たんぽぽ奇譚

洞貝 渉

たんぽぽ奇譚

 なじみ深いものが視界の端に映り込んだ。

 知っている、と、なんだろう、の、中間な気持ちで立ち止まり、よく見るためにしゃがみ込む。

 耳鳴りがする、と思った次の瞬間に轟音がして熱風が頭上を通り過ぎた。

 

 それはたんぽぽで、白いたんぽぽなんて初めて見たしこんな寒い時期でも咲くものなんだ、と感心する私と、今はそれどころじゃなくないか? と、目の前で燃え盛る半壊した車を呆然と眺める私が、頭の中で自己主張をし合っている。

 ふと顔を上げれば、先ほどまで私の頭があったであろう辺りの壁がえぐれて、小さく燃えていた。


 危機一髪、とはまさにこのことだろう。

 白いたんぽぽに気を取られなければ、今頃えぐれていたのは壁ではなく私の頭だ。

 スマホを片手に人が集まってきたけれど、警察や救急車はまだ来ない。

 私に怪我はない、そしてここに居ても私に出来ることは無い。

 突然のことで呆然としてはいたものの、なんとなく長居していい状況でもなさそうだったので、立ち上がり、駅へ向かって再び歩き出す。

 

 そういえば、前にもこんなことがあった気がする。

 いつだったかよく思い出せないけれど、あの時は自転車が曲がり角から急に猛スピードで突っ込んできた。たまたま路肩に咲いていたたんぽぽに気を取られ立ち止まったからギリギリぶつからずに済んだけれど……。

 そうだ、初めて見たと思ったが、確かあの時見たたんぽぽも白かったような。




 駅が見えてきた。

 フリースクール用の手提げかばんを強く握りながら、祈るような気持ちで改札をくぐる。今日もあいつらはいませんように。

 はじけるような馬鹿笑いが聞こえてぎょっとする。

 見るまでもなくあいつらだった。

 私が学校ではなくフリースクールへ通うようになった原因のあいつら。

 学校の最寄り駅ではないものの、利便性が高く利用客の多い駅のため、時々こうしてあいつらと居合わせてしまう。でも、たいていの場合は私が先に気づき、距離を開けるなり隠れるなりするので絡まれることは無い。今日もあいつらはこちらに気がついてはいないため、私は人影に隠れてやりすごすことにする。


 大丈夫、大丈夫と言い聞かせる。心臓がやたら活発に動いているし手のひらは冷汗だらけで、握りしめた手提げがじっとりと濡れていた。

 一人が何か言い、残りが笑う、を飽きもせずに繰り返す。本当に楽しそうだ。こっちはそんな様子を陰に隠れて怯えながら見つめることしかできないというのに。

 まっとうな青春、みんなと同じ学校、なんなら、人生そのものまであいつらに捻じ曲げられたようなものなのに。なのにあいつらは、なんであんなに無防備に楽しそうなんだ?

 怯えが苛立ちに、そして怒りに昇華していく。

 たぶん今だけだ。帰るころにはこの怒りも萎んで、明日からはまたいつも通りの駅で、道で、うっかりあいつらと出くわさないかと怯えた日々が続く。

 わかっている。

 人はそうそう変われない。

 だからこそ、大胆に行動することも時には必要なんじゃないのか?

 例えば、今だったら、この急に湧いてきた怒りに身を任せてみる、だとか。


 アナウンスが入る。

 線路の向こうからやってくる電車の輪郭が徐々に大きくなるが、あいつらはアナウンスに耳を傾けることもホームに接近中の電車に意識を向けることも全身を強張らせながら近づいていく私の存在にも気付くこともない。

 一人でいい。

 あいつらの中の、一番ホームの端にいるやつを……一番落としやすい位置のやつを、全力で突き飛ばす。

 もうこんな、あいつらに怯えて、状況を変えるために何の行動もできない自身に自己嫌悪する日々はごめんだ。変わる、変える。それがどんな風な変化だったとしても、今よりはずっとマシに決まっている。


 電車が接近してくる。

 あいつらはどこまでも無防備にこちらに背を向けていた。

 私は怒りと恐怖と緊張と心臓の音でいっぱいいっぱいで、わけがわからなくなりそうだった。


 なじみ深いものが視界の端に映り込んだ。

 張り詰めた風船が急激にしぼんでいくように、私の中で張り詰めていたものがみるみる萎んでゆく。

 さっき見たばかりの、それは白いたんぽぽだった。

 自販機の隅に出来たコンクリートのヒビから顔をのぞかせ、ゆったりと平和そうにつつましく咲いているそれに私が目を奪われている間に、電車はホームに滑り込み、あいつらを吸い込んで、さっさと行ってしまった。

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