其は丸で災いのカミ

みれにあむ

其は丸で災いのカミ

「課長、ツーサンプラントの電気盤更新の件、見積もり作成しましたので承認お願いします!」


 オフィスにはきはきと元気な女性の声が響く。

 県立大学を出て、評判の電気メーカーに就職した新入社員の潑剌さに、オフィスの雰囲気が少し柔らかく緩んだ。


「――いえ、ちょっと!? 課長っ!? 印捺す前にせめて中身を確認して下さいよ!? ――ちょ、ちょっと!? 課長ーー!?!?」


 そして続く叫びに、緩んだ空気はそのままげんなりと溶け落ちて、オフィスの面々は悟りでも開いたかの様な達観した表情を浮かべるのだった。


 それはこのオフィスに居る面々が、皆通り抜けてきた道。

 世間的には評判のいい、西芯電工社で初めて受ける洗礼なのだから。


「ははは、やってるねぇ。今年も良い社員が入ってくれて我が社も安泰だ」


 そして、そんな場に部長がやって来るまでが一連の流れだった。



 西芯電工社。ネットで調べれば、社員約五百人の、中小ながら優良企業と検索される。

 同規模の他社が軒並み何らかのトラブルを起こしている中で、ここ十年大きなトラブルを起こさず、寧ろ他社の低迷の反動で躍進を遂げている。

 学生からすれば、抑えておきたい就職先になるのだろう。

 既に入社した先輩から、話を伺う機会が無ければ。


 入社して半年後、研修期間を終えて今更ながらの新人教育。会議室へと部長に連れて来られた新人、篠原美雪にとっては試練の時となるのが定められていた。


「常之内君は、見ての通りうだつも上がらなければ能力も無いが、我が社にとって無くてはならない人材なのだよ。

 と、言われても納得は出来ないだろうから、ここで業界の表に出せない話を聞いて行きなさい」

「……御上おかみ案件という言葉を聞きました。課長が天下りしてきた人とか、そういう事でしょうか?」

「ははははは! ――まあ、そう思うのは無理も無いが、常之内君は我が社の守護神なんだよ。少々オカルトが入って来るがね? 彼が居なければ我が社も無事では無かったろうな……」


 美雪が、噂に漏れ聞こえてくる御上案件との言葉からの推測を口にすると、しかし部長はその言葉を笑い飛ばして感慨深げな視線を何処とも無く投げている。


「ただその言葉を知っているなら話が早い。御上案件とは文字通り御上から下される受注案件だ――が、普通の企業ならまず受けはしないだろうな。使用する部品メーカーが指定されている上で、検収の条件がほぼ此方こちらの持ち出しだ。メーカーで実施した検査記録の確認だけで検収し、その後不具合が有っても責任を負わない。立ち会いすら許されないなどと巫山戯ている。その上で納入された部品は不具合品ばかりだ。

 君も見積もりをしたなら特定のメーカー部品は倍額で見積もる様に指示されただろう? 自分達で一から作り直した方が早いからだよ。

 そんな理不尽な地雷案件など受けたくは無いが、受けないでいたメーカーの末路は資格停止や入札からの締め出しだ。受けざるを得ない。

 これが御上案件というものだな。業界の闇だよ」


 美雪は絶句して、まじまじと部長の顔を見上げる。


「失望したかね? しかしこの業界は何処の社も同じなのさ。

 それに真面目に対応すれば、他社さんの様に際限の無いトラブルとの付き合いが始まる。この業界から抜けていった社も結構な数に上るよ。

 では、何故我が社が、西芯電工社だけは無事だったのか。

 それが気になっているのでは無いかね?」

「い、今のお話ですと、がわだけ指定のメーカー製で、中身が自社製だったから――」


 当然導き出されるだろうその結論に、部長は穏やかな眼差しで笑みを溢す。


「ふふ……それが出来ていれば或る意味この理不尽に対する真っ当な対処だったんだろうね。

 ……六年前に、完全に無理な注文を御上から押し付けられてね、どう考えても間に合わない工程と物量で、これは会社を畳む事になっても今なら社員に退職金を渡せると、違反金やら何やらで被害を被る前に一旦は要求を撥ね除けよう、としたんだがね、殆ど脅しを掛けられて逃げられなかった。

