6話 旭羽高校
私立、旭羽高校。
都心からちょうど良く離れた場所にあり、比較的新しい歴史を持つこの高校には、他と一線を画すとある特徴があった。
それは、『一芸入試』が存在するという点である。
主に音楽や芸術をはじめとして、昨今の日本にはそのような『普通に学校に通っているだけでは学べない』ことを主流とする職業が増加傾向にある。
旭羽高校は基本勉強にも力を入れつつ、同時にそういう人たちを育てることも目的の一つとして誕生した。それを体現した制度の一つが、中学までで何かしらの分野で実績を上げたり成績を残したりした生徒は通常の入試よりも簡単な試験と面接で入学できる、所謂一芸入試である。
それも相まって、旭羽高校は進学校でありながらもそれ以外の生徒の『やりたいこと』を支援する風潮が強い。実際の成果として、OBOGだけでなく在学中に自分のやりたいことを金銭を貰えるレベルにまで高めた、所謂『プロ』の生徒も数人在学している。
そういう校風であるため、一芸入試で入ってきた生徒は他の生徒にとってはある種尊敬の対象となる。
だが、実を言うと一芸入試であるかどうかを見分けるのはかなり難しい。そもそも生徒は全員入学後特に隔てなく同じクラスに入れられるし、さまざまな事情から自分を一芸入試で入ってきたと明かさない生徒も多いからだ。
なので、とりわけ新入生にとって相手がどの入試で入ってきたかというのは関心事の一つとなり。それを見分ける方法として……眉唾物の判断基準が、一つ囁かれている。
曰く――『なんか変な奴がいたら、そいつは大体一芸入試組』とのこと。
「まぁ、最初は流石にそれは嘘だろと思ったぞ? シンプルに目立ちたいがためだけに変なことする奴もいるだろうし、一芸入試組だから変な奴、なんて固定観念を持つのも相手に失礼だ。だが――」
そして、四月下旬。入学から二週間ほどが経った、昼休みの一年生の教室にて。
「――あながち間違いでもないんじゃないか。昨日のお前を見た結果、そう考えを改めたよ俺は。なぁ燎?」
「いい加減言わせてくれ影司。昨日から何回その話擦るんだよお前は!?」
一芸入試組の新入生、暁原燎は。
隣に座るクラスメイトの
ことの発端は、彼の言う通り昨日の体育の授業。
全国の高校の例に漏れず、旭羽高校も四月の体育では一斉に体力テストを行なっている時だった。
昨日の種目はシャトルラン。段々早くなる音楽に合わせて一定距離を『走れなくなるまで』延々往復するという、恐らくその過酷性から嫌われている種目トップティアで有名なあれだ。
「この『走れなくなるまで』ってのは多分人それぞれだよな。でもまぁ、大抵の奴は普通に自分がきついなと思うところまで、或いはそもそもこんな体力テスト程度で本気を出すのは馬鹿らしいとほどほどでやめるか、辺りだと思うんだよ」
だがここで、燎という少年の特徴を改めて確認しよう。
『何事にも手を抜けない』。そんな彼が、この種目に挑んだ結果どうなったかというと。
「マジの限界。具体的に言うと
「……」
「わぁお」
と、昨日の顛末を改めて説明した影司。何一つ反論もなく事実だった燎は黙り込み、話を聞いていたもう一人の女子生徒は率直な驚きの声を上げる。
幸い燎は走っている生徒の中でもかなり最後の方まで残っていたので、テストの進行自体に影響は無かったが……それでも『A組のシャトルランでヤバい奴がいた、一芸入試組らしい』と多少の騒ぎと噂にはなって。
「おかげさまで、唯一お前より長く走って学年一位だった俺が思ったより噂になってないんだよ! どうしてくれるんだ貴様!」
「それは俺の知ったことじゃないと思うんだけど! でも悪かったね!」
半分冗談半分本気でそう言ってくる影司に燎も半分くらい本気の謝罪を乗せて返す。
燎にとっても昨日の出来事はまあまあ恥ずかしかった。流石に中学時代は本当の限界を迎える前にやめられていたのだが……高校に入って、二週間でも色々と経験をして思うところがあった結果、いつも以上に気合が入ってこうなってしまったのである。
まぁ、怪我の功名と言うべきか。燎のすぐ後にテストを終えて、そのまま倒れた燎を保健室まで迎えにきた影司と、今まで以上に仲良くなった件もあったが。
「でもお前、入学直後に話した時言ってたよなー? 『自分は一芸入試組って言えるほどの成果は出してないし、変に言いふらす気も無理に目立つ気も無い』ってよー?」
「確かに言ったし今となっては完全に振りになっちゃってて超恥ずかしいんだけどさ! それでも一応本心ではあったつもりで……いやもう何も言わない方が良いのか? これ」
「やめろ、反応してくれないと俺が楽しくないだろうが」
「おい」
結果的にこの、隣の席の友人に格好のネタを与えてしまったところには反省したい。
「でも、私もちょっと気になるな」
そこで、燎の前の席で話を聞いていたもう一人の女子生徒――
「話を聞く限り、別に無理やり目立ちたいとかそういうのでも無かったんでしょ? そもそもそのつもりならもっと別の方法あったと思うし」
「そりゃそうだ」
