8話 夜波ほたるのやりたいこと

「……えっと」


 かくして土曜日。

 動きやすい格好にギターケースを担いだ燎が、玄関前で困惑気味の声を上げた。


 結局、あの日の提案に押し切られるまま土曜日出かけることとなった。

 困惑しているのはそれに関してもあるのだが、加えて……


「かがりくん? どしたの?」


 隣にやってきたほたるが疑問の声と共に上目遣いを向けてくる。

 本日の彼女の服装も、これから歌うことを考えてか動きやすさを重視して、かつ丈も短いガーリッシュなもの。惜しげもなく晒された手足にやや目のやり場に困る。

 可愛らしい異性の先輩と出かける経験がないことも緊張に拍車をかけているのだが、困惑の理由はそれでもなく、ただ単純に。


「実は……『休日に出かける』っていうこと自体がすごい久しぶりで」


 その理由を、燎は口に出す。

 受験期間は当然それどころではなかったし、バンドを組んでいた時期も休日はほとんど練習か曲作りにあてていた。バンドメンバーと出かけた経験も、最低限の付き合い程度で数えるほどしか無い。

 だからこそ……なんというか。課題関連も含めて今日までにやるべきことは全て終わらせているし、作曲の進捗に特段遅れもなく、出かけること自体には何も問題ないのだが。


「……ちょっと何故か、罪悪感があって」


 端的に言えば、本当にこんなことをやってていいのだろうか、という感情がある。

 それを素直に口に出すと、ほたるは一瞬きょとんとした顔を覗かせたのち。


「……むー」


 どうしてか軽く頬を膨らませると、たたっと燎の前に駆け出し、真正面から燎を見てびしりと一つ指を立てる。


「いいですか、かがりくん!」

「はい、なんでしょう先生」

「先輩です!」


 雰囲気で思わず呼んでしまった呼称を律儀に修正したのち、こう告げる。


「確かに、今日出かけるのはあたしのわがままだよ。正直あたしがやってみたいからって理由で大分強引に押し切っちゃった感はあると思う、それに関してはごめん」

「自覚はあったんですね」

「ありますー! でも、それでもだよ! ……もういっこ、わがままを重ねていいなら」


 そこで少しだけ声を潜め、やや自信無さげに、けれど何かを願うように。


「――きみにも、楽しんでほしいな」

「!」

「だって、そうじゃないとあたしも楽しくないし! というかかがりくんは楽しくないのかな! このあたしとお出かけできるんだよ! 更に一度歌えば多分全米あたりを震わせる感じのあたしの美声を聞けるんだよ!?」

「その自信はどこから出てくるんですか?」


 ちょくちょく彼女が見せる謎の自己肯定は、某クラスメイトにも通じるところがあるかもしれない。

 まあ、とは言え。今の言葉は照れ隠しを多分に含んでいるだろうことは察せられた。


 ……それに。今日の彼女の提案を受けたのは、割と強引に押し切られたこともあるし、晴継のアドバイスに従って『とにかく彼女から学んでみる』の一貫でもある。

 けれど、そこにもう一つ。燎の素直な心の内を付け加えても良いのなら。

 何故かは分からないが、燎自身も。ほたるについては知りたいと思っている、知ることで何かを得られる気がする――不思議と、そう思うのだ。


「……そうですね。失礼しました」


 故に、それも踏まえて。今の心情を飾ることなく、少しだけ笑って燎は述べる。


「俺も、楽しみです。行きましょうか。……良い場所を、知っているんですよね?」


 何より、『何事も手を抜かない』が彼の信条だ。

 であれば一度引き受けた以上、とにかく全力でやってみるべきだろう。

 そんな感情も込めての言葉に、ほたるは一転明るく表情を輝かせると。


「うん! ついてきて!」

「ちょっ」


 何故か燎の手を取って、そのまま勢いよく駆けていくのだった。




 そのまましばらく移動して辿り着いたのは、都市部から少し距離を置いた河川敷。

 人通りも程よく少なく、穏やかな春の陽気に包まれて気温も良好。こういう場所は燎たちに限らず楽器の練習をしている人も多く、そういえばこういうの小学生の頃憧れだったな、と今更のように思い出す。


