ただの村人Aです

佐和夕

第1話

アランは『始まりの村』で生まれ育った。

成人を過ぎてからも移住することなく、のどかな村で一生を過ごすつもりでいる。冒険者に憧れた時期もあったけど、剣よりも鍬を握り畑仕事をしている方が性に合っていた。ごくごく平凡な自分には、身の丈にあった生き方だと思う。だから悔いはないし、今の生活に満足していた。


「村人よ、今日の貢ぎ物は美味じゃったぞ。あれは何という食べ物じゃ?」

「わぁ!」


鍬を振り下ろそうとしていた土から女性の顔が突如出てきて、アランは驚き、尻餅をついた。

そんなアランを見た女性は、『いたずら成功じゃ』と言って笑いながら、地面からニュルリと現れる。


「女神様! 変なとこから出てこないでくださいって言ってるでしょ!」


この世界に勇者を呼び寄せ、魔王討伐を成し遂げた女神は妖艶な美女の姿をしている。

たまに地上に降りてきては、こうして村人を揶揄って遊んでいた。

アランは立ち上がると、尻についた土を払いつつ『昨日のお供えは大根餅ですよ』と答えた。


「だいこんもち? 初めて聞く食べ物じゃな」

「勇者様に教えてもらいました。あちらの世界の食べ物だそうです」

「なるほど。異世界の食べ物じゃったか。あやつが教えたというのは気に食わんが、大根餅に罪はないからのう」


女神と勇者は仲が悪い。自分が異世界から選んでこちらに呼び寄せたのだろうに『勇者は傲慢なやつじゃ』とよく愚痴をこぼしていた。悪人でない限り、人柄までは選べなかったらしい。

