3話 お隣さんの美少女先輩

 翌年、四月。


「まさか」


 とあるマンションの一室にて。

 一通りの引越し作業を終えた綺麗な部屋の中央で、燎はぽつりと呟く。


「……俺が、高校から一人暮らしをすることになるとは」


 半年前には夢にも思わなかった――と。

 天井を見上げつつ、ここまでの経緯を思い返すのだった。




『日本一楽しい高校に、行ってみる気はないかい?』


 結論から言うと、あの日晴継に言われたこの誘いを、燎は受ける形となった。

 無論即決したわけではない。その場で詳しい話を聞いて、連絡先を交換した上で持ち帰り、話を何度か重ねた上での熟考の末の決定だ。


 あの日以降何度か聞いた、晴継曰く『日本一楽しい高校』の話。

 流石にその評価には彼の主観が多分に入っているだろうが――確かに、そう評したくなるのも分かる。話を聞いただけの燎でも、そう思えるほどの魅力があった。

 だから、判断の決め手になったのは二つ。この高校でならば燎の目的、目標に大きく近づけると思ったことと……後は、単純に燎も楽しそうだと思ってしまったからである。


 かくして進路を決定した燎ではあるが……まぁ、そこからも大変だった。

 その高校は地元から通うには少々遠い場所にあるため、必然そこに入学するならば一人暮らしをすることになる。高校生の一人暮らし、となると世間的にも珍しい部類に入ることもあり、基本は温厚かつ良い意味で放任主義な両親との話し合いもそこそこ長引いた。


 最終的に認めてもらえたのは、ある程度は晴継が見てくれることと……自分で言うのもなんだが、燎が普通に品行方正な良い子だったこと、つまりは『一人暮らしをしたところでそこまで羽目を外したり怪しいことをしたりはしないだろう』と判断してもらった件が大きいだろう。

 その辺りに関しては、自分のこれまでの行いと両親の人柄に感謝である。


 それからも色々あった。その高校はそれなりの進学校であるために入学試験の勉強、後は燎が受けることになる『特殊な入試』の対策。

 教師との話し合いや、友人との……


(……ああ)


 そこで、改めて燎は思い返す。ここに来る契機となった、あの日の出来事の大元を。


(あいつらとは、結局仲直りできなかったな)


 かつての仲間、バンドメンバーとは文字通りそれっきりとなった。

 一応翌日学校で謝り合いはしたが、それ以降はほとんど会話もせず、音楽をまた一緒にやるなんてもってのほか。

 結局彼らとは、『ライブの失敗を契機に解散』という極めて面白みもなくありきたりな結末に落ち着いた。


「……」


 その日のことを考えると、半年近く前のこととはいえやはり未だ微かに心は痛む。もう少し何かできなかったのだろうか、と考えてしまう。

 でも、吹っ切らなければならない。

 燎にもなりたいものがあって、やりたいことがあるのだ。

 それを再確認するように、口を開いて告げる。


「……作曲家になりたい。あの日憧れたような曲を、何度でも作ってみたい」


 きっかけは、ありふれたものかもしれない。

 動画サイトを回っていたときに見つけた、何年か前に流行った曲だ。


 ――聞いた瞬間、夜空が見えた。

 一瞬で夢中になって、時間がある限り何度でも聞いた。その人が作った他の曲も聞いて、その全てが大好きになった。

 そうして他の曲も次々と探して、優れた曲を何度も聞いているうちに……自然と、自分でもそういうものを作りたいと思うようになった。ただそれだけの、きっとどこにでもあるようなお話だ。


