7話 学校一の先輩

 とりあえずほたるを先に行かせてから、燎もさっと購買で昼食を購入して屋上へと小走りで向かう。

 購買や食堂がかなり充実しているのもここの特徴だ。とりわけ放課後、夕食の時間まで食堂が開いているのには驚いた。恐らくは自分のように遠方から来て一人暮らしをしている生徒への配慮なのだろう。

 素直にありがたいし、このように旭羽には何かと驚かされる点が多い。


(そういえば、屋上が常時開いているところも地味にびっくりしたな)


 そんなことを考えつつ、屋上の扉を開けてほたるを探す。

 程なくして見つかった。彼女の容姿自体が目立つのもそうだし、何故か屋上の中でも目立つ場所、給水塔がある一段高い部分の縁に腰掛けていた。本当に何故だ。

 危ないですよ、と声をかけようとして……そこで、思わず目を奪われた。


「――」


 理由は、彼女の横顔。

 いつもの明るく天真爛漫な様子とは一線を画した、柔らかくも真剣な表情。

 手には鉛筆を持って、もう片方の手で支えたスケッチブックに何かを書き込んでいる。恐らくは、燎が来るまでの空き時間で風景の練習をしていたのだろう。

 晴れた屋上で、可憐な容姿の彼女がそうする様子は、それ自体が一枚の絵になる程美しくて。実際周りの生徒も声をかけられないくらいに完成されていて。


 学校一の美少女、と。

 そうほたるが呼ばれている所以を……そして同時にその隔絶した美貌と上げている成果から、時折ある種の孤高的な存在として扱われていることも、会ってから何度目かに実感した。


 無論、軽々に声をかけられなかったのは燎も例外ではない。

 この表情は、何度か見ている。入学前に知り合った際の彼女の誘いである『一緒に活動しよう』の通り、何日か一緒の部屋で時間を決めて各々の創作をしていた時に、何度も。

 普段はなんというか『この人本当に先輩か?』と思ってしまうほど、どこか子供っぽくてふわふわしている彼女だが。何かを描いている時、創作に没頭している時はその雰囲気がややなりを潜め、今のような雰囲気になるのだ。

 その姿は、あまりにも綺麗で。……安っぽい表現になるが、プロの凄み、というものすら否応なしに感じさせるようだ。


 先ほど影司に言及された、入学時の燎の言葉。『自分は一芸入試組って言えるほどの成果は出していない』は、紛れもない本心だ。

 だって、ただ受かっただけで誇れるはずもない。今まで作った曲の実績と……それとバンドを組んでいた時の実績で燎も入試は通ったが、それだけで驕れるものか。この通り目の前に、同じ一芸入試組の頂点とも言えるような先輩がいるのだから。

 そしてそういう姿を見ると、ほたるの姿がいつも以上に遠くにいるように感じて――


「……あっ、かがりくん!」


 そこで、ほたるがこちらに気付いた。

 ぱっと明るく顔を輝かせると、どうしてか鉛筆を持った手をぴしりと前に伸ばし。そのまま謎に作った一周回って逆に可愛い感じの決め顔を向け……こう、述べてきた。


「見て! ――今のあたし、すっごい格好良くない!?」

「すみません、今この瞬間までは本当にそう思ってたんですが」


 色々と台無しだった。




 とまぁ、こんな感じで。入学後も、燎はほたるに――逆にこちらがびっくりするほど懐いてもらっていた。先輩に懐かれるというのも妙な表現だが、彼女の燎に対する振る舞い的に最も近い言葉がこれになってしまうので許してほしい。


 ……正直なところ、まだ燎としてはほたるのことを計りかねている。

 最初の印象としてはなんか全体的に子供っぽい先輩であり、実際日常会話や普段の振る舞い的には今もその印象とほぼ変わらない。良く言えば天真爛漫、少々あれなニュアンスを含んで言えば稚気に溢れた行動が多い感じだと、思っていたのだが……


(――でも)


 その印象が全てではない、と強く実感したのは……出会った日にほたるに誘われた『一緒の活動』、初めて同じ部屋で時折話しながら各々の創作活動をしていた時だ。


 一言で言えば、凄まじかった。

 普段の彼女の柔らかさは保ったままで、それでも明らかに自分の作るものに没入し切っていると分かる、透明な眼差し。実際そうやって手を動かす彼女がタブレットの中に生み出すものは、あまりに眩しく美しく。然程絵心の無い燎でもはっきり分かるほどに生き生きと情緒に溢れていて。

 ……ああ、プロなんだと。そこで、改めて実感した。


 そう言った彼女の様子や、編集者らしき人と電話越しにやり取りをしている時の表情、そしてふとした時に燎に告げる確かで深い価値観。

 天真爛漫な時とその時のギャップがあまりに大きく――けれど、不思議と別人のようだとは感じなかった。どちらもほたるなのだと、自然と理解できて。

 だから、計りかねているというのはどちらが本当なのかとかいうことではなく、言うなれば……表面上の振れ幅が大きいが故に全体像と、その根底にあるものをまだはっきりとは把握できていないのだ。


