正義のビリー

後藤文彦

正義のビリー







 ここは「天国」だ。わたしは五才のとき、「天国」に救われた。下界にいたときのわたしは、毎日おたあさんに虐待されていた。そんなおたあさんでも、わたしに絵本を読んでくれたことがあったことを、ひょんなことから思い出した。「正義のビリー」という絵本だ。その後味の悪い結末は、絵本を読み終わるまでに おたあさんが突然 怒りだすのではないかという恐怖の記憶とともに蘇った。






 ビリーは山あいの村にんでいました。毎日 川に水をみに行くのがビリーの仕事しごとでした。川でバケツに水をんで往復おうふくするのに一時間もかかり、とてもつかれるので、ビリーは水汲みずくみをさせられるのがとってもいやでした。





 そこでビリーのおたあさんは、ビリーにこんな作り話をしました。

川の水にはどくが入っていてそのままではめないのだけど、苦労くろうして川の水をんでくると、神様かみさまがご褒美ほうびとしてそのどくしてくれるんだよと。だから、川の水はちゃんと苦労くろうしてんでこなければならないのだよと。するとビリーはこの作り話をすっかりしんじて、自分じぶんからすすんで水汲みずくみに行くようになりました。





 ビリーが大人おとなになったころ、村では、川の水を村までなが水路すいろが作られはじめました。水路すいろは、木のいたで作った箱型はこがたかん丸太まるたはしらささえたもので、少しずつはしらの高さをひくくしながら数キロメートルもの距離きょりをつながなければなりませんでした。村じゅうの人が力を合わせて水路すいろ完成かんせいするまで、三年もかかりました。水路すいろ完成かんせいすると村人むらびとたちは、もう苦労くろうして川に水汲みずくみに行かなくてもよいと、たいへんよろこびました。





 一方いっぽう、ビリーは大人おとなになっても、おたあさんに言われたことをしんじていたので、水路すいろの水にはどくが入っていると思いんでいました。苦労くろうして川に水をみにも行かず、水路すいろはこばれてきた水をらくしてそのままんだのでは、神様かみさまが川の水のどくしてくれないので、病気びょうきになったりんでしまったりするにちがいないとしんじていました。





 そこでビリーは、村人むらびとたちをたすけるため、火種ひだねを持って山に入り、水路すいろわらきつけては、火をつけていきました。火はどんどんひろがり、山火事やまかじとなりました。村人むらびとたちの家々いえいえにも火はひろがり、おくれたおおくの人がんでしまいました。おおくの子供こどもたちもんでしまいました。でも、ビリーは自分じぶんいことをしたのだとしんじていました。





 ここは「天国」だ。わたしは五才のとき、「天国」に救われた。下界にいたときのわたしは、毎日おたあさんに虐待されていた。悲鳴をあげていたわたしの意識は、ケプラー星人の保護対象スキャンに検知され、サーバー星の「天国」に保護された。一方、無意識化されたわたしの下界ゾンビは、おたあさんに殺される寸前に児童施設に保護され、その後は順調に成長して、今はネットワークセキュリティの技術者をしている。





 「天国」というのは、ケプラー星人がその活動や生活のために宇宙空間に構築した数あるサーバー星の空き計算領域に、シミュレーションとして生成されている仮想地球だ。住民は、実地球から保護された「意識」を「転写」したアバターたちであるが、ケプラー星人による「人道的保護」が開始されてから既に地球時間で百年以上が経過していた。仮想地球一号は、実地球から「救出」された住人でとっくにいっぱいになり、今わたしがいるのは仮想地球二号だ。実地球の様子は常時モニターされ、仮想地球から確認できるようになっているが、地球人文明は今、「不滅化」か滅亡かの瀬戸際にあった。


 ケプラー星人のこれまでの宇宙スキャン調査によると、惑星種に発生した知的生命体の文明の発展には共通のパターンがあり、各種の滅亡の危機を乗り越えられるだけの技術的・社会的システムを、次の危機が訪れるまでに獲得できた文明のみが生き残り「不滅化」と呼ばれる定常状態に到達する。文明の存続に訪れる最初の危機は、環境の変動による負傷や病気から、生物学的機能を守れるシステムを構築できるかどうかである。地球人文明の場合、自然災害から人々の生活を守る社会インフラや安定した食料を供給する農業・漁業・畜産、病気による致死性を飛躍的に下げる予防医療を含めた医療全般、そういったシステムに相当する。この関門に関しては地球人文明はほぼ通過しており、次のいくつかの関門についても、通過できる見通しがついてきていた。