 しばらく歩いて場所探しをすると、丁度良さそうな木陰のベンチを見つけた。そこに座って、ギターを取り出しチューニング。それでもう舞台は整った。


「それでは、一曲目は何にします?」

「えっとね――」


 ほたるに声をかけ、返ってきたリクエストは……少しだけ意外な、落ち着いた曲調の曲。現在メジャーデビューを果たしてヒット作を次々と生み出し続ける有名作曲家が、別名義で活動していた頃の古めの曲。

 どうしてそれを一曲目に、と気になって問うと、「単純にすごく好きなのと――」という理由を述べたのち、少しだけはにかむように笑って。


「曲の名前が、あたしの名前と似てるから、かな」

「……それはまた、随分と可愛らしい理由ですね」

「その『可愛い』は嬉しくないやつ!」


 そんなやりとりをしつつ、演奏を開始する。まずは透明感のあるメロディを含んだ前奏が終わってから、ほたるが息を吸って――歌声を奏でる。


「~♪」


 彼女の歌は……まあ言ってしまえば技術的にはそこまでではない。先刻言っていた『多分全米辺りが云々』も完全に勢いだと分かるくらいのもの。

 けれど、最低限音は取っており決して下手というわけではなく。加えて曲に対するリスベクとというべきか、『この曲を歌えて楽しい!』と心から思っており、それを表現しようと声で、表情で、全身で表している。

 ……そういう姿を見ていると、自然と燎の演奏にも熱がこもって。


 そこから、しばらく二人の演奏は続いた。

 ほたるのリクエストに合わせ、曲も次々と変える。大人気の漫画原作テレビアニメのオープニングテーマから、とあるバンドが大ヒットする契機となった儚い恋の歌、一等星をテーマにした幻想的な歌まで、ジャンルも曲調も様々で。

 しばらくののち、「かがりくんのリクエストも聞きたい!」とほたるが言ってきたので、彼が作曲を始める契機となった夜空の曲も歌ってもらった。


 それを聴きながら、燎も周りに目と耳を澄ませる。

 そよそよと木陰に流れる爽やかな歌、木々に反響して跳ね返ってくるギターの音色と少女の声。それらも相まって、今この綺麗な世界の一部分に自分たちがなったかのよう。


(……楽しいな)


 自然と、その感想が浮かんだ。

 同時に思う。……ここまで純粋に、何の含みもなく『楽しい』と思えたのは、いつぶりだろう、と。

 それは、当然不快なものであるはずもなく。穏やかなまま、その時間は過ぎていった。




 ◆




「楽しかったー!」

「それは何よりです」


 一通り歌い終えた夕刻。

 満足そうな声を上げて歩くほたるが、続けてこう告げる。


「でも、ちょっとだけ残念かな」

「残念? 何がですか?」

「いやー、あたしの予定では……あたしが歌っている様子に自然と聴衆が惹きつけられて最終的には拍手喝采を受けるつもりだったんだけど……」

「それは路上ライブを舐め過ぎだと思います」


 そこは一応元バンドマンとして率直な意見を言わせてもらった。

 けれど少し今の言葉に違和感もあって、それを指摘してみることにする。


「というか……先輩も一応一つの分野でプロになっているなら、そうそう何かが簡単にいかないことくらい分かっているはずでは?」


 燎だって、それを目指しているからある程度は分かる。ほたるもその年齢でプロになるまでに相応の壁を乗り越えてきたこと、俗に言う『厳しい現実』というやつを決して知らずに来たわけではないだろうということ。

 それくらいは、出会ってからの彼女の在り方、活動を見れば理解できるのだ。


「んー? あー……まあ、それはそうなんだけどね」


 だからこそ、この問いかけ。考えは当たっていたらしく、少しだけ気まずそうにほたるも自覚はしていることを述べる。

 けれど、続けて。


「でも、こうも思うんだ。そう・・思っていた・・・・・方が良い・・・・って」

「?」


 少し抽象的な言葉。首を傾げる燎に、ほたるは前を歩いて振り返り、手を広げて言う。

 ……時折、彼女が見せる。普段の様子を少しだけ潜めた、透明な瞳で。


「『そうそう簡単にいかない』って最初から想像でも可能性に蓋をしちゃうより、『こんなことが起こるかもしれない』『こういうことだってあるんじゃないか』って馬鹿な空想でも思い浮かべておく。そのほうが素敵だって、あたしは思うんだ」

