理由に、やめてなんてやるもんか!!」
そこまで、全力で言い切り。燎も静かにそれを聞く。
今は聞くだけで良い、とは分かっていた。彼女とはまだ短い付き合いだが、それでも。
――こういう時に、安易な慰めを必要とするような人じゃない。それだけは、多分出会った時から分かっていたから。
そう思って見守る燎の前で、星歌は改めて自身の熱量の行き場を求めるようにマイクを再度手に取り。
「……ごめん燎。もう何曲か歌っていい?」
「うん。……喉を痛めないようにだけは気をつけて」
燎の忠告を聞き届けてから、また己の声をぶつけ始めるのだった。
◆
そうして、一通り歌い終えたのち。
「…………なんか急に色々叫んだりしてすみませんでした……」
「そこで冷静になるんかい」
流石にやり過ぎたと反省してか、なんとも言えない顔で目を逸らしつつ告げる星歌に、燎も思わずそう返す。
多少驚いたものの――彼女がこの通り、教室での雰囲気とは裏腹に尋常ではなく負けず嫌いで熱い人間だということは以前にも見て知っていたので、そこまで動揺はない。
それに、確かに驚きこそしたが、恥じるようなことだろうか。
「……俺は、普通にすごいと思ったよ」
だから、それを率直に述べる。きょとんとする星歌に対し、燎は続けて。
「というか、反省した。……確かに俺は、昔出会った曲に感動して作曲始めようと思った。多分夕凪の言う『人生を変える衝撃』ってやつが、俺にはあったんだと思う」
けれど、今の星歌の話を聞いて思ったのだ。
――もし、それが無かったら?
そういう衝動を得られる何かがもし自分に無かったとしたら……自分は、星歌ほどやれただろうか。何かに向けて全力で、突っ走ることができただろうか。
……きっと、星歌ほどは無理だったんじゃないか。少なくとも今の彼女を見て、簡単にできただなんて口が裂けても言えないだろう。
だから、星歌はすごい。そう、飾ることなく口にする。
彼女の言葉自体にも感動した。
明確な衝動、人生を変える衝撃。多分それは多くの人が心の奥底で求めているもので――けれど、
それを、『待っている時間が惜しい』と断じて。『大人しく待っているだけじゃ絶対にやってこない』と信じて。自ら荒波に飛び込んで、今も戦っている。その先にこそ求めるものがあるんだと、そう確信して。今日みたいに叩き潰されても、叩き潰されたその瞬間からもう自ら前を向いて。
――迷いながらもそこまでできる人間が、どれほど居る。そこだけでも、間違いなく見習うべきところだ。自分ももっと頑張りたいと、思わせてくれるところだ。
きっと、彼女はずっとこうしてきたのだろう。
自分の足りないところを、手が届かないものを、『しょうがない』で済ませず諦めず、ただただ目の前の壁に全力で体当たりをして乗り越え続け。
だからこそ、今の『なんでもできる』とすら思わせるハイスペックな彼女が居る。
そしてだからこそ、燎も思うのだ。
「……絶対、見つかるよ」
思うところ、或いは願うところを、率直に口にする。
これが先ほど言った安易な慰めでない保証はないけれど、それでもこれだけはと。
「特別な何かがなくても、ここまで頑張れる夕凪なら。絶対にこれしかないって思える何かがいつか見つかると思うし、もし見つかったら今まで以上にすごい奴になれる。……というか、そもそも見つかるとか見つからないとか関係なく……ここまで本気でやれるんなら、きっとなんだろうといずれ本物に、特別に
「!」
「だから、自信を持って良いと思う。……いやまぁ、俺の保証がどこまで役に立つかと言われればなんだけど――」
と、そこまで言ったところで。
ふと星歌の方を見ると……なんとも言えない、むず痒くも微笑ましそうな顔をしていて。
「なんでしょうその表情」
「いやーその、なんというか」
問いかけると、星歌はやや照れを含んだ声色でこう言ってきた。
「そこまで本気で考えてくれるんだ、と思って。私が自分で言うのも何だけど……言っちゃえば他人の事情でしょ?」
「んぐ」
そこで燎も自覚した。
燎は、何事にも手を抜けない少年で。そしてそれは……他人への関わり方もある程度含まれる。何だろうと、一度話を受けたからには真剣に考えてしまうのだ。
そして……恐らくそれは過去のバンド内の不和、その一要因でもあって。それらの経験もあってか、燎は縮こまり目を逸らしながら告げる。
「……迷惑だったり気持ち悪かったりしたらごめんなさい……」
「いやいや、そこまでは言ってないから!」
それを慌てた様子で否定した後。
一つ咳払いを挟んでから、星歌は照れつつも笑って口を開く。
「うん、ありがと。すごい嬉しいし、元気出たよ。……それじゃあ、私も一つ」
心からの言葉ののち、その通り少し元気が出た様子で指を一つ立てて。
「『自分に人生を変える衝撃が無かったら、私ほど頑張れてたか分からない』って燎はさっき言ってたけど……多分それはあんまり意味のない仮定なんじゃないかな」
「?」
「私の認識ではさ、やっぱりそういうのって今私がしてるように――自分から探そうとしないと絶対に見つからないものだと思うんだ」
目を見開く燎に、星歌はだから、と続ける。
「私が今探してるものを、君はもう見つけてる。それはきっと、君が私よりずっと早く見つけようと頑張ったからで――その結果今ここまで来れてるなら、それは全部ひっくるめて君の頑張った成果だと思う。少なくとも私は……その意味で、燎は私よりずっと先を行ってると思ってるよ」
実際一芸で入ってるしねー、と憧憬混じりで呟いた後。
「だからさ。それを踏まえた上で、私が燎に言いたいのは……いつものことだけど」
言う間に、いつもの調子を取り戻した彼女は。
端正な顔に純粋な笑みと……少しだけ不敵な色を浮かべた上で、こう告げる。
「
それに、思わず燎も笑いながら呟く。
「格好良すぎるだろ」
「それ、女の子への評価としてどうなの?」
「いや逆に今の流れで『可愛い』って言われたらどう思うよ?」
「おー? 馬鹿にしてんのかてめーチョキで殴るぞー? って思うかも」
「初手目潰しは殺意が高すぎる」
そこからは、いつも通りのやり取りを挟んだり影司からの気遣いと煽りのメッセージで笑ったりしつつ、その日は過ぎていくのだった。
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