4話 予想外の歓迎会

「思ってたのより十倍くらい格好良い名前だった……!」

「正直俺も名前負けしてるとちょいちょい思ってます」


 暁原燎、という正式名称を漢字込みで説明すると、申し訳なさそうに縮こまりながらそう言われた。

 実のところ漢字を間違われる、『かがり』ではなく『りょう』と呼ばれる等々その辺りの勘違いはこれまでの人生で結構あったため、そこまで気にしてはいない。

 それはそれとして……


「……俺の名前自体は聞いていたんですよね? 何故漢字だけピンポイントで知らなかったので?」

「聞くの忘れてたの! 今日思い出してはるさんに聞こうとしたけど、はるさん普段は超忙しいから捕まらなくて……!」


 はるさん、とは晴継のことだろう。編集が本業らしいので咄嗟の電話で捕まえらないのも納得できる。そこで改めて燎は目線を上げ、例の『秋原かがりくん、旭羽高校へようこそ!』と書かれた横断幕を見た上で、ふと思いついてこう告げる。


「漢字が分からなかったのなら、普通に『あきはらかがり』で全部平仮名にしておけば無難だったのでは……?」


 ほたるが固まった。


「……天才?」

「……そうですね、俺が天才だったのかもしれません」


 流石に初対面の先輩に『あなたの方が云々』と言うのは躊躇われた。

 それら一連のやり取りをした上で、燎は改めて眼前の少女を見やる。


(この人が……夜波よなみほたる、先輩)


 晴継から聞いていた彼女の名前を心中で復唱する。ちなみにこちらはしっかりと漢字込みで聞いている、『ほたる』が平仮名なことも含めて本名のはずだ。


「えっと……ごめんね……?」

「あ」


 その視線をどう思ったか、ほたるが不安げにこちらを見てそう謝ってきた。

 それを見て燎も思い至る。よく考えればいきなりこんな粗を指摘するような真似をするのはどう考えても失礼だし嫌な奴だろう。慌てて口を開いた。


「いや、その! こちらこそすみません、いきなりこんな歓迎を受けるとは思っていなくて、思わず目についた突っ込み所に意識が向いてしまったというか」

「そう、なの?」

「はい。名前の件は本当に気にしていませんし……歓迎、してくださっているんですよね? それは素直に嬉しいです。その……本日は、よろしくお願いします」


 まだ少し戸惑いながらもそう告げる。

 するとほたるは、言葉を受け取るや否やすぐにぱっと顔を輝かせ。


「うん! それじゃあ、立ち話もなんだし座って座って! これ、全部あたしの手作りなんだから!」

(切り替えが早い)