「……」

「もちろん、プラスの空想をした方が実際のときにショックを受けやすかったりもするよ。でも、それを踏まえてでも……やっぱりあたしは素敵な未来を考えたい。その方が、素敵な未来も考えていた方が、何かをやってみるときに躊躇わないですむでしょ?」

「……どうして、そこまで」


『やってみたい』と思ったことを躊躇わない。

 それは彼女が出会った時から一貫して見せ続けている姿勢で、今日だってその行動力の結果こうなった。

 けれど、何故そこまでするのか。その問いが、自然と燎の口からこぼれる。


「お、あたしに興味を持ってくれるのかな? では先輩が答えてあげましょう!」


 それを聞くと、ほたるは嬉しそうな笑みと共に、こう切り出した。


「まず簡単に言うとね。あたしは――『全部本気でやりたい』の」

「!」

「漫画だって勿論本気。プロになれたことはすっごく嬉しいし、そこで満足もしたくない。憧れた作品も、描きたいこともいっぱいある。……でも同時に、それを理由に今できること、今しかできないことも諦めたくないの。今しかないあたしの『高校生』も、全力で楽しんでみたい」


 そうして語る。彼女が夢見る、彼女が熱くなるものの姿を。


「普通じゃないことは分かってるし、実際色々言われたりもしたよ。……今も、きみが少しだけ『こんなことをやってていいのかこの先輩は?』って思ってるのも知ってる」


 同時に少し悪戯げな笑みを向けて切り込まれた。軽く息が詰まる。


「えっ、と、それは……はい、正直思ってました」

「ふふ、素直な子は好きだよー」


 誤魔化す意味もないのでそう答える燎に、気を悪くした風もなく笑みを深めて。


「言うことは分かるけど……その上で思うんだ。『でも、それはあたしじゃない』って」


 続けて告げる。いつもよりも静かな口調に、いつも以上の微かな熱を込めて。


「やりたいことは、全部やってみたい。無謀でも無茶でも荒唐無稽でも、とにかく全力で全部抱えて突き進んでみる。そうせず・・・・には・・いられない・・・・・。それがきっと理想のあたしで、そういう風にずっと生きてみたい――」


 そこまで言い切ると、くるりとその場で回ってから。

 少しだけ照れたように笑って、こう締めくくる。


「――なぁんて、ほたる先輩は可愛いくて儚い見た目にそぐわない、結構とんでもな夢を持っちゃったりしてるのですよ!」

「……」


 最後の照れ隠しが、気にならないくらいに。

 圧倒された。彼女の語った、彼女なりの『全力』の在り方に。

 誰が文句をつけられよう。……だって、彼女はその在り方で実際に成果を出している。漫画家としてプロにまでなって、それに満足せずまだまだ上を目指していて。

 そんな彼女の話を聞いて、浮かんだ様々な感情。それらを一言に集約して、燎はこう呟いた。


「……眩しい、ですね」


 その言葉に込められた意味を、きっとある程度正確に受け取って。

 ほたるが浮かべた表情は……喜ばしさと共に、何かを願うような感情もほんの少しだけ含ませたもの。そこからすぐに、いつもの明るい笑顔に戻って告げる。


「うん。……じゃあ、もっと憧れてもらえるようにしないとね!」


 そこで、二人の住むマンションへと到着する。

 ここからの予定は二人とも決まっている。ほたるは来月の原稿仕上げ、燎は作曲の続き。お互い集中力を要するフェイズなので、今日は一緒の作業はお休みだ。


「今日はありがと! じゃあ明日からも、一緒に頑張ろ!」

「はい、こちらこそありがとうございました」


 最後にとん、と燎の胸に拳を当て、ほたるは隣の部屋へと入って行った。


「……、すごいな」


 それを見送った燎は。

 胸に微かに残る衝撃と、その内側の感情を思い返しながら、静かに呟く。


「……俺は」


 旭羽高校、入学から二週間強。

 燎自身も、自分の何かが変わる予感がしていた。

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