きちんと本来の目的である魔王討伐を果たした勇者は、お役御免とばかりに新たな旅に出て、今は気ままに各地を回っているそうだ。

けれど、最初に降り立った『始まりの村』を特別に思っているのか、勇者は定期的にこの村を訪れていた。


「女神様。現在、勇者様はこの村に滞在中ですよ」

「何じゃと⁉︎」


アランの言葉に、女神は宙に視線を向けて気配を探り出した。勇者を見つけたのか、女神は苦虫を噛んだように顔を歪める。


「本当にいよる。小癪な。あやつ、気配を巧妙に隠しておったわ」


舌打ちまで追加された。女神と勇者が会うと余計な争いが起きる。

ただでさえ、この『始まりの村』は魔王討伐が行われた場所で、当時は村の半分以上が壊滅し、復興に時間がかかってしまったのだ。

やっと以前のような暮らしに戻ったのに、また壊されてはたまらない。

アランは言葉を選び、遠回しに帰るよう促す。


「大根餅はまた明日お供えしますから。勇者様は一週間滞在予定だそうなので、その後に改めてお越しください。会いたくはないでしょう?」

「むむぅ」

「まだ作ってないレシピもあります。試作を作って仕上げるまで、早くても一週間くらいはかかりますから。その時に新作の分も併せて感想を聞かせてください」

「ぬぬぅ」


しばらく女神はふぬふぬ唸っていたが、しぶしぶ帰って行った。

渋っていた割には用件を言わなかったので、遊びに来ただけのようだった。


「そこの村人!」

「ひょわっ⁉︎」


やっと女神が帰ったと思った瞬間、勇者の声が背後から聞こえてきて、アランはその場で飛び上がった。振り返ると、勇者が大きな熊を二体も担いで立っていた。

女神との会話を聞かれたかと焦ったが、勇者は笑顔を浮かべていた。女神がいたことすら気づいてなさそうで、間一髪だったかとアランは胸を撫で下ろした。


「ゴールデンベアを狩ったんだ。宿屋にある食堂の方に届けるから、良かったら食べに来てくれ」


ゴールデンベアは、その名の通り金色に近い毛色をしており、その肉は臭みも少なく柔らかくて美味だった。村人からしたらご馳走である。

ただ、強い個体で一般人が狩るには難しい魔獣なので、滅多に食べることができなかった。

そもそもこの村の周辺にはいない魔獣だ。

一体どこまで狩りに行ったのだろうかと疑問に思いつつも、アランは礼を言った。


「ありがとうございます。食堂の手伝いに行った時、まだ残ってたらご馳走になりますね」

「ぜひそうしてくれ!」


ニカっと笑った顔は爽やかで、女神の言っていた傲慢さは微塵も感じられなかった。

勇者はこの村によく差し入れをしてくれるし、滞在中は狩りも積極的に行なってくれている。村は高齢化が進み、狩りの人手も少なくなっていた。アランの感覚からすれば、勇者は間違いなく良い人の部類に入る。

きっと女神との相性が悪いだけだろうとアランは結論づけた。

ニコニコと笑っていた勇者は宿屋の方へ立ち去ろうとしたが、何かを思い出したように、もう一度こちらへ顔を向けた。


「あと伝えておいて欲しいのだが!」


誰への伝言だろうとアランが首を傾げると、次の瞬間、勇者の顔からは表情が抜け落ち、声音が二段階くらい低くなった。


「『神は神らしく地上に降りてくんな、このクソビッチ疫病神が……』って言っておいてくれる?」


女神がいたのバレバレだった!


「無理です!」


アランは咄嗟に拒否の言葉を口にしたが、勇者はすでにいなかった。


「言い逃げ⁉︎」


仮にも神である女神に伝えられる内容ではない。

アランは呆然と立ち尽くしたが、撤回する為に勇者を追いかけても無駄なような気がして、問題を棚上げすることにした。

早くても女神が来るのは一週間後。それまでに対策を考えればいいのだ。


畑仕事を終え家に戻ると、水瓶に溜めた水が少ないことに気づいた。

裏手の井戸に水を汲みに行こうとアランが家を出たら、庭先で仁王立ちしている小さなドラゴンを見つけた。ドラゴンはアランと目が合うと、後ろの右脚を引きずりながら近づいてくる。その様子を見て、アランは呆れたように声をかけた。


「チビ。また喧嘩して負けたのか?」

「ぎゃうぅ」


チビは立ち止まると、バシバシと尻尾を地面に叩きつけて憤慨した。負けてない、と言っていそうだが、全身傷だらけな上に涙目になっていた。

まだ赤ん坊に近いチビは、近くの森にいるレッドベアの子どもと頻繁に喧嘩しているようだった。勝敗は見ていないので分からないが、いつも傷だらけでムスっとして帰ってくるので、勝ててはいないと思う。


「こらこら、あまり暴れるな。傷が悪化するぞ」


半泣きのチビを抱き上げてから水を汲み、アランは家の中に引き返した。

湯を沸かして、血と泥だらけのチビを丁寧に洗い上げる。傷に触れないように気をつけ、タオルで優しく拭き上げてから手当てをした。薬草を擦り潰して塗り、包帯を巻き終える頃には、疲れたのかチビは眠ってしまっていた。

