私はあなたのエイリアン

「EZ-5136の調査状況はどうなっている? 報告せよ」

「別に……何も進展はないわ。今日も現地の知的生命体と接触を繰り返してるだけよ」

「なにかあったらすぐに報告するように。それが調査隊に課せられた義務だ。忘れるなよ」

「はいはい……まったく、うるさいわね」


 定時連絡のために起動していたデバイスの電源を切る。瞳に映されていた各種UIが消えて、一人で暮らしている日本のアパートの一室が目に映る。


 シングルサイズのベッドに淡い色のカーテン。丸いテーブルとグレーの絨毯が敷いてあり、化粧台や二人掛け程度の小さなソファが置かれていて、ちょっとしたアクセントに観葉植物が置かれている。


 テレビ台に小さなテレビが置かれていて、情報収集のために常に電源がつけられている。現地時間の一時間ごとにランダムでチャンネルが変わるように改造してあって、今ちょうど番組が切り替わったところだった。


 それから部屋の隅には姿見が置かれていて、今の私の姿を映し出す。


 この世界の美しさの基準で言えば、圧倒的に美しい姿に設計された外見。


 そこそこの身長に大きく膨らんだ胸元。長い黒髪に若干青みのかかった黒い瞳。テレビに映る芸能人やアイドル、女優といった人間たちが美しいと評されるなら、この外見はそれらを圧倒的に上回る美しさで形作られている。


「はぁ……調査隊うっとうしいなぁ。もう抜けちゃおうかしら」


 ベッドに寝転がりながら独り言ちる。今の私に調査隊にかまってる暇も時間も無い。


 だって私はの観察に忙しいんだもの。


 ベッドに仰向けに寝転んで、天井を見上げる。そこには大きく引き伸ばされた写真が一枚貼ってあった。


 あまり特徴のないまだ幼さの抜けきらない男の子。強いて言えば髪の毛が綺麗なのと、人のよさそうな笑顔が特徴と言えば特徴の、どこにでもいそうな男子高校生。


「アナログの写真なんてこの星に来て久々に触ったけれど、こういうのもいいものね」


 現地名「星野あかり」である私の役割はこの星の調査をして、それを調査隊本部に報告すること。そのためにこの星の人間の擬態をしている。


 まだ宇宙に進出すらしていないこの星の技術水準や文化なんかに調査の価値があるなんて正直思えないけど、私はこの星に来てよかったと思っている。


 この星自体には価値は感じない。だけれど、彼は別だ。


「はぁ……会いたいわ。毎日あんなに見つめてるのに、どうして気づいてくれないのかしら?」






 彼と初めて出会ったのはそう遠くない過去の話だ。


 私が調査隊の第一号としてこの日本に降り立ってすぐの頃。


 無人偵察機でこの星の生態系や社会性のある生物の情報は掴んでいたから、このときには既に私は日本人にそっくりな擬態に身を包んで街を歩いていた。ただ、この時の擬態は今の擬態とは全然別の姿で、日本人の中でもわりと目立たない地味な見た目をしていたと思う。


 その日は曇りで、夕方から雨が降る予報だった。これは日本で手に入れたスマートフォンと呼ばれるデバイスから得た情報で、調査隊から送られてきていた気象データからもまず間違いないとわかっていた。


 まだこの時は私たちの擬態の弱点が「地球の雨」だということが判明していなくて、私自身は雨に濡れても特に問題のない種族だったから傘を買おうという発想にもならず。


 それよりも、この星の地図の読み方が全くわからずに迷子になっていた方が問題だった。どうしてこの星の地図は二次元上の情報しかないの? 地図っていうのはAIに行きたい場所を伝えると衛星通信とリアルタイム3Dレンダリング機能を組み合わせて、行きたい場所まで瞳に直接ルートを表示してくれるものじゃないの?