(……まぁ。まだ会って二週間で何を、って話か)


 そんな短時間で見えるほど誰か一人の底は浅くないだろう。

 ともあれ、ほたるがすごい人だというのはここ二週間で良く理解した。この年で一つの分野でプロになるのに納得の実力と心も兼ね備えているということも。


 そして何より驚くべきは……それがほたる一人ではない、ということ。


 旭羽には、成果だけならばほたる以外にも自身の専門分野でプロとして上げている生徒や、そこまで行っていなくてもほぼ実力的にプロと遜色ない生徒が何人か居るとのこと。

 恐らく学内で最も有名なのは、軽音楽部で一番の実力を誇るバンドの面々。他には写真部にもコンテスト入賞経験複数の生徒や、パソコン部にも実力派の生徒がいるという噂も耳にした覚えがある。


 ……それを聞くと、改めて。ほたると入学前に知り合えたのはありがたいことだったと実感する。晴継からもらったアドバイス、『彼女から学ぶと良い』も実践していこうと、そうより強く思ったここまでの二週間だった。




 そうして、現在。

 会話の後、給水塔から普通に飛び降りようとしたほたるを危ないと止めようとして一悶着あってから、ようやく屋上の一角で共に昼食を取る。


「そう言えばかがりくん。入学からしばらく経ったけど……どう? 旭羽高校は」


 そんな中、ほたるがこう切り出してきた。珍しく先輩らしい問いに驚くが、それを指摘すると『先輩ですけど!?』とむくれるのが予想できたので、素直に考える。


「そうですね……」


 幸い、返答に迷う必要は無かった。つい今しがた、それを考えていたばかりなのだ。


「……良いところだと思います」

「!」

「校風も明るいですし、生徒も良い人たちが多いですし。中学と比べても生徒の『できそうなこと』が多くて、色んなことに取り組んでる生徒を見るのは刺激になります」

「でしょー!」


 それが、燎の率直な印象だ。

 晴継が勧めるのも納得できる。一芸入試が存在するだけあって様々なことに前向きな生徒が多く、前述の通り実際ほたるを始めとした商業レベルで成果を出している、『本当に高校生か』とすら感じるような生徒も数人いて。


「三年の軽音楽部にもプロの方がいらっしゃるんですよね。高校からバンドを組んでそのままデビューまでしたって聞いてます」

「うん。確かそこのボーカルの人もはるさんが引っ張ってきた人だとか」

「後は、写真部の先輩が今度学校内で個展を開くとか?」

「あ、その人もはるさんの推薦だね」

「マジで何者なんですかあの人?」


 例として先刻考えていた生徒たちを挙げてみたら、別の恐るべき疑問が浮上した。


「ふふー、実は学内ではちょっとした噂だったりするんだよ? 凄腕のスカウトマンがいて、目をかけた生徒が軒並みすっごい成功してるっていう」


 それを驚きと共に口にする燎に、身内の評価だからか楽しそうにほたるは語る。


「本人も本職は編集でスカウトはほとんど趣味、お金をもらわずにやっている感じだったらしいんだけど。あんまりにも成果を・・・出しすぎる・・・・・から、学園の運営に携わってるはるさんの先輩さんが頼み込んで副業にしてもらったとかなんとか」

「……とんでもないですね」


 どうやら燎を旭羽高校に誘った人物も、その道で凄まじい評価を受けているらしい。

 しかし……そうなると、少しだけ燎も思うところがある。


「だとすると……少し、焦りますね」

「かがりくん?」


 その不安を、素直に燎は口に出す。


「いや、もちろんそんな人が俺を推薦してくれたこと自体はすごく光栄なんですけど。……正直なところ、俺がその評価に見合うだけの成果を出せるかと言われると、今のところそのビジョンも自信も無くて」


 あまりこういう言葉を使いたくはないが……現在スランプ中の自分が、この先何かをできるようになるのか。

 より分かりやすい例を挙げるならば――『来年ほたると同じくらいの存在になれるのか』と問われれば、到底自信を持てるはずもない。

 とは言え無論、そこに甘んじるつもりも諦めるつもりもない。だから。


「……もっと、頑張らないとなと思いました」


 結局はこの結論に落ち着くので、軽く笑ってそれを口にする。

 ここまで話した割には少々結論がありきたりすぎるか、と隣を向くと。


「……ふふー」

「え、その、なんですかその顔」


 どうしてか、大変微笑ましいものを見る目をしているほたると目が合った。


「いやー? ただ……はるさんがきみに目をかけた理由、なんとなく分かるかもって」

「マジすか」


 今の会話のどこにその要素があったというのか。

 困惑する燎に、ほたるはそのまま笑顔を向けて告げる。


「うん。きっときみは、すごい人になれると思うよ。はるさんがここに呼んだこともそうだし……何より、このほたる先輩が保証します!」

「それは……光栄です、けど」


 喜ばしいと思うと同時に、疑問も湧く。――どうして、ほたるはここまで自分を気にかけてくれるのだろう、と。

 最初に会った時から友好的だったし、そこからも二週間以上変わらず一緒に色々な体験をさせてくれる。

 それ自体は刺激になっているし、楽しいが……同時にこれで良いのだろうか、既にプロの世界で活躍するほたるが、自分と何かをして得るものがあるのだろうか、と思うこともなくはないのだ。


