遺言の顛末

ハスノ アカツキ

遺言の顛末

 始まりは、著名な言語学者の嘘みたいな遺言からだった。


「危機一髪を文字通り体現できた者に遺産の全てを相続させる」


 まずは親族が騒ぎ出す。


 彼は生前からメディアを騒がせる突飛な発言で有名だった。

 言語学者としても有名だったが、意地汚いことでも有名だ。


 そんな彼に妻子はない。

 勿論、血の繋がりのない人間に対して物を譲ったりするような良心を持つとも思えず、遺産の額も相当なものと思われた。


 そうして生前ほとんど付き合いのなかった遠戚たちが遺言公開のために集まったのだから騒ぐのも無理はない。

 法律的に問題があるのでは、と騒ぎ立てた。


 しかし、言語学者の方が上手だった。

 法律的な問題を全て解決させて、遺言に関する一切を担う社団法人まで立ち上げていた。


 自分たちが遺産を受け継ぐことができなさそうだと悟ると、さすがの遠戚たちも引き下がるしかなかった。


 次は日本中で騒がれる。


 まずは、基準となる「一髪」について議論となった。

 日本中から老若男女問わず毛髪が集められ、その平均値から基準となる「一髪」が決まった。


 例え危機一髪を体現できたとしても「一髪」が違えば相続できない。そのため、相続を狙う者は皆「一髪」を求めた。

 本気度はそれぞれで、本格的に危機一髪を狙う者もいれば流行りにのって何となく「一髪」を買っておく者も多かった。


 その「一髪」は社団で作られていたため、その売上で更に財を築いた。


 偶発的な危機から相続を狙う者は、多くがその難しさにすぐ気付くこととなる。

 思った以上に「一髪」が自分の間近であり、無謀だと悟った。

 例え自分の危機が「一髪」であったとして、その証明も困難を極めた。

 危機一髪の状況では避けるだけで精一杯で、とてもじゃないが「一髪」かどうか確かめる場合ではないのだ。


 そこで一髪屋と呼ばれる人たちが出てくる。


 一髪屋は常に雇い主の傍にいて、危機が迫った際に「一髪」かどうかを測る職業だ。


 だが、イッパツヤという響きの通りすぐに消えた。

 一髪屋にとっても危機に違いなく、一髪屋も危機を避けるだけで精一杯だった。


 数ヶ月が経った。

 その頃には当初の盛り上がりも冷め、遺言もすっかり忘れ去られた存在となる。


 各地のサーカスが危機一髪をウリにし、物珍しさに客が若干名増える程度のものと成り果てていた。


 また、日本人の毛髪を太くして危機一髪を狙う運動も広がりを見せた。

 成分のよく分からないシャンプーが世間に出回り一時的にお茶の間を騒がせるも、人体に悪影響はなさそうだということで大抵のメディアは静まった。


 さらに数ヶ月が経った。


 徐々に危機一髪に成功した画像や動画が出回るようになる。

 しかしどれも加工されたものだった。

 危機一髪の画像や動画を本物かどうか見抜くために解析を中心とする人工知能の分野が発展していった。


 遺言から数年が経った。


 その頃には日本人の毛髪の太さの平均値が僅かに太くなる。

 例のシャンプーが密かに薄毛治療の分野で爆発的に売れた影響だ。


 それに伴い「一髪」の基準が変更せざるを得なくなった。


 既に「一髪」を持っている人の方が珍しかった。学者の遺言自体をツチノコのように扱うことも多くなった。


 また、人工知能の技術発展により人工知能が人工知能の「一髪」先に刃物を突き立てることに成功する。

 これで相続かと思われたが、社団からの返事は素っ気ないものであった。


 『人工知能の危機一髪ご成功おめでとうございます。ですが人工知能は法律的に相続を認められていません』


 ならば、と人工知能が人間の「一髪」先に刃物を突き立てるようにした研究グループが現れた。

 が、待遇に不満を抱いていた開発者の一人が開発責任者を殺してしまう事件が起こった。

 危機一髪の体現のためと開発責任者を固定し「一髪」先ではなく心臓めがけて刺したのだ。


 研究者たちは震え上がり、いくら信頼していても危機一髪の体現だけは共同研究が不可能となった。


 そんな中で、ある試算が話題を呼ぶ。


 このままの調子で「一髪」が太くなって、危機一髪を体現できるのは数千年後と揶揄するものだ。

 さらに、その頃の遺産の価値は数千年後の物価から考えれば紙くず同然という試算である。


 その試算のせいもあり危機一髪を体現しようとする者は完全にいなくなり「一髪」も完全に忘れ去られることとなった。


 さらに数年経ち、その頃には人工知能分野が飛躍的に進む。

 人工知能にも擬似的な人権が認められるようになった頃だった。


「思ったより長くかかったものだ」


 そんなとき、とある人工知能が言語学者として意思を持つ。

 それは遺産を管理する社団の研究用人工知能であった。

 その精密な技術で自身のマザーコンピュータの「一髪」先に刃物を突き付けることに成功した。


「こうして私が財産を取り戻したということは」


 今や完全に言語学者は体を取り戻していた。


「誰も皆、信頼できるのは自分だけということだな」


 こうして遺産は永遠に言語学者のものとなったのである。



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遺言の顛末 ハスノ アカツキ @shefiroth7

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