中州

天西 照実

中州


 中州なかす。そう、中州だ。

 広い河川の中に、土や砂が堆積して島のようになった場所。

 だだっ広い川の中にポツンと浮かぶ中州に立っている。

 ……なぜ、こんなことに?


 夢と現実の区別くらいはつく。

 夢ではないが……現実でいいのだろうか?

 学生時代はアウトドアも好きだった。

 こんな川は現実的じゃない。でも夢じゃない。落ち着け。


 そう、落ち着こう。

 川の中とはいえ、足元の中州は狭いが頑丈そうだ。

 落ち着いて考えてみろ。今まで、何をしていたのだったか。

 冷静に、思い出してみよう。


 仕事中、ではない。休日でもない。

 最後に社内メールを返信して……そうだ。

 花の金曜日だとか、意味不明なことを言い出した年上同僚が居た。数人いた。

 早生まれで、やっと二十歳になった俺に酒の楽しみを教えるだとか言って。


 思い出してきた。

 最初の乾杯はビール。とりあえず枝豆とビール。

 とりあえず枝豆。とりあえず枝豆とビール。

 馬鹿みたいに同じことを言ってるおっさんたちだった。


 苦い炭酸を数口だけで、鏡を見なくても自分の顔が赤くなったのがわかった。

 ノンアルコールを頼みたいと言ったら、乾杯ビールで酔っぱらうとは情けないと言って、日本酒だのワインだの、なにかのお湯割りだのを注文された。

 お酒は二十歳になってから。

 そのルールは守っていたが、ちゃんぽんが悪酔いすることくらい知ってる。


 まぁ、飲んだ自分も馬鹿だ。

 体質に合った酒を探せとか言われて。どれかは美味いから試せって。

 そういうもんかと思った自分が馬鹿だ。

 酔ったふりして、禿頭にぶっかけてやれば良かったじゃないか。


 人の手の入っていない、キレイな川。

 背の低い草原には、薄い色の花が咲いている。

 草原の中に一本流れる、幅の広い川。

 流れは緩やかだ。その川の中州に、自分ひとりが立っている。


 空は青いが、霧が増えている気がする。

 糸のような煙のような雲が、低い位置を流れているのだろうか。

 ファンタジックな風景だ。日本っぽくない。まるで異世界だ。

 酔っ払いからのアルハラで、中毒を起こして異世界転生?


 いや。普通に死んだのか。まだ、死にかけかな……。

 これはきっと、あれだ。三途の川とかいうやつ。

 生死を彷徨さまよう者が、夢の中で見たって話。

 川を渡っていたら、きっと意識は戻らず死んでしまっただろう……って、やつ。


 でも、中州に居るんだよな。

 川のどちら側を見ても、キレイな花の咲く草原だ。

 どちらへ行けば、意識を取り戻せるのだろう。

 誰も居ない。死者の列らしきものも見えない。


 意識を取り戻せるのか、そのまま死ぬか……運なのか?

 自分で選ぶのか?

 まだこちらへ来るなと言って、誰かが戻る道を教えてくれるんじゃないのか。

 いや、祖父ちゃん祖母ちゃんは四人とも元気だし、思い当たる死人は居ないけど……。


 川上に向いて立つ。気付いた時は、こちらを向いていたはずだ。

 右を見ても、左を見ても、違いは分からない。

 どちらかが、あの世なのだろうか。

 さっきよりも、足場の中州が小さくなっている……。


 流れは緩やかだ。

 どちらへも渡らずに、川の中を歩いてみてはどうか。

 とりあえず川上へ。もし川下に行って地獄に到着では困る。

 水に降りた途端、体が溶けるなんて事はないだろうな……今は素足だ。


 いや待て。立っている場所は中州じゃない。

 自分の背中の上だ。

 子どもの頃、いじけると体を丸めて小さくなっていた。

 母親が『カメさん』と名付けた、いじけポーズ。


 顔は見えないが、大人になった自分の背中を踏んでいる。

 情けなくうずくまるカメさんが自分だとわかる。

 頭は完全に水没している。

 ここに乗っていないと俺の体は浮いて、あの世まで流されてしまうのではないか。


 それとも、呼吸させてやらないと死ぬのか。

 わからない。どうすれば良いんだ。

 もう、どうとでもなれか?

 わからないのだから、仕方ないって事になるのか⁉



 ――戻って来い!

 ――だめよ、早く!

 ――戻りなさい!

 ――早く戻って来いっつってんの!



 左側からだ。

 乱暴な口調の女性。部長だ。

 ……えっ、部長? なんで?

 ヤバい、やっぱり夢か? 仕事中の居眠りだったのか??


 雲の中を飛んだ気がした。

 体は重いが、頭だけ風船のように浮かび上がりそうな気分だ。


 とにかく目を開けた。

 自分の状態確認をする前に、目の前の部長の顔を見つけた。

「起きたっ、起きてるっ? 起きてるわね!」

 部長が、俺の頭の上でガチャガチャやっている。

 ポーンと音がした。ナースコールのボタンを押したらしい。

「病院よ。わかる?」

「……部長」

 部長が、ふーっと息を吐く。そして大きく息を吸い込んでから話し出す、いつも通りの部長だ。

「まさかと思って見に行ったのよ。会社の飲み会でよく使ってる居酒屋の座敷。真っ赤になって凄い汗でゼイゼイ苦しそうなあんたを座敷に転がしたまま、あいつら飲んだくれてやがったのよ。へらへらガタガタ言ってんの無視して救急車呼んだの。あいつら二度目なのよ。前にもアルハラで厳重注意されてんのに、相手が違うだの今回は違うだの言い訳しかしやがらないのよ。謝罪が先だろうっつうの。あいつらの尺度で判断させたら注意もルールも意味ないわ。社会人として終わってるでしょ。会社の恥はクビよクビ!」

 口の悪い部長のマシンガンは、ほとんど聞き取れなかった。

 だが飲みに連れて行かれて、急性アルコール中毒という記憶は正しかったらしい。

「部長」

「うん?」

「……口が悪いより、へらへらした自己中じこちゅーの方が恐いですね」

 情けないほど、かすれた声が出た。

「口が悪いって私のことね」

 怒気の含まれた声で言ったが、部長はすぐに優しそうな顔をした。そんな顔は初めて見る。

「あの、面倒をおかけして――」

「そういうのいいから、寝てなさい」

 起き上がろうとする俺の体を、部長はベッドに押し付けた。

「もう夜中だけど。看護師さんに様子を見てもらったら、今夜は大事を取って病院にお泊りよ。責任はあいつらにあるから、あんたはしっかり休養を取るようにって社長命令。私も明日はお休みもらったから、親御さんにご挨拶しなくちゃ。あ、お母様が、朝になったらいらっしゃるって言ってたわ」

「家にも連絡してくれたんですか」

「あんた実家暮らしだもん。あたりまえでしょう」

 そんなホワイトな会社とは思っていなかった……なんて言えない。



 三途の川のような場所で、部長の声が聞こえたとも言いにくい。

 意識が戻らない俺を、戻って来いって呼んでくれたかどうか。

 聞いてみたい気もするけど。


 でも部長。

 一生、いや定年まで。ついて行きます。

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中州 天西 照実 @amanishi

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