 元々のケプラー星人は、地球の生物にたとえれば昆虫に似ているが、細胞的な構成要素が持つ遺伝子的な作用をする情報伝達物質の構造も地球上の生物とは全く違っていた。ケプラー星の生物たちの細胞・遺伝子構造は基本的にその共通のタイプであったが、進化の過程で遺伝子を混ぜ合わせて寿命を早める戦略を取った種は、概して環境適応性が早く知的発達も早かった。その中で最初に言語を獲得し、機械文明を発達させた種をここではケプラー星人と呼んでおく。ケプラー星人が遺伝子を混ぜ合わせるやり方は、地球上の動植物の生殖とは全く違うし、負傷・病気・寿命による死にやすさも地球人とは全く違うが、ケプラー星人はそれらの生物的機能を機能させる各種の本能を有し、それらの本能に対応した多様な感情や価値観を進化させていた。





 ケプラー星人は、地球時間で言う数百年前に不滅化し定常状態に達していた。現在ではケプラー星人の多くは肉体を保持した物理タイプではなく、サーバー星のシミュレーション空間に意識を「転写」したアバターとして不死の人生を謳歌していた。ケプラー星人は不滅化した後、ワームホールを利用しながら高速で宇宙空間を探査する方法を発達させ、自分たち以外にも知的生命体が一定数 存在すること、そのほとんどは不滅化に達する前に共通のパターンで滅亡していることを発見した。今のところ、ケプラー星人以外に不滅化に達した知的生命体はまだ発見されていなかったが、地球人は不滅化できるかどうかの最後の関門に差し掛かっていた。





 まず、遺伝子解析が進み生物的に不死化できる見通しがついてきたことで、不滅化の必要条件は満たせそうになっていたが、分子3Dプリンターによる生産技術の進歩が新たな脅威となりつつあった。これは、2010年代に樹脂材料で造形する初期の3Dプリンターが登場した当時から懸念されたセキュリティー上の問題であり、この時代は3Dプリンターで銃器等の危険物が製造できてしまうことを防止するシステムを構築することが課題であった。当初はコンピューターウイルスの対策と同じように、3Dプリンターにオンラインのデータベースを組み込み、データベースと照合して危険物と判断されるデータは造形できなくすることで対処していた。しかし、分子3Dプリンターとなると、その危険性は次元が異なっていた。人類を滅亡させ得る生物兵器やナノロボットを個人レベルで製造できてしまうのだ。





 2020年代に3Dプリンターの汎用化が進み、あらゆる材料で微細なものから大型構造物まで造形できるようになるにつれ、3Dプリンターはオンラインで危険物データベースとデータ照合しない限りは動作しない仕様が標準化されていった。しかし、3Dプリンターのデータ照合のシステムを解除することは、一定の技術者には可能であり、現に犯罪組織がそのようにして危険物を作製した事件も起こっていた。





 特に、宗教的信念から大量殺人を計画するテロ組織は手に負えず、脅威は日に日に高まっていた。そんな中で考えられたのがオープンシステムである。オープンシステムは、生産や製造に関わるあらゆる機器や道具をオンライン照合なしでは使えないようにする壮大な計画だった。当初は産業界が対象であったが、2030年代には家庭用品や文房具など、身の周りのあらゆる物にタグが埋め込まれ、そうした品々が本来の用途で用いられているかどうかをAIがデータベースと照合してチェックし、少しでも不自然な利用が検知された場合には、オンラインで防犯センターに通知されるようになっていた。新たに製造される製品には、オープンシステム対応が義務づけられたので、2040年代には身の周りのあらゆる日用品がオープンシステムに接続されていた。





 技術的心得のあるものが3Dプリンターのオープンシステムを解除しようと試みても、その作業に使われる工具やデバイスが3Dプリンターと不自然な接触を生じたことがオンラインで通知され、防犯センターの監視員が直ちに駆けつけるので、オープンシステムの機器に囲まれた中でオープンシステムをクラックすることは難しくなる。そういう仕組みだった。