 唯一勝ち取れたのは、我々は組み立てるだけで検査無しでの納入とするという事だけさ。

 企業としての責務を投げ捨てた、破れかぶれの契約だよ」

「それは……滅茶苦茶です……」

「それが出来たのも、当時はまだ二百名足らずだった社員が全員、御上の所業に怒り狂っていたからだがね。社長がこれを最後に会社を畳むと言っても当たり前だと賛同してくれたのが大きかった。

 ――が、そうは言っても凡ゆる手を尽くさねば管理職として失格だ。

 と言っても打てる手は無いんだがね、社員同士のちょっとした噂話から、何故か妙に運のいい、絶体絶命の状況からするりと抜け出してくると噂の常之内君を、そのプロジェクトの取り纏め責任者としたのだよ。

 社内確認の検査も徹底して行わず、ただ組み立てて納入するだけならば上司の判断も要らん。寡黙と言う以上に口を開かず、承認印を捺すしか出来無い男でも変わりない。

 常之内君に求めたのは、このどうにもならない理不尽を覆す運!

 ――その結果、どうなったと思う?」


 想像するだけで胃が痛む状況を聞かされて、美雪は過呼吸に陥りそうになりながら、考えを巡らせる。


「い、今も会社が存続しているという事は、何かが起きて、無傷で……済んだ?

 え!? どうやって!?」

「まず、我々は指定の部品を使って電気盤の形をした映画セットを最速で納めた。ああ、もうあれは映画のセットと思わなければ遣ってられなかったよ。

 そして納めてしまえば、真面目に対応した他社さんと違って時間の余裕が出来たからね、その間に会社を畳んでしまおうとしたのだが――」

「したの、だが――?」

「その前に、この辺り特有の強風で老朽化していた旧工場が倒壊した」

「え!?」

「映画セットを納めた化学プラントもね、酷い嵐に遭ったみたいで土砂崩れに飲まれて、我々の納めた映画セットが全てお釈迦になった」

「――は?」

「すると元々が理不尽な無茶振りをする御上だ。直ぐに代わりの製品を送れと言って来たが、生憎此方は工場が潰れて無い。

 流石にその状況では理不尽も引っ込んで、代わりに他社さんに理不尽が回った。

 結末としては、結局その化学プラントの責任者が失踪して、プロジェクトは無かった事になった。そして納品が間に合わなかった他社さんには代金も支払われずじまい。我が社にも渋られて半額しか支払われなかったが、気の利いた奴がしっかり保険を掛けていた御蔭で、九割までは回収出来た。何と言っても我々がしたのは契約通りで、何も瑕疵が無かったからな。

 結論として、元々老朽化していた工場が倒れたくらいで、殆ど痛みの無いままに終わった。

 ミラクルだ」

「え……電気盤が、土砂崩れで? 工場は潰れてもリスクを回避!? ……え!?」

「契約通りとは言え映画セットを電気盤として納めるのも、工場が倒壊するのも、納め先が土砂崩れに遭って不払いとなるのも、そのつけを回されるのも、どれも通常なら致命傷だが、巧く合わさって奇跡が起きた。

 何より、御上に明らかな貸しが出来た。序でに言うなら、より理不尽に見舞われた他社さんが怒り狂った御蔭で、御上も多少は落ち着いた。

 そうなると、御上以外にも顧客が居ると思い出した我らは、御上相手の案件は常之内君に任せて、会社を存続させる事を決めたのだよ」

「え……ぇえ!? 国を相手にした案件は真面に扱わないという事でしょうか!?」

「御上だよ、御上。いいね、御上だ。

 それに間違えてはいけない。常之内君が承認印を捺すだけのマシーンだとすれば、健全な製品を送り出せるかは君達次第なんだよ。

 常之内君の下で御上案件に従事する二年間を生き抜いたならば、きっと何処の業界でも平然とした顔で渡って行ける。この地獄を乗り越えれば、何処へ行っても極楽と思えるだろうさ。