 なんて頭の中で愚痴りながら、スマホ(現地人はスマートフォンのことをスマホと呼ぶらしい)の地図アプリを起動してあーでもないこーでもないとスマホをぐるぐると回しながら歩いていた。


「どうしてこう、この町は似たような建物ばかりが並んでいるのかしら。学校はどこなの?」


 いらいらしながら思わず呟く。この町の文化に馴染みのない私にはここに並ぶ建物はどれも同じように見えて、しかも地図にはその建物の絵すら描かれていないから余計わからなくなる。


 そんな私に、遠慮がちに声をかけてきたのがだった。


「あのぉ……何かお困りですか?」


 自分から声をかけてきたくせに声は若干震えていて、緊張していたのか首筋に少しだけ汗が滲んでいる。眉尻が下がっていてどこか頼りなさげな印象を与えてきて、ともすれば彼の方が困っているようにも見えてしまう。


 それでも、彼は勇気を出して私に声をかけてきてくれた。私が困っているのを見過ごせなかったかのように。


「あ、その……怪しいもんじゃないんです! ただちょっと困ってそうだったから声かけただけで! 何もないなら、ごめんなさい! すぐどっか行きます!」


 彼に視線を向けて私が何かを言う前に、彼がなぜか言い訳をするように焦って喋る。私は別にまだ何も言ってないし視線を向けただけなんだけれど、何をそんなに焦る必要があるのか。


 後で知ったことなのだけれど、この国には『痴漢』とか『ナンパ』とか呼ばれるものがあるらしくて、彼はそれらに勘違いされるのが嫌だったらしい。そんな中でも私に声をかけて助けてくれようとしたということが、どれだけ彼が善良な人間で人のために行動できるのかということを示してくれている。


「……まだ何も言ってないじゃない。いや、困っていたのは本当なのだけど」


 この時の私はなんだかんだ言って知らない星で一人で迷子になっているのが不安で、胸の内ではとても心細かったんだと思う。頼れる相手もいなくて、調査隊の面々は事務的な対応しかしてくれないし。


 だから、そんな私に声をかけてきてくれた彼に対して、私の中でインプリンティングのようなものが起こったのも、自然なことだと思うの。ひな鳥が最初に見た動くものを親鳥だと認識するように、この星で最初に助けてくれた彼をというのも。


「ここに行きたいのだけれど……場所わかる?」

「ん……? ここ僕が通う高校の近くですね、わかりますよ! そこまで案内しましょうか?」

「気持ちは嬉しいけれど、あなたにも予定とかあるんじゃ……?」

「僕はちょっと本を買いに外出ただけなので全然大丈夫です」

「そう……それじゃあ、お願いしようかしら」

「任せてください!」


 そう言って朗らかに笑った彼は、それから私の歩幅に合わせてゆっくりと歩き始めた。


 彼は道中私を楽しませようとしたのか、積極的に私に声をかけてきた。それは彼の家族の話だったり、学校の話だったり、とりとめのない日常の話だった。


 この星に来たばかりの私はそんなくだらない話にも興味が引かれて、よく話を聞いていたと思う。積極的に質問したり、程よく相槌を打ったり。今思えばこの星のことよりも彼のことが知りたくて話をしていたのだけれどね。


 そうこうしているうちに目的地の近くまでやってきた。空はさっきよりも黒くなっていて、今にも雨が降り出しそうな空模様になっていた。


「もうすぐ着きますよ」

「ありがとう。おかげさまで助かったわ」

「いえいえ、これくらいは。人は助け合いですから」


 もうすぐで目的地に着いてしまう。


 彼と若干の離れがたさを感じていた私は、用事が終わったら彼と食事でもと思って彼の連絡先を聞こうとした。


「あ、雨……。ちょっと急いだほうがよさそうですね」

「っ……そうね」


 彼の方に手を出しかけていたところの雨。連絡先を聞くタイミングを逃して、思わず舌打ちしそうになった私の頬に雨粒が落ちてきた。


「――え?」


 その瞬間頬に感じる。慌てて頬に手を当てると、若干のぬめりとともに手のひらに薄橙色の何かが付着した。


「……あれ? どうしましたか? ……なんか頬、怪我してませんか?」


 彼が不思議そうな目で私を見つめる。その視線は私がさっき触った頬に注がれていた。


 私は慌ててスマホのカメラを起動してインカメラに切り替える。そこに映し出された私の顔。その一部、頬の部分が少し爛れたようになっていた。


 それを見た瞬間、私の頭の中に緊急アラームが鳴り響く。もしも擬態に何かあったときのためのアラームで、これが鳴り響くということは調査隊本部に連絡がいくと同時にこの擬態が致命的な損傷を受けた、または致命的な損傷を受ける可能性があるということを私に知らせているということだった。


 ぽつぽつと降り出す雨。服を着ていない、擬態の素肌に雨が落ちるたびにさっきのドロッとした感覚が私を襲う。それはこの雨が私の擬態を溶かしているということで、つまりこのままでは彼の前で私の擬態が剥がれ落ち、私の本当の姿が晒されるということ。