 けれど、今それを聞くのは憚られたので。

 今のところは素直に評価に対する謝意を述べて、昼食を進めるのだった。




 ◆




 その日の夜。

 燎はいつものように、自室で作曲作業に勤しんでいた。


 現在やっているのはメロディやコードの案出し。実家から持ってきたアコースティックギターを鳴らしつつアイデアを出す作業だ。

 基本的に作曲作業自体はソフトを使って行っているが、やはりアイデアという点では実際に楽器を触っている時が一番出やすい気がする。幼少期から習っていたピアノを活かしたキーボードと、バンドを始めてから練習したギターが燎の弾ける楽器の二つで、実際できる楽器を増やすことは作曲の幅にも繋がったと思う。


「……」


 適当に爪弾きつつ、頭の中でアイデアを巡らせる。

 この時間は、作曲作業の中でもかなり好きな時間の一つだ。自分の意識がメロディと共にどんどん曲の世界に沈んでいくような感覚。何かに集中している時の、周りの音が聞こえなくなるほどの没入感。この感覚は、創作作業の醍醐味の一つである。

 燎も例に漏れず、しばし周りの全てを忘れて音の世界に浸って――

 ――だからこそ、気づかなかった。


「なにしてるのー?」

「!?」


 横合いから掛けられた声に、燎はびくりと肩を跳ねさせる。


「あ、ごめん! ノックしても返事がなかったから……」

「いや、それは、いいんです、けど……!?」


 いきなり部屋に居た理由が分かって尚も燎が狼狽した理由は二つ。

 そもそも何故燎の家にほたるがいるのかということと――ほたる本人の様子。

 丈の短いラフな格好に加えて、軽く湿った髪。仄かに上気した顔とも相まって、可愛らしい容貌にいつも以上の色香まで加わっているように思える。

 有体に言えば、風呂上がりというやつだ。


 どうして、と言おうとして……そこで燎も思い出す。

 そういえばほたるの家の給湯器が不調で、修理に来るまでの一日だけ燎の家のシャワーを借りることになったのだった。

 そういう提案を簡単にするほたるもほたるだし、それを聞いた時既に作曲作業中で半分曲の世界に居たのでほぼ無意識に『構いませんよ』で流してしまった燎も燎である。


 ともあれ、経緯は把握したので冷静に対処しようとして、


「それ、アコギってやつ!? すごい! 近くで見ていい!?」

「湿気は楽器の天敵なので今は控えていただけると!」


 あろうことかその無防備な格好のまま近づいてこようとするほたるをなんとかそれっぽい言い訳で遠ざけつつ、どうにかある程度の距離感に留めることに成功した。

 ただそのまま居座ろうとする彼女までは止められず、しばしの会話を挟む。


「へぇー、二つも楽器できるんだ! すごいね!」

「俺からすれば、数分でそれっぽい風景画を描ける方が余程すごいと思うんですが……」

「でも、あたし楽器は弾けないもん! 実は一回バンド漫画の影響で一通りやってみたんだけど」

「逆に先輩は何に影響を受けないんですか?」

「ギターは意地でFコードだけ弾けるようになったけどそれ以上は時間がなくって、ピアノに至ってはきらきら星ですら満足に弾けなかったよ……思った以上に難しいんだね」

「まあ、特にピアノは完全初心者だと厳しいですしね……それでもやろうとする発想自体がすごいんですけど」


 相変わらずの好奇心全開エピソードに敬意半分呆れ半分の返答をする。

 そのバイタリティは果たしてどこから出てくるのだろうか、なんて考えていたのがひょっとしたら原因だったのだろうか。


「それでね、もし上達したらって――あっ!」


 何かを思いついた様子で、ほたるが目を輝かせながらこちらに迫ってくる。

 ギターは横に置いていたので良かったものの、風呂上がりの美少女の顔が至近距離に迫ってきたため思わず後ずさる燎に、ほたるは構わず前に出る。


「ねぇねぇかがりくん、ギター弾けるんだよね!? あれかな、やっぱり上達したらどんな曲でも伴奏できたりとかするの!?」

「え、っと、そこまでとは行きませんが……まぁざっとコードをつけるくらいなら」

「じゃあさじゃあさ! やってみたいことがあるんだけど!」


 そうして、いつものお決まりの台詞と共に。


「あたし――弾き語りっていうの、一回体験してみたい!」

「……、はい?」


 燎の今週土曜の予定が、この瞬間決定したのだった。

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