平安京の異邦人
結城藍人
ああ平安京異邦人
規則正しく整理された碁盤の目のような街路。延々と続く
その街並みを見て思い出すのは、「故郷」だった。大唐帝国、長安の都。安史の乱以降、幾度となく戦乱に巻き込まれ、私が生まれた頃は時の皇帝(
そして、平安京とは、その長安を模して作られた都なのだ。長安を思い出しても不思議ではない。
「どうしたね?」
僧形の男が私に尋ねてきた。佐伯真魚、というよりは法名の空海や
「いえ、久しぶりに
「そういえば、もう十年になるのか」
空海と共に日本に渡ったのが大同元年(八〇六年)、今が弘仁七年(八一六年)だから、ちょうど十年になる。ホームシックになったと思われても不思議ではない。
だが、私にとっては、この日本こそが故郷のはずだったのだ。令和の時代に生きていた平凡なサラリーマンだったが、何の因果か気づいたら唐の長安に転生していた。必死に生きてきたものの、安史の乱以降の唐の歴史なぞ世界史年表程度の知識しかなく、知識チートなどできる環境でもなかった。そんな中で、偶然にも空海と知り合うことができた私は、藁にでもすがる思いで帰国への同行を願い、許されて「故郷」の地を踏んだのだ。
転生以来三十年ぶりに踏んだ日本の地は、しかし、私の「故郷」ではなかった。当然だ。同じ日本とはいえど、およそ千二百年も昔で、東京なぞは、まだ荒れ野が広がる世界。渡日の頃に桓武天皇が崩御したのだから、桓武平氏なんか坂東に下るどころか、まだ賜姓すらされていないので、存在していない。平将門が坂東を駆けめぐるのでさえも、百年以上未来の話なのだ。
ああ、私は
失望した私は、そのまま空海の弟子となって、彼に付き従って仏道の修行に励んできた。久しぶりに入京したのは、空海が高野山を修行の場として賜ることを上奏し、認められたからだ。そう、高野山
そう思いながら空海に付き従って朱雀大路を歩いていた私の頭上に、影が落ちた。
「はて?」
見上げた私が目にしたのは、異形の怪物であった。
身の丈十尺(約三メートル)ほどの正方形の胴体に、短い手足と大きな角が二本ずつ付いており、体全体がゴワゴワとした剛毛で覆われている。胴の上の方では大きな二つの目がギョロリとこちら睨みつけ、その下、胴体の中央には人など丸呑みにできそうなほど巨大な口が鋭い牙をのぞかせていた。
そのような異形の怪物が二体、私たちの前に立ちはだかっていたのである。
どこから現れたのか? どうやって突然?
「な、な……」
混乱して言葉も出ぬ私に向かって、異形の怪物たちが声をかけてきた。
「我ラハ、エイリアン」
「喰ワレロ、喰ワレロ」
片言ではあったが、それはこの時代の日本語だった……だったのだが「エイリアン」って何だ!?
思考停止状態で動けない私をよそに、怪物のうちの一匹が襲いかかってきた!
ヒュン!
そのとき、その怪物に一条の矢が突き立った……と思われたが、剛毛に阻まれてポトリと落ちる。
「矢が効かねえか、ならっ!」
背後からそんな声が聞こえると、駆け足の音と共に大きな姿が私たちの横を通り過ぎ、怪物に躍りかかった。
身の丈六尺(百八十センチメートル)はありそうな、この時代としては破格の巨体を持つ偉丈夫が、怪物に
ガツン!
だがしかし、その巨体から繰り出される
「グゲゲ」
少し怯んで後退りこそしたものの、その巨体にダメージは無さそうに見受けられる。
「何てこった、
「とりあえず、逃げましょう」
愚痴をこぼす偉丈夫に空海が冷静に声をかける。さすがはお師匠、この異常事態に平常心を保っていられるのは仏道の修行の成果であろう。
「そうだな」
そう言って身をひるがえした偉丈夫に続いて私たちも駆け出す。空海が偉丈夫に尋ねた。
「愚僧は空海と申す者、こちらは愚僧の弟子でございます。貴殿は?」
「俺か?