「――ごめんなさい。ここまで案内してくれて本当に嬉しいのだけれど、ちょっと急用を思い出したの。本当にごめんなさい。それとありがとう」


 それだけを彼に言い残し、私は彼と向かって歩いていた道とは逆に向かって走り出した。


 私の本当の姿はこの星の生命とは似ても似つかないものだ。私の美的感覚ではそれなりに整った容姿だとは思っているが、この星の知的生命体――人間から見たら異形の姿であることは間違いない。


 私の正体がバレるのはまずい。異形の姿である私の正体を彼に見られたくないのが本音で。


「あ、ちょっと――!」


 突然のことで驚く彼の声を背に、私は全力で逃げ出したのだった。






 それからは、拠点にしているアパートに帰った後彼のことを調べ上げた。彼の写真や生態データは私の瞳を通して生体デバイスに記録していたから、それらを使ってこの星の原始的な電子回線に侵入して情報を集めた。


 彼の名前。彼の住所。彼の通う高校。彼の家族構成。彼の趣味。彼の人間関係。彼の好みの女性。


 この星の雨が調査隊が作り上げた擬態に致命的なダメージを与えるという報告は既に上げた。私の擬態もところどころが溶け出し、自動修復機能もあまり働いていない。


 だから私はこれ幸いと新しい擬態の申請をした。彼の好みに合わせたデザインの擬態。ついでにいうと、今まで使っていた擬態は私の本体の上から着こむタイプのものだったが、今度の擬態は私の脳および精神データを擬態の中に移すタイプのものを申請しておいた。


 このタイプの擬態は『現地生命体との交尾が可能』という触れ込みのもので、今の私には必須と思える機能が満載だった。


 ただ、調査隊がまだこの星の『色』という概念を正しく理解していなかったせいか、髪の色が白く瞳の色が赤いものが届いたのだけれど。生体デバイスで誤魔化しが効く範囲でなければ即座に返品していたところだ。


 その後は様々な手続きを済ませて、私は新しい擬態の姿で彼と同じ高校の同じクラスに転入という形で潜入した。


 彼の理想の姿というのは現地の男からはとても人気の見た目のようで、毎日のように話しかけられ、手紙を入れられ、呼び出しの誘いを受けた。それなのに肝心の彼は私に話しかけることもなく、クラスでのんびりと日常を過ごしていた。


「これだけあなた好みの容姿にしたのに、どうして話しかけてくれないのかしら?」


 やはり自分から動かないとダメだと悟った私は、彼と同じ委員会に潜り込むと彼と一緒の仕事をするようになった。


 一緒の委員会になった彼はよく私に話しかけてくれた。私を楽しませようといろいろな話をしてくれた。私はそれが嬉しすぎて、緊張しすぎて大した返事ができなかった。


 明日こそはちゃんと会話をしよう。ちゃんと返事をしよう。そう思いながらずるずると緊張から抜け出せないでいると、彼はそのうちあまり話しかけてくれなくなってしまった。私は拠点のベッドで一人泣いた。






 調査隊の宇宙船には周囲の生命体を遠ざける機能がある。より具体的に言うと、脳に働きかける電波を周囲に拡散し、宇宙船の周り一帯を認識できないようにし、無意識に違う道を通るようになる、というものだ。


 その日も彼と委員会の仕事を済ませ、私は擬態のメンテナンスのために宇宙船に一時帰還しようとしていた。あの日と同じように夕方から雨が降る予報で、彼と別れるのはとても名残惜しかったけれど私は暴走しそうになる感情を押し込んで宇宙船に連絡を取った。


 指定された回収場所に向かい、生体デバイスの隠蔽機能を切る。


 今日も彼とお喋りできなかった。いつになったら私はまともに彼とお喋りできるのだろうか? 言い加減自分をどうにかしなければいけないわよね。


 電波の影響で周囲の景色が歪んでいく傍ら、私の内心はそんなことでいっぱいで。


 だから、彼が宇宙船の電波の影響を受けずに私の目の前に現れたことに、私は私の感情を抑える術を失ってしまった。


 驚愕に目を見開いた彼に近づき、首筋に一生消えない傷を付ける。私のものだとマーキングするように。


「エイリアン。私、エイリアンなの。あなたはどう――?」


 これは、エイリアンである私と人間である彼が結ばれるまでの、その始まりの物語。


 覚悟しててね? 絶対に逃がさないから――。

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