 オープンシステムの導入には反対意見もあり、いくつかの課題があった。代表的な反対意見は、究極の監視社会となるため、言論や思想が統制されるというものだ。確かに、オープンシステムではあらゆる言論は監視・記録されるが、誰かが特定の言論を検閲し、自由なアクセスに制限をかけようとした場合は、その行為自体もオープンシステムに監視され、国際政府法に則った検閲かどうかが判断される。これは、オープンシステムに対するもう一つの代表的な反対意見とも密接に関係している。それは、プライバシーの問題だ。オープンシステムでは、人がトイレで何をしたか、ベッドの上で(他人と)どのようなことをしたかといったこともすべて監視・記録される。そういうプライバシー情報については、犯罪捜査等の国際政府法で認められた正当な理由がない限りはアクセスできないようになっている。しかし、一旦テロリストがオープンシステムをクラックしてこの強力なシステムを乗っ取ってしまったら、もはや世界はテロリストの意のままになるのではという不安を抱く人は多かった。





 こうした批判に対するオープンシステム側の対処法は、基本的には3Dプリンターに対する制御手法と同じだ。オープンシステムをクラックするためには、高性能の精密デバイスや高度な技術でプログラミングされたソフトウェアが必要となる。精密デバイスの開発やソフトウェア開発には、もはやオープンシステムにアクセスしない自作工具や旧式コンピュータでは太刀打ちできないのだ。このようにオープンシステムに対する反対意見についても、ほぼ解決の見通しが立っていた。





 オープンシステムが完成すれば、宗教テロによる文明停止の脅威はほぼ取り除かれるので、そのまま科学技術が順調に発展していきさえすれば、いずれ人間の意識アルゴリズムをコンピューターシミュレーション上に「転写」できるようになるし、この世と同じような、あるいはこの世とは大きく違う生活空間をシミュレーション内に構築することもできるようになる。つまり、オープンシステムの完成は「不滅化」の必要条件というか、ほぼ十分条件のように、ここ「天国」の住人の間では見なされていた。





 「天国」の住人は、地球上で一定レベル以上の持続的苦痛に耐えている人が、ケプラー星人の保護対象スキャンに検知され、その等価意識を「天国」シミュレーションのアバターに「転写」された「救われた人々」である。どのような「一定以上の持続的苦痛」に耐えている人を保護対象とするかは、ケプラー星人の価値観に基づいて構成される細かい基準があるのだが、ケプラー星人の価値観は独特で、虐待により苦しんでいる子供たちは、最も優先される保護対象であった。一方、どんなに善意から行動している人であろうとも、その善意のせいで、他人が苦痛や危害を受けているならば、善意の人自身がどんなに苦痛に耐えていようとも救出の対象にはならないのだ。その辺は、悪人こそ救ってやろうとしたりする地球人のある種の宗教なんかよりも、よっぽどドライな倫理観なのだ。更にケプラー星人の保護対象は人間に限らず、類人猿を始め牛や豚の方が、善意で他人に危害を加える人間なんかよりも遥かに優先的な保護対象なのだ。





 ケプラー星人は、ワームホールを利用して知的生命を探索し続けてきたが、基本的に文明の進歩には干渉しない方針である。ただし倫理的な問題に関しては、積極的な干渉を可能にするサーバー星等のインフラが整備されたので、保護すべき意識をサーバー星に救出する運用を始めたのだ。とはいえ、地球上で保護された意識の持ち主の抜け殻は、「救出」後も地球上では今まで通り、その人物がしたであろう同じ行動をしていてもらわなければ、ケプラー星人が地球人文明の発展に干渉をしたことになってしまう。





 そこでケプラー星人は「ゾンビ化」という方法を用いた。これは、地球上で「救出」された人は、これまでと同じように振る舞うが、意識は伴っていないゾンビの状態にするのだ。保護対象の脳をスキャンすれば、その保護対象がどのような意識活動をするか、どのように成長していくかがわかるので、それと等価な作用をするマイクロマシンを作ることができる。マイクロマシンは脳内の神経細胞の活動を偽装しながら、神経細胞の活動では意識が発生しないように巧みにコントロールするのだ。地球人がいずれは意識アルゴリズムを解明し、ゾンビの脳内には実は意識が発生していないことを発見したり、巧みに脳内に潜伏するマイクロマシンを発見したりできるようになる頃には、既に地球人は不滅化しているだろうと思われるので、不滅化後であれば、文明の発展に多少の影響を与えることになっても構わないという判断なのだ。





 「天国」に保護された人々は、地球上の自分の抜け殻のことを「下界ゾンビ」と呼んだ。下界ゾンビは、もともと虐待環境にいたので、殺されてしまうこともあったし、多くの場合、心に問題を抱えているように振る舞った。自分の下界ゾンビの状況は、下界モニターによって、ある限られた条件で確認する自由はあった。いくらゾンビには意識はないとはいえ、もし自分があのまま地球で暮らしていたら、こうなっていたのか、と思うと、下界ゾンビをどうにかして救ってあげたいという強い感情を喚起されるのが普通だった。正に「天国」にいる自分自身こそが、どうにかして「救出」されたその本人なのだが。