 なんとなくこの先輩の性格を理解しつつ、燎も促されるまま席に座るのだった。




 そうして、改めて自己紹介を挟んでとりあえず話しながら食べ物に手をつける。

 ……というか。先ほどは切り替えの早さに注目してスルーしてしまっていたのだが。


「え。これ……全部先輩の手作り、なんですか?」

「そうだよー。あれ、美味しくなかった?」

「いえ、むしろ美味しいから驚いてます」

「! ……でしょ! 全部自信作だよ!」


 テーブルに並ぶ色とりどりの惣菜を手に取りつつ燎は再度驚く。

 普通、こういう歓迎会の食べ物の類は取り寄せるのが普通だと思っていたから尚更に。


「やっぱり、一人暮らしをする以上こういう自炊の能力が鍛えられたんですか?」

「んー、それもあるし、あたしの場合は……あきはらくん、こういう経験ない?」

「経験?」

「うん。――料理漫画にはまるあまり、自分で料理をするのにもはまってレパートリーがうっかり三十くらい増えちゃった経験」

「流石にないと思います」

「ないの!?」


 いや、創作物に影響を受けるのは分かるが、そこまで極端なのは聞いたことがない。

 しかし、だとしても……と燎はテーブルの上を見渡して、そこから再度視線を上げて例の横断幕を見る。

 これらの料理も、あの横断幕も恐らくはほたるの手作りだし、よくよく見れば名前を間違えていること以外は尋常ではなくクオリティが高い。

 いや、晴継から聞いた彼女の『本職』を考慮すれば横断幕に関してはここまでできても不思議ではないのだが、だとしても。


「これ……相当手間がかかったのでは?」


 浮かんだ感想を口に出した。

 この歓迎のために用意したものを全て手ずから作ったとなれば、自然とそうなるのではないだろうか。

 その手間を考えると、驚きと申し訳なさと、あと少しの疑問が湧くのだ。

 それらを込めた燎の言葉に、しかしほたるは……何故か少々慌てたように手を振ると。


「い、いやいやいや! 全然そんなことないよ!」

「そう、なんですか?」

「うん! 料理も意外と道具とか使えば簡単にできるし、何かを描くこともあたしは慣れてるから。ほたる先輩にかかればこの程度ちょちょいのちょいなのです!」

「だとしたら……すごいですね」


 そう言われると、どちらの手間も詳しく知らない燎としては頷かざるを得ない。

 疑問を残しつつも、眼前のコップに手を伸ばそうとして……そこで空になっていることに気づく。少しテーブルの奥に目を向けると、ペットボトルも同様に。


「あ、飲み物切れちゃったね。追加取ってこないと」

「みたいですね。そこの冷蔵庫ですか?」

「えと、うん! ……取ってもらってきても良いかな?」

「はい」


 位置的に燎の方が圧倒的に近いのだ。それくらいなら全然と快く引き受けて立ち上がり、冷蔵庫の扉に手を伸ばして。


「……あっ、やっぱだめ――」


 何かに気づいて慌てたほたるの静止――の半秒前に扉を開け、それを見た。


 ――目に入ってきたのは、冷蔵庫に所狭しと並べられた惣菜の数々。

 軽く観察すると、全て今テーブルに並べられているものと同じと分かる。違いを挙げるとするならば、テーブル上のものと比べて形が崩れていたり焦げが目立ったりするくらいか。

 ほたるの方に目を向ける。


「あ、えと、それはその、作りすぎちゃったりして」

「察するに試作と……後失敗作が大半ですか?」

「秒でバレた! 大丈夫ちゃんと後で全部自分で食べるよ! あっ、じゃなくて、その……うう」


 必死に言葉を探していたが、やがて言い逃れできないと悟ったように肩を落とし。


「はい……実は多分今きみが思ってるほど料理上手ってわけじゃないです……一応漫画知識とかでレシピだけは多いけど、実際に自分で作るとなるとこの通り大分失敗しまくっちゃう程度の腕前ですごめんなさい……」


 気まずそうに目を逸らしつつ白状した。つまりはそういうことらしい。


「それなのに自分で用意しようと思ったんですか」

「だって尊敬されたかったんだもん! うう……お隣さんのすごく格好良いなんでもできる完璧な先輩として見てもらいたかったのに……」

「……大変申し訳ないですが、その印象は割と初期に無くなってます」

「そうなの!?」


 最初に名前を間違えた時点でそれに関しては手遅れだと思う。

 ……けれど、燎が思ったことはそれに関してではない。

 ここから分かることは、少なくとも――先刻ほたるが述べていた『手間がかかっているわけではない』との旨の言葉は嘘ということになる。

 で、あれば。尚更膨れ上がった先ほどよりの疑問を……迷いながら、燎も告げる。



「……どうしてここまでするんですか?」



「え……?」

「あ……その! 誤解されるのは嫌なので先に言いますけど……さっきも言った通り、俺としてはすごく嬉しいです。初めての一人暮らしな上に知り合いが一人もいない高校に入るのもあって、正直なところ結構不安だったので……理由がどうあれ先輩が友好的にきてくださるのは普通にありがたいというか」