クッションをたっぷりと敷き詰めた寝床の籠にチビを運び、暖かな毛布を被せてやる。

チビを起こさないように静かに家事をこなした後、家畜小屋に行って牛たちに夕方の餌やりをしてから、今度は出かける準備をした。


「食堂の手伝いに行ってくるから、いい子で寝てろよ」


まだ寝ているチビの小さな頭を指で撫でてから、アランは宿屋にある食堂の手伝いに出かける。

勇者が狩ったゴールデンベアはまだ残っており、まかないとして出してもらえて、アランは無事に味わうことができた。


日も暮れ、食堂の仕事を終え帰宅すると、チビが寝ている籠の前に長身の男性がいて、アランは思わず息を呑んだ。


「遅かったな」


声を聞き、警戒で固まったアランの体から力が抜ける。


「神様。いらっしゃったんですね」


長い白髪を揺らしてこちらを見た壮年の男神は、アランがアランとして生まれる前に加護を授けてくれた神だった。

アランは前世の記憶を持つ異世界転生者だ。

しかも、女神が勇者を異世界へ転移させる為に起こした爆風により死んだ被害者だった。

異世界からの干渉による不慮の事故。

本来は死ぬ予定のない魂。その行き場のない魂を救ってくれたのは、女神の上司である男神だった。

アランを哀れに思った男神は、この世界への転生と、一つだけ加護を授けてくれた。

男神はアランの恩人だった。

けれど、無条件に信頼できる相手でもなかった。

男神の視線が、アランからチビに戻る。

そのことに気づいたアランの体に再び緊張が走った。

何気ない風を装って男神の横を通ると、アランはチビを抱き上げて腕の中に隠した。


「アラン」


男神から咎めるように名前を呼ばれ、アランの体は竦み上がった。それでも、腕の中の温もりを離そうとは思わなかった。


「アラン、それが何者か分かっているのか?」

「……多分、分かってます」


嘘はつけなかった。

チビは、アランが拾った卵が孵化して生まれた。生まれるまでドラゴンだとは思っていなかった。何が生まれるか分からなかったが、卵を見つけた時、その卵は白くキラキラ光って見えた。悪いものには見えなかった。

生まれたら、悪いものどころか愛しいものにしか見えなかった。小さくてか弱くて、なのに負けん気が強くて泣き虫な、可愛い可愛いチビ。

例え、見つけた場所が魔王が消滅した場所だったとしても。

アランにはチビを手放すという選択肢はなかった。

魔王が発していた毒々しい魔気は、勇者の聖剣により浄化された。

だから大丈夫のはずだ。

もしも、この子が元は魔王だったとしても。

分かっていながら離さないと言ったアランに、男神は深い深い溜息を吐いた。


「まったく……自分で与えた加護とはいえ、私にまで効くとはな」

「えっ?」


男神は頭を振ると、穏やかな顔でアランを見つめた。


「そのドラゴンの魂は、そなたの予想通り魔王だったものだ。今は非力で低級の魔物以下だが、もしかしたら力が復活するかもしれん。今のうちに消してしまおうと思っていたのだが……手をかけようとした瞬間、そなたが戻ってきた」


消そうとしていたのに、男神はアランがチビを腕の中に抱き上げるまで、黙って見ていてくれた。


「そなたの必死な姿を見て、私の中にある『魔王の魂を破壊しなければ』という意思が薄れた。そなたが守りたいと強く思い、加護が発動したようだ」

「僕の加護……」


アランが一つだけ、与えてもらった加護。


「危機一髪」


不慮の事故。運悪く、その場に居合わせてしまったが為に失った命。

その場を一分でも早く通り過ぎていれば。

もしくは一分でも遅く到着していれば、死ななかったかもしれない。

アランは生まれ変わる前、自分の不運を嘆いていた。


「転生前、僅かなタイミングで不運を回避したいと、同じ目には遭いたくないと願った時に与えた加護は、そなたが守りたいと願った相手にも効果があるようだな」

「そう、なんですか? それじゃあ……」


男神は手を伸ばすと、そっとチビの額をつついた。ポゥと小さな光が現れ、それはチビの額に吸い込まれるようにして消える。


「力が増幅しないようにした。問題ないと思うが、魔王に戻る兆候が現れた時は覚悟しなさい」


男神は最後に忠告すると、天界へ帰っていった。

男神がいなくなると、アランはその場に崩れ落ちるように腰を抜かす。良かったと、そっとチビの体に顔を擦り寄せた。


「ぎゃう?」


今頃目を覚ましたチビは、アランの様子に不思議そうにしながらも、すりりっとアランの頬へ頭を擦り付けた。


アランは平凡な村人だ。

それなのに、二人の神と知り合いだし、勇者とは頻繁に顔を合わせるし、守りたいものは元・魔王のチビドラゴンで、特殊な環境にいる。

それでも、神様が与えてくれた加護があるから、何かあってもそれなりに生きていけるような気がした。




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