 わたしの下界ゾンビは、施設に保護された後は比較的 順調に健全な成長をしていた。オープンシステムの実現に向けて、今は花型のネットワークセキュリティーの技術者となり、その仕事関係でオープンシステムの中枢の開発に関わる研究者と交際していた。 下界ゾンビは、わたしが地球で暮らしていればそうなっていただろう姿なのだが、「天国」で成長したわたしとは、(ゾンビが見せかけている)性格や価値観は既にだいぶ違う人間だ。ただ、恋愛対象の好みとかそういう本能的な部分は、わたしとかなり近いなあとおかしくなる。ゾンビの交際相手は、外見とかの性的魅力に関しては、確かにわたしの好みとも一致していてなるほどなあと頷かざるを得ないのだが、どうしても気になるのは、よりによって「ビリーバー」つまり唯一創造神教の信者だってことだ。





 わたしは「天国」の標準教育を受けたので、「信じる」という精神活動が知的生命の進化過程で獲得しやすい典型的な本能に過ぎないことも、その本能のせいで、これまでに複数の知的生命が「不滅化」に達する前に滅亡していることも理解している。実はこのわたしも、下界でおたあさんに虐待されていた五才のときは、「おねがいです。たすけてください」と毎日あらゆる瞬間に神様にお願いしていた。だから「天国」に救出されたときは、ここが本当に天国で、神様が助けてくれたのだと完全に心から信じ切っていたくらいだ。





 だから下界ゾンビの方も、施設に保護された後に「神様が助けてくれたのだ」と宗教的発想に囚われてもおかしくはなかったのだが、(ゾンビが見せかけている)思考は、自分を助けてくれたのは神様ではなく、施設スタッフを始めとする現実の人間の優しさなのだと理解できたようだ。





 そんなわたしの下界ゾンビとその交際相手であるビリーバーとの会話は、一定レベルのプライバシーに抵触しない範囲では「視聴」できるのだが、ほんとにいらいらさせられる。まあ、わたしの下界ゾンビは意識のないロボットだし、そいつが見せかけている人格もわたしとは別人だけど、あんな話の通じないビリーバーとはとっとと別れろと言いたくなる。





「オープンシステムが完成したからといって、それをリアル天国の到来とか浮かれ騒ぐのはどうかしてる」


「そうかなあ。人間が死ななくなって、犯罪も起きなくなって、いずれはシミュレーションの仮想世界で望み通りの生活を永久に楽しめるようになったら、宗教の思い描いている天国なんかより、よっぽど平等で理想的だと思うけど」


「宗教を侮辱することは許さない」


「どこが侮辱なの? 宗教では戒律を守った人とか一部の人しか天国に行けないし、天国に行くためには、厳しい戒律を守りぬくことが条件で、この世の楽しみを放棄しなければならなかったりする。そんなのは、わたしの理想から遠すぎるなって正直な感想なんだけど」


「天国は厳しい戒律を守った人だけが行けるから意味があるんだ。誰でも行ける天国なんて天国じゃない」


「それは唯一創造神教を作った人が、天国をそういう設定にしただけの話でしょ。宗教によっては、悪人でも誰でも天国に行けるようなストーリーになってるのもあるけど、これから確実に訪れるだろう犯罪が事前に防止される社会では、そもそも重大犯罪は発生しようがないし、強い犯罪欲求のある人は、単に治療対象になるだけだ。それがリアルの世界で実現するのなら、わたしにとっては、どの既存の宗教が思い描いた天国より、手放しで魅力的で理想的なんだけど。しかも神とか超越的存在に天下り的に与えられたものではなくて、人間が自分たちの文明を発達させた集大成として自力で構築するものだというところがまた感動的だ」


「なんと傲慢な。人間が自力で天国を作ろうなんて思い上がりも甚だしい。それは本当の天国ではない。天国は戒律を守った者のみに用意されているものでなければならない」


「唯一創造神教の戒律が厳しいのは、唯一創造神教の成立当時は、その地域に伝染病が流行していて、厳しい戒律を課す宗教を信仰した民族の方が生き残りやすかったってだけでしょ」