 西芯電工社を五百名以上の会社にしたのはね、常之内君の危機回避能力も有るだろうが、そこで鍛え上げられた君達の先輩達が頑張ったからだよ。

 君がその後に続く事を願っている」



 美雪がオフィスに戻ると、甘い匂いのカップを手にした先輩が待ち受けていた。


「お疲れ様。あなたにはきっと甘いココアが必要と思ったのだけど、どう?」

「有り難く、頂きます!」


 はふはふと半分啜り上げて、深い深い溜め息の様な吐息を漏らす。


「びっくりしたわよねぇ。ええ、びっくりするわよ。びっくりしない筈が無いわ」

「……びっくりしました」


 先輩達が、何か言いたくても言えないでいるかのような、或いは薄い壁が間に有る様に感じていたのはこれだったのかと、美雪は納得しながらココアを啜る。

 周りには他課も含めた先輩達も集まって来て、美雪は漸くその壁が無くなったのだと知った。


「ははは、はぁ~~。御上案件は腐っているからな、覚悟しろよ。多分聞いたのは六年前に会社を畳もうとしたって話だと思うが、その後も色々と有るぜ?」

「リンゼイ化学の件でうちだけ代金を払う事になったのを逆恨みされて、一度は潰されそうになったからなぁ」

「物は作らず設計だけなんて仕事が回されてきたのよ。儲かっているのを見て、シェアを奪おうとしたのでしょうけど」

「それが終わった直後に、何処から嗅ぎ付けてきたのか、御上案件だけ不当に見積もりを高くした虚偽の申告をしているって理由で、別方面から四ヶ月の営業停止処分だ。適当に配線された映画セットを使える部品に修正するのにどれだけ掛かると思ってやがるんだか、な!」

「どちらもそれだけなら致命的なんだけどねぇ~……」

「嗚呼……うちには常之内課長が居るからなぁ……」

「組み立てればそれで完成するって思っている御上だから、普通に指定メーカーの部品を使って組み立てるでしょ? 動く訳無いでしょ?」

「それで図面がおかしいと乗り込んで来ても、ちゃんと手直しした部品を使えば動く訳だ」

「なら、うちに押し付けようとしても営業停止処分中」

「他社へ押し付けたなら、まだまだ怒り狂っているから会社畳むの覚悟の上での猛反撃」

「結局うちの主張が認められて、営業停止も解除されたって訳」


 そこで、集まって来ていた他課の課長が苦笑を漏らす。


「しかし、あの時の常之内課長は傑作だったな。腹芸が出来無い男だから、端的に事実を伝えるだけだが、メーカーの指定が無ければこの値段です、このメーカーの製品は使い物になりません、電気部品に似せた映画のセットの様な物ですから、分解して半田や配線を手直ししてますので倍額見積もりでも良心的です、本来なら更にこの倍額でしょう、このメーカーの物を使用するなら不良品は検収しない事を認めて貰わなければ――と、冷や汗を掻く程に気を遣わなければ、怒鳴り付けられようと平気の平左だからな」

「本当なら格好良いってなるんでしょうけど」

「常之内課長ですね~、としか」


 どうやら課長に対しては共通認識が出来ていた。


「しかし、あの男も神経が無い様に見えて、思い悩みはしている様だから、軽んじる事は無い様にな。あれで六年前は髪もふさふさだったんだ」

「え!? 本当に!? あのバーコードが!?」

「俺が入社してからも薄くなりましたからねぇ」

「しかしその神通力は神懸かっているよ。彼こそ西芯電工社の守護神なのは間違い無い」

「神懸かりだから、奇跡を起こすと髪が力を失ってたりして」

「はっはっはっ、ならば君達には常之内課長の髪を守る為にも、頑張って貰わないとね」



 半信半疑だった美雪だが、課長の動向に気を付けつつ暫く過ごすと色々と見えてくる。


 会社へ送電している鉄塔が老朽化と落雷で倒れた時、世の中ではコンピュータウィルスが猛威を振るい、多くの製造業が工場停止に追い遣られていた。システムのバックアップが不完全だった西芯電工社では、復旧も出来無かったかも知れない大事件だった。