「というと、先年お亡くなりになった元征夷大将軍
「そうだぜ」
あの坂上田村麻呂の四男である坂上浄野というと、武芸に優れた万夫不当の勇者として知られている。異邦人の私にすら、その噂は届いてた。特に騎射の名手として知られていたが、その彼の腕をもってしても、この怪物どもは射抜けないのか。
それにしても、前に聞いたときは東宮少進として東宮(皇太子)神野親王殿下に仕えていたはずだが……いや、当の神野親王殿下が即位されて今上陛下(諡号は
「それにしても、空海ってことは、あんた真言密教の人なんだろ? あんな怪物ぐらい、噂に聞く神通力でちょちょいのちょいと
走りながらの浄野の問いに、我が師たる空海が残念そうに答える。
「さきほど秘かに真言を唱えて様子を見たのですが、あやつらはどうやら『この世の
何と、空海でも無理なのか。弟子として十年付き従ってきて、伝説に聞いたように湧き水や温泉を発見したりしてる様子を見て、本当に神通力がありそうだと思っていたのに。
しかし、空海は自信ありげに、こう続けた。
「ですが、何とかする方法は思いつきました。あやつらは『この世の
見ると、確かにあの怪物が二匹縦に並んで道を追いかけてきている。しかも、足はそんなに速くない。
「だから、ちとここで二つほど大きな穴を掘ってくれませぬか。力が増すようにお助けいたしましょう。ノウマクサンマンダバザラダンセンダマカロシャダソワタヤウンタラタ!」
「おお、凄え、何か力が湧いてきた!」
空海が不動明王の真言を唱えると、浄野が歓喜の声を上げる。そして、手にした
鎌倉時代以降に発達する槍とは異なり、刃が幅広の
「グギャーッ!」
先頭の怪物は、あっさりとその穴に落ちた。それを平然と踏み越えてきた二匹目の怪物も、次の穴に落ちる。確かに異常に耐久力はあるものの、頭は非常に悪いようだ。
「埋め戻してくだされ」
「あいよ!」
彫り上げて、穴の横に小山のように積まれていた土を、たちまちのうちに穴に埋め戻していく浄野。
「グゲ……ゲ……」
二つの穴を埋め戻すと、土の下から聞こえてきたうめき声が、少しずつ小さくなって、やがて消えてしまった。
「いかに頑丈で力持ちでも、あの小さな手足では落とし穴からは簡単に這い出すことも、土を取り除くことも難しいでしょう。そして、生きものである以上、息が続かなくなれば死にます」
「さすがは智恵者として知られる空海どのだ! 陛下がお気に入りなのもよく分かるぜ!!」
空海の解説を聞いて感嘆する浄野。昇殿するときは無位無官の異邦人である私は付き従えないから余り実感が無かったんだが、よく考えたら空海は今上陛下とは日本三筆と並び称される書の達人同士で、陛下お気に入りの人材の中のひとりなんだよなあ。
「よし、倒し方が分かりゃ怖くねえ。ほかにも何匹か居たみてえだから、さっさと全部やっつけてくるぜ!」
そう叫んで駆けていく浄野を空海と共に見送りながら、私は内心で溜息をついていた。
過去に転生したとばかり思っていたのに、まさかゲーム転生だったとは……それも
VRゲームとかMMORPGとか乙女ゲーとかじゃなくて、テレビゲーム草創期のアクションゲームだったなんてあんまりだ。
~~~~~~~~~
※1:「平安京エイリアン」は昭和五十四年(一九七九年)に東京大学理論科学グループが開発し、パソコンゲームやアーケードゲームとして販売されたアクションゲーム。後年ゲームボーイなどにも移植された。平安京にあらわれたエイリアンを、検非違使を操作して倒すゲームなのだが、倒し方は落とし穴を掘って、その穴に落ちたエイリアンを埋め戻すという方法しか無い。
※2:英単語alien(可算名詞)の本来の意味は異邦人、外国人。
※3:坂上浄野が検非違使少尉だったというのは創作です。検非違使が資料に初めて登場するのが八一六年で、坂上浄野が従五位下鎮守府将軍に任官するのが八一九年なので、この時期に検非違使少尉(定員不定)だったと設定してみました。
平安京の異邦人 結城藍人 @aito-yu-ki
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