「宗教を冒涜するのはやめてくれと言ったはずだ。唯一創造神教の聖典は、神の真実の言葉を預言者が記録したものが現在まで残っているのだ。だから絶対的に真実なんだ」


「神の言葉が真実だという証拠もなければ、預言者が神の言葉を記録したという証拠もないのに、どうしてそんな根拠のない物語を信じるの? 伝染病の流行していた時代に、それを神の祟りと捉えて性的接触を禁じたり、生食を禁じる宗教が発生したら、その厳しい戒律が伝染病予防にも有効だったって考えた方がよっぽど合理的でしょ」


「ふざけるな! 唯一創造神教の正しさは絶対なんた!」


「?? ! あ、そう言えば思い出したんだけど、正義のビリーって童話 知ってる?」


「な、な、な、なんだと! ビリーの信じたのがおたあさんの作り話ではなく、神の言葉だったなら、ビリーは正しいことをしたのだ。ビリーは正義だ。これは自明だ。唯一創造神教は神の言葉だから絶対的に正しい。わたしは正義だ!」


「いいけど、おたあさんの作り話と神の言葉の違いってなに? 最初に神の言葉を聞いた預言者は単に幻覚を見ただけかもしれないし、あなたが絶対的真実だと信じている唯一創造神教の教義は、唯一創造信教の信者たちが言い伝えた言葉をあなたが聞いたか、唯一創造信教の信者たちが書き記した聖典をあなたが読んだかして、あなたの脳内に入力された情報にすぎないでしょ。信頼しているおたあさんの言葉だからとビリーが信じてる作り話と何が違うの? 科学的に検証されてない伝聞情報という意味では、どちらも同様に間違ってる可能性を排除できないんだけど」


「だまれ! だまれ! だまれ! 神は唯一! 絶対的正義だ。これは自明だ。自明だ。自明だ!!!」






 これはまずいことになった。こういう対話不能の思考停止人間を怒らせてはいけない。下界ゾンビの言うことには百パーセント手放しで同意するが、そういうこを言ってやるのは、オープンシステムが完成してからにしないと。そうだった。下界ゾンビのおかげで、正義のビリーを思い出したよ。そうだ、こいつはビリー以外の何者でもない。でも、ビリーを怒らせてはいけない。下界の殺人犯罪の動機の第一位は、「面子を守るため」だ。恋人から自分の宗教の絶対性をわかりやすく否定されたビリーは、まずいことに人類を滅ぼせる技術への特権的アクセス権を持っている。





 オープンシステム開発の中枢にいるビリーは、その動作検証のためネットワークから遮断されたスタンドアローン環境の機器類、例えば分子3Dプリンターすら、オープンシステムの監視を解除して使うことができる。更にまずいことに、ビリーはオープンシステムデータベースの照合動作の検証用に、そのコピーをローカル環境にも保管している。このデータベースには、分子3Dプリンターで製造できるあらゆる生物兵器のデータも保存されている。





 地球の国際政府では、宗教などの文化的背景による職業差別は禁じられているが、「信じる」本能により突き動かされた確信的行動が法律を犯した場合、それは犯罪となる。しかし、犯罪を犯す前の時点で、特定の宗教を信仰するなどを理由に、「信じる」本能の支配が国際法に優先する危険性があると判断される人物を特定の職業から事前に排除することは差別だと国際政府は捉えている。だから、ビリーもオープンシステムの開発者になれたのだ。とはいえ、危険物を扱う仕事だから適正検査もあったはずだ。「信じる」本能への依存度を検査する項目はあったのだろうか。ビリーを怒らせた下界ゾンビの言葉を聞いてどう反応するかでスクリーニングしたら、一発で弾かれただろうに。下界ゾンビは大丈夫か。そんな危険人物のもとから早く逃げろよ。





 仮想地球三号が新設されたようだ。何が起きた? まさか、ビリーが生物兵器を拡散したのか? 死亡直前の時点で「一定以上の持続的苦痛」に耐え続けていたと検知された下界の大勢の意識たちが、まもなくここ「天国」に救出されることになるのか。ケプラー星人のこれまでの「救出」基準から判断するに、その中には、厳しい戒律に耐え続けて天国へ行けることを確信していた唯一創造神教信者たちは、間違いなく含まれないだろうが。そんなことはどうでもいい。地球人が自力で到達目前だった「不滅化」が、正義のビリーのせいで台無しになったというのか。なんと後味の悪い結末なんだ。 これまで、一体いくつの惑星文明が、正義のビリーのせいで滅亡させられたというのか。














        了













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