「じゃあ、だったらなんでそこまでやったのかなーって」
人懐っこい表情に、純粋な興味の色を浮かべて聞いてくる。
確かに、と影司も頷いて。
「俺と張り合ってるって風でもなかったよな。まずお前最後の方俺を一切見てなかったし、そいつは俺も気になる。どうしてだ?」
「どうして……」
改めて理由を聞かれると困る。そういう風に生きてきたから、と答えるのも漠然としすぎてこの場の答えにはそぐわないだろう。そう思った燎はしばし考えて……
「途中でやめるのは……なんかこう、負けた気がして」
「何にだよ」
「確かに、それなら仕方ないか」
「お前は分かるんかい」
結局漠然とした答えになって影司には突っ込まれたが、何故か星歌には納得された。
入学以降、なんだかんだで一番よく話している二人に対して燎は一つ苦笑すると。
「まぁ……昨日の件は完全に俺が気合いを入れすぎた結果だ、忘れてくれると助かる」
「流石に忘れるにはインパクトがありすぎるかなぁ……」
「そうだな。それに――俺も色々言ったが、そこまで気にするほどのことか?」
けれど、やや自嘲気味に告げた言葉に返ってきたのは影司の意外な言葉。
目を丸くする燎に対して、影司は席から立ち上がって、こう述べる。
「お前のそれは、普通のこととまでは言わないけど……別に悪いことじゃねぇだろ?」
「!」
「少なくとも、俺は感動したぜ? お前が歯ぁ食いしばりながら走ってるのを見て、ここまでマジになれる奴がいたんだ、すげぇってよ」
だから保健室でも色々聞いたんだからなー、と影司は続ける。
「そだねー。それに、私も朝からちょいちょい他の子にも話は聞いてたけど……露骨に君を馬鹿にする人はいなかったと思うよ」
そこから星歌が告げた言葉にも、確かにと思う。
正直なところ、中学までの燎のこういう行動は割と馬鹿にされる対象だった。当時言われた言葉を要約するなら――くだらないことに熱くなってんな、と。
けれど、少なくとも昨日から今まで、燎がその手の言葉を言われたことも、噂として聞いたこともない。或いはそれが、この学校の特徴であるのだろうか。
「ま、なんだかんだ言ったが、とにかくお前のそういうとこは見習わないとなーと思った次第だ。というわけで、時間なんで生徒会室に行ってくる!」
最後にそう言って駆け出す影司を、燎は驚きで、星歌は軽く笑って見送る。
「いやー、熱い奴だねぇ」
続けて星歌が微笑ましげにそう告げるが、それに関しては燎も……ここ二週間の経験を踏まえて言うことがある。彼女を見て、半眼と苦笑を織り交ぜた表情で口を開いた。
「……それ、『一番熱い奴は君だろ』っていう突っ込み待ちだったりする?」
「んー? 何を言っているんです、私はいつだってなんでもさらっとクールにこなす完璧美少女の星歌さんですけど?」
「うん、今日も相変わらずの様子で安心した」
星歌の……実は燎が入学して最初に話した友人の、清々しいくらいに胸を張っての言葉。一応二週間である程度彼女の人となりを知った身からすると、肯定できる点と首を傾げる点が両方複数あるのだが。
なんとも言えない視線を受けて星歌も面白そうに相好を崩し、そのまま別の話題に口を開きかけるが――そこで。
「かがりくーん! ご飯食べよー!」
勢い良く教室の扉が開く音と共に、聴き慣れてしまった少女の声が。
「おっと、いつもの憧れの先輩のご指名じゃん。いってらっしゃーい」
「間違ってはないんだけどその言い方はやめてくんない?」
珍しい二年生の……付け加えるならば校内でも有名な美少女の先輩の登場にざわめく教室の中で、星歌が完璧に揶揄い混じりの声でそう送り出す。
色々と言いたいことはあったが、ここであの先輩を放置すると更に変な騒ぎになるということは実際そうなりかけた先日を踏まえて把握しているので、おとなしく彼女の――ほたるの元へと向かい、とりあえず言いたいことを一つ。
「先輩、騒ぎになるのでやめてくださいって先日言いませんでしたっけ?」
「? うん、だから声量は前より抑えたよ」
「……分かりました、多分これは具体的な行動を言わなかった俺が悪かったです。その辺りも含めて話しましょう、屋上で良いですか?」
「うん!」
そこからそんな会話をしながら、ほたると共に教室を離れる燎。それと入れ違いで何故か教室に戻ってきた影司が自分の机へと向かい、気付いた星歌が声をかけた。
「あれ、どしたの?」
「忘れ物。……というか、あのやりとり見て改めて思ったんだが」
端的に自分の用事を説明したのち、影司が呟く。
「よく見ればあんだけぶっ飛んだ要素持ってて、一芸入試組で。極め付けは、
「……ああ」
入学以降、燎という少年に抱いた感想を、星歌と共に呆れ混じりかつ端的に。
「――あれで目立つなっていうのはどう考えても無理だよなぁ」
「同感」
旭羽高校一年、暁原燎。
本人の意思とは関係なく、既に学内で謎の注目を浴びつつある。それが、入学から二週間経った彼の現状だった。
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