 それから自分で始めてみて……最初から上手くいくことなんて全然なくて、躓くことばかりで。迷いながら何か光明を求めて始めたバンド活動も、あんな結末になって。



 そして――結局そんな経験をしても、自分の悩みである作曲活動の行き詰まり。ずっと作ってはアップロードしている曲が伸びていない現状は、半年以上解決していなくて。

 それでも、諦めたくない。だから、燎はここに来た。



「……ここなら」


 この高校なら。晴継から聞く限りでも、きっと刺激に溢れているだろうこの場所なら。

 何かが足りないのは分かる、でも何が足りないのか分からない。そんな燎の悩みに対する答えが、見つけられるのかもしれないと。

 そんな期待と……それと、これを言うのは少しばかり恥ずかしいが。

 きっと、楽しい高校生活が待っている。そんな歳相応の期待も抱いて、燎は立ち上がる。




「っと、そろそろか」


 ふと時間を確認すると、約束の時刻が迫ってきていた。

 というのも、先日。このマンションを紹介した晴継に、手続きを済ませた後こんな提案をされたからだ。



『高校について聞きたいの? まぁ一応僕が教えても良いけど……そういうことなら、僕よりも適任の人がいるよ』

『適任、ですか?』

『うん。OBからよりも現役の人から聞いた方が良いだろう? 実は今君が入居手続きした部屋の隣に、まさしくその高校の子が住んでいるんだ。今年から二年生のね』

『!』

『同じく僕が去年高校に誘った、僕の遠縁の親戚の子でね。いずれ紹介はするつもりだったけど、そういうことなら丁度良い。入居の日に予定を空けておくよう頼んでおくから、入居の挨拶と一緒に色々聞いてくると良いよ』

『……どんな方なんですか?』

『んー……身内の贔屓目も結構入ってるかもだけど、言うなればすごく・・・あの・・高校・・らしい・・・子かな。それと――』


 少しだけの不安を含ませた、燎の問いに。

 晴継は時折見せる、微かに悪戯げな微笑みと共に、こう答えた。


『――多分、君とは仲良くなれると思うよ?』



 そんな、言わばこれからの先輩に当たる人物への挨拶をする時刻が迫ってきていた。

 軽く身だしなみを整え、一応は引越しの挨拶なので土産を持って部屋を出て、隣の扉の前に立つ。


 ……流石に緊張はする。

 どういう人かは大まかに聞いたが、教えてもらったのは主に何をやっているか等のこと、人となりや性格については先述のふわっとした情報と――それと、アドバイスを一つもらったのみ。

 アドバイスは今は関係ないとして、人柄に関しては自分で判断するべきだと燎も理解している。とは言え、心の準備をできるくらいには知りたかった、とも思いつつ。

 一つ呼吸を吐いたのち、意を決して呼び鈴を鳴らす。


「あっ、はーい!」


 返ってきたのは、思った以上に高い声。

 程なくして内側から軽い足音が響いてきて、かちゃりと扉が開かれる。


「――」


 思わず、目を奪われた。

 中から現れたのは、小柄な女の子。多分、すごく可愛い、と形容をつけても誰も文句はないだろうと思える程に容姿の整った少女だ。

 始めて見るほど珍しく色素の薄い髪に、薄紫の大きな瞳。その色合いや顔立ちだけだと儚さや透明感を強く感じるような外見だが……


「あきはらかがりくん、だよね! はるさんから話は聞いてるよ、今年からの後輩くん! すっごい楽しみにしてたんだから!」

「え、あ、その?」


 対照的に、これも可愛らしい声から紡がれる言葉や愛らしい顔立ちから見せる表情は快活そのもの。天真爛漫、という言葉が似合う仕草と共に、燎を見る瞳には純粋な興味と期待が浮かんでいる。


 これまでに見たことのないレベルで可愛い女の子に会った衝撃と、その外見と仕草のあまりのギャップで一瞬固まる燎。

 しかしそんな彼を意に介さず、少女はそのまま更に一歩燎に近づいて。


「!」

「うちの高校のこと聞きたいんだよね? いいよ、先輩が何でも教えてあげちゃう! とりあえず入って入って!」


 そう言えばこの人先輩だった、と何故かそこで再確認する燎を引っ張るように部屋の中に案内する。良いのか色々、と戸惑いながらもここまで純粋に歓迎の意を見せられて断ることもできず、素直に靴を脱いで誘われるまま中に入る。


 けれど、衝撃はそこで収まらなかった。

 リビングの前で「ちょっと待ってて!」と燎を置いて中に入り、しばし足音を響かせてから「もう良いよー!」と声がしたので、恐る恐る扉を開けると。


「というわけで――」


 ぱぁん、という音と共に。

 目に飛び込んできたのは、クラッカーを鳴らした体勢で瞳をきらきらと輝かせる少女。

 その後ろ、テーブルの上に並ぶ色とりどりの料理たち。更にその上には、恐らく手作りと思しき横断幕。

 その横断幕に書かれている言葉を……そのまま、少女は明るく告げるのだった。


「――秋原かがりくん。旭羽あさひば高校へ、ようこそ!」




「……」


 呆然とする燎。

 呼び鈴を鳴らしてから今の瞬間までの一分少々で、あまりにも衝撃的な出来事が起こりすぎて何からどう処理して良いのか分からない。

 なので、とりあえず。この光景を見て真っ先に思い浮かんだ感想を一つ。

 歓迎はすごいしてくれてるんだなとは思いつつも、燎は素直に述べてしまうのだった。


「……名前、間違ってます」

「……あれ?」

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