 まあまあ恥ずかしいことを言っている気がする。

 けれど、ここから言うことを踏まえるとそこを誤解してほしくはなかったから。まずは率直な心の内を述べると決めて、燎は続ける。


「この料理の件も……それくらい、不得手でもちゃんと歓迎しようとしてくださっていたんですよね? だとすれば、それは俺にとっては一番尊敬したいところです」

「!」


 ほたるが目を軽く見開く。

 けれど、本当に聞きたいのはここから。一つ息を吸い、意を決して口を開く。


「……でも。『そう思わない人がいる』というのも、俺は知っていて」


 ここに来る契機となった、かつての仲間との決別。

 そこから学んだこと、あれから考えて分かったことを踏まえて燎は続ける。


「良かれと思ってのことが迷惑になることがある。自分にとっては善意でも相手にとっては押し付けだったり負担だったりすることがある。気心の知れた仲間が相手でも、そういうことはあって」

「……」

「ましてや、先輩にとって俺は名前しか知らない、顔も性格も知らなかったたかが後輩一人じゃないですか。そんな人のためにここまで用意して……迷惑だとか重いだとか思われるんじゃないかって……怖くは、ならなかったんですか?」


 ……改めて振り返ると、これこそ初対面の先輩に聞くことではない気がする。

 でも、知りたかった。ひょっとすると彼女の遠慮のなさに当てられたのかもしれない。

 そんな燎の真剣な問いの気配を感じ取ったか、ほたるもしばし考えて答えてくれる。


「んー……そうだね。そういうことを考えなかったと言えば嘘になっちゃうかも」

「じゃあ――」

「でも、それより何より、あたしがやりたいことだったからさ」


 そうして返ってきたのは至極単純、だけれど明るい答え。


「やりたい、こと?」

「そうだよ! お隣に後輩が引っ越してきて、先輩が歓迎会を企画するとかすっごい青春イベントじゃん! 高校生――というか学生だったら絶対一回はやってみたいよね!?」


 言わんとするところは分かるが。


「だったらもう、不安とか怖いとかはもう全部一回傍に置いてとりあえずやってみちゃう。それで、もしそれが誰かに迷惑をかけちゃってたらとにかく謝る!」

「……」

「もちろん、限度はあると思うけどね。でも、少なくともあたしは――」


 驚きに固まる燎をまっすぐに見て。

『自分』を伝えるように、ほたるは胸に手を当てて告げる。



「誰かを理由に、自分の『やってみたい』を我慢するのは、すごく勿体無いと思うんだ」



 それは、きっと彼女がこれまでの経験から導き出した自身の行動指針で。

 それが……驚くほどすとんと、燎の腑に落ちる。


「で、だからさ。もしあきはらくんにこれをちょっと迷惑かもって思われちゃってたならあたしは今すぐ土下座も辞さない構えだったんだけど」

「覚悟がすごい」

「でも……迷惑じゃ、ないんだよね?」


 少しだけ不安を滲ませての、上目遣いの問いかけ。

 誰が見ても美少女のほたるにそのような仕草をされてやや動揺しつつも、本心から燎は頷く。


「えっと、はい」

「格好良くて可愛い先輩に全力で歓迎されて嬉しいんだよね?」

「流石に調子に乗るのが早すぎません? ……まあ、そうですけど」


 これは本心が冗談か分かりにくい言葉に一応突っ込むが、ともあれ嘘ではないことが伝わったのだろう。ほたるはぱっと顔を輝かせ。


「じゃあさじゃあさ! 実は……まだ用意してるものがあって」

「まだあるんですか」

「うん! ……正直言うとここまでは重いかなーと思ってて出すかどうか迷ってたんだけど、もう全部見せちゃっていいかなって。いい?」


 ここで断る選択肢はない。頷くと、ほたるは「ちょっと待ってて!」と言い残して隣の、もう一つの部屋へと引っ込んでいく。

 程なくして、再度勢い良く隣の扉を開け放ち――そこから見えたものに、燎は驚きに目を見開く。

 そんな彼を他所に戻ってきた彼女が片手に持っていたのは、タブレット端末。


「はるさんから聞いたんだけど、あきはらくん、曲作ってる人なんだよね?」

「ええと……はい」

「だからさ。あたしのできることで一番歓迎の意思が伝わるものは何かなーって考えて……だから、これ」


 言葉と共にタブレットを開き、少し照れ気味に見せてきたのは。



「――きみの曲のイメージイラスト。描いてみたんだけど、どうかな?」

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