 海外から新規工場の電気盤大量受注が来た際に、汎用盤だからと御上案件では無いがリスク回避に常之内課長が取り纏める事になった。船便のダブルブッキングで納期が二ヶ月遅れた。その間に発注者達は、集まった製品と共に行方を眩ませた。詐欺だった。


 どれも単品ではこの上無い痛手だが、危機一髪潜り抜けていた。


 そんな或る日、昼休みの時間に流れたニュース映像に、社員全員が噴き出す事になる。


『――こちらは、本日AM七時十二分の海南道店頭監視カメラの映像です。こちらの傘を差している男性に注目です。

 今朝は豪雨が降っていましたが、ここ、男性がマンホールに――』

『うわ!? 吹っ飛んだっ!! って、ええっ!?』

『もう一度スローで流しますね。男性がマンホールに乗った瞬間、水道管破裂でマンホールごと飛ばされて――』

『其処にスリップしたトラックが突進したのを飛び越え――って、これは!?』

『ビルから落ちてきた鉄骨が、トラックの荷台を串刺しにしたのです』

『そして男性がその荷台に無事着地!? いや、これフェイクでしょ!?』

『いえ、実際の映像です。そして男性は、何事も無かった様に立ち去っていきます』

『有り得ないでしょう!!』


 どう見ても、見覚えの有る人影だった。


「あ、あのー……あれ、課長ですかぁ?」


 問い掛ける声に目を向けた常之内課長は、無表情に答えた。


「怪我は有りません」


 我慢出来ずに給湯室に駆け込んだ面々が、小声で口早に話し合う。


「(俺、課長の神通力舐めてたわ!)」

「(課長って不死身!? あれ、絶対死んでるよね!?)」

「(怪我は無いって、なんでそんなに平然としていられるの!? もしかして日常茶飯事!?)」

「(怪我は無くても、毛が無くなってるよー!?)」


 最早、守護神常之内課長の神通力を誰も疑わなくなった。


 しかし、事件は起きる。

 その日は年末の納会として、夕方から屋外での宴会だった。

 持ち寄った食材を網で焼いたり、差し入れの高級酒を皆で飲み比べたり。


 庶務の女性が熱いお茶を配り歩いている時に、何も無い所で躓いて、急須を宙に放り投げた。

 同時に工場に入り込んでいた野犬が、急須の投げられた先に居た常之内課長に飛び掛かっていた。

 急須は野犬に当たり、野犬は熱いお茶を被り、驚いた野犬の襲撃は只の体当たりとなった。


「お。おい……」

「は、はは、は、年末から常之内の幸運を見せ付けられるとは、幸先がいいやね!」

「(ちょ、ちょっと部長!?)」

「(どうしたのだね?)」

「(今、課長のバーコードが一房、はらりと落ちましたよ!? もしかして、バーコードになっているから判り難いですけど、課長の髪も残り少ないんじゃ)」

「(……き、き、緊急事態だ!!)」


 常之内課長の神通力が無くなったなら、会社は終わる。

 常之内課長の居ない所で、緊急プロジェクトが組まれる事になった。


 西芯電工社では納会といいつつ、その後何日も仕事が続く。

 その間、護衛として常に二人、常之内課長に付き添う様になった。


 お茶を汲むにも大回りで、決して焦らず慌てずに。

 蛍光灯の固定は良いか、良し!

 契約内容に穴は無いか、良し!

 構内では交通ルールを守りましょう!

 路面には凍結防止剤! 早目のチェーンを忘れずに!


