第4話

 数週間かけて集めた情報により、シャックドアの正体におおよその当たりはついた。


「もし、お嬢さん」


 パーティーの開かれている屋敷の人気のない夜の庭。

 そこに、無警戒にひとりで出歩く未婚の美しい貴族令嬢が、シャックドアのターゲットになる。


 ラムダの勢いに負けて、つい頷いてしまったが、冷静になると今回の作戦で一番危険なのは、ラムダだ。

 できることなら、設定とか全て放り投げて、今すぐにでも、あのシャックドアを止めにかかりたい。


「あら……どなたかしら?」

「ジャックドア。ご存じですかな?」


 ラムダに、ちゃんと頭を垂れる様子は、しっかりと貴族の作法に乗っ取っている。

 やはり、予想通りの相手なのだろう。


「えぇ。お噂はかねがね。品なく巷を騒がせる貴方が、私に一体何の御用でしょう」

「貴方の純潔を奪いに参りました」


 シャックドアの言葉に、見事にラムダの表情が凍り付いた。


 完全に解釈違いだもんなぁ……

 うん。怒りを通り越して、ドン引きの領域まで飛んで行ったのだろう。


「では、恨みはありませんが、失礼をば」


 ラムダに向かって走り出したシャックドアよりも速く、ラムダの元へ辿り着くと、抱きかかえシャックドアから距離を取る。


「失礼。お嬢さん」

「なっ……お前は……!?」

「知っているものかと思ったが、これは失礼した。貴殿と同じ名を持つ者だよ。ジャックドア君」


 帽子を取り、大袈裟にお辞儀をしてやれば、シャックドアは狼狽えた様子でこちらを見ていた。


「それとも――」


 指で弾いたコインは、シャックドアの仮面に当たると、その仮面は落ち、見覚えのある男の顔が現れた。

 店先であった貴族の付き人だ。


「シルバ・クロー君、と呼んだ方がいいかね?」


 今回の犯人は、下流貴族バジリコ家だった。

 もっと正確に言えば、バジリコ家当主と一部の使用人たちによるもの。

 理由は、バジリコ家の次女が、ジャックドアに惚れ、崇拝し始めてしまったから。

 当主たちは、このままではいけないと、ジャックドアの悪い噂を流し、恋多き少女の夢を覚まさせようとした。


 そこまでは同情するが、ラムダの解釈違いの怒りは別として、こうして実害が出てしまっていては、ウェルカム家としても動かざる得ない。


「名にこだわりはないが、薄汚い子悪党にやるほど軽い名でもない。君には、今一度、改名する機会をやろう。どうするかね?」


 娘の夢を覚まさせたいというだけなら、ここで諦めてほしい。


 だが、シルバは短剣を抜くと、一息に襲い掛かってきた。


「貴様を殺し、死体を持ち帰れば、全て丸く収まる! そうだろう!?」


 ジャックドアを殺し、その死体を持ち帰れば、ジャックドアの死を隠蔽でき、その後、悪事を働いたとしても、汚名を全てジャックドアに被せ、最後に討ち取ったとしてジャックドアの死体を提出する。

 そうすれば、邪魔な貴族を排除でき、悪党を討ち取った貴族として評価される。


「――全く美しくないな」


 突き立てられる剣の横っ腹を、手の甲で弾く。

 大きく体制を崩したシルバの腹に蹴りを入れてから、大きく咳き込んだ口に、麻酔液を含ませた布を宛がえば、すぐに気を失った。


 シルバの口と鼻にしっかり布を括りつけ、草陰に隠せば、後で別部隊が回収に来てくれることになっている。

 あとは、自分が去ればいいだけ。


「では、ラムダ卿。夜はまだ長い。引き続き、パーティーをお楽しみ――」


 去ろうと声をかければ、左腕を掴まれ、つい言葉が尻すぼみになってしまう。


「ラムダ卿。手を離してもらえるかな?」

「……手を、見せて」


 切れにくい素材とはいえ、剣を殴れば、さすがに切れるらしく、手袋から血が滲んでいた。


「お心遣い痛み入る。だが、この程度、かすり傷だとも」


 今回は、後ろにラムダがいたのだ。絶対に、あの短剣を、自分から先に行かせてはいけなかった。

 ラムダが無傷なら、この程度の傷、なんてことはない。


「心配してるの……! 貴方を……!」


 強く掴まれる腕に、演技も忘れて、息がつまった。


「…………では、お願いしようかな」


 何度も口を開いては、閉じ、ようやく出せた言葉は、ジャックドアとしての言葉だった。


「痛くない?」

「このまま、お嬢さんを攫うことだってできるとも」

「ケガをした人に抱えられるほど、私は軽くないわ」


 俯きながら、切れた左手の手当てをしてくれているラムダの表情は見えない。

 怒っているのか、悲しんでいるのか、それともジャックドアとの会話に喜んでいるのか。


 いや、さすがにそれはないな。この声と雰囲気で、喜んでいるはずがない。


「はい。できたわ」


 顔を上げたラムダの表情は、不安そうに瞳を揺らしていた。


 怪我をしたからだろうか。

 ジャックドアが? それとも、僕が?


「感謝する」


 ありえない想像に、心の中だけで頭を振る。


 でも、ラムダにそんな顔をしてほしくない。

 それは、僕の本心。


「可憐なお嬢さんが、ずっと座っていてはいけない。お手を」


 そして、僕ができるのは、ジャックドアを演じるこんなことだけ。


 月の明かりに照らされるラムダへ手を差し出せば、少しだけ驚いたように目を瞬かせた後、手を取った。

 その瞬間、強く引き上げ、腰に手を添え、抱き寄せる。


「許されるのなら、このまま攫ってしまいたいよ」


 囁きかけるように、ラムダへ問いかければ、その大きな青いの瞳をキラキラと輝かせ、両手で口を覆った。


「こ゛ぇ゛か゛、い゛い゛……っ!!」

「普段から聞いてるよね!?」


 つい口走ってしまったら、仮面越しに冷たい視線が刺さる。


「キャラ」

「先に雰囲気壊したのラムダじゃない……」

「ハァ!? 今のはおちゃらけた感じに笑いながら『お気に召して頂けましたか?』からの、耳元でねっとり『お嬢さん』って囁くところでしょ」


 本当に厳しい。

 でも、いつものラムダに戻ってくれたらしい。


 仕方ないと、少しだけ強い腰を引き寄せ、仮面がギリギリ触れない程度に顔を近づける。


「では、夜の闇へと攫われましょうか。お嬢さん」

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