 いつからか、オフィスの神棚には抜け落ちた課長の毛が祀られていた。


 しかし、年末の駆け込みとばかりに理不尽案件は降り掛かり、知らない所で事件も起きる。


「部長~!! 残り三本! Qちゃんみたいな三本しか有りませんよっ!?」

「は、はは、は、何と言う事だ。三本、三本しか無いという事がどういう事か分かるかね?」

「奇跡が最大三回しか期待出来ない!」

「三枚のお札という話が有る。絶体絶命の危機に立ち向かう三枚の切り札だ。創作も含めて多くの物語で三つの切り札が鍵となっている。

 髪の毛にも、そんな話は有るのだよ。

 私も疎覚うろおぼえだが、西遊記で孫悟空が金角銀角と名乗る妖怪と対峙し、名前を呼ばれて返事をすると吸い込まれる瓢箪に閉じ込められる話が有る。その瓢箪自体は本物の宝具で、孫悟空の絶体絶命のピンチだ。

 その孫悟空、毛を抜いて吹き散らせば分身になる身外身の術を使うが、毛の内に三本だけ特別硬く力を持つ命毛いのちげが有る。その命毛の一本を弓とし、一本を弦とし、一本を矢として瓢箪を内側から射貫き、窮地を脱出したのだ。

 私にはこれから降り掛かる災いが、今までとは比べ物にならない気がして仕方無いのだよ」

「部長! 不吉な事は言わないで下さいよ!?」

「これから年末年始の休みに入る。果たして常之内君の髪は無事でいられるのだろうか」

「だから部長! 口は災いの元ですぅ!」


 その年、西芯電工社社員のどれだけが、年末年始を心から楽しめたのだろう。

 年が明けて最初の出勤日。オフィスで常之内課長の頭を見て、吐いた安堵の溜め息の深さが、彼らの心情を物語っていた。


 年始と言えば、大抵の職場では年始の挨拶が有る。

 社長も各職場を巡回して挨拶の言葉を述べていくが、オフィスに現れた社長は、一瞬厳しい眼差しで窓の外を一瞥した。


「さて皆さん、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。

 さて、昨年は例年通り幸運に護られての無事な一年を過ごせましたが、今年は皆さん承知の通り、最早幸運には頼れなくなるかも知れません。

 しかし、この六年間、幸運に護られながら地獄を切り拓いてきた皆さんは、既に立派な戦士です。もう幸運に頼らずとも、未来を切り拓く力は持っています。

 西芯電工社の在るこの地は、日本でも有数の竜巻発生地域でも有ります。皆さんも偉大な竜となって、天を駆け巡ろうでは有りませんか――」


 厳しい顔付きで常之内課長の頭を見遣った社長が、社員に発破を掛けていく。

 笑いが漏れても良さそうな状況なのに、誰もが真剣な顔付きだった。


 そんな年始の挨拶が終わった後に、社長と同じく窓の外へと厳しい眼差しを向けていた部長へ、そろそろ新人一年目が終わる美雪が問い掛けた。


「どうしました? 季節外れの台風が来てるって有りましたけど、今日は雨も降りそうに有りませんよ?」

「む? ――いや、社長も仰っていたが、この辺りは竜巻の巣だ。特に冬の大風がやばい。工場も建て直したばかりで――災いが来るとしたら格好の状況に思え――」


 その時、役所からと思われる放送が鳴り響いた。


『ピンポンパンポーン♪ 竜巻警報。竜巻警報。沿岸部に竜巻の発生を確認。町民の皆さんは、直ちに頑丈な家屋の中心部付近へ避難しましょう。竜巻警報。竜巻警報。沿岸部に――』


「そら聞いたな! 窓は閉まっているな! 全員直ぐに階段付近へ集まれ!!」

「ぶ、部長、あれ!! こ、こっちに真っ直ぐ!!」

「いいから避難するんだ!!」


 窓の外には真っ直ぐオフィスへと向かってくる竜巻の姿。

 いよいよ建屋にぶつかるという時に、轟く爆音と閃光。姿を消す竜巻。

 何が起きたか分からないながらも、はっと目を向けた先で、常之内課長の頭から二本の髪の毛がはらりと落ちた。


 後に報道の映像を見て知る事実。

 あの時竜巻が接近すると同時に、報道の軽飛行機が気圧の低下による操縦士の失神でコントロールを失い、オフィスの在る建屋に突っ込もうとしていたらしい。

 何がどうなったのか竜巻と軽飛行機が搗ち合って、一旦大地から離れた竜巻の根が建屋を飛び越えていったのだとか。


「何が起こったのかは分からんが、また常之内君に助けられたらしいな」

「……私も怖くなってきました。今のを超える最後の災いって」


 その答えは直ぐに齎された。


「ぶ、部長!! にゅ、ニュースで、こ、これ!!」


 竜巻情報を集めようと携帯でインターネットを見ていた社員が叫びを上げる。

 スピーカーモードで流された音声は、彼らの想像を超える出来事を伝えてきた。


『――ほほう、つまり、月の表面から撃ち出された岩塊は、時間は掛かっても再び月に落下すると考えても良いと』

『はい。尤も、月の引力圏を脱出して地球へ落ちてくる月隕石の存在を考えると、今はまだ断言出来ないかも知れませんが、地球に落ちてくるとしてもまだまだ余裕が有ります。十分対策は立てる事が可能ですね――』


 月表面で謎の爆発現象が起き、小山程の岩塊が宇宙空間に打ち上げられたとのニュースだった。


「あの……私、最後の災いがこれとしか思えないのですが」

「奇遇だね。私もだよ」


 ニュースの論調は時間が経つ程に危機感を増していった。

 撃ち出された岩塊は直系十数キロ。直径百メートルの隕石でも都市部を壊滅させると言われている中で、国が滅びる、或いは氷河期が訪れて世界が氷に閉ざされるのではと言われる様になっていた。


 人を乗せた宇宙船が月へ行くならば数日掛かる。

 しかし、直線距離で移動出来るなら一日も掛からない。


 隕石の落下場所が日本近傍と判明して、直ぐに空港はパニックに陥った。

 日本脱出の為の支援機を要請しても、機体が空に在る内に隕石が落下すると見込まれている為、衝撃波から逃げられないだろう支援機の派遣は無意味だった。

 民衆は一縷の望みを掛けて、地下街へと避難に向かった。


「まあ、何かが起こるのは分かっていた事だがね。私は常之内君の傍が一番安全だと思うのだよ」

「おれも、そうだな」

「ふふ、逃げるにもそんな時間もう無いわね」


 西芯電工社の社員達は、達観する事になれてしまっていた。


「そうだ! どうせならその巨大隕石を見に行かないか? 屋上からならば良く見えるに違いない」

「隕石も課長の髪に恐れをなすかも知れないわね」

「一生どころか何十回生きてもお目に掛けれない光景だぜ」


 そして、気が付けば社員全員が建屋の屋上へと集まっていた。


「これで課長の奇跡も打ち止めですか。もう奇跡には頼れませんね」

「全くだ。社長の言葉の通りだな。

 しかしこれだけの危機を目にしてしまえば、御上の横暴など何程でも無いな」

「まずはこれまでの横暴を暴露してやりましょう! 理不尽な目には否という程遭わされてきましたけど、今となってはうちをハブっては何も出来無いので立場としては同じです!」

「お? そうか……言われてみれば確かに。今なら交渉のテーブルに乗らざるを得ないのか」

「やってやりましょうよ! 業界の救世主になってやりましょう!」

「ああ! そうだな! やってやるか! これを乗り越えたなら、直ぐにでも始めるぞ!!」


 そんな中で、常之内課長は悟りでも開いたかの様に、茫洋とした眼差しをただ前に向けている。

 その頭上遙かから、月の欠片が落ちてくる。

 、月の欠片が落ちてくる。

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